閑話 筆頭鍛冶師の手紙
〖カーダン〗
「あの・・・カーダン様?」
なじみの衛士が、気を遣って声をかけてくれるが・・・
「すまん・・・今だけは、話し掛けてくれるな・・・」
1歩1歩・・・ゆっくりと・・・そうだ一瞬たりとも気を抜くな。
誰かに持たせる・・・運ばせる・・・この酒に、そのような選択肢は始めから存在しない。
儂の脳裏には、この酒を追い求めていたヤツらの顔が、いくつも浮かんでは消えていった。
やっとのことで
記憶の底から浮かび上がってきたのは、もう何十年も会えていない
1人の友の顔だった。
「お~い、ハーキン・・・
「私なら、ここにおります。カーダン様」
この濃い茶色の髪と髭を持つ、ドワーフにしては小柄なこの眼鏡の男。
こいつは王宮鍛冶棟で長年金庫番をしている実直な男ハーキンだ。
「すまんが、ハーキン・・・コレを入れたい。すぐに、最重要保管庫を開けてくれ」
ハーキンのヤツ、儂の手の中にある瓶を見て目をしばたたいている。
「カーダン様、気のせいでしょうか・・・私、その瓶に見覚えがあるのですが?」
「ああ、儂だって・・あの空瓶は目に焼き付いておる・・・ヴァームの黒だ、こいつを最重要保管庫に預かってくれ」
「カーダン様、分かっているとは思いますが慌てないでください。
慎重にお願いします」
「頭では分かっておる。しかしな、手の震えが止まらんのだ・・・もし瓶を握るチカラ加減を間違えたらと、考えるだけで頭がおかしくなりそうだ・・・すまんが、早く開けてくれ」
「わ・・・わかりました・・・」
ハーキンが最重要保管庫に続く3枚の扉を複雑な手順で開けていく、儂は後ろから誰も付いてきてないかキョロキョロと、しつこい程確認しながらハーキンの後をついて保管庫の中に入る。
「さて、この保管庫の中で、万が一地揺れが起きても安全な場所はどこだ? それに・・・僅かでも臭いのある素材の傍も避けたいな・・・よし、そのクッションだ。
ハーキン、その邪魔な石コロをどけてくれ」
展示台の上に置かれたクッション、その上に鎮座している
「この
「バカを言うな、瓶は割れるんだぞ」
「はぁ」
「これでよし・・・ほらハーキン、ここでの用は済んだらさっさと鍵をかけてくれ、急いで《次》に行くぞ」
「次・・・ですか?」
右手に持ったままの酒瓶を見せながら・・・
「ああ、次はこいつをマルダンに渡しにいく・・・」
「マルダンって・・・内務卿のマルダン様ですか?」
「酒が絡んでも大丈夫だと儂が自信を持って言えるのは、お前かマルダンくらいだ。
奴に頼めば、間違いなく王宮の宝物庫に入れてくれるだろう」
〖王宮 中央棟〗
「緊急事態だ、すまんがすぐにマルダンと話がしたい」
儂はあの瓶を両手で捧げ持ち、後ろには新しいクッションを抱えたハーキンを引き連れて、中央棟の門の前に立つ衛士に声をかけた。
「カーダン様・・・その瓶は?」
「見ての通りだ、ヴァームの黒が手に入った・・・王への献上品として納めたい。すまんが、マルダンを呼んきてくれ」
「まさか・・・ホンモノですか?」
「そのはずだ。儂だって、コイツだけは飲んだ事は無いからな・・・儂の見る限りホンモノにしか見えん」
「どうぞ、こちらに。おい誰か、内務卿のところに・・・今なら執務室におられるはずだ」
〖内務卿 執務室〗
この部屋の主である、濃い灰色の髭を持った禿頭のドワーフ、
マルダンが胡散臭いモノを見るような眼で儂と、テーブルの上にクッションと共に置かれた瓶を見ている。
苦虫を潰した様な顔は、まあいつもの事だ。
「カーダン殿、確かに宝物庫に残された瓶に似ているな・・・だが、さすがにこれは偽物だろう?」
「それがな・・・儂には、ホンモノにしか見えんのだ」
「ホンモノに見える?・・・その根拠は何だ?」
「大昔のヴァームのラベルはな、白が一般向け、黄が一般向けの高級品、青が貴族向け、そして・・・黒が最高級品として作られておったらしい」
「ほう・・・」
「そして、王族が飲む可能性のある最高級品の黒には、とある細工が施されていたのだ」
「細工?」
「ああ、偽造の防止と品質を保証する為に、生産者しかわからぬよう、黒のラベル全てに隠し文字で通し番号が振られておったそうだ」
「なに?」
「偶然だが、儂はそのことを知っておってな、宝物庫にあるあの瓶のラベルに書かれた4桁の数字も確認しておる」
「では・・・この瓶にも?」
「ああ、間違いない。同じ系統の隠し文字だ」
「すまんな・・・てっきり、また偽物だと思って肝心な聞き忘れた。こんな恐ろしいモノをいったいどこで手に入れたんだ?」
「確かナオだったか? あの呪姫さまと一緒にいた男から手間賃として貰ったのだが?」
「よりにもよって、呪姫さま絡みか・・・わかった、この酒は私が責任を持って宝物庫に保管する」
「お前なら安心だ。もう、あんな事はコリゴリだからな」
「あんな?・・・・ああ、あの悪童の話か? あんたが弟子の結婚祝いに送った希少な酒の、中身を安酒に入れ替えたっていう」
「おおよ、祝いの席が始まって酒瓶の封を開けたら、明らかに香りが違ったんだ。
よく見たら酒瓶の封が歪んでいて、周りを見まわしたら一人だけ赤い顔で挙動のオカシイ子供が、じっとこちらを見ていた」
「あからさまに怪しいな・・・」
「だから『お前、赤い顔をしてどうしたんだ』と声をかけたら、
『俺は絶対に飲んでない』と必死に否定しだしてな」
「それは・・・ずいぶん簡単に自白したな」
「ああ、他にも何か色々と言い訳をしてきたが。口を開く度に、あの希少酒独特の香りが周囲に広がっていくんだ」
「子供とはいえ・・・バカなことを」
「あの事があってから、こと酒に関しては、このハーキンとか、絶対に信用できるヤツにしか頼まないようにしておる」
内務卿に酒の事を頼んで中央棟を出たところで、エルフ殿を鉢合わせした・・・ん? 手に何を持っているのだ?
「筆頭鍛冶師殿・・・忘れ物だ」
この凝った細工の革袋は、確かナオから預かった・・・・いかん、忘れてた。
「ハーキンよ・・・この皮袋の中身、金貨1000枚だそうだ、すまんが数えて金庫に入れておいてくれ」
「
「その革袋を受け取った後で、あんな酒を渡されたんだ。金貨なんか悠長に数えてられるか?」
「まったく、しょうがないですね・・・・げっ」
ハーキンがエルフ殿から革袋を受け取って中を覗き込み
「カーダン様、この金貨・・・星金貨ですよ」
「はぁ?」
ハーキンが革袋から1枚取り出したのは、現在流通している金貨とはまったくの別物。
その時代の王の横顔が描かれたレリーフでは無く、星の様な文様が描かれていることから通称”星金貨”と呼ばれている太古の金貨だった。
「こいつは・・・1枚だけでもどっかの好事家が、バカみたいな高値を付けそうだな」
「まだ数えてませんが、この袋の中にコイツが1000枚もあるんですよね?
そりゃあ最初は高値が付くでしょうが、すぐに値崩れを起こしますよ」
「しょうがない・・・その金貨の事も王が戻ってきたら相談してみる。すまないが、それまで金庫に預かっていてくれ」
「いつまで預かるんですか? 王は南の街に行ったきりで、いつ戻ってくるのかわかりませんよ」
「大丈夫だ・・・ウーバン王にさっきの献上品の事を、手紙でちょっと知らせてやれば、我慢できずに飛んで帰って来るだろよ」
「はあ」
「というわけで、ハーキンとエルフ殿」
「はい」「なんだね?」
「儂はこれから王と・・・まあ、それ以外にも急いで手紙を書かなきゃならん」
「それならば、私は予定通り刻印の資料を纏めておくよ」
「そうだな・・・すまんがハーキン。これから色んなのが来ると思うが、誰が来ても絶対に保管庫は開けるなよ」
「そりゃ、開けませんよ・・・どうして、そんな当たり前の事を聞くんですか?」
「もう来てるな・・・あれだ」
儂が指さす鍛冶棟の前では、すでに騒ぎが起きていた・・・
『筆頭鍛冶師殿はおられるか~』
『カーダン
『ヴァームの黒はどこだ? 金なら持ってきた・・・ほんの一口で良いから飲ませてくれ』
ここは王宮の敷地の中・・・つまりある程度の地位を持つヤツラだ
『ですから、カーダン様は留守です』
『こちらは王宮鍛冶棟です。関係者以外入れません』
どうやら衛士たちが鍛冶棟の入り口で止めてくれている様だ。
「ハーキン、すまんが気が変わった・・・手紙は別の場所で書いてくる・・・後は頼んだ」
「ハーキン殿、私も気が変わりました、先に借りた荷車を返してきますね」
「カーダン様、オリウムドラム様、お願いですから逃げないでください」
〖皇国北部にある、とある農園〗
これは、筆頭鍛冶師殿がマカからヴァームの黒を贈られて、およそ3週間程が過ぎたある日の出来事。
この場所は皇国北部の街ギュスから少し北に離れた、翼の山脈の麓にある農場。
大きな1軒のログハウス、そこに作られたウッドデッキの上で一人の初老の男性が、ポツンと椅子に座って考え込んでいた。
ウッドデッキからは広大な、色とりどりの花畑が見渡せたが、その視線が花畑に向けられることはなかった。
彼は・・・テーブルの上に置かれた小さなグラス、その中の黒曜石のような色合いの液体を口に含む
「さて・・・この酒は十二分に美味い酒だ
だが・・・この酒は果たして青に届いているのだろうか?
足りないとすれば何だ? 爽やかな香りか?
それとも、軽い口当たりか?
そして・・・その先にあるという、黒に迫るには何が足りない?
深み? それともコクか?
鼻腔に残るほのかな香りか?
何が足りない?
その、足りないモノが分からなければ、いくら追い求めても無駄なのか?」
悲し気に呟く
「ご当主さま、アイロガ王国のカーダン様という方から、お手紙が届いております」
「・・・カーダン? 珍しいな」
手渡された簡素な封筒の封を切ると、中身はいかにもカーダンらしい短い文面があった。
******************************
バッダよ
偶然だが、未開封のヴァームの黒が手に入った。
以前、お前に教えてもらった隠し文字の通し番号は****だ。
お前と息子たちが来るまで封は切らずに待っててやる。
だから・・・オリハガーダまで飲みに来い。
カーダン
******************************
「・・・これは・・・・夢か?」
「ご当主さま?」
「昔の友からだ・・・あいつ、未開封のヴァームの黒が見つけたらしい。飲ませてやるから息子たちと来い・・・だと」
「失礼ですが・・・また偽物なのではありませんか?」
黒はともかく、青の偽物は市場に出てきて年に1度は鑑定を頼まれる。
どれも、白にさえ遠く届かない味と香りだった。
「少なくともラベルは本物のようだ。隠し文字の通し番号からすると、まだ、ご先祖様がオーランで酒を造っていた頃のもので間違いないだろう」
「それでは・・・ホンモノの黒なのですか?」
「その可能性が高い・・・しかし、私が若い頃に口にした泣き言を、
まだ憶えていてくれたのか・・・これは恥ずかしいな」
「ご当主様?」
「ああ、すまないがバイスとカリスを呼んで来てくれ。
我々ヴァーム酒造が遙か昔に失っってしまった、青と黒という
もしかしたら取り戻せるかもしれない」
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