閑話 筆頭鍛冶師の手紙

〖カーダン〗


わしは今、右手と左手それぞれの手に持ったびんに、なるべく振動を与えぬよう・・・慎重に歩いている。


「あの・・・カーダン様?」


なじみの衛士が、気を遣って声をかけてくれるが・・・


「すまん・・・今だけは、話し掛けてくれるな・・・」


1歩1歩・・・ゆっくりと・・・そうだ一瞬たりとも気を抜くな。


誰かに持たせる・・・運ばせる・・・に、そのような選択肢は始めから存在しない。 


儂の脳裏には、を追い求めていたヤツらの顔が、いくつも浮かんでは消えていった。


やっとのことで国営鍛冶棟こくえいかじとうに辿り着いた時、

記憶の底から浮かび上がってきたのは、もう何十年も会えていない

1人の友の顔だった。


「お~い、ハーキン・・・金庫番ハーキンはいるか?」 


「私なら、ここにおります。カーダン様」


この濃い茶色の髪と髭を持つ、ドワーフにしては小柄なこの眼鏡の男。

こいつは王宮鍛冶棟で長年金庫番をしている実直な男ハーキンだ。


「すまんが、ハーキン・・・コレを入れたい。すぐに、最重要保管庫を開けてくれ」


ハーキンのヤツ、儂の手の中にある瓶を見て目をしばたたいている。


「カーダン様、気のせいでしょうか・・・私、その瓶に見覚えがあるのですが?」


「ああ、儂だって・・あの空瓶は目に焼き付いておる・・・ヴァームの黒だ、こいつを最重要保管庫に預かってくれ」


「カーダン様、分かっているとは思いますが慌てないでください。

慎重にお願いします」


「頭では分かっておる。しかしな、手の震えが止まらんのだ・・・もし瓶を握るチカラ加減を間違えたらと、考えるだけで頭がおかしくなりそうだ・・・すまんが、早く開けてくれ」


「わ・・・わかりました・・・」


ハーキンが最重要保管庫に続く3枚の扉を複雑な手順で開けていく、儂は後ろから誰も付いてきてないかキョロキョロと、しつこい程確認しながらハーキンの後をついて保管庫の中に入る。


「さて、この保管庫の中で、万が一地揺れが起きても安全な場所はどこだ? それに・・・僅かでも臭いのある素材の傍も避けたいな・・・よし、そのクッションだ。

ハーキン、その邪魔な石コロをどけてくれ」


展示台の上に置かれたクッション、その上に鎮座している金剛石ダイヤモンドをハーキンにどけさせて、そのクッションの上にゆっくりと瓶を寝かせる。


「この金剛石ダイヤモンドは・・・いずれ王冠か王笏に加える予定で・・・」


「バカを言うな、瓶は割れるんだぞ」


「はぁ」


「これでよし・・・ほらハーキン、ここでの用は済んだらさっさと鍵をかけてくれ、急いで《次》に行くぞ」


「次・・・ですか?」


右手に持ったままの酒瓶を見せながら・・・


「ああ、次はこいつをマルダンに渡しにいく・・・」


「マルダンって・・・内務卿のマルダン様ですか?」


「酒が絡んでも大丈夫だと儂が自信を持って言えるのは、お前かマルダンくらいだ。

奴に頼めば、間違いなく王宮の宝物庫に入れてくれるだろう」





〖王宮 中央棟〗



「緊急事態だ、すまんがすぐにマルダンと話がしたい」


儂はあの瓶を両手で捧げ持ち、後ろには新しいクッションを抱えたハーキンを引き連れて、中央棟の門の前に立つ衛士に声をかけた。



「カーダン様・・・その瓶は?」


「見ての通りだ、ヴァームの黒が手に入った・・・王への献上品として納めたい。すまんが、マルダンを呼んきてくれ」


「まさか・・・ホンモノですか?」


「そのはずだ。儂だって、コイツだけは飲んだ事は無いからな・・・儂の見る限りホンモノにしか見えん」


「どうぞ、こちらに。おい誰か、内務卿のところに・・・今なら執務室におられるはずだ」




〖内務卿 執務室〗


この部屋の主である、濃い灰色の髭を持った禿頭のドワーフ、

マルダンが胡散臭いモノを見るような眼で儂と、テーブルの上にクッションと共に置かれた瓶を見ている。


苦虫を潰した様な顔は、まあいつもの事だ。


「カーダン殿、確かに宝物庫に残された瓶に似ているな・・・だが、さすがにこれは偽物だろう?」


「それがな・・・儂には、ホンモノにしか見えんのだ」


「ホンモノに見える?・・・その根拠は何だ?」


「大昔のヴァームのラベルはな、白が一般向け、黄が一般向けの高級品、青が貴族向け、そして・・・黒が最高級品として作られておったらしい」


「ほう・・・」


「そして、王族が飲む可能性のある最高級品の黒には、とある細工が施されていたのだ」


「細工?」


「ああ、偽造の防止と品質を保証する為に、生産者しかわからぬよう、黒のラベル全てに隠し文字で通し番号が振られておったそうだ」


「なに?」


「偶然だが、儂はそのことを知っておってな、宝物庫にあるのラベルに書かれた4桁の数字も確認しておる」


「では・・・この瓶にも?」


「ああ、間違いない。同じ系統の隠し文字だ」


「すまんな・・・てっきり、また偽物だと思って肝心な聞き忘れた。こんな恐ろしいモノをいったいどこで手に入れたんだ?」


「確かナオだったか? あの呪姫さまと一緒にいた男から手間賃として貰ったのだが?」


「よりにもよって、呪姫さま絡みか・・・わかった、この酒は私が責任を持って宝物庫に保管する」


「お前なら安心だ。もう、はコリゴリだからな」


「あんな?・・・・ああ、あの悪童の話か? あんたが弟子の結婚祝いに送った希少な酒の、中身を安酒に入れ替えたっていう」


「おおよ、祝いの席が始まって酒瓶の封を開けたら、明らかに香りが違ったんだ。

よく見たら酒瓶の封が歪んでいて、周りを見まわしたら一人だけ赤い顔で挙動のオカシイ子供が、じっとこちらを見ていた」


「あからさまに怪しいな・・・」


「だから『お前、赤い顔をしてどうしたんだ』と声をかけたら、

『俺は絶対に飲んでない』と必死に否定しだしてな」


「それは・・・ずいぶん簡単に自白したな」


「ああ、他にも何か色々と言い訳をしてきたが。口を開く度に、あの希少酒独特の香りが周囲に広がっていくんだ」


「子供とはいえ・・・バカなことを」


「あの事があってから、こと酒に関しては、このハーキンとか、絶対に信用できるヤツにしか頼まないようにしておる」


内務卿に酒の事を頼んで中央棟を出たところで、エルフ殿を鉢合わせした・・・ん? 手に何を持っているのだ?


「筆頭鍛冶師殿・・・忘れ物だ」


この凝った細工の革袋は、確かナオから預かった・・・・いかん、忘れてた。


「ハーキンよ・・・この皮袋の中身、金貨1000枚だそうだ、すまんが数えて金庫に入れておいてくれ」


かぞえてですか? カーダン様、金貨1000枚ですよ・・・どうして受け取った時に数えなかったんですか?」


「その革袋を受け取った後で、あんな酒を渡されたんだ。金貨なんか悠長に数えてられるか?」


「まったく、しょうがないですね・・・・げっ」


ハーキンがエルフ殿から革袋を受け取って中を覗き込み


「カーダン様、この金貨・・・星金貨ですよ」


「はぁ?」


ハーキンが革袋から1枚取り出したのは、現在流通している金貨とはまったくの別物。


その時代の王の横顔が描かれたレリーフでは無く、星の様な文様が描かれていることから通称”星金貨”と呼ばれている太古の金貨だった。


「こいつは・・・1枚だけでもどっかの好事家が、バカみたいな高値を付けそうだな」


「まだ数えてませんが、この袋の中にコイツが1000枚もあるんですよね?

そりゃあ最初は高値が付くでしょうが、すぐに値崩れを起こしますよ」


「しょうがない・・・その金貨の事も王が戻ってきたら相談してみる。すまないが、それまで金庫に預かっていてくれ」


「いつまで預かるんですか? 王は南の街に行ったきりで、いつ戻ってくるのかわかりませんよ」


「大丈夫だ・・・ウーバン王にさっきの献上品の事を、手紙でちょっと知らせてやれば、我慢できずに飛んで帰って来るだろよ」


「はあ」


「というわけで、ハーキンとエルフ殿」


「はい」「なんだね?」


「儂はこれから王と・・・まあ、それ以外にも急いで手紙を書かなきゃならん」


「それならば、私は予定通り刻印の資料を纏めておくよ」


「そうだな・・・すまんがハーキン。これから色んなのが来ると思うが、誰が来ても絶対に保管庫は開けるなよ」


「そりゃ、開けませんよ・・・どうして、そんな当たり前の事を聞くんですか?」


「もう来てるな・・・あれだ」


儂が指さす鍛冶棟の前では、すでに騒ぎが起きていた・・・


『筆頭鍛冶師殿はおられるか~』

『カーダンおうは、どこにおられる~』

『ヴァームの黒はどこだ? 金なら持ってきた・・・ほんの一口で良いから飲ませてくれ』


ここは王宮の敷地の中・・・つまりある程度の地位を持つヤツラだ


『ですから、カーダン様は留守です』

『こちらは王宮鍛冶棟です。関係者以外入れません』


どうやら衛士たちが鍛冶棟の入り口で止めてくれている様だ。


「ハーキン、すまんが気が変わった・・・手紙は別の場所で書いてくる・・・後は頼んだ」


「ハーキン殿、私も気が変わりました、先に借りた荷車を返してきますね」


「カーダン様、オリウムドラム様、お願いですから逃げないでください」








〖皇国北部にある、とある農園〗


これは、筆頭鍛冶師殿がマカからヴァームの黒を贈られて、およそ3週間程が過ぎたある日の出来事。


この場所は皇国北部の街ギュスから少し北に離れた、翼の山脈の麓にある農場。


大きな1軒のログハウス、そこに作られたウッドデッキの上で一人の初老の男性が、ポツンと椅子に座って考え込んでいた。


ウッドデッキからは広大な、色とりどりの花畑が見渡せたが、その視線が花畑に向けられることはなかった。


彼は・・・テーブルの上に置かれた小さなグラス、その中の黒曜石のような色合いの液体を口に含む


「さて・・・この酒は十二分に美味い酒だ

 だが・・・この酒は果たしてに届いているのだろうか?

 足りないとすれば何だ? 爽やかな香りか?

 それとも、軽い口当たりか?


 そして・・・その先にあるという、に迫るには何が足りない?

 深み? それともコクか? 

 鼻腔に残るほのかな香りか?

 何が足りない?

 その、足りないモノが分からなければ、いくら追い求めても無駄なのか?」


悲し気に呟く



「ご当主さま、アイロガ王国のカーダン様という方から、お手紙が届いております」


「・・・カーダン? 珍しいな」


手渡された簡素な封筒の封を切ると、中身はいかにもカーダンらしい短い文面があった。





******************************


バッダよ


偶然だが、未開封のヴァームの黒が手に入った。

以前、お前に教えてもらった隠し文字の通し番号は****だ。

お前と息子たちが来るまで封は切らずに待っててやる。

だから・・・オリハガーダまで飲みに来い。


            カーダン

******************************


「・・・これは・・・・夢か?」


「ご当主さま?」


「昔の友からだ・・・あいつ、未開封のヴァームの黒が見つけたらしい。飲ませてやるから息子たちと来い・・・だと」


「失礼ですが・・・また偽物なのではありませんか?」


黒はともかく、青の偽物は市場に出てきて年に1度は鑑定を頼まれる。

どれも、白にさえ遠く届かない味と香りだった。


「少なくともラベルは本物のようだ。隠し文字の通し番号からすると、まだ、ご先祖様がオーランで酒を造っていた頃のもので間違いないだろう」


「それでは・・・ホンモノの黒なのですか?」


「その可能性が高い・・・しかし、私が若い頃に口にした泣き言を、

まだ憶えていてくれたのか・・・これは恥ずかしいな」


「ご当主様?」


「ああ、すまないがバイスとカリスを呼んで来てくれ。

我々ヴァーム酒造が遙か昔に失っってしまった、青と黒という目標プライド

もしかしたら取り戻せるかもしれない」

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