エピローグ

 ヴァーレン祭が無事に終わり、しばらくすると、いつもの日常に戻っていた。

 しかし、これまでと変わったこともある。

 そのひとつは担任のプリシラ先生がいなくなった穴を埋めるために、臨時で教頭のフレデリック先生がマリー達の担任と寮監になったことだろう。

 午前の授業終わりの鐘が鳴ると、前の席に座っていたミッシェルが教壇にいるフレデリック先生の方を気にしながら、マリーの机にぐったりと倒れ込んだ。


「大丈夫?」


 心配してそう声をかけると、ミッシェルはげっそりとした顔をする。


「駄目かも……フレデリック先生に見張られている感がすごいわ。もうテストも悪い点なんて取れないし……」


 そう泣き言を漏らすミッシェルは、これまでは演劇部にかまけて勉強はおざなりにしてきたのだろう。それでも特待生になれるくらいに彼女は優秀ではあるのだが。


「お母さんってば元気になった途端、『フレデリック先生』『フレデリック先生』って。手紙でも、フレデリック先生とのノロケ話ばっかりなの! それって娘に言うことかなって思うよね? もう嫌になっちゃうわ。私はまだ『お父さん』なんて認めてないんだからね!」


 ミッシェルは頬をふくらませている。


「まぁまぁ。アリアおばさんも病気が治って良かったじゃない。そうやってミッシェルが文句を言えるのも、お母さんがお元気になったからなんだし」


 マリーがそう取りなすように言うと、ミッシェルは唇を尖らせる。


「まあ、そうだけど……。でも、本当に病気が治って良かったわ。医師にも見放されてしまったのに、どうしていきなり病気が治ったのか分からないけれど……不思議なこともあるものね」


 ミッシェルの母親のアリアは、ヴァーレン祭にミッシェルの演劇を見にきた時、恩師であるフレデリックと再会し、昔話をするうちに会話が弾んだらしい。

 彼の紹介で治療院に入院できることになったのだが、アリアはそこで医師から驚くようなことを言われた。

 なんと、病の症状がすっかりなくなっているのだ、という。

 経過を見るために数日入院したが、歩くのも大変だったのにアリアはみるみるうちに健常者と同じくらいの体調まで回復してしまったのだ。


(祈り……)


 ふと、マリーはカルロに以前言われた言葉を思い出した。

 もしかしたら自分の力と関係があるのかもしれない。

 一瞬マリーはそう思ったが、すぐに『まさかね』と頭を振って、その思考を追い払った。己の魔法が誰かの病を治しただなんて現実離れしている。

 自分の力はおまじない程度。マリーはそう信じ込んでいた。

 ミッシェルの愚痴は続く。


「フレデリック先生は何度も治療院までお見舞いにきてくれたらしくて……私が知らない間に、二人は仲良くなっていたの。こないだなんて、帰郷したらフレデリック先生がすでに夕食の席にいたのよ! 倒れそうになったわ。想像してみてよ。教頭先生が私の家にいるところを……しかもお母さんは笑顔で、フレデリック先生に『娘をよろしくお願いします』とか言ってるのよ!?」


 それはかなり嫌な状況だ。フレデリック先生が『任せてください』と己の胸を叩いているところまで想像できる。

 ミッシェルは母親の真似のつもりなのか、両眉を指で持ち上げて怒ったような表情を作った。


「『いくら王立歌劇団に勧誘されたからって、学生は勉学をおろそかにしちゃいけないのよ』って。お母さんったら、うるさいったらないの。フレデリック先生がそれに同意しちゃって……。もうテストでギリギリの点なんて取れなくなっちゃったわ。私は卒業したらオペラの道に行くんだから勉強なんて、もう必要ないのにね。赤点取らない程度にやっておけば良いのよ」


 演劇を見にきていた歌劇団のメンバーが、ミッシェルの演技を見て熱烈なオファーを出してくれたのだ。

 今は学生なため卒業後ということになっているが、ミッシェルが天下の王立歌劇団に入る未来は決まったも同然だった。

 マリーにその知らせが届いた時、ミッシェルは「全部マリアのおかげだわ!」と飛び跳ねて喜んだ。


(私はただ手助けをしただけだもの……)


 マリーがやったことではない。ミッシェル自身がつかみ取ったチャンスだ。

 それでも友人が舞い上がっている様子を見てマリーも嬉しくなる。


「まあ、おばさんがそう言えるのはお元気になったからよ。それに勉強を頑張っておけば、いざという時に別の道だって選べるんだし……良いことだと思うわ」


 水差すようで悪いとは思ったが、人生は何が起こるか分からないのだから備えておくにこしたことはないと思う。

 マリー自身も別人として生活するなんて、ほんの三か月前までは考えてもみなかったことだ。


(たとえ、いつか入れ替わりが終わるとしても……ここで学んだことはこれからの私の人生に役に立つはずだわ)


 マリーはそう信じていた。

 母親が演劇の道をあきらめて退学してからの苦労を思い出したのか、ミッシェルの反論の声は小さくなる。


「……まあ、本当は分かっているわ。お母さんが私のために、そう言ってくれていることはね」


(自分のような苦労をさせまいとして、アリアおばさんもつい、そう言っちゃってるんだろうな……)


 母親がすでになくなっているマリーには、口うるさいと文句を言える相手がいるミッシェルが少し羨ましい。

 フレデリック先生は子爵だから、もしアリアと結婚したらミッシェルも貴族の仲間入りをすることになるだろう。きっと、もう彼女を馬鹿にする生徒もいなくなるはずだ。

 元より彼女の演技を見た生徒達にはすでに一目を置かれ始めているのだが、ミッシェルはまだそのことに気付いていないようだ。

 ──その時、マリーの元にエセルが近づいてきた。

 それに気付き、マリーは慌てて席から立ち上がる。


「マリア様、ちょっとお話が……あら、ちょっとどこに行きますの!?」


 エセルは【織姫】のことをまだ諦めてはいなかった。

 マリーは毎日のように『紹介しなさい』攻撃を受けているのだ。

 突如世の中から姿を消した【織姫】の作品がヴァーレン祭で出てきたことは学校内外でも話題になっているらしく、マリーは彼らの詮索の逃げるのに必死だ。生徒や教師も隙あらばマリーから話を聞き出そうとしてくる。


「あはは……私は、ちょっと用事が……」


 そう誤魔化しながら足早に教室の扉に向かおうとしたが、マリーの前にカルロが立ちふさがった。


「マリア、それでは昼食を食べに行きましょうか」


「あっ……そ、そうですね」


 毎日昼食を一緒に取るという約束をしていたのだった。

 皇太子であるカルロが話している時にさすがに横入りはできなかったようで、エセルが「ぐぬぬ……」と悔しそうに拳を握りしめている。


「では、行きましょう」


 カルロがそう言って、マリーに片手を差し出す。

 もう恐怖心なく彼の手を取ることができる。けれど人前で手を握りあうのは、まだ慣れない。

 頬が赤くなりながら、マリーはおずおずと指先だけカルロのそれに絡めた。

 その様子にカルロは照れたように微笑む。


「マリアは本当に可愛いですね」


『婚約者なのだから、そばにいる間は恋人つなぎをするべきです』というカルロの押しに負けてしまって以来、近くにいる時は身体のどこかがくっついていた。

 それでもがっちり手を絡ませることは恥ずかしくてできないため、指先だけで許してもらっている。


「今はこれで我慢しますが……いつかは、もっと恋人らしくしてくださいね」


 そう言ってカルロはマリーの指に己の指を絡ませて、マリーの手の甲に口付けした。

 その途端、エセルと女生徒達から悲鳴が上がる。

 やはりこれまでの二人の冷えた関係を知る者からすると、今のカルロの態度はギャップがありすぎて未だに慣れないのだろう。

 カルロは人前だろうが構わず愛情表現をしてくる。日々それがエスカレートしていっているように思えるのは、マリーの気のせいではないはずだ。

 

「あの……」


(……婚約破棄してください)


 そう言いたいのに、口から出てこない。

 気が弱すぎて、マリーは彼を拒否できない。

 このままではいけないと罪悪感に駆られるのに、それでも手のひらから伝わる熱の心地よさは離しがたかった。





【了】


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祈りの織姫は恋をする~気弱な身代わり悪女ですが、初恋の皇太子様と婚約破棄しろと言われました〜【書籍化】 高八木レイナ @liee

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