27.猫、ヌラリボッチと出会う

 ぼくが完成の満足感に浸っていると、ふいにぽつ、と一滴の雫が額を濡らす。

 ぽつ、ぽつ、ぽつ、ぽつ……。続けざまに落ちてくる水滴たち。


「雨だ~……」


 ぼやきながら、マシロが木橋を渡ってこちらにやって来た。毛が濡れるのを嫌ってか、人化している。

 ぼくは軒下から、じとっとした視線をマシロに向けた。彼はそれに気付いてちょっと狼狽える。


「えーっと、その、いつもお家造りの仕事、任せっきりにしちゃってごめんね。ネムちゃんの造るもの、大好きだし、助かってるよ。前は外で寝食するのが当たり前だったから何とも思わなかった。けど屋根のある静かな巣がこんなに素敵な場所だと知った今じゃ、僕もネムちゃんの建築なしには生きられないよ。ネムちゃんは素晴らしいお嫁さんだなあ、本当に」


 若干棒読みなのが気になるが、まあ分かってるんならいいだろう。


 ぼくが言いたかったのは、寝ちゃやだーって言ってるのに勝手にぐーたら寝込んでおいて、その間ぼくひとりでせっせと働かせて、雨が降ってきて都合が悪くなればぼくの造ったお家を利用するだなんて、都合良過ぎるんじゃないか? ってこと。

 お家造りはぼくが好きでやってることだから手伝えとまでは言わないけど、感謝の気持ちくらいはもってほしいよね。


 その辺の心情はぼくのジト目で察したらしいので、まあ入室は許可しましょう。それにね、このテンションのときのマシロは、絶対ご飯に気合入れてくれるからね。


 ってなわけで、案の定張り切って料理してくれたマシロの今日のランチメニューは、担々麺と湯豆腐。


 ランチなのでぱぱっと食べれるシンプルな献立だけど、トッピング盛り盛りなラーメンは食べ応え抜群だ。もやしに白髪ねぎにザーサイと野菜もたっぷり入ってるし、柔らかチャーシューも大きくて嬉しい。

 薬味トッピングで言えば、湯豆腐のほうも盛り盛りである。ネギにおかかに大根おろしに海苔と、好きなだけ載せられるよう用意されている。

 ぼくは勿論全部盛り。そして甘辛濃い味のタレをかけて食べる。


 ずるずるはふはふもぐもぐと、ご飯を食べるぼく等。それでもって、辛くて味が濃くてあったかいものを食べるときのお冷やがまた、格別なんだよね~。


 中国格子の窓の向こうでは、冷たい雨がしとしとと降っている。天気が悪い日にお家で美味しいものを食べれるのって、なんて幸せなんだろ。


 しかし、食べ終わって一息吐いているぼく等の安寧は長くは続かなかった。ふいに食卓が、いや、お家全体が、がたがたと揺れだしたのだ。

 ぼくは慌ててどんぶりとグラスを掴む。本拠地ではないとはいえ、造ったばかりのお家が担々汁で臭くなるのは嫌だよう。


「地震……!?」

「いや……これは多分……」


 幸い揺れはすぐ治まった。

 マシロが席を立ち、窓から外を覗く。ぼくもそれに倣うと、沼の水面がちゃぷちゃぷと荒立っていた。


「これは多分、ヌラリボッチの仕業だなあ」

「え? 嫌がらせ? やっぱり悪い奴じゃない」

「訴えてるんだよ」


 言うなりマシロは、簡易キッチンに再び立つ。

 簡易キッチンっていうのは、マシロが脇腹ポケットに入れてるツールで整えた、携帯可能移動可能な台所のこと。そこで彼はかまどに火を点け、またも麺を茹でだす。

 まだ食べるの? 食いしん坊だなあ。

 と、思いきや。


 彼は担々麺と湯豆腐の皿を一人分拵えると、それらを手に雨の降りしきる庭に立つ。そして迷いなく、お皿の中身を沼にぶちまけた。


 ……えーーっ!!


 目を剥くぼく。あまりに非道な行為に、すぐには声がでてこなかった。


「な、何やってるの!? 食べ物を粗末にしちゃいけないんだよ!」

「食べさせてあげた。ヌラリボッチに」

「いやいやいや、沼に捨てただけじゃない! それとも何? ヌラリボッチは魚か何か? この水の中にいるの?」

「ううん、彼は魚ではないよ。こんな水溜まりに収まるほど小さくもない」


 どういうことなのか、全然ワケ分かんないよ!


 けれどそんなぼくの文句が喉から発されるその前に、もっと衝撃的な事象が起こった。


 突如大地が波打つ。さっきの揺れなんかとは比べ物にならない、大きな地震だった。

 いや、これを“地震”と言っていいものかも分からない。何せ言葉そのままに、明らかに地面にが生じているのだ。

 それはぼくの体を前に押し出す。木橋まで来ると、今度は木橋の板一つ一つが足元で跳ねる。

 あっと言う間にぼくは沼の外へ追い出され、それでもなお大地の揺れは止まらない。


 こういうの、テレビで見たことあるよ。空港にある動く床。

 あれが地面で起こってるかんじ。ぼくの体はひとりでに運ばれていく。

 それだけでなく、周囲に生えている草木まで、ぼくをどこかへ連れ出そうとする。木は覆いかぶさってきたと思いきや枝を伸ばして背中を押してくるし、蔓草はぼくの手足に絡み付いては前へと引っ張りまた離れ、ということを次々繰り返してくる。


 振り返ると、マシロも同じように運ばれ、後ろを付いて来ていた。そしてさらにその背後では、木々が枝葉を絡み合わせ、来た道を閉ざしていく。


 まるで世界そのものに、どこかへ追放されていくところのようだ。

 ぼくはそう思って当たり前のように危機感を覚えたけど、対照的にマシロのほうはやたらと落ち着いていた。腕を組んで成されるまま、自分を連れ出そうとする力に身を預けているようなその姿は、太々しくも見える。

 それでぼくもちょっと心の余裕を取り戻せた。マシロがあんなだから、まあきっと大丈夫なんだろう。


 かと思えばぼく等の身体は突然、ぺいっと空中に放られた。受け身を取りつつ、ぼてぼてっと、ぼくとマシロは地面に投げ出される。

 そこは鬱蒼とした森の中だった。体勢を整え周囲を見回したぼくは、唖然とする。

 さっきまでぼく等がいて、ぼく等を追い出した世界そのものが、急速に遠のいていくところだった。


 それは小さな山だった。山そのものが、動き、ぼく等から遠ざかっていく。

 山が身を引き摺って離れていくにつれて他の景色――――開けた風来沼の景色を捉えることができ、ようやくぼくはそれが動く山であることを認識できた。


 山には土や草木が茂っていない部分もあって、そこから山の本当の地肌は黒色であることを知る。

 山のてっぺんには一際大きな木が数本と、それから丸い沼がある。沼の中にぽつんと佇む可愛らしい一軒家は、勿論先ほどぼくが建てたものだ。


 山がふいに、身を捩る。こちらを振り返り、見つめている。

 そう分かったのは、山の頂上付近に金色の目が二つ、付いていたから。


 マシロが立ち上がって指を差す。


「ほら。あれがヌラリボッチ」


 さすがのぼくも、それは言われなくとも分かった。

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