4.猫、人間の皮を被る

 ところで、ぼくはさっきから、気になっていることが一つある。


「ねえシジマ」

「何だ」

「体がむずむずする」


 不快とまではいかないものの、常とは違う感覚がぼくの体を滾っていた。

 強いて言うなら、武者震い? ぼくを何らかの行動へ駆り立てんとする衝動が、ぼくの全身でマラソン大会を開いている。


「主はおまえを伴侶に迎えるにあたり、おまえに息を分けた。即ち、おまえの体内では主の力が循環している。しかしその膨大なエネルギーを収めるに辺り、おまえの器は小さ過ぎる。したがって、そのような症状が現れているものと思われる」

「どうすれば治るの?」

「余分な力は発散してしまえばよい」

「どうやって?」

「貴様の思う通りにやってみろ」


 んー。

 少し考えたのち、ぼくはぶるぶるぶるっ、と全身の毛を震わせた。さながら、水に濡れた体を乾かすように。

 すると、ちょっとだけむずむずが落ち着いたかんじがした。と同時に、違和感を抱く。

 ……なんかぼく、視界高くない?


 目を落とすと、肌色の、つるつるな二本足がそこにあった。

「わっ」と驚いて、思わず尻餅をつく。そして土で汚れた手の平を目にして、また驚く。

 長い五本の指を、曲げたり伸ばしたり。

 それから毛皮の代わりに纏っている灰色の服をつまんだり。

 ブーツを履いた長い足を、ぱたぱたさせたり。


 ぼく、人間になっちゃった。


「どういうこと?」


 樹上のシジマを見上げ、問う。


「エネルギーを放出したのであれば、それは必ず世に何らかの変化をもたらす。そういうことだ」

「放出すると、人間になっちゃうんだ」

「それだけとも、限らないよ」


 返答が真後ろで、しかもシジマとは全く違う柔らかな声で響いたものだから、ぼくはびっくりして全身の毛が逆立った。

 あ、でも、今はオケケ、ないんだった。代わりに白いつるつるな腕には、ぷつぷつと鳥肌。


 振り返るとそこには、見知らぬ人間が立っていた。

 ふわふわと不規則な白い髪を持つ青年。

 古風な民族調っぽいゆったりとした服を着ていて、両目にはなぜか白い布が巻かれている。けど動きからして、視えてはいるようだ。

 その人間からは異国を思わせる甘い匂いがして、不思議と安心する心地がした。


 青年はぼくを見下ろして、口元で笑みを深める。


「うんうん。君は変化へんげした姿も素敵だねえ」


 そして懐から木製枠の手鏡を取り出し、ぼくに向けた。ぼくはそれを受け取って、おお、と唸る。


 背中まで伸びる、ふわふわの灰色髪。

 アラベスク模様で縁取りされた灰色のケープとキュロット。

 王冠にも似たデザインの黒い帽子と革製のショートブーツ、そして肩から提げた鞄。

 背は低いが、どこからどう見ても美少女である。何でか青年と同じように両目に布が巻かれていたけど、視界は良好なので問題ない。


 ぼくは人間になった自分の姿を色んな角度から鏡に映して、喜んだ。


「主、健勝そうで何より」

「ああ、うん、悪かったね、シジマ。君が猫ちゃんの面倒を見てくれて助かったよ。丁度彼女の身体ができたてほやほやの時だったからさ。外の風に吹かして形を固めないといけないし、かといって片手に持参して評議会に出席するわけにもいかないし」

「議会のほうはいかがだったか」

「んー、ぼく居眠りしてたからよく覚えてないや。まあいつも通りだったよ。いつも通り、サザンカとシカバネが小難しい話をして終わったよ」

「然様か。では、我はこれにて」

「うん。ありがとねー」


 手を振る青年に見送られて、シジマは空の向こうへ飛び去っていった。後には、ぼくと人間の二人きりが残される。


「さて、そういえばまだ、君の名前を聞いてなかったね」

「お爺さんは、ぼくのことをネムって呼んでたよ」

「ネム?」

「ぼくがよく眠るから。おまえはいっつもお眠さんだなあ、って。だからネム」

「わあ。最高に素敵な名前じゃないか」


 言って男は興奮した様子で抱き付こうとしてきたもので、ぼくは数歩下がって距離を取った。

 ぼくはニボシやにゅーるのためなら見知らぬ人間に撫でさせてやることもやぶさかではないとする猫だが、さすがに手ぶらの男はちょっと舐めていると言わざるを得ない。

 青年は一瞬ショックを受けた顔をしたが、すぐに気を取り直したようだ。


「あ、そっか。ごめんよ。この姿じゃ誰だか分かんないよね。まったく、評議会の正装をイッパチが人化にすべきだってうるさいからさあ」

「正装?」

「うん。あいつらチビだからね」


 よく分からないことを愚痴ると、男はふるふるふるっ、と体を震わせた。直後そこにいたのは青年ではなく――――――。


「――――――マシュマロ!」


 突如出現した巨大な毛玉に、ぼくは躊躇うことなく飛びついた。

 マシュマロはふわふわだけど滑らかな肌触りで、温かくて、いいかんじに弾力がある。そして石鹸の香りがした。

 そうか。シジマの『主』とやらは、マシュマロのことだったか。


 ぼくはしばらくマシュマロのむっちりボディを堪能していたのだけれど、やがて彼が微動だにしないことに不安になって、顔を上げた。

 マシュマロは頭から蒸気を噴き上げていた。そして短くて大きな手を、そっとぼくの背中に当てた。


「……えっと、ネムちゃん。『マシュマロ』というのは……?」

「きみのことだよ。だってマシュマロそっくりなんだもの」

「そうか。そうか。確かに僕はマシュマロのように白くて柔らかでまろやかだものね」

「うん。マシュマロにも名前があるの?」

「え? うーん……、マシュマロでいいよ」

「じゃあマシロって呼ぶね。マシュマロだとちょっと長くて呼びにくいから」

「マシロ! いいね、とってもよい名前だ。君はネーミングの天才だね」


 それからマシロは、ぼくに宿っているマシロの力――――マシロエネルギーの発散方法について、色々教えてくれた。

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