2.猫、マシュマロとケッコンする
それからぼくはマシュマロと、色んな話をした。色んな思い出話を、彼に語って聞かせた。
ぼくが以前住んでいた古い家のこと、ぼくの面倒を見てくれたお爺さんのこと、家にあった本の内容、流れていたテレビドラマのあらすじ、好きな食べ物、嫌いな食べ物。
マシュマロはとてもよい話し相手だった。ぼくの言うことを何でもすんなりと理解してくれた。
お爺さんだとこうはいかない。お爺さんはとても優しい人なんだけど、聞き手としては三流だった。
ぼくが何を言ってもにこにこして、「うんうん分かった分かった」、「ご飯はさっき食べただろう」、「ネムは可愛いねえ」と、大体この3パターンの返答である。
人間と猫のコミュニケーションはむつかしい。
その点このマシュマロはぼくの言葉が分かるようで、しかも理解力も知識も共感力もあるようだった。こんなに話していて楽しいマシュマロは、世界中探し回ったってこのマシュマロだけだろうと、ぼくは確信した。
「それでね、最初は何なのか全然分からなかったんだけど、やがてそのちっちゃなパーツ達が、家具になり家になり道になり木になるの。お爺さんは街を作ってたんだ。ジオラマとか、ドールハウスっていうんだって。ぼくはあれを見るたび、わくわくした気持ちになったんだ。それにね、ちょっともどかしくもあったの。何でかなって考えてみて、気付いたんだ。眺めるだけじゃなく、自分でも作ってみたいって、ぼく思ってたんだ。でも、こんなころころした、肉球付きの手じゃあね」
そんな話をしたときだった。マシュマロの黒いつぶらな瞳が、一瞬きらりと光った気がした。
そしてマシュマロはおもむろに、自分の脇腹の
そう、マシュマロの脇腹はポケットになっているのだ。彼はそこから色んな物を出し入れする。
さっきも空になった食器を皮ポケットからぽいぽい体の中に放り込んで、代わりにコーヒーと水をだしてきた。
どういう仕組みなんだろうと首を伸ばして覗いてみると、ポケットの中には吸い込まれそうなくらい深く深く、夜空が広がっていた。じっと見ていたら頭がくらくらしてきて、ぼくはテーブルの上に突っ伏した。
ぼくの視線に気付いたマシュマロはかっと顔を赤らめて、「お、女の子なんだし、あんまりはしたないことするのはよくないよ」と言った。女の子が見てはいけないものだったらしい。
それはさておき、マシュマロはすちゃ、と眼鏡をかけ、手帳に何かを書き込み始める。短い手で眼鏡をくいと持ち上げると、きりりとした真剣な眼差しをぼくに寄越してきた。
「そうすると君の願いは、街を作るといったところなのかな? 或いは、人間になりたい?」
『願い』という単語にはっとさせられた。
そうか、ぼくはいつの間に、こんな死ぬ間際の夢の中にあって、“願い”を口にしていたらしい。それくらいこのマシュマロが、聞き上手、話し上手だったというわけだ。
と同時に、この時間が長くは続かないことを思いだす。ぼくは初めて、死ぬことを寂しく思った。
どうせならこんなタイムリミットのこと、ずっと忘れたまま、楽しい気持ちのまま眠ってゆきたかった。
だからぼくは気を取り直して、マシュマロの問いを真剣に考えてみることにする。
そうして本当に忘れてしまおうと思ったのだ。自分が死にかけの猫であることを。
「人間になりたいわけではないかな。人間は毛がないから、いちいち服を着なきゃならないのが面倒そう。それにぼくは何だかんだ、この肉球と、ちょっと短いこの尻尾のことも気に入ってるしね。だってとってもキュートでしょ?」
言ってぼくは尻尾をゆらゆら、卓上を優雅に闊歩してみせる。
マシュマロは胸の前で両手を組んで、「うん! うん! 君はとっても素敵だよ!」と激しく頷いた。何となくぼくの脳裏に、アイドルに興奮するオタク男の映像が過ぎった。
「けど、そうだね。お爺さんみたいに、街は作ってみたい。っていうか、人間みたいに器用になれたらいいのにな、って思う。自分の想像したものを形にできたら嬉しいよね」
ふんふんと、マシュマロは熱心な様子でメモを取る。
「あとね、人間の羨ましいところといえば、食べ物。人間の食べ物ってすっごく美味しそうだよね。でも、猫には味が濃過ぎるとか何とかで、毒なんでしょ? だからぼくはいっつも、お爺さんがクリームとフルーツの載ったふわふわのパンケーキとか、色んな匂いのするカレーとか、チーズとトマトの入ったほかほかのオムレツとか食べるの、いいなあ、いいなあ、って思いながら、見てたんだよ。君のご飯もそう。そのコーヒーも。お爺さんも、コーヒーが大好きだったんだよ」
そう言うとマシュマロは、慌てたようにコーヒーカップを体のポケットに仕舞った。今思ったけどどうせ死ぬんだし、最後くらい味見させてくれてもよかったよね。
やがてマシュマロは書き物を終えたようだ。手帳を確認してうん、と満足気に頷くと、眼鏡、筆記具と共にそれを体内に収める。
そして背筋を伸ばし、神妙な面持ちでぼくを見た。
「君の
じわあ、と彼のほっぺたが、ピンク色に染まっていく。
「僕の、お嫁さんになってください!」
ぼくは笑った。
最高に愉快な夢だと思った。きっと今まで視た中でも一番の。
それにしても最後の最後でこんな夢を視るだなんて、もしやぼくにはケッコン願望というものがあったのだろうか?
今まで自覚していなかったものだから、興味深い発見である。今更そんな願望に気付いたところで、何もかも遅過ぎるのにね。
それも含めて、面白い夢だと思った。
ぼくは特に深く考えることもなく、頷いた。
「うん、いいよ」
夢なんだし、悩むことなんて何もない。とはいえ夢だとしても、マシュマロが悲しむ姿はあまり見たくはない。
そんな気持ちで答えた。
するとマシュマロは全身の毛を桃色に染め、興奮した様子で立ち上がった。そしてその勢いのまま、空に向けて咆哮した。
開いた口は小象一匹飲み込めるんじゃないかってくらい大きく、大きな牙がずらりと並んでいた。幻獣図鑑の挿絵とそっくりだった。
突然真っ白な世界が、砂となって崩れ去った。
ぼくは急に、寒さを覚える。息が苦しく、目も霞んでいる。
ぼやけた視界の中で、マシュマロが檻に収まっている。しかし次の瞬間、マシュマロの体が膨張し、檻はシガレットクッキーが砕けるごとく、呆気なく崩壊する。
俄かに辺りが騒がしくなってきた。
「なんだなんだ!」
「まずい! ユメクイが暴れてる!」
「弱っていたはずでは!? まだそんな力が!?」
うるさいなあ。
最早、これが夢なのか現実なのかの区別もついていない。別にどちらでもよかった。
今はとにかく、静かな場所で眠りたかった。
するとマシュマロが、のしのしとこちらへ近付いてきた。彼はぼくを短い両手でそっと持ち上げると、ぼくを体内ポケットに放り込んだ。
ぼくの体と意識は、宇宙へと吸い込まれていった。
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