もふねこ建国記 ~“ぼくがかんがえたさいきょうのまいほーむ”を作ってたら幻獣達のたまり場になってた件~

わだくちろ

1.猫、マシュマロに出会う

 その夜、ぼくは死の間際にあった。


 自慢のサバトラ毛皮を纏った小さなメスネコ。それがぼく。


 ご主人はコーヒーとお菓子が好きな優しいお爺さんだったんだけど、先月死んじゃった。

 世話してくれる人がいなくなって、食べる物に困ったぼくは、仕方なく街に出てきた。けど世間の風は冷たかった。


 街を縄張りにしている野良猫達はぼくを受け入れるどころか虐めてくるし、こんなに愛くるしい声で鳴いているというのに、街の人達はほとんど振り向いてくれない。

 ゴミ箱を漁ったり拾い食いしたりして何とか生きてこれたけど、それも今日までみたい。数日前の雨で引いた風邪を、どうやら拗らせてしまったもよう。

 今夜が峠かな、とぼくは確信めいた予感を抱いた。


 このところ天気はずっとぐずついていて、今もまさに冷たい雨が降っている。せめて最期に眠る場所は、雨が凌げる静かなところがいい。

 そう思ってふらふら歩いていたら、やがてサーカス小屋のテントに辿り着いた。旅するサーカス団なんだって、駆け回る子ども達がはしゃいでいたっけ。


 テントは会場となる立派なものの他に小さなものが幾つかあって、ぼくはその内の一つにそっと忍び込んだ。

 入口には見張りなのか男の人がいたんだけど、すっかり眠り込んでいる。侵入者に気付く様子はない。


 中に入ると、古さを感じるような、埃と湿気の匂いが鼻を突いた。けどこの香りはひと気のなさを意味するものでもあったから、ぼくにとってはほっとする匂いだ。

 足はよろけ、息も絶え絶え。目も霞んでいる。

 屋内をよく観察してみる気にもなれなくって、ぼくはテントの隅、積み上がった木箱の前で丸くなった。


 そうして泥のような眠りに埋もれてしまおうと思ったのだけれど、意識を手放す寸前で、ぼくは何かの気配を感じ取る。もぞ、と、ぼくを覆う大きな影が身動みじろぎしたのを、瞼の下から感じ取ったのだ。

 ぐしょぐしょに冷えた全身の毛が、さっと逆立つ。

 今更危険を察知したところで、どうせ行き着く場所は変わらない。そう思うんだけど、ぼくの本能はぼくが気を抜くのを許してはくれなかった。


 仕方なく重たい瞼を持ち上げ、よいしょと目を凝らす。

 すると、白くて丸くて大きなものが、目の前の四角い檻にぎゅうぎゅうに詰め込まれているのが見えた。


 全体のイメージで言うと、巨大なアザラシの子どもってかんじ。頭でっかちで、寸胴で、ふわふわなぬいぐるみみたいな毛並みで、でも短い手足を持っている。

 鼻は見えない。口もどこにあるのか分からない。耳も埋もれているのか、頭の形はつるんとしたまん丸だ。

 ただ、黒い小さなつぶらな瞳が凹凸のない顔面に二つついていて、その眼差しは真っ直ぐぼくに注がれているようだった。

 

“ユメクイ”。


 お爺さんが熱心に読み耽っていた幻獣図鑑に、そんな生き物の名前があったことを思いだす。あのページに添えられていた挿絵とぼくの目の前にいる白い生き物は、色とフォルムがとてもよく似ている。

 確か滅多に人前に姿を現さず、とても獰猛で恐ろしい、力のある幻獣だとか。

 あと、『夢を貪る』って、書いてあった。意味は分からないけど。


 とはいえ似ているのは色と形と大きさだけ。本に描かれた獣はもっと狂暴な顔つきをしていて、目つきは鋭く口は大きく、牙もずらっと並んでいた。

 それに比べて目の前のマシュマロの捻りのない面差しといったら。まるで幼児の描いた落書きみたいだ。

 けど、なーんかオケケとオヒゲがもぞもぞと落ち着かないんだよねえ。


 もっとも、そんな警戒心も、そろそろ意味を成さなくなってきている。

 ああ眠い。とにかく眠い。

 マシュマロに対する恐怖心なんて、ぼくを飲み込まんとするねむりへの渇望と比較したら、実にささやかなものだった。


 おやすみ。


 ぼくは何となくマシュマロに挨拶して、瞼を閉じた。




 最期の夜、ぼくは夢を視た。

 ぼくは昔から、夢をよく視る猫だった。いい夢も視るし悪い夢も視るし、一番多いのが、いいとも悪いとも判別し辛い荒唐無稽な夢。

 今夜の夢はどうだろう。


 ぼくはあの巨大なマシュマロと、食卓を挟んで向かい合っていた。

 夢は記憶の整理だという。最後の最後に見た一番衝撃的な存在がこの世界に登場するのは、実に予定調和で、ぼくの単純さを表しているようにも感じられた。

 そう、ぼくは自分が夢の中にいることを理解していた。


 周りの景色は真っ白で、とても静かだった。温度も快適、体も元気。

 うん、これはきっといい夢に違いない。


 ぼくの目の前にはミルク皿が置いてあった。ぼくはそれをぴたぴたと飲む。

 ああ美味しい。お腹、とっても空いてたんだ。


 マシュマロの前には、じうじうに焼かれたステーキとか、ほかほかの白いパンとか、しゃきりと瑞々しいサラダとか、色々置かれている。マシュマロは短い両手にナイフとフォークを持っていて、器用な手付きでそれらを口に運んでいた。

 マシュマロの口は普段は毛に埋もれているのか見えないのだけれど、ご飯を食べるときのみ、くぱっと菱形に開く。その口は図鑑の挿絵よりはずっと小さく、けれど切り分けた一口のお肉と比べればずっと大きかった。


 食事を終え、お行儀よくナプキンで口元を拭くマシュマロ。そしてもじもじと居住まいを整えると、俯く。

 白い頬毛をぽっと赤らめて、ちらりとぼくに上目遣いの視線を寄越した。


「ご趣味は、何ですか」


 ぼくは思わず笑ってしまった。

 このシチュエーション、テレビドラマで見たことがある。まるで人間のお見合いみたいだ。

 実に夢らしい、滑稽な展開だとぼくは思った。


「趣味は、そうだなあ。お昼寝かなあ。夜寝るのも好きだなあ。ぼくは眠るのが好きなんだ」

「わあ」


 素直に思いついたことを答えると、どういうわけかマシュマロはさらに顔を赤らめた。


「そ、それは……そういうことと、受け取ってもいいんでしょうか……」


 どういうことだ。ぼくは首を傾げる。

 とはいえ所詮夢の中の会話である。中身なんてあってないようなものなんだろう。


 マシュマロは椅子を引き、ずい、とむっちりボディを乗り出してきた。


「何かこう、未来の展望はある? こんな生活がしたいとか、どこどこに住みたいとか、ぼ、ぼ、僕は、君の願いを何だって叶えてあげられるよ。やくしょくしゅる! 僕は君を、か、必ず幸せにしゅるよ!」


 マシュマロの息遣いがはあはあとうるさい。

 ぼくは彼のむさ苦しい熱意に引きつつも、困ってしまった。未来の展望だの願いだの言われても、どうせぼくはもうすぐ死ぬものな。

 別に怖いとも思ってないよ。

 死は眠り。先にも述べた通り、ぼくは眠るのが好きなんだ。


 それでどう返したらよいか迷っていたらば、マシュマロは何を思ったかさっと毛を青白くし、おどおどと姿勢を戻した。


「あ、あ、あ、こ、こういう話は、まだ早かったかな。ごごごごめんね。僕ったら勝手に気持ちが昂ぶってしまって……。そ、そうだよね。君には君のペースってものがあるものね。大事なところで噛んじゃうし、は、恥ずかしいなあ。いいい今のはなし! なしってことで! だから、その……」


 マシュマロは、消え入りそうな声で呟いた。


「君の話を、聞かせてほしいんだ……」


 ぼくの体の何倍、下手したら何十倍もの巨体を持つマシュマロは、けれどこの時、世界で一番小さな存在に思えたものだ。

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