第2話 「御巣鷹の夏」

『御巣鷹の夏』

       岩瀬橡三 著



南洋真珠


「井関。ちょっと来てみ。この南洋玉は一五ミリある。ほんま、いい巻きしてる。真円に近い。みんな見てみ。」

 いつものように、上司の古谷は声をかけた。周囲の者たちは、また始まったかと思いながらも、人なつっこい笑顔に誘われて集まって来た。仕入れた真珠や宝石の中で、気に入った物があると、必ず全員に招集をかけるのであった。

 時計宝石の卸の会社に入社した慎司は、入社二年目で、系列の宝飾会社に移っていた。当初、あまりにも高価な数千点にも及ぶダイヤモンド、ルビー、サファイヤ、エメラルドといった宝石類や、真珠のロット、金やプラチナのネックレスなどを扱うことに緊張感と戸惑いを感じていた。けれども、半年を過ぎる頃には、それらの美しさと共に、真珠の微妙な色合いの違いにも気づくようになっていた。

 古谷の率いる職場は、心斎橋の大丸百貨店を越えてさらに北に歩き、宝飾会社が立ち並ぶ一角にあった。本社ビルの斜め向かいに木造二階建ての建物があり、警備会社のセキュリティー・システムに守られていた。

 一階には、ショーケースがあり、様々にデザインされた指輪、ネックレス、真珠やブローチ、ペンダントがライトに浮かび、華麗な雰囲気を映し出していた。二階に上がると商談用のテーブルといくつかのイスが目に入った。さして広くないスペースに、九個の事務机と古谷のデスク、社員のロッカーと宝石類を入れる金庫があった。

 狭い割には、ゆったりとした感じを受けたのは、扱っている商品の故というよりも、所長の古谷をはじめ、社員一同の醸し出す雰囲気だったのかもしれない。



ショーケース


 毎朝、出社した鬼崎は、一階のショーケースのディスプレーを担当していた。金庫から宝石類を取り出すと、中央のショーケースや、周囲の壁のガラスケースに指輪類をはじめ、ネックレス、ペンダント、ブローチなどを立体的に、ライトに映えるように配置して行く。所長の古谷から鬼崎の指導を受けるようにと言われた慎司も、見よう見まねでやってみた。


 指輪の値札や品番が書いてある小札とそれらについている紐が、どうしても指輪のスタンド上できれいに収まらない。鬼崎の手にかかるとダイヤの指輪やネックレスが一段と映えてくるのはどうしてなのだろう。

「鬼崎さんのディスプレーは、洗練されているでしょう。井関さん、しっかり教わって下さいね。」経理担当の島本が微笑んでいた。

 時計・宝石の小売店の担当者だけではなく、山梨からの指輪のメーカーの社員や、大阪の同業の卸屋の担当者も、店に入ると必ずショーケースを覗き込んでいた。商品だけでなく、鬼崎のディスプレーが引きつけているのだろうと慎司は思った。

  

「井関、来てみい。」

 商談用のテーブルに蛍光ライトを出して、数十個のダイヤの裸石を見ていた古谷が呼んだ。


「ダイヤのルースは、ピンセットでこう持つんや。このルーペで見てみ。このダイヤは、アイデアルカットに近い。ま、理想的なブリリアント・カットや。クラリティーは、VVSクラスやから、キズのぐあいはちょっと分からんやろ。」

 古谷からピンセットとルーペを受け取った慎司は、恐る恐るダイヤの周囲のガードル部をピンセットで摘み上げ、ルーペをかざしてダイヤ内部の幾何学模様を見たのだった。



カステラ


「鬼崎に電話したんか?」

 ある朝、書類に目を通していた古谷は、慎司に尋ねた。

 一ヶ月に渡る長期出張から帰って出社していない鬼崎を気遣った古谷は、慎司に連絡を取るように命じていたのだった。

「こちらからは連絡が取れないですし、鬼崎さんからの電話を待っているところです。」

「なんぼ泉北ニュータウンの単身者アパートや言うたかて、管理人に電話して見に行ってもろたらえんちゃうんか。病気かもしれへんし。ほんま、友達がいのないやっちゃな。おまえがそんなヤツとは思わんかった。」

 何時にない、激しい古谷の剣幕に、「風邪か疲れか知らないけれど、朝、電話くらいして来ても良いのに・・・。」という心の内を見透かされた思いで、慎司は自らの姿を恥じたのだった。

 仕事を終えた慎司は、カステラを買った。心斎橋から地下鉄御堂筋線に乗り、難波から南海高野線に乗り換え、中百舌鳥から泉北高速に乗り継いで、泉北ニュータウンに着いた。手帳を見ながら鬼崎の住所と部屋のルームナンバーを何度も確認しながら、インターホンを押した。

「井関です。古谷さんが心配されていたので、お見舞いに来ました。」


 自分でも変な挨拶だと思いつつ、声をかけた。

「中にはいって」

「大丈夫ですか」

ベットに腰をかけた鬼崎に、「これ、お見舞いですが。」と慎司は、やおら包装されたカステラを差し出した。包装紙を開いた鬼崎は言った。

「ありがとう。ボクは、甘い物は食べないので、井関、おまえ食べて行ってくれ。コーヒー入れるから。」


   ・・・・・・

 

 鬼崎の部屋を後にし、帰りの電車に乗った慎司は、朝からの出来事がまるで不思議な別世界にいるような情景に思えた。




流れ星


 一九八五年夏。八月十二日。

 古谷のもとを辞して、すでに五年が過ぎた。大阪の下町、今里交差点近くのキリスト教会で副牧師をしていた慎司は、主任牧師と共にモニターテレビに映るニュース速報に見入っていた。群馬県上野村の山々の暗闇に点在する火と、次々に映し出される日本航空一二三便の搭乗者名簿を見ていた慎司は、ハッと息を飲んだ。そこに、あの古谷の名前を見たのだった。

「先生、この古谷二郎という人は、以前、私が勤めていた会社の上司です。」

少し声が震えていた。

 バイクで新妻の待つ家に帰る道すがら、猪飼野の空に一筋の光が流れた。慎司は、つい五ヶ月前に結婚の報告のために以前の職場を訪れたときにも、昼食に誘ってくれた古谷の笑顔を思った。そして、カステラを買って自ら先輩の鬼崎の部屋を尋ねることになった、あの古谷の叱責を思い返していた。




受難曲


 乗員乗客五二四名の内、奇跡的に助かった四名を除く五二〇名が亡くなった日航機事故の「あの日」から続く猛暑の午後、古谷の社葬が行なわれた。慎司は、瓜破霊園の葬儀会場に集う数千人の参列者の中にいた。身重の妻を気遣いつつ、葬儀会場前の何台もの大型テレビを見ながら一番左の列に並んだ。式場に入ると、祭壇の上には、あの古谷の笑顔があった。式場の出口には、古谷の兄が来会者に挨拶していた。

「井関君、良く来てくれた。」

「古谷さん・・・」

古谷の兄の顔を見た慎司は、言葉が続かなかった。

 群衆に押されるようにして外に出た慎司は、葬儀会場を振り返った。一瞬のうちに過ぎ去ったかのように思える古谷との三年間を思った。職場でマタイ受難曲を口ずさみながら、「おまえ、この曲知ってるか」と問いかけて来た古谷のことを。

 古谷たちが搭乗していたジャンボジェット機は、後方の圧力隔壁の破損によって垂直尾翼を失い、ダッチロール状態で飛行して御巣鷹の尾根に墜落した。あの空白の三十分間、古谷はどのように家族のことを思っていたのだろうか。

 

 全ては、南洋真珠の深い、静かな輝きの中に秘められてしまったように思えたのだった。

  

・・・・・・・・・・

 

 天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。 

                  (マタイの福音書十三章四五節)


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(神戸新聞社 「パールエッセー」応募作品 1990年)



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