第5話

「オネー、ハンカチは持ちましたか?」

「もったわ」

「危なくなったら逃げるのですよ?」

「わかったわ」

「どこか具合は悪くありませんか?」

「平気よ」

「ハンカチは持ちましたか?」

「もったってば!!」


ギルドマスターに許可証をもらって早2週間、今日も今日とてオネーはギルドに依頼を受けに向かっていた。

と、言っても受ける依頼はどれも街のすぐ近くに生えている薬草を採ってくるだとか足の悪いご老人に代わって荷物を届けたりだとか危険性のないものばかりだ。


それでも数をこなせばそれなりの稼ぎになるもので、オネーは食費を教会に渡し、それでも買い食いを自由にできるぐらいには懐を潤わせていた。


オネーは知らない。

普通依頼は1日に数十件も引き受けるものではないのだと。

そしてオネーは知らない。

今やこの町のご老人達に『みんなの孫』として扱われている事を。


「今日は何をするのですか?」

「今日は雑貨屋のおばーちゃんの代わりに息子さんの家に届け物をするわ!!その後は薬草を採ってギルドに納品するわ!!」

「わかりました。くれぐれも怪我のないように注意して下さいね?…いってらっしゃい」

「えぇ!!ありがとう!!行ってきます!!」


今日もいつものようにシスターに出発を伝え教会を出る。

服装は動きやすいように白いチュニックの下にズボンを履いている。

その姿は見まごう事なき美少女なのだが、中身は筋骨隆々のオネエである。


「おはよう!!」

「おはようございます。今日は届け物と薬草の採集ですね」


ギルドに顔を出し、受付嬢に依頼の確認をする。

改めて危険性がない事を確認してもらった上で出発するのだ。


「はい、確認できました。それではお気をつけて」

「えぇ!!行ってきます!!」

「ふふ、いってらっしゃい」


そう言って受付嬢はオネーのオレンジがかった金髪をふわりと撫でる。

…この年で人に頭を撫でられるのも違和感があるが、体に精神を引っ張られているせいか少しくすぐったいが嬉しい。


頭を撫でられニマニマと笑うオネーを他の冒険者が遠巻きに微笑ましく見守っていた。


「オネーちゃん、可愛いし人気者だよなぁ、よく働くし」

「そうそう、俺もこないだ雑貨屋のばあちゃんの所行ったんだけどよ、なんでオネーが来ないんだって言われちまったよ」

「このままじゃ俺たちの仕事がなくなっちまうな!!はははは!!」

「お前らはもっと働け!!」

「げっ!?ギルマス!?」


朝からギルドは騒がしい。

しかしそれも今となっては心地よい。

異世界も捨てたものではないなとギルドマスターと冒険者達の方を見て微笑む。


「今、オネーちゃん、俺のこと見たよな?」

「バカ言え!!俺だろ?」

「良いから働け!!ギルドマスターたる俺に決まっているだろう!!」


(…あの人達は大丈夫なのかしら?)


やや笑みが引きつるのを感じながらギルドを出て雑貨屋に向かった。


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「おばあちゃん!!来たわよ!!」

「あら、オネー!!来てくれたのね?助かるわぁ」

「何をもっていけば良いの?」


年季の入った雑貨屋の奥には椅子に腰掛けたおばあちゃんがいた。

おばあちゃんはオネーを手招くとパンやワインが入ったバスケットを渡し、頭を撫でてくれる。


「これだけ?」

「えぇ、そうよ。でもワインはちょっと重かったかしら?無理はしなくて良いのよ?」

「任せて!!」

「良い子ねぇ…ババァは嬉しいわ。可愛い孫ができたみたい」


この世界に転生し、仕事をしているだけでこんなにも褒めてくれる。

なんて良い世界なのだろうか。

今やオネーの自己肯定感は止まる事を知らない程に満たされている。


「じゃ、じゃあ、行ってきます……ばぁば」

「!?もう一回!!もう一回言ってちょうだい!!」

「また今度ね!!」


少し気恥ずかしいがこの優しい老婆を本当の祖母だと思えるぐらいには仲良くなっていたのでそう呼んでみた。


「もういつ死んでも良いわぁ…」


縁起でもない事が聞こえてきたが聞こえないフリをして届け先に向かった。


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「ごめんくださーい」


ドアを破壊しないように気をつけてノックをする。


「お?オネーちゃん、またうちの婆さんのお使いかい?」

「そうよ!!これ!!」

「はいはい、ありがとう。これ、サインね」

「ありがとう!!今日はこれからお仕事?」

「あぁ、そうなんだ。それにしても、ハハッ、あの婆さんまたオネーちゃんに会いたくてギルドに依頼を出したな…まぁ気持ちはわからんでもないけど」

「アタシもおばあちゃんに会えて嬉しいわ!!」

「そっか、じゃあ伝えておくよ。きっと大喜びするはずだから。…今日は後何をするの?」

「薬草の採集よ」

「あぁ~」


そう告げると、青年は少し難しそうな顔をして言い淀む。


「どうかしたの?」

「いや、なんか最近あの辺りに弱った魔獣が出るって聞いてね。そこまで心配はしなくて良いとは思うんだけど、大事をとって薬草の採集はやめておいた方がいいんじゃないかな?」

「そうなのね…」


今まで特に気にしたことはなかったが、この世界には魔獣や魔物と呼ばれる害のある生き物が存在するらしい。

幸いにも出会したことはなかったが…


(まぁ、別に平気よね)


「わかったわ!!気をつける!!」

「うん、怪我しないでね?本当に魔獣が出るようならそれなりに戦える冒険者か騎士様に討伐してもらわなきゃならないからね」

「はーい」


届け物のサインを受け取り、ポケットに押し込みその場を立ち去った。

次は街の外に出て薬草の採集だ。

今までも同じ場所で薬草の採取はしてきたし、人通りも多いのでそう危険ではないだろう。


「それにしても空気が美味しいわね、さすが異世界!!都会の汚れた空気とは違うわ」


深呼吸をしながら山道を歩く。

小さな山なので迷う心配もない。

少しばかり歩くとお目当の薬草の群生地にたどり着く。

道から外れてはいるものの、ここはオネーが見つけた穴場なのだ。


「さてと」


鼻歌を歌いながら薬草を積み、革袋に詰め込んでいく。

不備があった時に備えて少し多めに詰んだ。


「まぁ大体こんなもんよね、帰りますか」


軽く手を払い、土を落として立ち上がり深く息を吸う。

が、オネーの鼻はそこにいつもとは違う匂いを感じた。


「ん?何この匂い?草木とも違う…血?」


匂いのする方向へ少し歩き、草木の影から覗き見る。


(何あれ?…あれが魔獣?)


そこには2メートルほどの皮膚のない三つ目の犬のような生き物がいた。

その口元には血が滴っており、足元にはツノと翼の生えたウサギのような生き物が冷たくなって横たわっていた。


(引いた方が良いわね…弱った魔獣ってあのウサギの事?なら、あの犬みたいなやつはなんなの…?)


視線を逸らさないようにゆっくりと後ずさる。


(食事に夢中のようだし、まだ気づかれてないわよね)


…パキリ


「あ」


魔獣の咀嚼音だけが鳴る中で、乾いた小枝が折れる音がわざとらしいほどに響いた。


三つ目の犬とオネーの目があった。

冷や汗が背中を伝うのがわかる。


その刹那、魔獣が大きな口を開けてオネーに飛びかかってきた。


「ちょっ!?」


何とかそれをそこに転がって回避する。

魔獣は木にぶつかったようだが怯む事なく再度飛びかかってくる。


「あぶな!?…わっ!?」


バックステップのように後ろに避けた時、木の根に足を引っ掛けて転んでしまった。

その隙を逃す魔獣ではない。

仰向けに寝転ぶオネーに覆いかぶさるように魔獣が食らいつこうとする。

何とか両手で魔獣の顔を遠ざけるものの、少女の手では短く大した抵抗になっていない。

試しに顎下を殴り付けてみたものの、下顎が砕けたぐらいでは魔獣は怯まなかった。


「何でよ!?あんた諦めが悪すぎるわよ!!」


どうしたものか。

このまま殴り続ければおそらく勝てるだろうがこの魔獣に毒がないとも言い切れない。

決定打に欠ける。

何より腕が短いせいで全力で殴れない。


「あぁもう!!めんどくさい!!前世のアタシならこれぐらい小指でどうにかできるのに!!」


前世なら子牛の突進ぐらいなら小指一本で止められたのだが、今それをやって無事な保証はない。


ーー前世のアタシなら。


そう強く力を求めた時、オネーの体が光に包まれた。

同時に体の中から何かが抜けていく感覚。

出血でもしているのかと思ったがどうやらそうではないらしい。


(まさか、これが魔法?)


光で魔獣は目が眩んでいるようだ。


「もう何でも良いわ!!オネエ舐めたらどうなるかわからせてあげる!!」


そう叫んだ時、オネーの体を包む光が一層強くなり、弾けた。


「…視点が高い?」


何が起きたのかわからずに自分の体を見回す。

丸太のような腕、バキバキに割れた腹筋。

間違いない。


「これって、アタシ!?」


その姿は間違いなく自分の姿だった。

服はなぜか体にぴったりとフィットする…というよりかはピッチピチだが。


「ん?何よこれ」


視界の端には何かがチラチラ映っている。

数字だ。

どうやらタイマーのようだ。


「ウルトラマンにでもなったのかしら?でもまぁ都合が良いわ。あんたなんて1分もあればぶちのめせるんだから!!」


現状はいまいち理解できないが、オネーは拳を握り、光に目が眩み体から退いた魔獣に向かって大きく踏み込む。


(体が軽い…前世よりずっと力が入るわ)


たった一歩踏み込んだだけで足場だった場所が大きく抉れ、オネーをあり得ないほどの速度で前に出す。

突如迫った筋肉の塊に驚き、身動きの取れない魔獣の顎を、オネー渾身のアッパーが打ち抜いた。


「ッラァ!!」

「ーー!?」


手に残るのは首が折れ、骨が砕ける感触。

それを振り払うように軽く手を振った。

それだけでオネーの手からは凄まじい突風が吹いた。


「これが、変身魔法ってやつなのかしらね」


今度は強く解除と念じる。

すると、オネーの体は元の美少女に戻った。

服も伸びていない。


「とにかく、今日は早いところギルドに戻った方が良いわね、何だか疲れたし」


魔法を使用した影響なのか、どっと押し寄せる疲れに顔を顰めながらギルドに戻った。


報告しようか迷ったが、犬の魔獣の事と変身魔法については言わず、ウサギの魔獣が死んでいた事だけを報告し、教会に帰るのだった。

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