一章 かかしと妖精①
正面から太陽が
深呼吸して空を見あげた。
今日は旅立ちの日だ。手綱を両手で握りしめ、前方を見つめる。
道はぬかるみ、馬車の
自分は今から、この道を一人で歩き出す。不安と
だがわずかな希望も、胸に感じる。
その時だった。
「アン!! 待って、アン」
背後から声がした。
アンが乗る箱形馬車の背後には、
アンは生まれてからずっと、母親のエマと二人で、旅から旅の生活をしていた。そのために半年もの間、同じ場所に
その村の方から、
「わっ、やば!」
首をすくめ、アンは馬に
「ジョナス! ありがとう。元気でね!」
「待ってくれ。アン。待って! 僕が
「そういう問題じゃないから──、気にしないで──」
大声を返すと、息切れしながらジョナスが
「じゃあ、じゃあ、待ってくれよ!!」
「もう、決めたから。さよなら!」
二人の
アンは今一度大きく手をふり、再び前を向いた。
「見守っていて……ママ」
今年の春先。元気と陽気がとりえだったエマが、病に
そしてその時、たまたま
よそ者のアンとエマに、村人たちは親切だった。
エマの病が治るまで村に逗留するようにと、村人たちは
けれど。エマの病は治らなかった。半月前に、帰らぬ人となった。
『自分の生きる道を見つけて、しっかり歩くのよ。あなたならできる。いい子ね、アン。泣かないで』
それがエマの、最後の言葉だった。
エマは今、ノックスベリー村の墓地の
こまごました雑用が終わったのは、エマが死んで半月後。それと同時に、アンは旅立ちを決意した。
三日前の夜。アンは世話になったアンダー家の人々に、旅に出ると告げた。
『アン。君が一人で旅を続けるのは無理だよ。君はこの村に残ればいいじゃないか。そして……そうだな。僕のお
旅立ちの決意をしたアンの手を握って、ジョナスはそう
『ずっと、気になっていたんだ。君のこと』
アンとジョナスは半年、同じ家に
ジョナスの整った顔立ちの中で、青い瞳はとりわけきれいだった。南の国から輸入される、高価なガラス玉のようだ。
好き嫌いを意識したことのない相手でも、その瞳で見つめられると、
求婚されるのが、
ジョナスに別れを告げると、ひきとめられると思った。だから早朝、こっそりと村を出ようとした。けれどやはり感づかれたのだろう。ジョナスは追ってきた。
「結婚……」
ぼんやりと、口に出してみる。まるで自分とは、
ジョナスは村で、女の子の人気を一身に集めていた。
彼の家が
ノックスベリー村のような
彼は、次期ラドクリフ工房派の
近いうちにジョナスは、派閥の長となるための
砂糖菓子派閥の長といえば、運が良ければ、
そんなジョナスは、村の
それに比べてアンは、十五歳の
ついでに言うと、財産といえば古びた箱形馬車一台と、くたびれた馬一頭だ。
裕福な金髪の王子様が、貧しいかかしに結婚を申し込んだ。夢みたいな話だ。
「まあね。王子様が、本気でかかしに
アンは
ジョナスはもともとプレイボーイで、女の子には特に優しい。その彼が、アンに結婚を申し込む気持ちになったのは、彼女の身の上に同情したとしか考えられなかった。
同情で結婚など、いやだった。それに王子様と結婚して、めでたしめでたし──そんなお
ジョナスは嫌いではなかった。だが彼と生きる人生に、
自分の足で生きている実感を
アンの父親は、アンが生まれて間もなく内戦に巻き込まれて死んだという。
けれどエマは女一人、アンを育て、生きてこられた。
それもこれもエマには、銀砂糖師という、立派な職があったからだ。
砂糖菓子職人は、ハイランド王国の至る所にいる。しかし王家が最高の砂糖菓子職人と認めた銀砂糖師は、ハイランド国内にごくわずかしか存在しない。
エマは
銀砂糖師の作る砂糖
王都ルイストンであれば、たくさんの
そこでエマは砂糖菓子を必要とする客を求めて、王国中旅をすることを選んだ。
旅は
──ママみたいな銀砂糖師になれれば、
昔から、ぼんやりそう思っていた。エマが死に、今後の自分の生き方を決めなくてはならなくなったとき、母親への
──わたしは、銀砂糖師になる。
しかし銀砂糖師になるのは、
毎年ルイストンでは、王家が砂糖菓子品評会を
エマは二十歳の時その品評会に参加し、王家勲章を
砂糖菓子は、
砂糖菓子は、結婚や葬儀、
砂糖菓子がなければ、
銀砂糖は、幸福を招き、不幸を
ハイランドが、まだ
銀砂糖で作られた美しい砂糖菓子には『形』という、神秘のエネルギーが宿るというのだ。
人間が銀砂糖や砂糖菓子を食べても、もちろん、寿命が延びることはない。
しかし妖精の寿命を延ばす神秘の力を、人間も、受け取ることができるらしかった。
実際、美しい砂糖菓子を手に入れ食せば、
それは人間が数百年かけ、経験から理解した事実だった。
王国が銀砂糖師という厳格な資格を規定したのも、そんな事実があるからこそ。
今年も例年どおり、秋の終わりに、ルイストンで品評会が開催される。
アンはそれに参加するつもりだった。
毎年たった一人にしか許されない、銀砂糖師の
現在国内にいる銀砂糖師は、エマが
簡単になれるものではない。
だが自信はあった。だてに十五年、銀砂糖師の仕事を手伝ってないつもりだ。
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