第十九話 大いなる掣肘

(……!)


想定していなかった強張り――読んで字の如く、オーナは狐につままれる。

守護を持つ穢れなき魂に、このほむらは効力を持たない。

実際、焼かれる感情など疾うに手放しており、全くもって熱さは感じない。

されど薙いだ刀は振り抜けず、ぴたりと止まってしまった。

つまりこの硬直反応を起こしたのは、己の身体ではなく、刀の方。


『ありゃ? まいったなぁ』


紺汰は咥えた剣の枝刃を、オーナの刀と噛み合わせる。

そのまま勢いよく首を回すと、刀は彼方へと舞い上がった。

武器を失った彼女は、咄嗟に距離を取ろうと体勢を立て直す。

しかし既に四原色の縄が甲冑を捕らえ、身動きを封じていた。


「何故……? わたくしは心頭滅却で……」

『うん、信じられないけど、あなたの意識には本当に執着がないみたいだね。今の天人てんにんってここまで来てるのかぁ』

「どういう意味でしょうか?」

『憤怒のちからって、戒めのちからなんだ。確かに自戒を超越しているあなたには通用しない。でも神気の方が違うと言ってる」

「え……」

「あの刀、生大刀いくたちだと思うんだけど合ってるかな?」

「それは、その通りでございますが……」


また聞き慣れない単語が出てきた。

イクタチと呼ばれる刀。

紺汰の言葉つきは、オーナの拘束が成った理由との因果関係を匂わせている。

刀が飛ばされる前、ほんの一瞬だけ彼女の動きが止まったように見えたが。

今のやり取りだけでは要領を得ないゆえ、黒之助は質問した。


「イツナさん、イクタチってなんですか?」

「ええっと、生ける大刀と書いて生大刀、だったかと。御神刀のなかでも特別だそうですが、ごめんなさい……詳しくはちょっと」

「お前は得物をとらない性分だし、知らんのも無理はない。通常、名匠が鍛えた刀に加護が宿り、こちらに顕現しているものを神刀と呼ぶ。だが生大刀は神が手ずから鍛えた類。四次元にしか存在せず、神気そのものといってもよい代物だ」


羅摩と共に、精神体の証明を行った場面が脳裏をよぎる。

あの時の御神刀は、かなり加護が強いという話だった。

ところが、双方の煌めき具合を比較した場合。

オーナの生大刀はその数段上の輝度と美しさを放っている。

なるほど刀が神気そのものならば、合点のゆく光景ではある。


『生大刀は付喪神つくもがみの一種。その甲冑しゅごと同じで、あなたが守護神の本霊から分け与えられている神気の形だね。そして原則、あなたの意志に共鳴するものでもある』

「…………」

『で、魔界に在りながらこんなに多くの神気を供給できるとなると……背後にいるのは○○○○』

「!」


「え? 今なんて言ってました?」

「わ、わたしにも聞き取れませんでした……」

「右に同じく……あの反応、オーナ殿には認識できたようだが」


前後の文脈から、紺汰が口にしたのは神の名で間違いなかろう。

だがそれは、まるで逆再生された音声のように耳を素通りしていった。

脳で咀嚼されることなく、響きすらも残らず、意識の外へと消え失せる。

黒之助の心がざわりと波を立てた。

名とはその存在を知る上で必要不可欠の重要な情報。

これがもし、意図的な隠蔽ならば。


(お狐様とオーナさん以外に、制限が掛けられている?)


いつどこで、誰に術を掛けられたのか見当もつかない。

仄暗い不可解が、黒之助の全身に悪寒を駆け巡らせる。

とはいえ、雲の一件で味わったほどの焦眉があるわけでもない。

彼は冷静に考え直した。

思考を制限されていたと思われる、イツナたちの言動を思い返してみるに。

彼女らは齟齬を指摘した次の瞬間、正気を取り戻していたはず。

一方、今回は禁止事項に当たるであろう神の名に触れても、制限は掛かったまま。

どちらも上位の思惑が絡んでいるにせよ、やや様相は異なっている。

またイツナの守護が沈黙している以上、現段階で線を繋ぐのは早計だ。


『図星か~。イエミズ、君たぶん相当でっかいことに巻き込まれてるよ』

「ど、どういうことだ?」

『確認だけど……○○○○。聞こえた?』

「いや、駄目だ。言葉が滑るように霧散してしまう」

『了解。じゃあ結局、遠回しに言っても聞こえないだろうから一旦置いておこう。で、とりあえず現状を掻い摘んで説明すると、この娘の神気の源泉――つまり守護神は、わざと彼女を僕に拘束させている。二回目の斬撃の後、反応があったでしょ?』

「反応? 某にはオーナ殿が急停止したように見えたのだが……そのことか?」

『そそ。おそらく生大刀は対象が妖魔に準ずる者であれば、彼女の意志と同調して遺憾なくその真価を発揮する。まあ一回目をもらっちゃったのは、僕が妖力で構えてたからだろうだね。でも仏の力を纏った直後の二回目は斬撃が止まってる。つまり?』

「む……てんでわからんのだが」

『あはは! 君もまだまだだねー。つまりさ、相手が神仏とみるやいなや、守護神が寸止めしたわけ。これって彼女の意志に守護神が反対したってことになる。現に、こうして縄で甲冑を縛れているのもそれを物語ってる』

「……紺汰様、わたくしは如何なる存在であっても門への道は通さぬよう、まさに○○○○から申し付かっております。愚鈍なわたくしめには、御神意のほどが読み取れません……どうかご指導を賜れないでしょうか」

『うん。要するに、あなたに天命を授けた守護神が、それを全うしようとするあなたの自由意志に待ったをかけた。こんな例外じみた干渉を僕に見せたのは、さらに上の存在・・・・・・・が何かを伝えようとしているからに他ならない』


例外じみた干渉。

黒之助はすぐにゾグの顔を思い浮かべた。

雲への対処に、無心を使えと指示を貰ったあの局面。

一度イエミズが制したものの、ゾグは"例外"と言って断行を命じた。

今回に鑑みれば、彼らや羅摩の有する制約の出処は、おそらく上位の存在。

即ち、神の領域から課せられた不干渉の遵守であったと推察される。

そしてそれは絶対なものでなく、特定の条件下において枷が外れる。

彼女の硬直に当て嵌める場合、謂わば天命の天命が優先されたといったところか。


『加えて、見たところイエミズが守っているのは光携者こうけいしゃさんだよね。しかも隣にいる坊っちゃんはどういうわけか心が読めないし、ワンちゃんの方はここに存在できないはずの体をしてるし……もはや、状況すべてが普通じゃない』


(……確かに。数時間前、突然ゾグが離脱したことや、齎魔の無力化も関係していると考えるのが妥当だろうな。しかしそれ以上に……)

(そっか、紺汰ちゃんは神格があるから、読もうと思えば人の心が読めるのね。でも黒之助さんは…………わたしの直感やイエミズさんの陰陽術が効かないのも不思議だったけれど、千里眼ですら見通せないなんて。ギンちゃんも、存在できないはずの体って何……? わからないことが多すぎて頭がぐるぐるする……)


「ではわたくしは、どうすべきなのでしょうか」

『そうだなぁ。少なくとも、甲冑しゅごは僕に縛られるのを受け入れている。あなたは結果にかかわらず、後悔はしないと言っていたね?」

「ええ。疑問は残りますが、抵抗するつもりはありません」

『なら、イエミズからの要請はこれで達成された。あとは彼らが何を成すのか、ここから見届ければいいんじゃないかな』

「……仰るとおりです」

『よし、じゃあイエミズ。早いとこ目的を果たしちゃってくれるかな』

「あ、ああ……。皆、先に戻れと言った手前ではあるが、今なら某もついて行けそうだ。イツナ、解錠を頼むぞ」

「わかりました」


こうして一同はオーナの引いた境界線を越え、閉ざされた門へと到着する。

イツナが両手を組んで祈ると、彼女の守護が光りだした。

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