第二十話 時は結ぶ

(閻魔様、わたしの声が聞こえますでしょうか)


彼女の所作に伴って、場に厳かな雰囲気が漂い始める。

守護の光は木漏れ日のように柔らかく、辺りを包み込んだ。

あの雲が発しているとは到底思えぬほどのあたたかさ――。

黒之助は複雑な顔をして、イツナの背中を見つめていた。

彼女は何を念じているのだろう。

そして雲は如何なる思惑で、それに応えているのだろう。

くすぶる思いは誰に悟られることもなく、彼の中でただ這いずり回っていた。


露知らず、イツナは門の向こう側にいる閻魔との対話を試みる。

何度か呼びかけると、ようやく言葉が返ってきた。


《その輝き、光携者こうけいしゃじゃな》


(……! はい、お久しゅうございます、イツナです)


《出雲の会議以来か。汝がめいによって魔界に寄越されたというのは、わしも聞き及んでおる。して何用かのう?》


(単刀直入に申し上げます。どうか、門を開けていただけないでしょうか? 何か事情があって閉じているものと拝察しますが……早急に天界へ伺わねばならない理由ができたのです)


《ふむ。大方、魔界の理が端なく正されたことに関係しているとみえるが》


(やはり閻魔様も感知しておられましたか)


《まあな。しかし、残念ながら門は開けられんのじゃ》


(どうしてでしょう……? 齎魔さいまの力が失われた可能性がある以上、あちらで現状や今後の意向について再確認する必要があるはずです。わたしはもちろん、閻魔様も……)


《それなんじゃがのう、実はわしも上がれなくなっとってなぁ、あっちに》


(えっ!)


《少し前に通達があった。現在、あらゆる存在が天帝の御力みちからによって次元間の移動を禁じられておる。分霊など幾つか例外はあるようじゃが……基本的に神仏も、その対象に入るらしくてな》


(て、天帝様が!? そのようなお話、わたしは何も聞かされていないのですが……)


《うむ、わしもじゃ! もう永いこと閻魔やっとるが、初めてだわいこんな状況は》


(……よほどの事態が発生しているようですね。あの、閻魔様。つまり門は天帝様以外には開けられないのでしょうか)


《いや、禁じられているのは次元間の移動のみと聞いとるぞい。門の開閉については依然○○○○の管轄。まあ、わしも代理としての権限は持っとるんじゃが……やはり今は開けてやれん。明確な意図が伝わっておらんにせよ、上が駄目だと言っている手前、わしらにも移動制限に協力する責務は発生するからな。汝の目的を知りながら開放に加担したとあっては、以後の務めが果たせなくなってしまう》


(そんな…………でも、先ほど例外もあると仰っていましたよね? わたしは例外に当て嵌まらないのでしょうか)


《さてのう。光携者たる汝ならば、あるいは当て嵌まるかもしれんが……とかく斯様な経緯があるゆえ、おいそれと門を開けるわけにはいかんのじゃ。……しかしな》


(?)


黒の扉・・・であれば、その限りではない》


(!)


《ほっほっほ、良い反応じゃ。実はのう、お達しの内容にはこうもあった――もし禁が解かれる前に門の通行を求める者が現れた際は、黒の扉を経由する場合に限り、人界および天界との往来を許可するとな。そしてこの条件は魔族や神仏以外にのみ適用される。汝らであれば全員、通っても問題はない》


(黒の扉……繋がっているのは確か……)


《ああ、現行の地獄じゃ。まずはそこから人界を目指すとよい。ちなみに黒の扉を潜った者は魂に印がつくから、そのあと天界入りしても不正を疑われる心配はない》


(なるほど、合理的ですね。地獄は前に一度だけ視察で訪れた経験がありますので、道に迷ったりはしないと思います)


《それは重畳。差し当たり今、関所は眷属に任せとるんじゃが……事情は念話で通しておくとしよう》


(色々と便宜を図っていただいてありがとうございます、閻魔様!)


《なーに、わしも汝には期待しとるんじゃよ。……ただし! 未曾有の状況下では得てして、予想もつかん場面に遭遇するもの。くれぐれも、他愛に感けて自愛を忘れてはならんぞい》


(……かしこまりました。お心遣い、重ねて感謝いたします)


《うむ。さて、わしから言えるのはこのくらいじゃ。イツナよ、心して進むがよい!》



周囲を照らしていた光がゆっくりと収まってゆく。

儀式が終わったのか、イツナは両手を解いて振り返った。

黒い扉が唸るような低い音を立て、独りでに開き始める。

こちらは人族用ではないと聞いたが、一体なぜ動き出したのだろう。

同じ疑問を抱いたのは当然、黒之助だけではなかった。

眉をひそめながら、イエミズが彼女に問いかける。


「イツナ、閻魔はなんと?」

「えっと、どこからお話したらいいものか……」

「あ、例の閻魔大王と交信していたんですね」

「はい。……ひとまず、順番に説明します。クロノスケさん、わからない部分があったら遠慮せずに聞いてくださいね」

「助かります」


彼女の口から語られたのは、初めて聞く驚愕の情報ばかりだった。

まず閻魔について改めて尋ねたところ、どうやら"仏"に属するらしい。

仏とは神と同じく上位次元に身を置く存在で、役割や立場は異なるそうだ。

どう異なるかは千差万別につき、一概には言えぬということで省略された。

ちなみに先の迦楼羅焔かるらえんは、不動明王という仏の力のようだ。


また仏の力は神通力と紙一重で、性質は違えど本質は同じだという。

先刻オーナの二撃目がすんでのところで止まった理由。

紺汰は守護神が反意を以って、より上位の含蓄を我々に表したと言っていたが。

あの局面、守護神は仏の力――つまり自身と同系統の力に触れていたのである。

依然として、彼女を制止させた意図そのものはわからない。

ただ、"神仏"なる言葉によって両者が括られている意味はこれで理解できた。

神と仏は互いの力を介して意思疎通のできる、人智を超えた存在同士なのだ。


同時に、イツナが感心するように呟いていた「顔が利く」も氷解する。

イエミズは魔に由来する法力、陰陽術の使い手。

仏の力が神通力の仲間で、双方とも密接な関係にあるならば。

彼は真逆ともいえる二つの力を使い熟し、そのどちらにも通じている道理。

それが珍しい能力なのは、彼女の語気が暗に示していたとおりである。


次は、オーナが開口一番で明かしてしまった光携者なる称号について。

黒之助の演技により、イツナはまだ自分の素性を知られていないと錯覚していた。

それはある種、彼女にとって望ましく、好都合の距離感でもあったのだが。

一度浮上した未知の単語を、几帳面な彼が野放しにするとは考えづらかった。

仮に秘匿を維持しようとも、遅かれ早かれ自力で真実に辿り着くかもしれない。

ならばいっそ自分から話してしまおうと、イツナは意を決して告白したのだった。


「ごめんなさい、不用意に話すべきではないと思いまして……わたしの役割を認識してしまえば、貴方が危険に巻き込まれる懸念もあったものですから。ただ、少なくともここから先は魔族がいなくなります。ご心配には及びません」


曰く光携者は、人界では英傑に位置づけられる。

逆に魔界では、往々にして目のかたきにされる境遇。

もし自分との繋がりが魔族に露呈すれば、人質に利用される場合もあるのだとか。

つまり彼女は悪気があって、これまで仔細を伏せていたわけではないらしい。

イツナは申し訳なさそうに、そしてどこか寂しそうに頭を下げた。

しかし本来、謝るべきは嘘をついている自分である。

黒之助は心の中で精一杯の謝罪をしつつ、続きに耳を傾けた。

魔族がいなくなる件については追って話すとのことで、さておくとする。


光携者から派生して、華尊がどのような存在なのかも言及された。

こちらは部外者に漏洩すべきではないとイエミズが他言を諫める。

ところが、意外にも彼女は反論した。


「確かに、クロノスケさんに話すのは筋違いかもしれませんが……これは神様から口止めされているわけでもないですし、わたしが教えてもらったのはあくまで表面的な情報に過ぎません。たぶん、明かすこと自体は各々の裁量に任されているんじゃないでしょうか。それにわたしには、クロノスケさんがただの部外者だとはどうしても思えなくて……」

「……ふう、まあ一理あるか。お前がそう決めたならば、某も同じ道を往くまでだ」

「ありがとうございます、イエミズさん」

「なんだかすみません……謹んで拝聴します」


華尊の概要は、未来で聞き及んだ内容と特に齟齬はなかった。

他者の記憶を持たぬ、人界のために果たすべき天命を背負った者たち。

即ち、繃源ほうげんの無力化、および魔界の正常化を目指していた神の使い。

過去形なのは、彼女もまた大義名分の達成を確信しているからであろう。

黒之助は、あの時どうやってその証明を行ったのかイエミズに質問した。


「ああ、あれはな。魔族同士に闘争をけしかけて、魔法がどう作用するか見極めたのだ」


魔法の効果範囲は、未来で行われた対談の席で羅摩から教わった。

確か魔族共通の悪意が内包されるため、魔族間では無効となる仕組みだったはず。

だがイエミズによると、魔界の歪みが正された現在、この理は覆っているようだ。

それを実際に観測できたゆえ、二人ともお役御免という伝言を信じたそうだが。


(じゃあ繃源さん――齎魔の悪意って、魔界内における闘争の抑止力になっていた部分もあったのかな? でもゾグさんは人界への皺寄せが解決したって言ってたし……うーん直接聞きたいところだけど、ゾグさん、なんでイツナさん達と一緒に居ないんだろう。単に旅の途中から加わったってこと? ……いま考えても致し方ないか)


横に逸れた思考を戻す。

――以降は、本題となる閻魔大王とのやり取りが語られた。

またもや信じがたい話ばかりが飛び出し、黒之助は難しい顔をする。

とりわけ、神仏ですら身動きが取れない状況というのは予想外だった。

上位の存在は、押し並べて結託しているわけではないということか。

雲の件も然り、神仏の思惑は錯綜を極め、整合性が取れない。

それぞれ動機をことにしている節があり、探るほどに推理が迷走する。

指示系統がないのか、あるいは何らかの妨害によって乱れているのか。

どちらにせよ、未だ勢力図や全体像が見えてこないのは少々厄介だ。

新たにわからぬ単語も出てきたため、黒之助は確認も兼ねて問う。


「すみません。次元間の移動を禁じているという、そのテンテイ様って?」

「神々の頂きに君臨している存在だ。天のミカドと書く。……それにしても驚いたな。天帝が動いた記録など、人類史上数えるほどしかない……まさかそこまでの大事に至っているのか」

「ええ、わたしも本当に驚きました。……でもわたし達は、地獄経由なら移動しても良いとお墨付きを貰っています。あちらに辿り着けさえすれば、現状の全てが明らかになるはず……かなり回り道する羽目にはなりそうですが、なんとか希望は見えてきました」

「……閻魔が拒んだのなら、白の扉は諦める他にないか。無為に足踏みさせられるよりはマシなんだろうけどな……如何せん、面倒な展開になってしまった」

「あの、地獄って環境的に、私たちが通っても大丈夫なんでしょうか?」

「支障はない。現行の地獄は、仏の監督する魂の矯正領域だ。整然としているし、魔族も出ないからな」

「ふむ、さっき魔族がいないってイツナさんが言っていたのはそういうことだったんですね」

「え!? ……はい」

(…………?)


名を呼ばれた瞬間、不自然にイツナが驚く。

別段、頓珍漢とんちんかんな発言をしたつもりはない。

不意の反応に、黒之助は少し戸惑った。

対照的に、イエミズは意に介する素振りをまったく見せていない。


「もっとも昔は魔界と遜色ない陰気な場所だったんだが……思えば随分と様変わりしたものだ」

(……ん? イエミズさん、昔の地獄を知っているのか。この人も大概、謎が多いよなぁ)


彼の意味深な一言で、直前の空気は上書き修正された。

考え過ぎだったかもしれないと、黒之助は気を取り直す。


「まあそれはともかくとして。地獄の問題点は環境ではなくその広さにある。あそこを踏破して人界に向かうのは骨が折れるぞ」

「あはは……わたしが最短の道順でご案内しますから、がんばりましょうイエミズさん!」


彼が行く前から苦言を呈するとは、よほど長い道のりが待っていると思われる。

とはいえ、現地に不逞の輩はいないのは精神衛生上、純粋にありがたいことだ。

――ところで、そもそもなぜ地獄を挟む以外の移動が禁じられているのだろう。

神仏や魔族だけが問答無用で規制されているのも妙に引っかかる。

黒之助は暫定の相関図を脳内に思い浮かべた。

まず、天帝が頂点。

その下に雲、光の存在、羅摩やオーナの守護神、紺汰といった神仏がいる。

無論、他の華尊の後ろ盾となっている神々も、そこに含まれるはずだ。

そしてその天命を受け、人界を救うべく魔界入りした華尊たちは既に目的を達成。

然るに、筆頭たるイツナには何の伝達もなく、正規手順による帰還は阻まれた。

加えて迂回路として提示されたのは、目の前で口を開けているこの黒の扉。


(地獄を進めば、隠されている方の本懐が見えてくるとか? ……まるで誘導されているような気もするけど……)


一通り情報が出揃ったにもかかわらず、黒之助の鬱悶は晴れぬままだった。

結局のところ、まだ全容を掴むのに必要な鍵が足りていないのだ。

彼は両手を組んで俯き、今後どう立ち回るべきなのか悩み倦ねる。

その様子を意気消沈と捉えたのか、イエミズは彼にとある提案を投げかけた。


「……魔界に地獄。自他の記憶が無いそなたにはさぞ、この現状が理不尽に思えるだろうな」

「え?」

「ここまで同行してもらったのは、齎魔の一件があったゆえだ。そなたらの動向を見定める腹積もりで、某たちは行動を共にしていた。しかし既に、そなたらが信用のおける人物であることは承知している。……地獄このさきに関しては、無理についてくる必要はないのだぞ。幸い、オーナ殿が守っているこの一帯は非常に安全といえる。天帝の禁にしても、いずれは解ける道理。ついては、ギンとこの場で待機というのも決して悪い選択肢ではない」

「……なるほど、そういった見方もありますね。この期に及んで、またご迷惑を掛けるのは忍びないですし……」

「よく考えるといい。……ちなみにイツナはどう思っている? 何やら浮かない顔をしているようだが」

「え、えっと……一旦、わたしとイエミズさんだけで天界まで行って帰ってきて、諸事情が判明してから行動された方が、確かに安全は保証されるので……それも一つの手かな、とは思います。ただ閻魔様も仰っていたように、今は全次元が不測の事態に見舞われていますから、たとえ待機していても想定外の出来事が起こる可能性は捨てきれないと思います」

「ふむ」

「……ギンちゃんのお鼻は抜群に利きますし、クロノスケさんの未知の力も、魔との相性が非常に良い特性を持っています。それにわたしとイエミズさんなら、あらゆる状況に対処できるでしょう。……なので、お二人に一刻も早く三次元に戻って安心していただくためにも、ここは同行を選ばれた方が良いような気もしているといいますか……」

「建前はわかった」

「!」

「本音は?」

「う…………あのですね。オーナさんを信用していないわけではないのです。でも、身寄りのないクロノスケさんとギンちゃんを第三者に任せて置いて行くなんて、わたしにはとても心残りで……だってわたしはもう、お二人を友人だと思っていますから」

「…………」

「だから、できれば迷惑だなんて気も遣わないで欲しいです」


不器用に、イツナがはにかんだ。

イエミズは軽く溜息を吐きながら、烏帽子を押さえる。

――彼女らと出会ってから、まだ一日と経ってはいない。

しかも一方的に助けられ、歩き、一服し、少し言葉を交わした程度の関係だ。

だがイツナにとっては、それだけでも十分だったようで――。

ふと、最近どこかでこれと同じ情緒を憶えた気がした。

黒之助は久しく直感する。

真正面から爛漫に言い放たれた、飾り気のない言葉。

その言外には、先のぎこちない反応を見せた時と同じ蕭索しょうさくが混じっていた。

彼女は光携者という立場上、深い孤独のなかで生きてきたのかもしれない。

元より引き下がるつもりはなかったのだが、彼は決意を新たに宣言する。

自分もまた、道標でありたいと願うから。


「……イエミズさん、やっぱり私も一緒に行きます!」

「……そうか。ならば止めはせん」

「本当ですか! ありがとうございます、クロノスケさん、イエミズさんも」

『ぼくはクロについていくよ! いっちゃんも好きだし! ……イエミズはまあまあかな』


ひょっこりと顔を出したギンが、尻尾をぶんぶん振っている。

彼は途中からずっと、紺汰やオーナの元へ行って遊んでいた。

それがいつの間にか戻ってきて、今の話を聞いていたようだ。

イツナは大層うれしそうに、ギンを抱きしめて撫でている。


(やれやれ。まあ素性を知った上で名を呼んでくれる友人など、イツナにとっては初めてだろうからな。ギンに至ってはちゃん付けまでしてるし……しかし、光携者を認識しても全くへりくだる様子がないとは。要所、概念等は覚えているようだから、彼の記憶喪失は限定的かつ一時的なものとばかり考えていたが……やはりもっと深刻な類なのか?)


もし黒之助が現代の人間で、元の身体が時代にそぐう常識を備えていたとしたら。

彼とて例に漏れず、無意識にイツナに対して畏まった態度を取った可能性もある。

彼女が素性を明かす際に恐れたのは、まさにそうした心の壁が生じることだった。

結果的に壁は築かれず、事なきを得たわけだが――。

斯様な因果関係など、この場の誰もが知る由もなかった。

イエミズは消えぬ疑問符を胸の内にしまいつつ、仕切り直すように紺汰へ叫ぶ。


「そういうわけだ紺汰よ! 少し行ってくる!」

『はーい! 心の耳でぜんぶ聞かせてもらっていたけど、君たちならきっと、どんな苦境でも切り抜けられるよ。僕は条件的に行ってあげられないけど……イエミズ、無茶厳禁で行っておいで!』

「わかっている!」


別れの挨拶を済ませた両者に続いて、イツナが手を振る。


「あの、オーナさん!」

「? なんでしょう?」

「今回はこういう形になってしまいましたが……次にお会いした時はもっとお話しましょうね!」

「……ええ、またの機会に!」


二人の会話を最後に、一同は黒き扉へと飲み込まれていった。


『さて、あなたもこれで納得できたかな?』

「……刀が止まったとき、わたくしは○○○○にたしなめられたのだと思いました。でも、彼らを見ていると……」

『……うん、たぶんそれで合っているよ』

「ありがとうございます。……ふふ。不思議と、彼らを応援したくなっている自分がいます。あのギンという犬と戯れていたせいかもしれませんけれども」

『そっかあ。ま、僕もふさふさじゃ負けてないけどね!』

(愉快なお狐様ですこと……イツナ様、どうかご武運を。わたくしも微力ながら、ここを死守いたしますゆえ)


オーナが見つめるなか、扉はまた低い音を立てて閉まっていった。

連動して紺汰の姿が薄くなり、やがて甲冑を拘束していた縄もろとも消え去る。

残された彼女は一人、儚げな表情で生大刀を拾い上げ、鞘に納めた。



《これで本当によかったのかのう? 大国主命おおくにぬしのみことよ》


『はい。光携者あのこがここに来たということは、厳父げんぶの慧眼は正しかったということ。あとは彼女を信じるだけです』


《……正念場じゃな》


『きっと大丈夫。今の彼女には、黒之丞・・・さんがついていますから』


《しかし、繋がりは途絶えたんじゃろう? 彼だけで、果たして道が拓けるか……》


『ふふふ』


《なんじゃ?》


『そうして人を慈しめるのは、あなたがたの特権。差し支えない範囲で、これからも手を差し伸べていただければと思います』


《……お任せあれ》


『それにしても、大己おおなには辛い役目を与えてしまいました。すべてが終わったら、格別に労うとしましょう。大切な子どもたちの、美しく、尊い幸せを祝して』


二柱の神仏が交わした言霊は、蝋梅ろうばい葉牡丹はぼたんに姿を変え、鮮やかに宙を舞った。

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