第十八話 真剣勝負

式神と称されし存在が召喚された。

その凛々しい姿が彷彿とさせたのは、九尾の狐。

確か、妖狐は尻尾の数に比例して強さを増すのだったか。

七尾と九尾で如何ほどの差があるのかわからない。

ただ、慎重なイエミズがこの局面で呼び出したのだ。

きっと大きな力を秘めている式神に違いあるまい。


「ふむ…………危うく見紛うところでしたが、神気と妖力を併せ持っておられますね。妖狐の姿は垂迹すいじゃく……正確には、かなり神格の高いお狐様のようですけれど」

(一瞬で本質に気付き、特有の混じり気を難なく看破したか。この御仁、天人てんにんの中でもぬきんでた能力を持っているな)

『あれーここ魔界じゃん。もう、久しぶりに呼んだかと思えば今度は何に首突っ込んでるの?』

「すまんな、紺汰こんた。火急の支援要請だ」


(見た目に反してかわいい名前!)

(わあ、かっこいい狐さん)

(イツナさんとギンの目が輝いている……)


直前までの殺伐とした空気はどこへやら。

それにしても、神は次元の問題で魔界には干渉できないと聞いている。

オーナの言から、紺汰は仮の姿にて顕現している神と思しいが。

陰陽術によって何か抜け道を使い、こちらまで来ているのだろうか。

黒之助は興味津々で、対峙する両者を見遣った。

オーナは若干の気後れが顔に出ており、紺汰は平然としていて無邪気だ。


(上位の精霊や妖怪の類ならともかく、神の領域にある存在を、式だけで使役するなんて前代未聞だわ。厳密には使役ではなく、お狐様の方から協力しているみたいだけど……イエミズ殿、あなた普通の陰陽師ではないわね)

『で、まさかあの娘が標的なの? とってもあたたかい波動を感じるんだけど』

「ああ。拘束したいのだが、某だけでは手に余る。気が進まんようなら無理強いはせんよ」

『うーん、正直ちょっとやりづらいかな……でもまあ、どうせ訳ありなんでしょ? 僕は君を信じるよ』

かたじけない」

『ってなわけでお嬢さん。あなたのお仕事、邪魔させてもらいます。ごめんね』

「あら、わたくしも御身おんみと同じく己が使命を果たしているだけでございますから。結果がどうなろうと決して後悔はいたしません。むしろこれから働くご無礼、こちらこそ深くお詫び申し上げておきますわ」

『うんうん、潔い娘だね。じゃあ気兼ねなくやろうか。いつでもどうぞ』


紺汰は柔らかな口調でそう言って、彼女の間合いに立った。

余裕綽々といった具合で佇み、自分から仕掛ける素振りは見せない。

オーナは暫く同じ構えを保ったまま、瞬きもせずに先方を凝視していた。

風も音もない静寂のなか、二つの澄み切った覇気がいがみ合う。


やがて、無数の読み合いを制して先に攻撃を繰り出したのはオーナだった。

彼女が動いた刹那、炸裂音が轟き、衝撃波がほとばしる。

まさに達人の一閃、黒之助たちが反応すらできない至高の技。

しかしそれを見越していたのか、イエミズは皆を陰陽術で覆っていた。

致命的な破壊力は緩和され、幸い一人も大事だいじに至らずに済む。


「び、びっくりした~……イエミズさん、ありがとうございます」

「気にするな」

「私も感謝します。守っていただいたのにこの衝撃……まともに受けていたらどうなっていたことか」

『やるじゃんイエミズ!』

「この程度は朝飯前さ。……それにしても」


まざまざと見せつけられた、予想を遥かに凌駕するオーナの技量。

人の身であの練度に到達するには、途方もない歳月を要したはず。

イエミズは人知れず戦慄していた。

物理への執着から解き放たれた、この時代に生まれておきながら。

彼女はひたすらに、刀だけを振って生きてきたというのだろうか。

壮絶な孤独と努力を強いられる半生だったのは、察するに余りある。

――オーナが全てを懸け、進むべき未来を愚直に斬り拓こうとする理由。

その背後に何か重要な神意が潜んでいることに、もはや疑いの余地はない。

だがその道を選び、踏み外さず、完歩してのけたのはオーナ自身の心の強さ。

斯様な不撓不屈の精神を見出した神は一体、裏で何を目論んでいるのか。


『や、やるな~!! ひと太刀で尻尾が三本もなくなっちゃったよ。これじゃ天狐に逆戻りだね! あはは!』

「ふふふ、恐縮でございます」

(な、なんか楽しそう?)

(うう、オーナさんの攻撃に悪意はないし、痛くないのもわかるんだけど……紺汰ちゃん大丈夫かな)

『ねえ、あの狐さん斬られちゃったよ!?』

じきにまた生えるから心配はない。とはいえ、初手で妖力を半減させられたのは某の落ち度。手並み拝見などと策を弄していないで、最初から全力を尽くすべきだった」

(……イエミズさん、何かするつもりみたいだな)


イエミズは扇子を華麗に閉じ、扇骨を筆のようにして空書きを始めた。

間もなく、奇天烈な文字や模様の入った木札がどこからともなく具現化する。

上部には小さな穴が空いており、彼はそこに、抜いた自らの髪の毛を一本通した。

そうして輪を作り、扇子に木札を吊り下げると、彼は小声で何かを唱え始める。


「ノウマクサマンダ……」


抑揚のない声で、聞き慣れぬ言語が繰り返されている。

黒之助は、不意に始まったお経のような語調の呟きに面食らった。

九回ほど同じ句が発音されたところで、諷誦ふじゅが締め括られる。


「霊符、阿遮羅囊他あしゃらのうた


彼がそう言った直後、木札は炎に包まれて燃え尽きた。

しかし炎自体は消えることなく、紺汰の元へと飛んでゆく。

黒之助は再度、一瞬だけ無心になって状況の確認を行った。

なんとも不思議な、守護と魔力が混ざったような揺らめき。

その中心にある紺汰の魂に、燃え滾る緋色が加わっているのが見える。


「あれは、迦楼羅焔かるらえん……!」

「? イツナさん、知っているんですか」

「ええ、仏様が行使する浄化のほむらです。イエミズさん、そちらにも顔が利くのね……」

(仏様……? 神通力の一種ってことかな)

「でも、あれに悪しきエネルギーを祓う以外の力はないはず……」

「無論、狙いは別にある」


紺汰の左右、横にそれぞれ何かが浮かんでいる。

一つは四原色の糸でられた縄。

もう一つはつばのない、八つ枝刃がついた白銀の剣である。

後者を咥え、前者を尻尾に巻いた紺汰は景気よく咆哮した。


『いいね。憤怒のちから、お借りするよ!』

(利剣と羂索けんさく……ほむらも含め、わたくしには通用しないと思いますが……まあ良いでしょう。残りの尻尾も貰い受けます!)


オーナが例の構えを取った。

妖力を大幅に削がれた紺汰は、初回ほど高度な先読みが叶わなくなっている。

この決定的な弱化と隙を、彼女が突かぬ理由はなかった。

此度は牽制を維持すると見せかけ、不意打ちの速攻を行う。

急な間合いの変化に対応できず、紺汰の呼吸が僅かに乱れた。


(御免あそばせ)


不可視の太刀筋が容赦なく襲い掛かる。

本人の実力による神速も然ることながら。

狙い所が常に変化する独特の軌道が、回避と防御の選択を鈍らせる。

予測できる"騙し"の数が圧倒的に多い、幻惑の一刀。


(やっぱりね。この娘の得物は生きている・・・・・……。でも人の身である以上は、執着が伴うのも必定)


オーナの刀が紺汰の尻尾に食い込むのと同時。

迦楼羅焔が彼女の全身に広がり、須臾しゅゆの硬直を生み出した。

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