第十六話 門番

休息をとってからというもの、黒之助の足元は軽くなっていた。

先ほど飲んだものがそれぞれ、別方向に良い効果を齎したからだ。

緑茶の方は気持ちが和み、意識が鮮明となって、活力の湧く実感が得られた。

霊水は心の深淵にあるわだかまりを溶かし、己が何者かを再確認できたように思う。

これらの効能は、どちらもイツナの言っていた精神力の回復に該当しそうである。

しかしながら、その共通する体感のなかには微妙な差異も入り混じっていた。

まるで恩恵を受けている自身の核が、違う場所にも同時に存在するような感覚。


(……なんか、自分って一つじゃない気がするんだよな)


謎の思考を捏ねているうちに、一行はとうとう森を抜ける。

開けた視界の先には荒野と地平線が広がっていた。

遠くの方に、巨大な門が認められる。

扉は左が黒色、右が白色で、荘厳な門構えだ。

磽确こうかくの真ん中に佇むその姿は、如何せん珍妙な絵面にも映るが。

双方の扉はぴったりと閉ざされており、堅牢堅固の様相を呈している。


「あれ、門が閉まってる?」

「ふむ。杞憂だとよいが」

「……普段は開いているんでしたっけ? 恐縮なんですが、門に関しては結構うろ覚えで」

「あ、そうだったんですね。仰るとおり、常時開放されているはずなんですけど……」

「といっても白い方だけだがな」

「つまり、半開きでなければおかしいと?」

「ああ。ちなみに白い扉は人族用だ。黒い扉はそれ以外の訳ありな奴らが使うもので、必要な時を除いて基本的に開くことはない」

「なるほど……見張りとかはいないんですか?」

「外側にはいないですが、内側にはいらっしゃいますよ」

「あの門を潜れば、その先は次元の狭間。閻魔が目を光らせているぞ」

「! 閻魔って、大王の?」

「ええ、その閻魔様です」


久しぶりに驚愕の情報が飛び出してきた。

確か地獄などにおいて、裁判官のような役割を持っているのが閻魔のはずだ。

無論その認識自体に信憑性など微塵もない。

ふと、黒之助はこうした知識が反射的に浮かんでくる理由を考えた。


(魔界とか、瞑想って聞いた時もそうだったけど……教養みたいなところだけ記憶が残っているのは、どう捉えるべきなんだろう。もし俺が華尊はなのみことなら、羅摩さんが言っていた通り、背負っている天命に支障がない範囲ってことなのかな。でも最初に西暦を思い出した時はものすごい目眩がしたし……)


基準がわからぬと繃源ほうげんに言われたあの場面を思い出す。

実際、当人でさえ正確に把握できていないのだから世話はない。

しかし記憶については既に、幾度となく自らの裁量で取捨選択をしてきている。

今のところ、その演技で二人の猜疑心が肥大化したような様子は見受けられない。

こちらの異質さを理解しているため、横に置いている部分もあるのだろうが。

依然、決定的な矛盾が露呈すれば現在の和睦が瓦解するのは言わずもがな。

場当たりになってしまう嫌いはあるが、今後も言葉を選ぶに越したことはない。


「まあ、閻魔に聞けば色々とわかるかもな……この一帯に何故、魔族がいないのかも含めて」

「え、いないんですか?」

『うん、嫌なにおいが全然しないよ。これなら簡単に進めるね』

「……でも、門が見えるこの辺りには本来、黒い扉が開く瞬間を狙って多くの魔族が集っているはずなのに……一つも気配が感じられないなんて」

「不気味極まりないといった状況だが、進まねば何もわかるまい。ひとまず行くとしよう」


黒い扉と、その開閉を狙う魔族たちの関係。

少し興味はあったものの、皆が歩き出したため黒之助は押し黙った。



「あれは……」


二百尺ほど離れた地点の岩陰から、イツナが門を凝視する。

道中、見間違いだと思っていたものが扉の前に確認できた。

女性が正座しているのだ。

体型に合わせた造形の甲冑を身に纏っており、帯刀している。

彼女は目を閉じて、ただ静かに座っていた。


「イエミズさん、あの方って」

「某も初めて見る顔だ。守護は……かなり強いな」

「ということは、味方でしょうか」

『いっちゃんと同じ優しい匂いがするね』

(いっちゃん……ってわたし!?)

「とかく、話を聞いてみるとするか」


全員、隠れるのをやめて正面から歩み寄ってゆく。

なおも女性は微動だにせず、じっと鎮座を続けていた。

やがて目前まで迫ると、ようやく彼女は開眼する。

ゾグを彷彿とさせる、見通すような澄んだ瞳。

竜胆りんどう色の髪は束ねられ、滑らかにたわんでいる。

落ち着いたその顔つきは、この場の誰よりも大人びていた。


(稀有な輝きに、異様な面々……なるほど)

「はじめまして。わたしはイツナといいますが、貴女は?」

「どうもはじめまして、オーナと申します。まさか、光携者こうけいしゃ様が直々にいらっしゃるとは」

「……わたしのことをご存知で?」

「もちろんです。イツナ様を知らぬ人族など、きっと今の世には存在しないでしょうね」

「それは買い被りですよ……えっと、オーナさんは華尊ではないのですね」

「ええ。もっとも……わたくしはお連れの皆様ほど、風変わりな素性は持ち合わせていないと思いますけれど」


オーナは興味深そうに、不敵な笑みで全員を見渡す。

その視線は一往復した後、最終的に黒之助に止まった。

――怪しさでいえば、イエミズやギンもそれなりのはず。

この人物もまた、やはり魔素が見えているのだろうか。

あるいは自分だけが、よほど異質な雰囲気に見えているのか。

凝視され困っている黒之助を助けるように、イエミズが割り入る。


「失礼。某はイツナに同行しているイエミズと申す者。我々は少々、先を急いでおりましてな」

「先……でございますか?」

「ああ。三次元に戻るため、こちらの門を通りたいのだ」

「実はこの魔界で今、色々と予想外の出来事が起こっているみたいでして……天界の方で一度、確認したいことがあるのです」

「ふむふむ……」

「しかし見ての通り、何故か閉まっているようでな。魔族もおらんようだし……オーナ殿はこの状況について、何かご存知ではなかろうか?」

「はい、少しだけでしたら」


モノノフの堂々たる装いとは裏腹に、オーナはたおやかに立ち上がった。

そうして膝の汚れを払い、抜刀した得物の切っ先を右斜め後ろの下方に向ける。

右足を引き、半身はんみの状態に入った彼女は一つ、深呼吸した。

瞬く間に、周囲には刀の加護と思われる神気が煌めき、飛び交っている。


(……きんの構え……!)


それは剣の道における、攻防一体の体勢――脇構えとも呼ばれる所作だった。

牽制を悟ったイエミズは、瞬時に青い地紙の扇子を懐から取り出す。

他の三名も少し反応は遅れたが、目を剥きながら後退して身構えた。

オーナは守護があるゆえ、人族であって魔族ではないはずだ。

ならば俄に牙を剥いたのは、一体どういった了見によるものか。


「オ、オーナさん! 急にどうしたんですか?」

「わたくしが知っているのは三つ。一つ、門は華尊が魔界こちらへ転移してきた段階で閉ざされたこと。二つ、わたくしの天命は何人なんぴとたりともここを通さないこと。三つ、魔族の姿がないのは、既に斬り祓ったあとだから」


流暢に答える彼女の表情に一切の陰はなく、毅然としている。

反面、黒之助は運動では掻かなかった汗が、冷ややかに伝うのを感じていた。

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