第十四話 白き嘘
去りゆくイエミズを見送った黒之助は、イツナを一瞥した。
彼女は左手で心臓の辺りを押さえて、真剣な表情をしている。
不安を感じながらも、次の質問を考えているといったところか。
――こちらはもう、話すべき内容を一通り述べた後である。
以降は誘導を行なわず、受動的に向こうの問いに答えていけばよい。
彼は少し肩の荷を下ろしつつ、火の揺らめきを見て心を鎮めた。
一方、事態を俯瞰するイツナの心中は穏やかでなかった。
(
思い当たるのは、齎魔自身が神と繋がっている可能性。
だが彼は、遥か昔から魔界に根ざす、極めて邪悪な魔族と聞いている。
また、そもそも魔族は次元の理により魔界から出ることができない存在なのだ。
仮に出られたとして、魂に穢れを持つ者は天界に近づけぬ仕組みにもなっている。
そして逆に神の領域にある者が魔界へ降りるのも、同じく理の問題で不可能。
よって直接的な繋がりは、まずあり得ないと断言できるだろう。
ただし、仲介する者がいて間接的に知り得た、というのはあるかもしれない。
その場合は当然、手引きした者の存在が浮かび上がるが。
古城を隠蔽している魔の結界は、絶対不可侵の障壁だ。
これは魔族も人族も平等に行く手を阻む代物であり、正面から入る方法はない。
齎魔に限っては魔法で出入りできるという噂だが、それはあくまでも例外。
つまるところ、結局は南方にある転移陣が唯一の侵入経路なのである。
加えて転移陣とは、神の理に依存し、各所に自動で出現しているもの。
神気が絡むゆえ、それを毒とする魔族にはこれを潜ることができない。
ともすれば、必然的に関与できる者は人族に絞られてくる。
(さっきクロノスケさんは、華尊や上……天界について知らないと言っていた。それが本当なら、彼は記憶喪失だけど華尊じゃない……? じゃあ、他の華尊が古城に辿り着いていて齎魔に素性を話したとか? ……ううん、全く別の
縦しんば第三者の関与があったとして、では、その者の目的は何なのか。
――華尊であり
華尊の天命は人それぞれであるものの、"根幹の役割は共通している"と。
即ち人界の明日を切り拓くための存在という点においては、みな同じなのだ。
その筆頭に据えられている自分の本懐が、他でもなく齎魔との決別である意味。
換言すれば、彼を核として蔓延する悪意を止め、魔界の歪みを正すことだが。
その方向性は少なからず、全ての天命に内包されている趣意のはず。
(他の人が具体的にどんな天命を背負っているのかはわからないけど……魔に関係のあるものにとって、わたし達が都合の悪い存在なのは間違いないよね)
ならば敵を知る目的で、齎魔が拉致および尋問を行ったとも考えられようか。
対抗に必要な情報の確保、あるいは芽を摘む算段などがあったのかもしれない。
しかし、伝言において彼は魔族としての力を失ったとされている。
しかも黒之助によれば、自ら進んでそうさせたという話だった。
保身を見据えて接触していたのなら、既に結果が矛盾している。
華尊の側から彼に入れ知恵した線も、実際には薄いだろう。
何故なら華尊は他者の記憶を失っており、齎魔を齎魔とは認識できないからだ。
イツナは天命の都合上、これも特別に記憶を持たされているという事情があるが。
ではもし、他にも認識できる者が現れ、人族を裏切るべく暗躍していたとして。
得られた結果が齎魔の無力化なら、やはり矛盾の説明がつかないままだ。
「クロノスケさん。古城には貴方とホウゲンさん以外に、誰かいませんでしたか?」
「ああ……度々、ホウゲンさんの話に出てくる人はいましたね。私は会っていないですが、別室にいるような口ぶりでした」
「そうですか……」
案の定、何者かが背後にいるらしい。
ただ黒之助が知らぬというなら、今はこれ以上の情報を得られまい。
一旦置いておき、イツナはもう一つの気掛かりに焦点を当てた。
齎魔はこの"終着の死面"に誰かが来るのを予期していた節がある。
さらに伝言は、その誰かが華尊を知っている前提と思しき内容。
黒之助の言う通り、それが自分たちに当てられたものだったとしたら。
(わたし達の動きは筒抜けだった? でも索敵魔法は守護が無効化しているし、あっちには魔の結界があるから、第三者の神通力で見られているわけでもない……うう、混乱してきた)
その実、斥候の禁厭で羅摩が彼女らの座標を捉えていただけなのだが。
一般の神通力とは異なる特殊な系統のため、イツナには感知できなかった。
とはいえ、未知の力が働いていると想定すること自体はできる。
彼女は最も根本的な謎に思惟を巡らせた。
万一、何らかの手段により自分たちの動向がすべて読まれていた場合。
敵である光携者に、敢えて自ら力を失ったと表明する意図は何か。
油断させて罠に嵌めようとしているのか、もしくは――。
(……こちらに協力しようとしている? いやいや、そんなわけ)
「イツナさん、ひょっとしてホウゲンさんって悪い人なんでしょうか」
不意に疑問が投げかけられる。
黒之助は受け身に徹するべく、イツナを静観していた。
だが、自らの方便が彼女の顔を曇らせているという痛感。
その責任と罪悪の自覚が、堪らず彼を開口させたのだった。
ひとまずこの時点で、イツナ達がホウゲンをどう捉えているのか確認する。
「……貴方には素性を隠していたみたいですね。彼は、齎魔と呼ばれる存在です。ホウゲンという名は、彼の使用する大魔法"
イツナはそう言いながら、落ちていた枯れ枝を使って地面に文字を書いた。
魔法の呼称は得てして、現象に則した相応しい言霊が当てられるそうだ。
なお効果が似たものは同一視されるため、あまり細分化はしていないとのこと。
また現代で知られている魔法の大半は、500年ほど前から伝わっているらしい。
この"繃源薤露"なる魔法も、初めて観測されたのは3500年代。
齎魔のみ行使できる特有の魔法につき、前半がそのまま名になっていったようだ。
(人が勝手に付けた名前みたいだけど、繃源って書くんだな。しかし3500年代となると、魔界歴では6倍だから……もう3000歳を超えている計算になるか)
魔族と人族の平均寿命や時間感覚に、どれほどの差異があるのかはわからぬが。
少なくとも黒之助には、3000年という歳月が途方も無く永い時間に感じられた。
ふと、繃源が己の役割に"飽いた"と言っていた、あの時の表情が思い出される。
彼は悠久の日々を過ごすの中で、自らの存在意義を問い続けてきたのだろうか。
その結論が、淘汰による滅びの道を歩む決意であったのなら。
(……俺はちょっとでも、貴方の役に立てたでしょうか)
思い耽る黒之助。
繃源もイツナも、みんなが良い方向に進むために。
今できるのは、果たすべき使命に全力で挑むことだけだ。
ただその心奥にある熱には目下、厳重に蓋をしておかなければならない。
変わらぬ調子で演技を続け、自然体を意識しながら相槌を打つ。
その後、イツナは繃源について補足した。
「クロノスケさんは、人界の現状がどうなっているか覚えていますか?」
「なんとなくは……確か天災ばかりでしたよね。生きるだけでも大変だったような」
「ええ、その通りです。そしてその原因となっているのが、この魔界を跳梁する魔族と、その悪意を束ねる齎魔。つまり繃源さんということになります」
ゾグ達の話を思い出す限り、彼女の説明は間違っていない。
しかしその裏には、均衡の問題が広がっているのだ。
黒之助は真実を話すべきか迷ったが、ぐっと我慢する。
おそらくこれは、彼女が自分で辿り着くべき真実のはず。
未来で垣間見た光携者の苦心と努力、その誇りを踏み躙るわけにはいかない。
――それにあの光の存在ならば、きっと同じことを言うだろう。
何故そのように思ったのかはわからぬが、彼は奇妙にも確信していた。
「そうだったんですね。あんまり悪そうな感じの人には見えなかったんですけど」
「……何が本当なのかはこれで、ある程度わかるでしょう」
「?」
「そろそろイエミズさんが帰ってきます。クロノスケさん、もう一度だけ失礼しますが、どうかお許しくださいね」
そういえば、彼は結局どういった裏付けを取りに行っていたのだろうか。
いずれにせよ、ここが明暗の分かれ道といったところか。
黒之助が体を強張らせていると、間もなく闇からイエミズが出現した。
些か重い足取りで元の丸太へと座り込み、一息ついている。
問答無用で襲われなかった手前、もしや。
「(お疲れ様でした。イエミズさん、どうでしたか?)」
「(ああ……イツナ。あいつが言っていたことはどうも本当らしいぞ)」
「(……!)」
「(某も半信半疑だったゆえ何度か試したのだが、確かに魔族間での魔法が有効になっていた。となると、あいつが齎魔の指示で奴を無力化したとかいう荒唐無稽な話……ひとまず後半については、事実のようだ)」
「(そうでしたか…………でも、あれから少し話をしましたが。彼は多分、華尊ですらありません)」
「(何にせよ得体は知れぬというわけか。ただこうなった以上、敵でない可能性は高くなった)」
「(ええ。立場はどうあれ、わたしの天命を代わりに果たしてくださったようなものですしね)」
「(うむ……ちなみにお前から見て、あいつはどのくらい信用できる?)」
「(そうですね……正直、計りかねています。不思議なことに、彼には全く直感が働かなくて)」
「(な、阿呆。そういうのは早く言え)」
「(ご、ごめんなさい……とりあえず、根拠はないのですけれど。個人的には信じていいと思っています。クロノスケさんは何というか、話していて心がざわざわしないので)」
「(……そうか)」
イエミズが立ち上がり、黒之助の横まで来て跪いた。
「お前……いや、そなたの言葉が真実であると確認してきた。依然、腑に落ちない点は多いゆえ、まだ完全に信用するのは難しいが……某の尊大な態度の数々、まずは謝罪させていただきたい。申し訳なかった」
「い、いえそんな。私も私のような者と出くわしたら、きっと不審に思ったでしょうし」
「
「はい、よろしくお願いします」
和解という願っても無い僥倖が得られ、黒之助は安堵した。
彼が何を以って信用に足ると判断したのか、結局は定かでないものの。
今後、時を共有していけば説明して貰える機会も訪れるだろう。
それにしても、イエミズは陰陽師だったらしい。
陰陽術を使う以上、当然といえば当然だが、未来では知り得なかった情報だ。
魔を使っていながら、魔法とは区別されている、謎の法力の使い手。
思えばあの雲に対して使っていた一撃も、陰陽術だったのだろう。
まだまだ未知が溢れている現実に、黒之助は高揚と危機感を憶えた。
とりわけ今の境遇においては、あらゆる情報の摂取を心掛けるべきだ。
何を成すにせよ、その
探求心を膨らませつつ、彼はイエミズと握手を交わし友好を誓う。
――すると手が触れた瞬間、何かが蒸発するのが見えた。
「ぬ、しまった」
刹那、焚き火と天幕が跡形もなく消えてしまった。
急に冷たい空気が漂い始め、辺りは闇に包まれる。
山頂へ着いたばかりの時と同じ、とても陰鬱な感覚だ。
異変を察知したギンはパチリと目を開き、きょろきょろと見回した。
『あれ、どうしたの?』
「いやな、念のため偽りの魔によって空間を覆い、敵の目を誤魔化して憩いの場を構築していたのだが。不覚にも解除されてしまった」
『……へっちりの言うこと、全然わからないや』
「す、すみませんイエミズさん。私の体質のせいですよね……つい油断してしまいました」
「なに、気を抜いたのは某とて同じこと。しかし誠に面妖だな、そなたは」
「面目ないです」
「ふっ、そう気にするでない。引き続き休憩するならば、もう一度張り直せばよいだけだしな」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。ただ……」
イエミズがイツナの方に目配せする。
彼女は頷くと、黒之助の方を見て言った。
「もし動けるようでしたら、このまま早急に向かいたい場所があるのですが……クロノスケさんも、ご同行いただくことはできますか?」
「え? ええ、それは構いません。転移陣が見つからない以上、今の自分は当て無しもいいところですからね……それにイツナさん達は私の知らないことも沢山ご存知のようですし、連れて行ってもらえるなら、むしろありがたいくらいです」
「よかった。では差し当たり、情報交換をしながら"門"を目指したいと思います」
「門……」
聞き覚えのある単語だ。
それが、未来で羅摩から教わった門を指していた場合。
確か、三次元と魔界の往来に使われているものだったはず。
あの時は原因不明の固着によって開かないと言っていたが。
どこまでが常識の範疇か判断できないため、知った風な言動は控えておく。
「本来わたし達は、あの山頂でも繃源さんの古城でも、果たすべき大切な役割があったのです。でもそれらは、既に貴方が成し遂げた後である可能性がありまして……まあそう言われても、なかなかピンと来ないと思いますけど」
「はい……もしかして私は、何か余計な真似をしてしまっていたのでしょうか」
「いいえ、きっとそんなことはありません。……ただ、いずれにしましても、一度あちらに戻って色々と確かめる必要があります。幸い門はここから、かなり近い位置にありますから。クロノスケさんも、まずは三次元に戻られるとよいでしょう」
「どの道、直ちにあの古城へ到達する方法は現状ない。そなたも心残りはあろうが……諸々、出直してからでも遅くはなかろう」
「なるほど、わかりました」
やはり、門は現実世界への帰還に使用するものと同義のようだ。
イツナらは例の伝言に従って、上と連絡を取るつもりなのかもしれない。
――これまで見聞を統括すれば、神は魔界におらず天界にいると思われる。
天界の位置は不明だが、察するに三次元からでないと行けない場所なのだろう。
ともあれ彼女の口ぶりから、まだ門の固着が起きていない可能性も出てきた。
案外、あっさりと元の世界に帰れるような事態が起こることも考えられる。
もちろん途中で使命を放り出し、姿を消すつもりなど毛頭ないのだが。
黒之助は引き続き今後に取るべき行動を考えつつ、彼女らの後に続いた。
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天人=天界と繋がりのある人の意。
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