第八話 分岐点
気がつくと、黒之助は胡座をかいて床に座っていた。
辺りを見回す。
ここは、どこだっただろうか。
背にある仕切りの影から、後方を覗いてみる。
五人の集団が卓を囲っているのが見えた。
自分は彼らを知っている。
(そうだ、ここは魔界の古城。俺は魂を知覚するために瞑想していた)
自分でも何を言っているのかよくわからぬ独白である。
さておき、寝ても覚めても現実に変化はない様子だ。
先ほど瞑想のなかで、確かもう一人の自分と会っていた。
同化を行い、自分を含め消滅したところまでは覚えている。
(あれ、生きてる? 過去の記憶は思い出せないままだけど、ちゃんと何があったかはわかる……)
死ぬだの殺すだの、物騒なやり取りをした。
でも自分はこうして存在している。
彼は、自分はどうなったのか。
詳しいことはわからない。
だが一つだけ、はっきりしている。
名前を思い出せたのだ。
響きではなく、綴りの方を。
(俺の名前……なんで忘れてたんだろう)
心で文字を何度もなぞる。
愛着と孤愁が交互にやってきた。
同時に、自身の周りに流動を感じる。
(これは……)
どうやらエネルギーが把握できるようになったらしい。
自分が誰なのかを認識する度、強い実感が湧いてくる。
ただ、どこか活発でなく不自然な気がした。
ふと先の経験を追憶してみる。
(炎になって、風に吹かれて、海を泳いで……)
目を開けたまま、脳裏で己の轍を辿る。
するとエネルギーが徐々に大きく、はためき始めた。
やがて、無心を保とうとしたあの局面に至った瞬間。
黒之助は流動と一体化していることに気づく。
それが彼に言われた"
あちらでは精神体の構成に与し、こちらでは寄り添ってくれる友人。
阿尓真の存在を感じていると、もう一つの変化がやってくる。
魔素が見えるのだ。
しかも、
そして本能的な悍ましさが、なぜか微塵も感じられない。
魔素はそこら一帯に浮かんでいるが、依然として彼に反応を示さなかった。
黒之助は直感的に、手の平を正面へと突き出す。
そうして意識の在り処を、魔素の充満する空間に向かって馳せてみた。
連動するように、自分の体からエネルギーが延びてゆく。
それは目的地へ漕ぎ着けると、辺りの魔素を巻き込みながら蒸発していった。
(……!)
我にかえった途端、阿尓真や魔素が見えなくなる。
同時に、少し疲労感が襲った。
おそらくエネルギーを消費したのだろう。
黒之助は一息ついて立ち上がると、仕切りを持って卓へと向かう。
彼に気づいた一同はすぐに動き出し、互いに歩み寄る形となった。
「坊主、瞑想はうまくいったか」
「……いったと思います」
「煮え切らぬな。見たところ、変化はないようだが」
「たぶん、エネルギーを使えるようにはなりました」
「本当ですか! 瞑想ってすごいんだ……」
「お主がやっても同じ結果にはならんぞ」
「な、なんで?」
「クク、また今度教える。して坊主よ、どう使えるようになった?」
「ちょっとお待ちください」
黒之助は再び、簡易的な瞑想を試行する。
今回は複数の視線があるため、集中が途切れるかもしれない。
慎重を期して目を閉じ、丁寧に無心へと意識を誘った。
ほどなくして先刻と同じ状態に入ることに成功し、開眼する。
皆を見ると、守護が魔素を祓っているのがわかった。
とりわけイツナの守護は、太陽の如く神気を輝かせている。
またホウゲンの魔力や、絡みつく悪意の方も鮮明に映っていた。
「おお、これが彼の……」
「視認できますね。覚慧も無しに……」
「おれも見えている。種族を問わず観測できるわけか」
「こりゃ人界でお披露目したら大騒ぎかもな。クハハ」
「とんでもないことになってきましたね……クロノスケさん、そのエネルギーで法力を使うんですね?」
「……」
イツナの問いに、黒之助は答えなかった。
ただ遠い目をしたまま、じっと皆を眺めている。
魂の領域では無心を解いても瞑想が続いていた。
しかし今は散漫になった瞬間に終わる気がする。
無言で佇む彼を見て、イツナはゾグの顔を一瞥した。
「うむ、喋ると維持できんのだろう」
「そっか。生半可な力じゃないんだ」
「だが、声自体は届いているんじゃないか?」
「……クロいの、お前の成果はよくわかった。一旦、戻ってこい」
ホウゲンの言葉で、黒之助は有心を取り戻す。
エネルギーを延ばさなかったせいか、消耗は感じない。
この分であれば何回でも再現は可能だろう。
確かな手応えを感じながら、黒之助は律儀に返答の遅れを謝罪した。
「イツナさん、答えられなくてすみません。事前に言っておけばよかったんですが、なかなか保つのが大変で」
「いえ、気にしないでください。それよりすごいですね!」
「全くだ。どうやら制御が難しいみたいだが……そなたの纏ったエネルギー、引き金はやはり無心なのか?」
「あ、はい。そうです」
「なるほど、道理で集中されていたわけです。しかしそうなると……」
「ああ。魔法や神通力みたく、現象化において効果の幅を持たせるのは不可能だな」
ホウゲンの指摘は正しいと思われる。
無心では、そこに想像や目的意識を込める余地がないからだ。
事実、意識がまっさらにならねばエネルギーは発現しなかった。
黒之助は新たな壁に行く手を阻まれる。
「これを封印の法力として現象化できればと考えていたんですが……仰る通り、無心の意識以外を乗せてしまうと保ちそうにありません」
「誤算か。だが諦めるには早いぞ」
「え……?」
「それは魔素や神気に先立つ、阿尓真そのものに由来するエネルギーのはず。ならばお前の見立てに相違なく、おれや
「だのう。あとな、いま使ったエネルギーが坊主の体質を決定付けているもんなら、わざわざ法力にまで昇華せんでも、齎魔に対しては封印を超える結果が得られるかもしれんぞ」
「封印を超える? ……あっ」
イツナは気がついた。
黒之助の魂と、阿尓真が呼応して現れたと思しき第三のエネルギー。
今までの検証を踏まえれば、悪意を排斥する特性を持っているはずである。
その特性は魔素に始まり、魔力を現象化した魔法をも分解するのだ。
斯様なエネルギーが魔族であるホウゲンに向かい、相殺されなかった場合――尋常でないことが起きるのは想像に難くない。
「……確かに法力化するのは現状、無理そうですが、当てるだけならできると思います。さっき実験したんですけど、意識の場所といいますか、方向は操作できるようでしたので。自分の近くになら延ばせます」
「左様か。しかし先ほどは魔素に影響がなかったようだが……」
「纏うだけでは干渉しないみたいです。延ばすと分解が起きるのは確認しました」
「どうやって確認されたのですか?」
「あ、実は無心の状態になると、何故か勝手に魔素とかが見えるんです」
「え! それまたすごい……」
「どこまでも面妖な男だな……ひとまず、分解が確認できたなら試す価値はあるだろう」
「ならば話が早い。クロいの、おれに使え」
ホウゲンが前に出る。
仮にこの申し出を受け、事が上手く運んだ場合。
彼は犠牲にならず、人界に根付く問題の解決に一役買えるかもしれない。
だが、前例のない試みに失敗はつきものだ。
全ての仮説が噛み合わなければ、いかなる事故が起きても不思議はない。
不安の色に染まる黒之助に対し、ホウゲンは堂々としていた。
懸念を
イツナは心配そうに、ホウゲンに尋ねた。
「ホウゲンさん……大丈夫ですか?」
「愚問だな。元より滅びを欲した身、望むところよ。……お前とて同じだったであろうが」
「…………」
「羅摩」
「はい」
「齎魔としての決断だ。おれは淘汰でもなく蹂躙でもない、新たな可能性に賭ける」
「……承知しました。
「ま、イツナの方はこれが終わってからにするかの」
「某も異存はない」
総意が明らかになったところで、黒之助は深く頷き、準備を始めた。
羅摩も改めて覚慧を掛け直す。
間もなく、彼は件のエネルギーを生み出した。
それをホウゲンを目掛けて延ばしてゆく。
当てるのは、魔力が宿る彼の魂――そしてそこへ粘着する悪意だ。
一同、固唾を飲んで経過を見守っている。
エネルギーは付近の魔素を分解しながら、やがてホウゲンへと到達した。
果たして、ホウゲンの魔力はこれを相殺することはなかった。
次の瞬間、怒涛の勢いで分解が始まる。
止め処なく溢れ出る魔素が、生じたそばから蒸発している。
「ぐ、ぐぉぉお……!!」
苦悶の表情でホウゲンが膝をついた。
黒之助は、このまま供給を継続するか選択を迫られる。
だが、もう少しで彼の悪意に届くため、無心を貫いた。
膨大な魔の灰が立ち昇っている。
周囲には燦然たる輝きが漏れ出し、空気が強烈に振動していた。
伴って、ホウゲンの黒衣が白に、髪は金へと変色してゆく。
角は上部から砂塵と化しているようだ。
「こ、これは!」
「齎魔殿の、魔族の悪意が失われているのか……!?」
「――――」
イツナは無言で目を見開き、顛末を焼き付ける。
自分だけでは決して辿り着けなかったであろう現実が、そこには広がっていた。
ホウゲンの魔力、即ち悪意が消えた。
つまり、魔族でなくなったのだ。
それを証拠に、新たに集まってきた魔素が引き寄せられ、彼を蝕もうとしている。
羅摩は倒れ込んだホウゲンの元へ、迅速に歩み寄った。
「……気絶しているだけです」
「ふむ。どうやら魔素から狙われる体になったみたいだのう」
「よもや、齎魔殿は人族に?」
「そんなことが……」
「わかりませんが、魔素は今しがた、実際にホウゲン様の全身を取り巻こうとしていました。傍に付いていないと危険な状態ですね」
「確かにそのようだ……我々も、齎魔殿の意識が回復するまで見守るとしよう。いま彼が汚染されたら、全て台無しになってしまう」
「ああ。ともあれ、かくして齎魔の役割
「うん……ホウゲンさんは生きてる」
イツナが目を細めて微笑するのを横目に、黒之助は瞑想を解いて思考する。
ホウゲンは自身を、魔族が持つ悪意の核と表現していた。
核が消え去った今、例によって均衡なるものは塗り替えられるはずだ。
そして彼の語った塗り替えは、謂わば刷新を指しているような節もあった。
一辺倒になった均衡――それはもはや、別の秩序とすら言えるかもしれない。
この事態は一体、世界にどう響くというのだろうか。
「これで一歩前進……なのでしょうか?」
「おお、大義だったのう。坊主の頑張りで、後退してた分は取り戻せたろうな」
「後退?」
「ああ、えっと。人界と魔界の間には色々と歴史がありまして。とりあえず、ホウゲンさんの悪意がなくなると、魔界は本来の状態に戻るんです」
「本人の意志がどうあれ、齎魔という存在は魔界を歪めてた部分があるんだわな。で人界に皺寄せが来とったんだが、汝のお陰でそこは解決しただろう」
「よくわかりませんが……まあ少しでもお役に立てたのなら」
「謙遜するな。そなたは誰も思い至れなかった、新しい未来を切り拓いたのだ」
「クロノスケさん、ありがとうございます! 別の道を見つけられて……本当によかった」
皆の表情と労いの言葉に、ひとまず胸を撫で下ろす。
しかし、まだ全てが終わったわけではない。
イツナの抱えている問題への対処が残っているからだ。
束の間の充足感を噛み締めながら、黒之助は方針を確かめようと思い立つ。
羅摩に目配せすると「看ていますからご心配なく」と高配にあずかった。
倒れるホウゲンの余所で憚られるものはあるが、彼女の配慮に甘えて進行する。
「それで……次は守護でしたね」
「うむ」
「改めて疑問なんですが、なぜ守護を消す必要があるんでしょうか。神様から頂いている、崇高なものなんですよね?」
「……もっともな疑問です。わたしもホウゲンさんと話すまでは確証を持てませんでしたが……この光は、強すぎるんです」
「強すぎる、といいますと?」
「その説明は少し長くなる。休まなくていいのか?」
「構いません、大丈夫です」
「わかった。……記憶が無いそなたには殊更に解せないかもしれないが、まずこの
「天秤……均衡ってやつに関係している感じですか?」
「その通りだ。天秤にかけられているのは、平たく言えば光と闇――善悪や陰陽と捉えても差し支えない」
「で、どっちかに傾けば当然、均衡は崩れる。ここまではよいな?」
「はい」
「いま地球は、光に大きく傾いていてな。これがどういうことか、わかるかのう?」
「え? ……良いことなんじゃないか、と思いますが」
「そう、良いことだ。が、そりゃ実は人界側の都合だったわけよ」
「?」
「人族の心が豊かになるにつれて、星も光を増します。でも光が明るくなるほど、この魔界にも影響が出るようなんです」
情報を論理的に解釈する。
世界のエネルギーは現在、良い方向へ傾倒しているらしい。
ただ悪い方向への傾倒にしろ、均衡が崩れるという点では同じなのだろう。
偏った天秤は、もう片方に影響を及ぼす。
この場合は、人族の成長が魔族に何らかの変化を促した、といったところか。
「今の話の流れですと、影響といっても悪い方の、でしょうか」
「ええ。結論から言えば、魔界の魔素が枯渇に向かうのです」
「魔素は魔族にとってエネルギー源。減ったらどうなると思うかえ?」
「そうですね……普通に考えれば、飢饉みたいな……」
「正解だ。要は、魔族が飢える。そして次に起こる必然は、奪い合いの闘争」
「魔界はもともと殺伐としている領域だが、星が光に傾くほど魔素の枯渇が深刻化し、凄惨な蠱毒が発生するのだ」
「なるほど」
「そうやって、より強大な力を持つ魔族が誕生します。彼らの悪意は、普通の魔族とは一線を画していて……どうやらそれが、人界への被害を苛烈にしている要因の一つみたいなんです」
「ん……? 魔族が人界に被害を与えているんですか?」
「そうだ。といっても魔法などで直接、攻撃しているわけではないぞ。彼らは存在するだけで、星の霊的な部分に歪みを生むらしくてな」
「その歪みが人界に、とある形となって降りかかる。坊主なら、もうわかるな?」
「ホウゲンさんの言っていた、数多の厄災……天災とかですか」
「はい。……わたし達は長い旅路のなかで、その真実に辿り着きました。でも人界は未だ、この因果応報を解明できていません」
「光への傾倒が根本にあるとは露知らず、人族は、厄災の元凶はあくまで魔族であるという前提で対策を講じてきた」
「無論、中には強硬姿勢もあったわけだの。だが侵略的な施策を打っても、天災は治まるどころか却って酷くなるばかりときた」
「イツナさん達はその矛盾とカラクリを紐解いてきたんですね。そしてホウゲンさんとの邂逅で、確信を得たと」
三名とも頷いた。
彼らの説明を聞いて、黒之助は腑に落ちない部分がある。
均衡の崩壊は人界と魔界、双方にとって大打撃となるようだ。
しかしそれは、星の持っている性質による不可抗力とも受け取れる。
仮に光を増すのが人道、闇を増すのが魔道とするならば。
星の道は、一体どこを目指しているというのだろうか。
「あの、でも人界は良い方に向かっているんですよね? なのに魔界へ悪影響が及ぶことで、負のエネルギーが巡り巡って跳ね返り、皆が大変な目に遭っていると」
「んだな」
「もしかして地球にとって、光って邪魔なんですか?」
「いや、少し違う。天秤の偏りが問題を引き起こすのは、謂わば宇宙の法則だ。光あらばまた闇もあるのは自然の摂理よ」
「うーん……? 話が壮大すぎてなかなか難しいですが。では逆に、人界が悪い方に向かったらどうなるんでしょう」
「無論、魔界は潤うわな。んで人界の天災が減るが、代わりに人族同士の戦争が起こるようになり、魔族が力をつけて結局、世界は混沌に陥る。星にとってそっちは、単に破滅へ繋がり兼ねん方向だからのう。その点、良き歩みは傷つきながらも多くの創造と発展を生み、恒久的な活動の礎を築く。つまり光が邪魔ってわけではないのよ」
「人族や星が受難に挑み成長するのも、魔族が
絶対的な何かに則って、あらゆる道に茨が巻き付いている。
如何せん雲をつかむような話だが、この説明が真理という直感はある。
光と闇、そのどちらへ接近したとしても。
星やそこに住まう者たち、すべての存亡に関わる作用が働くものなのだろう。
ただ、その根本にある目的意識に、荒廃への憧憬は含まれていない気がする。
むしろ繁茂を欲する、生命としての本能があるように感じられて止まない。
これも瞼の裏から湧き出た観念だろうか――無論、裏付けや信憑性はない。
しかし、たとえ天邪鬼に牙を剥くとしても、世界は光の範疇にあるという解釈。
それが宇宙の法則であり、また星にとっての正道でもあるのだとしたら。
その生命への叱咤激励は、どこまでも過酷で、どこまでも気高いものに思えた。
「わたしも人界における天災は、宇宙の意志による試練、と前向きに捉えています。ただ……」
「何かあるんですか?」
「昨今、情況があまりにも不自然でな。法則があるにしろ、天災の規模がおかしい」
「……察するに、その不自然の理由と守護の間に、何か関係性が?」
黒之助は顎に拳を当て俯き、確認するように上目遣いで言った。
先刻イツナから飛び出した、光が強すぎるという言葉の意味。
加えて、魔族の悪意が天災を苛烈にした要因の
統合すれば、導き出される答えはそう多くない。
最も高いのは、守護が天災を促進している可能性だ。
「……この守護は、光携者が三代にわたって受け継いできたものでして」
「あ、すみません。今さらですが、コウケイシャってどういった立場なんですか?」
「そこも抜け落ちているのか……人界を先導する天命を持った者を指す。光を携えし者と書いて光携者、ちなみに齎魔殿は魔を齎すと書く。どちらも、いわゆる称号のようなものだな」
「ありがとうございます。えっと、それでイツナさんは三代目の光携者で、代々同じ守護を継いできたと?」
「ええ、そうです」
「光携者は人界の命運を握る、唯一無二の存在だ。よって守護も通常より高次の神から授かる」
「高次の……薄々わかってはいましたが、イツナさんって偉い人だったんですね」
「もうイエミズさん、大仰ですよ」
「真実を言ったまでだ。……さておき、初めて光携者に守護が授けられたのは、今からおよそ175年ほど前に遡る」
「特筆すべきは、その絶大な影響力だ。当時から人界は、光携者を筆頭に霊的な進化を遂げるようになり、大いに栄えてきた。……それも、かつてない速度でな」
「! ということは、やっぱり」
「はい、先の話でいう天秤が光の方向へ、加速度的に傾いたことになります」
案の定、守護が光への傾倒を推し進めたようだ。
これは一見、希望に満ち溢れた、有り難き御利益にも思えるだろう。
人界が発展した史実がある以上、光携者の功績は計り知れないといえる。
ところが、彼女たちが突き止めた真実はその貢献の意味を覆してしまう。
瑞光に華やぐ世界の裏に秘められた虚構。
浮き彫りになった、偽りの安寧が蔓延る現実。
その看過できぬ惨状を、自らが誘発していた罪過を知る――。
斯様な業を一身に背負って、人は果たして正気を保てるものであろうか。
黒之助は、イツナの心に浮かぶ自責の流氷に触れ、寒気凜冽に粟立った。
「だから、いなくなるべきは自分と言っていたんですね……」
「気づいた以上はケジメを付けるべきですから。このままでは、わたしを信じてくださった人たちに申し訳が立ちません」
「……改めて、己の不甲斐なさを痛感する。事の次第が発覚した段階でお前の選択は予想していたが……何もしてやれずにすまない」
「そんな、イエミズさんは悪くありませんよ」
「やむを得んとはいえな……吾とて口惜しかったぞ、イツナ」
「……ありがとう、ゾグ」
真摯な絆と、やるせの見出だせぬ歯がゆさが、ひしと伝わってくる。
イツナがホウゲンに決意表明した際に、二人が見せていた反応。
それは、手を
ただ、いかに高邁な規律に囚われようとも、手を伸ばせば届く親しき命。
ゾグとイエミズは、彼女を蔑ろにする縛りを己の枷とはしないはずである。
つまり彼らは、取り巻く不条理によって打開策を打ち出せないでいるのだ。
羅摩も然り、不干渉の遵守を強いられている事情について気になってくる。
――しかし、この情況で優先すべきはその詮索ではなかろう。
俯瞰する黒之助のなかに、粘りつくような違和感がぐるぐると渦巻いていた。
撹拌された彼の懐疑心は、イツナの守護と、その背景に焦点を合わせている。
羅摩は転移陣の解説において、神の理は自然の法則だと言っていた。
先ほど出てきた宇宙の法則や、自然の摂理。
これらも、表現が違うだけで本質は同じものであろう。
ならば、そこに潜む致命的な齟齬に気づかぬほど、彼の目は節穴でなかった。
「……一つ、いいですか」
「はい、なんでしょう?」
「守護の光が強いってことの意味はわかりました。消すべき理由もです」
「無事にお伝えできたようで、何よりです」
「…………」
「……あの、クロノスケさん。どうされましたか?」
「一つだけわからないんです。光携者の守護って、
「ん? 先ほども言ったが、無二の存在だからだ」
「人々を先導するには、相応の光が必要になるのも事実ですから。天界の方もそう判断して……」
「それは、変だと思いませんか?」
「変……?」
「どういうことだ?」
「やっぱり変ですよ。聡明な皆さんに限って、私と同じ疑念を抱かなかったはずがないですし」
「……坊主、続けてくれ」
「はい。えっと、守護を与えてくださっているのは神様、謂わばこの世の理そのものと言い換えても大丈夫ですよね?」
「ええ、そうとも言えますね」
「じゃあやっぱり――」
言おうとした瞬間、けたたましい不快な動悸が視界を揺らす。
黒之助は吐き気にも似た異様な
しかし、降って湧いた使命感のような情動を味方に、それを押さえつける。
そして無理矢理、捕捉した不気味の正体を吐露した。
「神様は
「ぬ」
「……!」
空気が変わった。
数秒前までの世界が、全て幻想だったと思えるほどの焦眉。
ゾグと羅摩の様子が急変する。
対してイツナとイエミズは不思議そうに黒之助の発言を受け止めた。
「あ……そう言われると、そうかもしれませんね」
「うむ……? 言われるまで気づかなかったが、考えてみれば当然そうなるな」
嫌な予感がする。
つん、と鼻の奥で鈍い痛みが走った。
呼吸が浅くなり、頭から肩にかけてヒリヒリと熱気が奪われる。
まるで
腹の中で何かがじわりと燃える感覚が襲い、強ばる体は脇の下を痙攣させた。
そして、耳鳴りの如く聞こえてくる。
噛み合わぬ歯車が弾け飛び、狂った機構が打ち鳴らす異音が。
黒之助はかつてない不調に抗いつつ、捻り出すように、恐る恐る尋ねた。
「ゾグさん……!」
「言うな坊主、わかっとる」
「え? ゾグ、何の話?」
「…………」
イエミズは何か異常事態を察したのか、押し黙る。
ゾグは羅摩と顔を合わせると軽く頷き、黒之助に向き直った。
イツナはまだ事態を把握していないが、おそらくこのままが正解だ。
「端的に言うとの、坊主以外は術中だ。もはや猶予がない可能性もある」
「え、え?」
「私にできることはありますか?」
「ああ。坊主はさっきのエネルギーをイツナに当ててくれ。今すぐに」
「おいゾグ、指示していいのか?」
「これきりの例外よ。さあ早く」
ゾグは冷静に、焦燥を押し殺すように言った。
幸い、まだ具体的な凶兆は現れていない。
黒之助は深呼吸して、迷いなく無心を目指した。
既に、後手の不利は避けられないのであろう。
せめてここは最善を尽くし、備えるべきである。
「でも、クロノスケさんの体質は善意を汲み取るってホウゲンさんが……」
「まあまあ、ちょっとした実験をするだけだ。お主は経験を積むと思って、どーんと構えていればよい」
黒之助に魔法は効かないが、神通力は別だ。
それは羅摩に幾度となく掛けてもらった覚慧によって実証されている。
つまり、神通力に対して分解は起きない。
よってその源泉たる守護へと彼のエネルギーを延ばした場合――おそらく何の効果も得られまいと、この場の誰もが予想していた。
ただ一人、ゾグを除いて。
(坊主が阿尓真と呼応しているなら、その深淵は
緊迫する空気のなか、黒之助のエネルギーが完成する。
平静でなかったため、一時は失敗の二文字が
だが幸い、無事に辿り着けたようだ。
心を鎮め、逸らぬよう集中し、ホウゲンの時と同じ要領で延ばしてゆく。
イツナの守護は依然として、八面玲瓏の輝きを放っていた。
そこへ彼のエネルギーがやって来ると、すぐに変化は起こった。
光の粒子が火の粉のように周囲へと跳ね、煌めきながら蒸発しているのだ。
「む、反応しているのか! どういうことだ?」
「坊主の体質が受け入れるのは、おそらく術者の善意だけだ。白き娘の禁厭は現象化の直後に札ごと消費されるから確認できなかったが、睨んだ通り、神気も分解されるみたいだのう」
「ゾグ……これって……」
イツナが複雑な表情で問いかける。
混乱する彼女には、沢山の感情が濁流となって押し寄せていた。
不安、期待、悔悟、安堵、執着、解放。
もし、このまま守護がホウゲンの悪意と同様、消滅するのだとしたら。
光との決別は神を裏切り、人界は希望の灯火を失うだろう。
そして天命を果たせぬ代わりに、負の連鎖は終焉を迎える。
――そこまでは元より想定していた範囲。
ただ、決定的に異なっている大前提がある。
潰えるはずだった自分の命が、救われる可能性があるということだ。
(でもそんな結末、許されるはずないのに)
イツナは、どこかで道を誤ったのだと思っていた。
これまで世のため人のためと、世界を先導してきた。
だがそれは結局、自分のためにやった偽善に過ぎなかったのかもしれない。
光携者という、絶対的な地位と力の利用。
その傲慢を通して人々に差し伸べたこの手はきっと、奢りで汚れていたのだ。
善意による救済は、誰かの悪意を切り捨てる。
そして最後は、復讐の戦火が全てを飲み込む。
愚かにも、その忌まわしい循環を仕組んだ者に与えられるべきは、相応の贖罪。
ならば、悪しき連鎖の断絶は最低条件。
その上で責を負い、自裁する以外に選択肢などあるまい。
ところが黒之助のエネルギーは、そうした彼女の苦悩に酷く無遠慮だった。
誑かすでもなく、押さえつけるでもなく。
諭すでもなく、慰めるでもなく、励ますでもなく。
寒暖すら感じられぬ空っぽの進撃が訴えかけたのは、ただ一つの哲理。
『生きよ』
はっとした刹那、彼女は見た。
人生を懸けて苦楽を共にした光の残骸が、輪郭を持って眼前に降り立つ瞬間を。
直後、糸が切れて意識が白に染まってゆくのがわかる。
ホウゲンも、この光景を目の当たりにしたのだろうか――。
思考が遮断され、倒れるイツナをイエミズが受け止めた。
彼は刺激せぬよう、彼女を丁寧に床へと寝かせる。
ただその視線は、ある一点に向けられていた。
ゾグや羅摩も同じだ。
一同、額には不快な湿気が張り付き、戦慄と勇奮の綱引きが延々と続いている。
唯一、無心の黒之助だけがその相手を正面から見据えていた。
《
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