第六話 アニマ


「代案はそれか」


ホウゲンが少し落胆したように浅く項垂れる。

封印であれば、別の形で問題への対処ができるかもしれない。

他者への配慮を盾に、失われる命などなくてもよいはずなのだ。

ところが、この案は場の期待に沿うものではなかったと窺える。


「クロノスケさん、お心遣い痛み入ります。……でも、駄目なんです」


イツナが腑甲斐無さそうに否定した。

何か覆らない理由があるのだろうか。

だが、除外している選択肢の裏に端緒がないとも言い切れない。

クロノスケは方針を定めるべく、臆さずに問い掛ける。


「既に検討済み、とかですかね。一応、理由をお聞きしてもいいですか?」

「はい。封印の法力は、術者の力よりも大きいエネルギーに対して施すことができないからです」

「ホウゲンさんのエネルギーが大きいって意味でしょうか」

「いや、拮抗しているといった方が正しい。こいつが封印の神通力を行使してもおれの魔力が喰らい尽くすし、おれの封印魔法もまた、こいつの守護が掻き消して終わる」

「どうしてわかるんですか?」

「直接対峙して、どちらかが少しでも力を揮えば感覚でわかるものなんですよ。わたしもホウゲンさんと同じ見解です」


最初にホウゲンが黒い塊を生み出した場面が甦る。

威嚇や牽制の類と思いきや、あれは相手の実力を測る意図も兼ねていたらしい。

素人には理解できぬ世界だが、当事者同士が肯定しているのだ。

彼らのエネルギーは事実、拮抗しているのだろう。


「なるほど。とりあえず通用しないだけで、封印の法力自体は存在しているんですね?」

「ええ……他にも何かお考えが?」


封印の法力が実在していたのは僥倖といえる。

こと守護や悪意といった曖昧なものに対し行使できる封印の手段。

そのようなもの、常識的に考えればあるはずがないからだ。

光に導かれるまま提案したが、ひとまず頓挫せずに済みそうである。

ならば早速と意気込み、彼は次の質問へと移行した。


「ちょっと思いつきまして。ちなみに自分で自分を封印することは?」

「無理に決まっているだろう」

「そ、そうなんですか?」

「……取捨の基準がよくわからぬ記憶喪失だな」


ホウゲンの顔に、斯様な初歩に関する質問をするのは妙だと書かれている。

――クロノスケは過去の人間だ。

彼が現代における自明の理を弁えているかは、内容次第である。

そして現在、その事情を知っているのは本人と羅摩の二人のみ。

だが、羅摩は今それについて掘り下げるつもりがなかった。

風向きが変わり、新たな光明が見え始めているこの状況。

彼女は軽く咳払いし、対談の軌道を維持することに努めた。


「ここはわたしから説明させていただきますね。まず予備知識としまして、魔法とは主に四種の系統に分かれます。攻撃と弱化、治癒と強化の四種です」

「はい」

「これらは全て誰に向けても放つことができますが、前者二つの系統は対象が魔族の場合、効果がありません」

「効果がない……?」

「ええ。例えば魔族同士の争いで広範囲にわたる魔法が使われ、そこに居合わせた敵味方全体が巻き込まれてしまったとしますね。でも魔族である限り、彼らには影響が及ばないのです」

「どうしてですか?」

「攻撃および弱化魔法を構成する魔力のうち、内包されている悪意は全魔族共通の性質を持っています。よってどれほど強力な一撃を受けたとしても、最終的にその魔法ごと罹災者の悪意と同化してしまうため、結局は無効となるからですね」

「ふむ……でも、後者の二つは普通に効くと?」

「治癒と強化魔法には僅かながらに善意も含まれていまして、こちらの性質は共通でなく術者によって異なります。つまり同化が起きませんので、通用するのです」

「あ、そういう原理だったんだ……実際にそうなるのは知っていましたけど、わたしも具体的な理由の部分は初めて聞きました」

「おや、左様ですか。まあイツナ様が魔導に精通していては、道理に合いませんしね」

「一理あるとは思うが、単に不勉強とも言えよう。……お前たち、教育面でも不干渉なのか」

「クク。別に求められりゃ答える範疇だけどの~その辺は」

「某は敢えて説明する必要はないと判断していた」

「そ、そうだったのね……」


イツナは魔法の理解が完璧ではないようだ。

自分の無知で対談が足踏みしている責任を感じていた彼の肩の荷が、少し下りる。

ともあれ、封印が攻撃または弱化魔法に属すること。

また、魔族間で行使できないものである事情はわかった。


「解説していただいて、ありがとうございます。神通力の方はどうなのでしょう?」

「神通力の種類は魔法の半分――治癒と強化しかありません。ただし魔族に行使する際は効果が反転し、攻撃や弱化に成り得ます。魔法を人族に放った時と同じですね」

「封印の神通力ってどちらに分類されるんですか?」

「強化です。ちなみに封印魔法の方は弱化に当たります」

「真逆なんですね」

「はい、いま申し上げた反転が関係しています。封印の神通力は"瀟鬯しょうちょう"と呼ばれ、一時的に極めて強力な浄化作用を引き起こすものでして」

「ショウチョウ、ですか」

「魔族には厄介な術だ。掛かってしまえば一切、自由を奪われる」

「……あ、そういうことですか。浄化作用って要するに、ホウゲンさんをはじめ魔族に対しては封印みたいな効果になると」

「ええ。継続的に行使すれば、実際に封印として機能させられます。ちなみに瀟鬯は人族の場合、あらゆる穢れを清め、祓い除ける結界となります。守護がまもってくださるのは基本的に魔素のみですが、この結界があれば魔法も殆ど防げるようになります」

「なるほど」

「羅摩さんが説明してくださった通り、わたしがわたしに瀟鬯を使っても封印にはならないわけです。そしてホウゲンさんは封印魔法を無効化してしまいます。つまりどちらも、自分で自分を封印することはできないのです」

「そして、エネルギーの拮抗によってお互いに法力を施すこともできないと……よくわかりました」


これらの説明を踏まえると、封印の路線は土台無理といってもよい。

皆が浮かない様子だったのはその所為だったようだ。

だがそれでも、まだ彼の思いつきに活路がなくなったわけではない。

クロノスケは引き続き、不明点を解消してゆく。


「もう一つ確認したいんですけど、ホウゲンさんは私に悪意がないって言ってましたよね。あれってどういう意味ですか?」

「そのままの意味だ。魔族は魔素を取り込めば、悪意によって魔力を纏う。お前にはそれが起きていないからな」

「そういえば、魔力も見えるものなんでしたっけ」

「お前たち人族は神の助けがなければ認識できないが、魔族は見ることができる。……まあ光携者そいつは例外だろうな」

「わたしは守護やイエミズさんの力をお借りして、魔の影響を受けずに、常に可視化状態を保っています。……あの、ところで。クロノスケさんが魔力を持っていないところまではわかるんですが、今、彼が魔素を取り込んだような言い回しをしてましたよね?」

「ああ、取り込んだらしいぞ」

「え……!?」


ここまでイツナに見えていたのは、彼の周りで静止する魔素の姿だけだ。

無論この停滞現象は、魔族であるホウゲンにも当て嵌まっている。

ゆえに初見でクロノスケが魔族だと錯覚したのは、至って正常な反応といえよう。

ただ彼には、魔力を纏っていないという決定的な矛盾があった。

その上でホウゲンから確認済みと聞き、ひとまず人族と暫定してきた経緯がある。

ところが、魔素を取り込んだとなれば、話は二転三転してしまう。

人族の魔素吸収など、原則として有り得ない現象だからだ。

つまり論理的には、クロノスケは人族でも魔族でもないことになる。


「お前が驚くのも無理はない。だが、実際に羅摩が確認している」

「はい、確かに取り込んでおられました。しかし種族を断定するならば、やはり人族で間違いないかと存じます。裏付けも複数ありますが……何よりも、クロノスケ殿の在り方は人族そのものですから」

「……魔族の器でないのは確かだな」

「わ、わたしも感覚的にはお二人の言っていることがわかりますけど……でも、急に出現した話といい、貴方は一体――」


一度ホウゲンが仕切り直し、風化させた謎が再び胎動する。

あの時は大人しくした甲斐あって、詮索されずに何とかやり過ごせた。

それが打って変わって、自己に関する質問をこれだけ能動的に行ったのだ。

再注目は必然であり、自業自得ともいえよう。

斯様な目立つ行為を暗中模索の境遇で働くのは、怜悧な立ち回りと程遠い。

だがこれは、可能性を研ぎ澄ますために避けては通れない道でもあった。

クロノスケは様々な憶測の入り混じった視線を送るイツナと、真摯に向き合う。


「私が何者なのかは自分自身にもわかりません……記憶がないものですから。でもこの謎は、もしかすると皆さんの力になれる要素かもしれません」

「ん? どういう意味だ」

「さっきの話ですが、魔族は魔素を取り込んだら魔力になるわけですよね。なら魔力を持っていない自分の場合、取り込んだ魔素はどうなったんでしょう」

「……普通は汚染が起きて、そこまでのはずですし」

「どうなるか、といった資料は過去に存在していません。これに関してはクロノスケ殿が初の事例になるでしょうから」

「お前自身はどう見ている」

「えっと。観測された結果と皆さんのお話からして、私は魔族の悪意も、神様の守護も持ち合わせていないんだと思います。その条件下で魔素の吸収が起こったわけで……改めてイツナさん達にも説明すると、さっきここへ来る前、私と羅摩さんはカクエを使って周りの魔素の動きを確認していました。そしたら、直前に別の実験で手に傷を作っていたんですけど、それに向かって魔素が吸収されていったんですよね。で、何故か治りました」

「魔素で傷が塞がった、ということですか?」

「ええ、そう見えました。正直、治った理由はまだ断定できません……ただそうなると、一つ気掛かりが出てくるんです」

「気掛かりだと?」

「はい。まず、私がこの魔界に現れた時、気絶していたところをホウゲンさんに治癒魔法で助けていただいたそうなんです」

「治癒魔法……ホウゲンさんも、初見では彼が魔族だと思ったんですか?」

「ああ。ただ不自然な点も多かったからな、まずは試したのだ」

「改めて、その節はありがとうございました。……それでその治癒魔法なんですけど、実際には反応がなかったと聞きました。ということは、私の体は魔素単体なら回復したのに、魔法だと回復しなかったことになります」

「……確かに妙ではあるな」

「治癒魔法は先の説明に違わず、悪意と僅かな善意に魔素が合わさった、魔力によるもの……ふむ。ホウゲン様、今一度試していただくことは可能でしょうか?」

「よかろう。おれも確認したいことができた。異存はないな、クロいの」

「あ、はい。では羅摩さん、せっかくなのでカクエをお願いできますか? あと、また何か傷を作れるものがありましたらそれも……」

(……クロノスケさん、力になれるかもって言ってたけど。どんなお考えがあるのかな)


イツナにとっては、成り行きで斜め上の方向に事態が動き始めている状況だ。

だだ彼女は元より、持論を押し通すつもりは毛頭なかった。

むしろ多角的な視点で十分に検討を重ねた上、結論を出したい気持ちもある。

もしも、自分が取りこぼしてしまっている前向きな希望の光があるというなら。

それがどれほど小さかったとしても、無視することはできない。

自ら可能性に蓋をして保守に走るのは、傲慢であり、また怠慢でもあるからだ。

彼女はゾグとイエミズを見て小さく頷き、経過を見守る体制に入った。


ホウゲンは立ち上がり、少し席から離れたところで待機している。

クロノスケも早速、準備に取り掛かった。

傷については、ゾグが持っている剣に加護があるらしい。

意を決して使用許可を乞うと、存外、快諾してくれた。

今回は少し深めに複数の傷をつけ、より多くの情報が得られるよう工夫する。

斬ってすぐ傷口へ入ってゆく魔素の反応を見て、イツナらは関心を示していた。

ほどなく羅摩に覚慧も掛けてもらい、再実験の準備はトントン拍子で整う。


クロノスケはホウゲンの正面、一直線上の配置につく。

間もなく「ゆくぞ」という言葉とともに、青漆の稲妻が放たれた。

辺り一面に閃光と雷鳴が赫怒して、魔法がこちらを捉える。

彼は当たる瞬間、魔法がどう反応するのかを見極める算段だった。

ところが、治癒魔法がこのように苛烈な現象とは夢にも思わなかったのだろう。

覚慧により増幅した魔の恐怖も相まってか、なんと彼は気を失ってしまった。

その光景は少なからず、他の面々にも衝撃を与えたようだ。


「これを治癒と呼ぶあたり、魔法ってよくわからないです……」

「クク。いくらお主といえど、これほど密度が高い"風碍ふうげ"は新鮮だろうな」

「圧倒的ではないか……これが齎魔殿。恐るべし」

「だ、大丈夫ですか、クロノスケ殿! 」


羅摩に続いて、イツナらも駆け寄ってくる。

クロノスケは少しすると、意識を回復した。

深呼吸して動悸を抑えながら、直前に何をしていたのか思い出す。

「そうだ」と我に返って自分の体を確認してみるが、特に異常は感じられない。

あれだけの魔法を受けておきながら、何ら影響がないようだ。

察するに、やはり無効化されたのだろうか。

半身を起こして思案していると、若干ばつが悪そうにホウゲンが歩いてきた。


「言っておくが、勝手に怖じけて倒れたのはお前だからな」

「す、すみません、ちょっと驚いちゃって。てっきり攻撃されたのかと思いましたよ」

「そんなわけなかろう。紛れもなく、今のは治癒魔法だ」

「うーん、本当に魔法も効かないんですね……イエミズさん、どうでした?」

「某には魔法が打ち消されたように見えたな。丁度、例に挙がっていた魔族同士による撃ち合いの如く。だが今のは治癒魔法だ」

「そうですよね……ゾグは?」

「すまんが、ノーコメント」

「そんなぁ」

「イツナ様。もしかするとゾグ様の黙秘そのものに、意味があるのかもしれませんよ」

「これこれ白き娘よ。そなたも立場があるなら、助言の内容は線引きせにゃいかんぞ」

「あ、申し訳ございません……しかし、わたしとてさっぱりでして」


全員が口々に、所感を述べている。

イエミズの話では、魔法は消えただけのようだ。

だが、ゾグの態度を見る限りそこまで単純な話でもないのだろう。

いずれにせよ、いま積極的に見解を尋ねるべき人物は二人。

即ち、発言内容に制限のないイツナとホウゲンである。

クロノスケが話を聞こうとすると、先んじてホウゲンが語りだした。


「さておき、起こった事実を辿るぞ。まず今の魔法――風碍はお前に当たると同時に現象が消滅した。やはり治癒の効果も発揮されていない」

「はい」

「だがその後に起こった現象は一考の価値があった。お前、今はもう傷が治っているのには気づいているか?」

「え?」


思った以上に動転していたようで、迂闊にもクロノスケは傷の存在を忘れていた。

慌てて右手を見ると、先刻つけたばかりの傷が全てなくなっている。

これは羅摩との実験時と比べても、明らかに早い完治である。

念のため、残っていた覚慧の力で魔素の流れを注視してみる。

案の定、現在は自分の周りを漂っているだけだ。

魔族であるホウゲンにも、同じ反応が見られる。

ただ、彼の場合は全身から闇のようなものが揺らいでいた。

その流動に魔素が沿っているようだが、おそらくあれが魔力なのだろう。

悍ましさの度合いは魔素に等しいため、興味深いものの、すぐに視線をずらす。

羅摩は相変わらず、白装束が魔素を引き寄せては掻き消していた。

イツナらは三名とも、大きな楕円形をした膜に包まれているようだ。

障壁の守護と思われるその膜もやはり、魔素を掻き消している。

一通りの状況を確認したクロノスケは、ホウゲンに返答した。


「恥ずかしながら気づいてませんでした。これ、どのタイミングで治ったんでしょう」

「魔法が消滅した後、お前が目を覚ますまでの間だ。書斎では充満していて見落としたが……風碍が消えた際、お前の周囲の魔素が一時的に増えていたぞ」

「増えていた……?」

「そうだ。まるで魔法が分解され、そこに含まれていた魔素が空気中に吐き出されたかのようにな」

「! そう言われると確かに、クロノスケさんの周りがちょっと変だった気はしますね」

「まあ、風碍ごときの魔法に込める魔力量など高が知れている。増えたといっても微量だったがゆえ、魔に疎いお前には大差なく見えただろうな。……そいつは気づいていたようだが」

「イエミズさん?」

とばしらせたところで何も出ないぞ。見えてはいたが、だからどうという話でもなかろう。高密度の魔素が増えた分、彼の回復が早まっただけではないのか?」


このやり取りで、深めにつけた複数の傷が極めて短時間で癒えた理由がわかった。

魔法が打ち消されると同時に魔素が増え、瞬間的な吸収量もそれに比例したのだ。

ホウゲンの実力による影響なのか、増えた魔素は通常より凝縮されていたらしい。

質の高い魔素の混合と、より効率的な摂取が治癒の効能を高めたものと思われる。

しかしこれは"魔素で回復が起こる"という彼の奇特な体質を実証したに過ぎない。


「着目すべきはそこではない。重要なのは、分解が起きたと考えられる点だ。……クロいの、攻撃魔法も試すぞ。今度は極小に縮めるから心配は無用だ」

「わかりました……お手柔らかにお願いします」


ホウゲンはすぐに、手から攻撃魔法と思しき炎を生じさせる。

傍にいた他の四人は、少しだけ距離を取って凝望した。

玉を掴むようにして圧縮されてゆく、赤い揺らめき。

やがて、そら豆大まで小さくなったそれが、人差し指の先に移動させられる。

見た目は小規模で、さほどの恐怖心は掻き立てられない。

とはいえ、先の魔法よりも密度は高く危険なようだ。

ホウゲンはゆっくりと指先をクロノスケに近づける。

すると体に接触した刹那、ふっと風に吹かれたかのように鎮火した。

直後、彼を囲う魔素が爆発的に増える。


「うわ~……クロノスケさんの周りがとんでもないことに」

「込めた魔力に応じて量が変化したな。やはりこれは分解で間違いなさそうだ」

「あのすみません、どなたか来ていただけませんか? 抑えてるんですけど、カクエの視界が酷くて……」


過去一番の魔素による包囲網。

たとえ害がないにしろ、その中心に居続けるのは並の精神力では不可能だ。

羅摩やイツナが再び駆け寄ると、彼女らの守護によって魔素は目減りしていった。

お礼を言ってどうにか平静を取り戻したクロノスケは、分解について考える。

魔法――それを形成する魔力の分解によって、魔素が還元されたならば。

果たして、もう一つの構成要素はどこへ行ったのだろうか。


「ホウゲンさん。魔法が分かたれて魔素に還ったとして、なら悪意や善意はどうなったんでしょう」

「効果の有無を鑑みるに、悪意は蒸発し、善意は汲み取られているようだな」

「……?」

「魔法はその実、魔素がエネルギーを賄い、悪意がその効果を決定づけている。現象化にはそれらが結合した魔力を使い、さらに代償も払うのだが……今はよい。これを神通力で言い換えると、守護によって与えられる神気がエネルギー源、善意が効果を決めるものとなる」

「何だか複雑ですね……つまり私は魔法が効かずに神通力は効いているので、善意と悪意が選り分けられていると?」

「おれはそう睨んでいる。神通力は分解された様子がないからな」

「確かに、ここまで魔法しか分解されてないですね……でもそれなら、治癒魔法に含まれているという善意は?」

「流石に推測になってしまいますが、治癒魔法の善意は例によって僅かなものです。そして魔法として現象化する以上、クロノスケ殿の体質的にはあくまで悪意の一部、という程度の認識なのかもしれません」

「なるほどです。となると――やっぱり妙です」


クロノスケが独り言のように呟いた。

如何にも、彼が思いついたという"何か"に関係する考察を進めている素振り。

思惑が見えず、イツナは腕を組んで首を傾げ、羅摩は拳を作って顎に当てている。

その横ではイエミズがゾグに解説を乞うているが、肩を竦めて躱されていた。

ホウゲンはやや勘付いていたのか、俯いたクロノスケに自身の見解を示す。


「……一つ引っ掛かっている。悪意を排斥するのであれば、なぜ魔素が吸収されるのかだ」

「あ、私が気掛かりと言っていたのもそこなんです。羅摩さん、確か魔って本質的に他者を傷つけるもの、なんですよね?」

「ええ、そうです」

「でも、悪意だって相手を貶める意識から来ているはず……両方とも負のエネルギーなのは間違いないのに、魔素だけ消えない理由って何だと思いますか」

「そう言われると……」


イツナは目を細めて推理する。

悪意の選別と蒸発。

彼の特異体質は、まるで意図的にそれを行っているかのようだ。

敢えて消す必要がある、そうしなければ何か不都合が生じるのかもしれない。

人族の精神体は、悪意を向けられると痛みを伴うものである。

物的部分への攻撃はもちろん、言葉や魔法であっても痛い。

ならば、彼の体質は痛みを感じることに問題があるのかもしれない。

ただ仮に、その問題の回避をするために悪意を打ち消しているとしても。

やはり魔素の説明がつかないだろう。

魔素は文字通り、魔の素。

魔とは彼が羅摩に確認していたように、本質的に他者を傷つけるエネルギーだ。

精神体にとっては魂を汚染し得る、悪意と比較しても危殆なエネルギー。

それを消すどころか、あまつさえ吸収しているという事実。

痛みだけ遠ざける意味がわからない。

イツナが思い耽っている最中さなか、今度はクロノスケが私見を述べる。


「私が思うに、なんですけど」

「言ってみよ」

「この体、本当は魔素を魔素としては吸収していないんじゃないでしょうか」

「? 魔素としてって……どういう」

「……待てイツナ。確かに如何なる体質であろうと、そも人族が魔素に耐性を持つはずがない。ならば――」

「そうか。つまり魔素においても分解が起きているのだな」

「某もそうとしか思えん。……今のは齎魔殿が導き出した答えだ。文句はないだろう?」

「ま、状況からして遅かれ早かれ、誰もが同じ結論に達していただろうしの。咎めはせんよ」

「ならば最初からお前が全てを語ればよいのではないか?」

「あ~その眼力で凄むでない。縛りがあるといっておろう」

「ふん」

「えっと、とりあえず魔素も分解されていると仮定した場合なんですが」


クロノスケはやっと、思いついた"何か"の核心に迫るところまで漕ぎ着けた。

当初は朧げな点も多かったが、彼らが検証に付き合ってくれたお陰だ。

磨かれた可能性は既に、十分な説得力を得ている自信がある。

もう一度、代案を吟味してもらうには今こそが絶好の機会だ。


「魔素の、魔の部分が消えているってことになりますよね。残った素を何と呼ぶのかは知りませんが……きっと吸収しているのってそれだと思うんです」

「なるほど、阿尓真あにまか」

「アニマ?」

「宇宙線に含まれる霊的な粒子のことですね。エネルギーの根源という以外、未だ仔細が明らかになっていないものです」

「エネルギーの根源……魔素から魔を取り除いたら、そのアニマってやつになるんでしょうか」

「一般的にはその説が有力です。ただ阿尓真は理論上に存在しているだけで、観測された例はありません」

「暗黒物質みたいなものですか」

「なんだそれは? 羅摩が言った通り、阿尓真は物質ではなく霊質。そして魔素だけでなく神気の源でもあるとされている。闇は特に関係なかろう」

「ああ、すみません、今のは言葉の綾です」


どうやら時代にそぐわない単語を出してしまったようだ。

咄嗟に、手探りの未知に対して抱いた心象が暗黒だったから、とこじつけておく。

苦し紛れの言い訳で誤魔化しながら、クロノスケは思惟を巡らせた。

今の話が本当なら、神気と魔素はアニマという同じ根を持っていることになる。

もし、それを自分が吸収しているとしたら。


「つまり何が言いたいかといいますと、さっきの傷がそのアニマで修繕されたのだとすれば、色々と説明がつくと思うんです。そしてこの体なんですが、たぶんアニマで出来ているのではないかと」

「――ほう、ようやくお前の真意が見えてきたぞ」

「んん? でも精神体って確か、魂のエネルギーに三次元の姿が投影されたもののはず……ゾグ、そうだよね?」

「間違ってはいない。が、答案としては三角かのう」

「じゃ、丸の答えは?」

「むー、際どい気もするが……たまには語るのも一興か」

「まことか? 貴公が教導とは珍しいな」


ゾグとイエミズの、イツナとの関係性。

暫く観察してきて、クロノスケはそこはかとなく理解した。

まず、魔素の可視化にも一役買っているらしいイエミズ。

彼はそちらの方面に長けた人族なのだろう。

イツナとは対等な態度でありつつも、常に心配している節がある。

気のおけぬ、側近のような間柄と予想される。

一方ゾグは別格だ。

羅摩の敬意が誰に対するものとも違うし、イツナも友達口調だが忖度している。

ホウゲンと同格以上を思わせる言動も多い。

また、能動的に発言しないだけで、皆が知らぬようなことにも造詣が深そうだ。

自分にも散々向けられてきた疑念ではあるが、一体何者なのだろう。


「まあ別段、大したことでもないからの。まず阿尓真はな――」

「あくまで自然物だ。いくら特異体質だからといって、光携者そいつの言っていた精神体の定義は、クロいのとて例外ではないだろう」

「あ! 吾の台詞を取りおったな!」

「お前の言う通り、これだけなら大した情報でもなかろうに。おどけるのはよせ」

「くそー覚えておくのだぞ」


ゾグが地団駄を踏む。

威厳があるようで全くない気もする、内面の読みづらい人物だ。

見た目は無気力な少女のよう。

しかし、イエミズの態度からして男性なのかもしれない。

彼やホウゲンは、阿尓真について何か知っている様子だ。

クロノスケは疑問をぶつける。


「私の精神体も、魂のエネルギーが象っていて、肉体を投影していると?」

「んだな。厳密に言えば、肉体とて魂が投影されたものだぞ。要は、どんな体をしてようが大元は魂とそのエネルギーからきとるわけよ。魔族、人族とか関係なく」

「それが丸の答え?」

「ああ。勉強になったろ」

「では、この体がアニマで出来ているという私の考えは不正解、ですか」

「そう聞かれりゃ間違っとるわな。けどま、坊主の言いたいこともわかるぞ」

「え……?」

「クロいの。阿尓真はいわば触媒なのだ。魔素や神気――これらは世界に蔓延した悪意や善意が、阿尓真を変質させたものだ。おれやお前たちは、それを取り込むことで魔力ないし守護を纏い、魔法や神通力を使って自身の本懐を遂げている」

「そういうわけだのう。要はな、本人の魂が悪意によって魔素と呼応すりゃ、大元にある阿尓真が触媒となって、魔力って燃料を生むのよ。逆も然り」

「うーん、かなり難解ですが。つまりアニマとは、私達の精神体を構成しているわけではなくて、維持や活動のために利用される資源みたいなものなんですか?」

「うむ。有り体に言えば飯よな」

「あ、すごいわかりやすくなった」

「言い方は悪いかもしれんが、腐った阿尓真が魔素で、新鮮なそれが神気と思えばよい。で、いま坊主の心中はこうだろう。"じゃあ、どちらでもない純粋な阿尓真で維持されてる可能性があるこの体なら、あるいは"――違うかの?」


ずばりと考えを見通される。

クロノスケにとって、精神体がアニマで出来ていないのは予想外だった。

しかしゾグの言葉で表せば、自分の魂に呼応しているのは純粋なアニマのはずだ。

この前提が変わらない以上、彼の思いつきに宿る光明もまた、潰えることはない。


「ゾグさんの言う通りです。私の体はどうやら独自のエネルギーで動いている……これはもう、他の皆さんにもおわかりいただけてると思います」

「そうなりますね」

「その上で、試したいことがあるんです」

「独自のエネルギー……まさか、クロノスケ殿のお考えとは」

「ええ。使ことで、封印が罷り通るかもしれません」

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