第三話 異分子

羅摩は神妙に切り出した。


「クロノスケ殿はわたしから見ても、自我を保っておられます。この時点で魔素に対して防衛が働いているのは間違いありませんので、現代の常識に当て嵌めるなら、必ず守護があるはずなのですが……」

「ない可能性も?」

「まだわかりません。しかし、先ほどクロノスケ殿も会われたあの方――ホウゲン様といいますが、貴方が目覚める前に一つ、妙なことを仰っていました」

「あー、あのちょっと怖い……いやかなり怖い顔をしていた人ですか」

「ふふ、お気持ちはわかります。眼光炯々が自然体の方ですからね」

「やっぱり怖いですよね……っとすみません」

「いえ。それで、まずはその妙なことについて調べさせていただきたいのです。確認には神通力と呼ばれるものを用いて、魔素の可視化を行います」

「神通力って、神が通わす力、ですか?」

「はい。守護を賜る魂に行使が許される、平たく言えば不思議な力のことですね」

「魔法みたいなものでしょうか」

「ク、クロノスケ殿。それは流石に」

「えっ! 何か変なことを言いましたか?」

「……? 少々お待ちください」


例によって羅摩の左手の指先が小刻みに動き始めた。

改めて観察すると、意図的な所作に見えてくる。

熟考しているようで、他に何かしているのだろうか。

クロノスケは意を決して質問した。


「私の勘違いかもしれませんけど……羅摩さん、何か操作しておられます?」

「おや、お気づきですか。話の途中に申し訳ないのですが、不明瞭だと感じた事柄を随時、調べているのです」


調べると聞いて頭に浮かんだのは機械だった。

どうやら、機械については少し記憶が残っているらしい。

クロノスケは幾つか該当しそうな物の名称を思い出してみた。

周囲に大きな装置がなく、羅摩は何も持っていない状況。

消去法で、頭巾の中でも使用できるものが挙げられる。


「もしかして"サグシス"で……あ。でも、そもそも機械はないって話でしたよね」

「それも聞き慣れない単語です。先に調べてみますが……………………なるほど、当時の方々は"PsychoGlasSystem"なる視力矯正器具型の機械で、インターネットというものを利用して必要な情報を得ていたのですね。これは今、わたしが行っているのとは全く別の検索体系のようです」

「ではどうやって?」

「現代にはこのサグシスも、インターネットも存在していません。情報検索に利用されるのは、人々の集合意識である"本"のみです」

「本? 集合意識、ってことは紙媒体ではないですよね」

「ええ、正式名称を"阿迦あかの書"といい、現代で本といえばこれを指します。意識を半分繋いで閲覧しますが、わたしはページを捲る際に手が連動してしまう嫌いがありまして」

「ああ、そういう……というか、そんな便利なものがあるんですか」


未来の科学がどれほど進んでいるのかが気になってくる。

クロノスケの時代は既に空間投影など、高度な技術が発達していた。

とはいえ、その全ては物理の延長線上から逸脱していなかったのだ。

集合意識などといった曖昧な存在を、どうやって解明したのだろう。


「確かに便利ですが、欲しい情報に辿り着けない場合もざらにありますし、意識が奪われてしまう危険もあったり……一長一短といったところでしょうか」

「色々とあるんですね」

「はい。……ふむ。クロノスケ殿の時代と今とでは、魔法の捉え方が全く違っているみたいですね」

「魔法って、不思議な力の総称だと思っていましたが」

「納得しました。しかし現代においては、魔法とはあまり良いイメージを持たれていないのです。文字通り、魔を介した法力ですから」

「魔……ひょっとして、例の魔素が関係していたり?」

「ご明察です。現代の魔法は魔素を活用して引き起こす現象なのですが、魔素が人にとって害があるのは先に説明しましたね。要するに、魔法や魔素といったものの根源――魔とは、本質的に他者を傷つける力なのです。反対に、神通力は人を活かす神気を活用しますので、現代ではこれらを同一視していないというわけです」


クロノスケは魔法に対して、どこか妖しく華やかな印象を持っていた。

だが単に魔と言われると突如、何かとても悪いもののように感じられる。

こちらの感覚については、現代とそう大差はないらしい。

ただ神に関しては、漠然と厳かな心象があるばかりだった。

神気が人を活かすというのは、あまり実感の湧く話ではない。

ともあれ、魔法と聞いて一瞬、彼女が白けた理由はわかった。

己の失態に気づいた彼は、萎縮しながら謝罪する。


「つまり、私は不躾にも神性な力を魔呼ばわりしてしまったと……すみませんでした」

「いえ、事情がわかれば理解できますから。貴方は時を大きく跨いでいるわけですし、こちらこそ浅慮なことを言って申し訳ございませんでした」

「いやいや、全然大丈夫です。えっとそれで、またすっかり話の腰を折ってしまいましたが……神通力というもので魔素の可視化、でしたっけ」

「ええ。これより"覚慧かくえ"と呼ばれる神通力を、わたしとクロノスケ殿に対して行使します。目に見えないエネルギーを見極めるためには第七感が必要となるのですが、覚慧はそれを一時的に高める効果があります」

「なんだか凄そうですね。第七感って初めて聞きましたけど」

「第六感と同じく霊感の一種です。こればかりは感覚の世界なので、実際に体験していただくしかないでしょう」

「わかりました。……ちょっと緊張しますね」

「わたしが責任を持って見ていますから、どうかご安心ください。あと、確認が済んだら先ほどの傷も神通力で治して差し上げますね。それでは、早速まいりますよ」

「は、はい」


再び未知との邂逅が目前に迫っている。

期待に不安が入り混じりつつも、クロノスケの胸は高鳴っていた。

羅摩は白装束から、筆で"覚慧"と書かれた一枚の札を取り出す。

そして凛とした声で文字を読み上げると、すぐに変化は起こった。

後光の如く、彼女の背後から頭上に掛けて、金色の粒子が立ち昇ったのだ。

神々しい立ち姿に呆けていると、札から文字が宙に浮かび上がる。

文字は忽ち溶解し、羅摩とクロノスケの胸あたりを目掛けて分散した。

じわり、と何かが体に融和してゆくのを感じる。

空白となった札が輝きながら燃え尽きたところで、一連の超常現象は幕を閉じた。

クロノスケは、自分たちの身体の輪郭が白くなっているのに気づく。

同時に魔素の可視化――第七感が何たるかを思い知ることになる。


「ん、急に寒気が……うわ! このドス黒いのなんですか、これが魔素?」

「いつ見ても悍ましい濃度ですね……仰るように、この空気中に充満している黒いもやが魔素です」


まるで闇に包まれているかの如く、周囲には魔素が溢れていたのだった。

世界が隠していたもう一つの側面を、実体のない心の目で捉えた感覚がある。

普通の目の方はというと、今まで通り部屋の様子を視認できている。

要は二つの視覚情報が透過して合成された塩梅で、非常に気持ちが悪い。

だが幸い、意識を合わせればどちらか一方を優先することもできるらしい。

彼は魔素に対して本能的な恐怖を憶えたため、慌てて部屋に焦点を絞った。


「びっくりしました……ちょっとだけ魔素の方を覗く、みたいな微調整もできるんですね。これならなんとか平静でいられます」

「わたしも初めての時は驚きました。やり方を知らなくても、感覚的に見たくない方を薄くできますよね。防衛本能とは優秀なものです……それにしても」


羅摩が小さな声で、怪訝そうに何かを言いかけた。

しかしクロノスケは興奮のあまり、全く気づいていない。

この体験はそれほど鮮烈で魅力に溢れたものだったのである。

彼は跳ねる心臓を押さえながら、感嘆の声を漏らしている。


「本当に不思議ですね……これが第七感……」

「……さて、クロノスケ殿。魔素を凝視するのが酷なのはご理解いただけたかと存じます。一方、神気はこのようになっております。こちらをご覧いただけますか?」


そう言われて羅摩を注視すると、何やらあたたかい光を感じる。

光は彼女の全身から放出されていた。

ゆらゆらとしたその様相は、俗にいうオーラという表現が近いかもしれない。

美しい煌めきが、見るほどに魔素による精神負荷を和らげてくれる。

クロノスケは俄然、凪の心を得た。

抽象的すぎて、伝聞だけではいまいち実感の湧かなかった魔や神の存在。

それらのエネルギーの違いが、今ならはっきりと感じられる。

魔は、際限なき煽情が心を逸らせる、動の狂瀾。

神は、闊達自在の尊厳が齎す清閑、静の昇華。

鋭敏となった直感が大仰な理解を運び、凝り固った価値観に変革を起こす。

クロノスケは今一度、心の目を凝らしてみた。

すると、付近の魔素が絶え間なく羅摩へと吸い寄せられているのがわかる。

白装束に漂着したそばから、神気の光によって消滅しているようだ。

力の強い方が生存と言っていたのは、この現象を指すのだろう。


「魔素が羅摩さんの守護に負けて、どんどん消費されていくように見えます」

「よく見えていらっしゃいますね。同様に、守護が障壁の形を成している場合は、球状のそれが精神体を囲って魔素を退けるはずです。……クロノスケ殿、次はご自身の周囲を。もし魔素に疲弊したら、必ずこちらへ目線を戻してください」


クロノスケは言われた通り、障壁を確認すべく自分の体を見る。

――魔素は周りで掻き消されている様子がない。

それどころか、頻りに視界の右へと向かって流れてゆくではないか。

流れを辿ってみると、なんと魔素は右手の傷に入り込んでいた。


「!? 羅摩さん、これやばいのでは」

「……わたしもそう思ったのですけれど、どうにも様子が変で……傷が癒えていらっしゃいませんか?」

「え」


クロノスケは右手を胸の前に突き出し、観察した。

確かに、最初よりも傷が小さくなっている気がする。

このかんにも魔素はするすると傷口へ吸い込まれるが、特に違和感はない。

むしろ、冷えがじんじんと温まるような心地よさがある。

二人は暫し、この現象をただ眺めることしかできなかった。

数十秒ほど経っただろうか。

あろうことか、右手の傷は完全に塞がってしまった。

取り込めば魂に悪影響があると教わったばかりだが、そのような気配もない。

また、魔素は完治した直後に流動が止まり、クロノスケの周りで停滞している。

だが少しすると、再び羅摩に向かって動き始めた。

この光景を目の当たりにし、クロノスケは状況分析を行った。


まず羅摩の話から想像すると、障壁があるならば魔素はそこで消滅するはずだ。

しかし、周囲で魔素が消える反応は見られなかった。

ともすれば、おそらく自分には守護がないという事実が窺い知れるだろう。

それにもかかわらず、魔素を吸収してしまった体には特に異変がなかった。

あまつさえ傷が回復し、実のところ少し体調が良くなった気すらしている。

そして完治後、物的部分が取り込むはずの魔素は反応を示さなくなった。

精神面については現状、自我を失うといった恐慌には見舞われていない。


――以上の分析結果は、どれも羅摩の説明と大きく乖離している。

ただクロノスケには彼女が嘘をついていないという直感も働いていた。

整合性のとれない脳内が、混乱を極める。

一方、不測の事態が発生しているのは羅摩も同じだったようだ。


「これはどう考えるべきか……」

「羅摩さんにもよくわからない感じですか?」

「そうですね……まず魔素が吸収された点ですが、これは守護がなければ必然的に起こる反応なのは、既に述べた通りです。でもクロノスケ殿の場合は右手に限定してそれが起き、しかも何故か傷が塞がった後、吸収が途絶えています」

「止まって少ししたら、羅摩さんの方に流れていきましたよね」

「はい、現在もそうなっていますね。……個人的には、神気に触れても問題のないクロノスケ殿が守護を賜っていない、というところからして既に不可思議なのですが、さらに解せないのは、魔素を取り込んでも平気なご様子でいらっしゃることです」

「実際、何ともありませんね。パニックになったりもしていませんし」

「汚染が起きていないのでしょう……傷の回復や魔素の停滞も然り、常識では有り得ない現象ばかり起こっています」

「ちなみに魔素って守護がないと、どの辺に吸収されるものなんですか?」

「全身ですね。肌に直接入るほか、呼吸でも取り込みます」

「やっぱりですか。でも、その兆候もないと」

「……関係しているかは微妙な線ですけれど、思い当たる節はあります。これらの反応は魔族に対するそれと少しだけ似ていて……ああ、決して他意はございませんので、ご容赦願いますね」

「大丈夫です。そういえば戦争の話をした時に一瞬出てきましたよね、魔族って」

「確かに申し上げました。魔族とは文字通り魔の種族で、主に魔界に存在します。現代では我々を人族、三次元の方を人界と呼び、両者を区別しております」

「なるほど」

「その魔族なのですが……彼らは、触れるだけでは魔素を取り込むことができません。ただし、故意に得ようとした時に限り、吸収が発生するのです」

「故意に……この場合でいうと、怪我した時ってことですか?」

「理解がお速いですね。実際には負傷時だけでなく単に疲弊した場合もそうなのですが、彼らは必要に応じて魔素を自発的に、全身に吸収します。そして吸収された魔素は、魔力へと変化します」

「魔力と魔素は、別モノなんでしょうか」

「ええ。魔素に悪意が結合したものを魔力と呼びます。魔族は悪意から生まれている種族のため、取り込んだ魔素が自動的に魔力に変化する体質を持っております。魔力とは謂わば、彼らの生命維持を担うエネルギーですね」

「ははぁ。そしてそれと同じことが、私の身で起こったと」

「いえ、あくまでも似ているというだけです。クロノスケ殿は魔力を纏っておられませんし……」

「魔力があったら、魔素みたいに見えるんですか?」

「はい、同じく覚慧で可視化されます」

「……うーん、確かにそれらしきものはなさそうですね。にしても、どうして私は魔素を吸収できるんでしょうか」

「本当に、何故でしょうね……もう一つ妙なのは、魔族は魔力を消費しないと法力が出せないという点です。通常、回復を行うには治癒魔法を使わねばなりません」

「さっき魔法に魔素が活用されると言っていましたけど、そういうことですか」

「はい。ですが、クロノスケ殿が魔法を使った形跡はありませんでした」

「も、もちろん使ってないですよ。そもそも、使い方がわかりませんし……」

「心得ております。気づいた時には、もう回復していたわけですからね」

「そうなんですよ……あの、すみません。いま聞いたお話について、私の認識に間違っているところがないか確認していただいてもいいでしょうか」

「ええ、喜んで」

「ありがとうございます。まず仮に私が魔族だったとして、体を回復したいと思ったら治癒魔法なるものを使わなければいけないと。で、そのためには周りの魔素を自分の意思で取り込んで、魔力、いわゆる生命エネルギーに変換する必要がある……合っているでしょうか?」

「はい、相違ありません。そうした魔族の特性を踏まえて、貴方という存在を改めて客観視しますと――」


羅摩の分析はこうだ。

クロノスケは覚慧の施しを受けてから初めて、魔素を目撃している。

当然、能動的に魔素を取り込むなどといった芸当は知る由もなかったはずだ。

要するに、魔素の吸収反応は起きていた。

これは、魔族とは明確に異なっている部分である。

また、魔素が取り込まれる場所は本来、人も魔族も全身というのは共通のようだ。

ところが、此度は傷口に絞って流れる動きが観測された。

こちらは人および魔族とも異なった現象であり、謎が謎を呼んでいる。

さらに、クロノスケには魔力変換が見られない。

つまり傷が魔素のみで完治した可能性があるのだ。

考察を進めるほど、常識との矛盾が多すぎて収拾がつかなくなってくる。


「ただ、クロノスケ殿と魔族の間には一つだけ共通点があります」

「共通点……あれですか。吸収方法や使い道はともかく、根本的には魔素を糧にしてそうなところですかね」

「仰る通りです。しかしながら、貴方の体は神通力を拒まず無事に効果も得ておりました。もしどこかに魔素を溜め込んでいるのであれば、何らかの変調が起きていてもおかしくないはず……」

「もう、何が何やらですね」

「はい……一任された手前で不甲斐ないですが、ホウゲン様にはどう説明したものか……」

「そういえば、あの人が妙なことを言っていた、という話から始まったんでしたね。妙なことって結局、なんだったんですか?」

「貴方には治癒魔法が効かなかったそうでして。魔族ならば即座に回復、人族ならば汚染が起こって然るべきなのですが、クロノスケ殿はそのどちらも見られず、最終的にわたしの神通力で回復されていました。……魔素を可視化すれば解明の手掛かりを得られると思ったのですが、一筋縄ではいかないようです」

「何だか、とんだ厄介事を持ち込んだみたいですみません…………あれ? あの時って羅摩さんに助けてもらってたんですか?」

「ええ、結果的には。でも貴方をお救いしようと動かれていたのは、ホウゲン様も同じですよ」

「そうだったんですか……お礼を言うのが遅れてしまって、重ねて申し訳ありません。この度は助けていただいて、ありがとうございました」

「とんでもございません。お力になれたようで、わたしも嬉しいです」

(……後で、あの人にもお礼を言わないとな)


クロノスケはふと思った。

もし二人に救済の意思がなければ、自分は今ごろ――。

考えても仕方がないのはわかっているが、つい想像してしまう。

そして彼は、もう一つのあり得た未来についても気づく。

羅摩が言うには、治癒魔法は人族に当たると汚染が起きるようだ。

たとえ治癒目的であっても、内包する魔素の性質に変わりはないのだろう。

つまりクロノスケは、かなり危ない橋を渡っていたとも換言できる。


「……ちなみにそのホウゲンさんなんですけど、治癒魔法を使ったのって、最初に私が魔族だと判断した……ってことですよね?」

「これは失礼しました、説明が抜けておりましたね。まず、あの方自身が魔族でいらっしゃいまして」

「そ、そうなんですか」

「はい。魔族は魔素が常に可視化されているのです。おそらくホウゲン様は、貴方の周りで魔素が消えずに停滞している――つまり守護がなく、かつ汚染が起きていない様子を見て、そのように判断したのだと思われます。魔力がなかったのも、瀕死で枯渇しているように見えたのかもしれません」

「なるほど……この体、随分と変な体質みたいですけど。汚染されずに済んだのは運がよかったんですね」

「……危険があったのは事実です。わたしが付いていながら、誠に申し訳ございませんでした。ただ、万が一の時はわたしに神通力で対処させる前提だったのでしょう。ホウゲン様は魔族ですが、悪意に自我を委ねて蛮行を働くような方ではありません。どうかご寛恕のほど……」


深々と頭を下げられ、クロノスケはたじろいだ。

確かに、全く思うところがないわけではない。

でも、ホウゲンの行動は常識的かつ合理的な範囲だったのだろう。

二の矢が用意されていたなら、なおさら咎める気にはならない。


「あー、別に責めているわけではないんです。むしろ、あの人は自分を助けてくれようとしたんですよね? 今はこうしてピンピンしているわけですし、結果オーライといいますか。感謝こそすれ、恨んだりはしません」

「…………」

「ど、どうかしましたか?」

「……いえ、寛大な御心、感謝いたします。やはりあなたはお優しい方ですね」


穏やかな口調で、羅摩がそう言った直後である。

彼女は急に、再び左耳に手を当てた。

おそらくホウゲンから連絡が来たものと思われる。

クロノスケは邪魔しないよう、咄嗟に横を向いて待機した。

ところが二言三言を話すと、羅摩はこちらの耳元に向かって手を伸ばしてくる。

何事かと身構えているうちに、彼の頭をあたたかい光が包み込んだ。

すぐに、脳内に声が響き渡る。


『聞こえるか』

「え、これって……」

「ホウゲン様に、会話を共有する許可をいただいたのです」

「は、はぁ。またすごい力ですね」

『それで、どうだった』

「はい、実は――」


ここまでに行ってきた幾つかの実験と検証。

その内容について、羅摩は掻い摘んで説明した。

過程と結果だけでなく、推論も交えての要約。

彼が人族である可能性のみ、少し強調されていたかもしれない。


『――結局、得体は知れぬままというわけか』

「申し訳ございません。もう少し時間があれば……」

『無害ならば、そう急く必要もあるまい。引き続き、その者の処遇はお前に任せておく』

「承知しました」

『さて、奴らは既に城内だ。まだ四半刻はあろうが、そろそろ大広間に向かうぞ』


話題が打って変わった。

例の客人が迫っている情況が窺える。

残念だが、ここまでのようである。

クロノスケには知りたいことがまだ沢山あった。

とはいえ、既に羅摩には多くの知識を与えてもらっている。

そろそろ自発的に対話を切り上げるべき頃合いだろう。


「時間切れですかね。私は大丈夫ですので、そちらを優先してください。色々と教えていただいて、ありがとうございました」

「どういたしまして」

「ホウゲンさんも、ありがとうございます。私が倒れていた時に、助けていただいたと伺いました」

『……確かに魔族ではなさそうだな』

「え?」

『お前に悪意がないことはわかった。しかし不審なことに変わりはない。妙な真似はするなよ』

「は、はい、大人しくしてます」

「ではホウゲン様、追って大広間に伺いますね。失礼します」


脳内を通じて繰り広げられていた会話が終わる。

釘を刺されてしまったが、元よりクロノスケは本調子ではない。

今は闇雲に動き回らず、得られた情報の吟味を行いたいところだ。

この場での待機を申し出る彼に対して、羅摩は心配そうに答えた。


「出過ぎたことを申し上げますが、クロノスケ殿は如何せん特異な体質をお持ちなわけですから、今後、予想もつかない事態に陥るかもしれません。わたしが近くにいた方が安全かと存じますので、不調のところ無理強いするようで心苦しいのですが……ひとまず、ご同行いただければと考えております」

「そう言われると、その通りですね……わかりました。お手数ですがお願いします」

「ありがとうございます。あちらの転移陣から大広間の方へ移動できますので、早速参りましょう」


羅摩が指差す方を見る。

御神刀を回収した転移陣とは反対側の壁だ。

そこにも、やはりあの奇妙な紋様が描かれている。

クロノスケは立ち上がると、彼女に続いてそれを潜った。

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