第14話 早耳大臣

 暇である。よわい七十を過ぎたこの私でさえ暇を感じているのだ、今年十五になったばかりの国王陛下には、本日は退屈極まりない一日であらせられよう。


 陛下は昼の食事を摂られてからずっと玉座にいらっしゃるのだが、仕事らしい仕事がない。いつもならば紙に名前を書いたり、「よきに計らえ」と言ったりするくらいはやることがあるのに、今日は本当に何もない。これなら玉座にある必要などないだろうと陛下がお考えになっても無理はあるまい。


 実際陛下の端正な表情に映る苛立ちは、そろそろ限界を迎えようとしているかに見受けられる。


「内務大臣、今日はもう休んでよいか」


 陛下のお言葉に私は椅子から立ち上がり、白髪頭を振りながらこう述べた。


「恐れながら陛下に申し上げます。本日はいまだお休みあそばす時刻にはあらせられませぬよし


 まったく我ながらよく舌を嚙まないものだと思う。陛下には「舌を噛め」と思われているのやも知れぬが。


 陛下は苛立いらだたしげに大きなため息をつかれた。


「しかしちんがここに座る意味がなかろう。そなたがすべて代わりにやっても何も変わらんではないか」


「滅相もございません。そのような暴挙が許されましょうや。もしこの話が噂であってもちまたに流れようものなら、他の王侯貴族が黙っておりますまい。このしわ首が飛ぶくらいは我慢も納得もいたしますが、陛下の御身にさえ危険が及ぶのですぞ」


 大臣程度からこのように言われてわめき散らすような堪え性のない王なら忠誠を尽くす価値もない。だが陛下はそうではなかった。背中を玉座に押し付けそっぽを向きはしたが、それ以上みっともない真似はされない。己の立場を理解されているのだ。


 そんな陛下の口からこんな言葉が出てきたのは、決して意外ではない。


「早耳大臣を呼べ」


「早耳? ああ、ハーマンでございますか」


「そうだ。どうせすることがないのなら、市井しせいの話でも聞きたい。それくらいは構わんだろう」


 それは貴族たちによって市井から切り離された陛下のせめてもの抵抗であらせられよう。私は玉座の間の入口に立つ侍従に向かってこう告げた。


「貴族議会議長ハーマン・ヘットルトを呼べ」




 本来年始や祭事の際にのみ着用すれば良いはずの、見ようによっては道化にすら見える貴族議会議長の正装を毎日四六時中着ている男、それがハーマン・ヘットルトである。


 もちろん貴族議会議長の席には権威があり、相応の権力者ではあるものの、彼がその席を射止めた背景には各派閥から一様に距離を置いていることがあった。と言えば聞こえはいいのだが、要はどの派閥からも招かれず、さりとて大臣になる器でもない、歳ばかり食った貴族議員に面倒ごとを押し付けた結果が議長職なのである。


 しかしハーマンは議長に選ばれたことがよほど嬉しかったのだろう、正装を常に身に着けるようになった。


 ただしハーマンは可哀想な男ではない。議会運営の手腕は可もなく不可もなしであったが、元より市井の情報に通じていたのが議長の権限を得たためにより顕著となり、政治向きの話はともかく、世間の事情ならハーマンに聞けば良いとの評価を国王陛下からたまわっているのだ。


 派閥の力学に汲々としている貴族たちも、ハーマンが陛下に近づくことは警戒していない。そういう意味ではまこと稀有な存在と言える。


「これはこれは国王陛下、ご機嫌うるわしゅう」


 頭の先から出ているのかと思うような甲高い声で、ハーマン・ヘットルトはうやうやしく挨拶した。


「よく参った早耳。忙しいところを呼び立てて済まぬ」


「何をおっしゃいますか陛下、このハーマンにとって陛下のお声かけに勝る仕事などございません」


 それはそれで困った話と思えなくもないのだが、そこは口を挟むところではないだろう。


「ハーマン殿、陛下は昨今の市井の事情についてご興味がおありだ。ご説明いただけるかな」


 私の言葉にハーマン・ヘットルトは大きくうなずく。


「もちろんもちろん。このハーマンめが陛下のお役に立てることなど他にございませんからな。しかしさてさて、陛下はいま市井の何についてご興味をお持ちでしょうか。女子供の服装、流行りの食べ物、地方の土産物など様々ございますが」


 すると国王陛下は身を乗り出してこうおっしゃられた。


「何か変わった話はないか。普段あまり聞かぬようなおかしな話は」


「おかしな話ですか。ふむふむこれはいささか難しい。変わったと申し上げてよろしいかどうかはわかりませんが、先般のこと、帝国ギルミアスより参った使節が盗賊に襲撃される事件がございました」


 陛下の目が丸くなる。おそらく外務担当からは何も聞かされていないのだろう。私も管轄違いのことまでお耳には入れていない。


「そんなことがあったのか」


 これは私への問い。陛下の政治に触れる機会を可能な限り削りたい貴族たちの思惑に反することだが、もはや知らぬ顔もできまい。後々の反発を覚悟しつつ私は白髪頭を下げた。


「はい、ございました」


「それで。ハーマン続けよ」


 陛下のお言葉に、ハーマンもうなずく。


「はい、襲撃事件はいまその地リアマールを領有しております侯爵グリムナントが捜査し、帝国との折衝に当たっているのですが、そのリアマールには公爵ハースガルド家の屋敷がございまして」


「ハースガルドといえば古い公爵家だな」


 ハースガルド家は領地と公職を国に返上し、リアマールに引きこもっている。まだ王都の屋敷はあるはずだが、出てくることは滅多にない。各地に小さな村をいくつか飛び地領として保有はしているものの、財政的に豊かではないと思われる。いわゆる大貴族ではないため、陛下はほとんどご存じないだろう。名前をご存じであっただけで驚きだ。


「そのハースガルド家の屋敷の離れに、近頃近隣より人々が集まっております。下々の者から、ときには貴族までやって来るとか」


 ハーマンの言葉に陛下は引き込まれていらっしゃるようだ。


「ほう、何かあるのか」


「はい、実は三か月ほど前からその離れに、若い占い師が住まっておりますそうで」


「占い師?」


「噂によればこの占い師が、それはもう大変によく当たるとのこと。リアマールでの評判がわずかながら王都にまで届いております。しかも侯爵グリムナントが先の使節襲撃の件で、この占い師を呼び寄せたという噂までございまして」


「侯爵が外交を占い師に頼るというのか」


「さてさて、これは噂に過ぎませぬ由、本当のところはわかりかねます。されど、さもありなんと市井の人々が噂するほどの評判を、この占い師が得ているのは事実かと存じます」


 確かに面白い話ではある。しかし同時に面白くない話でもある。古来より権力者が占い師に判断を仰いだ例は数多あまたあり、そしてそのどれもこれもろくな結果にはなっていないのだ。もしこの噂が事実なら、グリムナントもハースガルドも先は長くないかも知れない。


「内務大臣」


 陛下は目を輝かせて私を見た。


「朕はその占い師に会ってみたい」


「はぁ? そ、そのような無茶をおっしゃられてはなりませぬぞ陛下!」


「何故だ。そんなに人に会うのが難しいのか」


「王位とは神聖にして不可侵なお立場でございます。貴族や外交使節ならともかく、どこの馬の骨とも知れぬ占い師などに国王陛下がご引見あそばすなど前代未聞、許されるはずなどございません! そもそも」


「わかったわかった。貴族どもがうるさいと申すのだろう、もうわかった、みなまで言うな」


 陛下は腹立たしげに手をひらひらと振られた。しかしこればかりは、いかに陛下に嫌われようと認める訳には行かないのだ。陛下が願望や要望を口や態度に出し、人格を主張などすれば、大貴族たちは平然と首を挿げ替えようとするに違いない。たとえ傀儡かいらい王政と呼ばれようとも、静かに穏便に過ごしていただくことこそ陛下の御為おんため


「やれやれ、朕は籠の中の鳥であるな」


 陛下のつぶやきは年寄りの胸にこたえる。だが私の目の黒いうちは、陛下を決して危険にはさらさない。何としてもだ。

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