第13話 この身に換えても

 リメレ村のガナン村長は、末弟のジャンゴを使者として先般の申し出についての返答を寄越した。内容を簡単に言えば、我がハースガルド家の屋敷で会談の場を設けるのであれば、参加しても良いとの返事だ。随分と譲歩した印象がある。


 ただ、譲歩した事実を間違えて取り扱えば大変なことになる。


 ガナン村長が自発的に譲歩したのは、それほどまでに領主との確執を解消したいという弱みを見せた訳では決してない。先に譲歩を見せたのは、これが限界であるとの主張をはらんでいる。つまり、これ以上一切の譲歩は不可能であり、相手方が譲歩しないのであれば交渉は決裂するという一方的な宣言とも取れるのだ。


 さすが二十五年も領主を相手に回して村民を結束させてきた辣腕らつわん、とてもとても一筋縄では行かない。


「どう思う」


 昼食の席で占い師に問えば、相手は肉団子をパクパク口に放り込みながら笑う。


「恐れながら申し上げると、こないだのご領主様の返答に比べて頭のキレが違いますね。いかにも手強いという感じです」


 と、まったく恐れた様子もなく言ってのけた。


「もし領主と村長を二人で会わせたらどうなる」


「そりゃあご領主様がコテンパンにやられるでしょう。旦那様としてはそれはマズいとお考えなのですよね」


「うむ。もし村長に面目を潰されれば、グリムナントは今度こそ苛烈な弾圧に出るかも知れない。それだけはさせてはならん。何か良い知恵はないか」


 すると果物にかぶりついていたタクミ・カワヤは笑顔のままで首を振った。


「占い師は見えるものを見るだけですから知恵はありませんよ」


 この言い方が頭にカチンとくる。


「未来が本当に見えるのなら、それに基づく助言の一つくらいはあるだろう」


「助言ですかあ」


「交渉の場にはおまえも参加するのだぞ、少しは真剣に考えろ」


「なら旦那様に助言を一つ。ご領主様の面目を潰さないのも大事ですが、面目を潰されるくらいはどうでもよくなる程度の混乱を引き起こすという手もあります。ちょっとズルい交渉術ですけどね」


 それはいささか意外な答だった。交渉の場であえて混乱を引き起こせというのか。


「いったいどのように混乱させろと」


「まずは旦那様が帝国貴族に顔が利くとか言ってみることです」


「顔が利くほどの知り合いはおらんぞ」


「いやだなあ、何も本当のことを正直に言う必要はないんですよ。あくまでも交渉術の一環なんですから」


「嘘をつけと言うのか」


「嘘をつく必要はありません。この間話した帝国貴族の件、あれはどうなりましたか」


「すでに書簡は送っているが、返事はいつになるかわからん」


 私がそう答えると、占い師はしばしこちらを見つめた。


「どうした」


「……書簡の返事は明日にも届きますね。交渉の場でこの返信の内容について世間話のように取り上げてみてください」


 また未来を見たのか。信用できない部分はまだ心の中にあるものの、経験則で考えるなら現実はそのように動くはずだ。しかし、だからといって。


「腹芸は苦手だ」


 肚の内に思惑を抱えたままで、それに沿って会話を導くなど自分にはできそうにない。だが黒髪の占い師は言う。


「難しいことを考えなくてもいいんです。旦那様には公爵の立場があり、普段の言動の積み重ねもあります。つまり言葉に説得力がある訳ですから、言うべきことさえ言えば、あとは周りが勝手に都合よく解釈してくれます」


「あのなあ、人間がそうそう思い通りに動いてくれる訳がないだろう」


「それが案外上手く行くかもしれませんよ」


 占い師はまた肉団子を口に放り込み、満足そうな笑顔を見せた。いったいどこまで信じて良いのやら。


 とは言え、これも一つの案としては考慮すべきだろう。私の性格的に、そのまま実行するのは不可能に近いが。



◇ ◇ ◇



 ドアをノックしたが返事がない。ご寝室なら躊躇ちゅうちょするところだが、ここは執務室。仕事に忙殺されているだけならともかく、何か異変が起きていないとも限らない。こういうことがあり得るから侍女を置いていただきたいのだが、カリアナ・レンバルト閣下は変なところが頑固で困る。


 ただでさえ閣下が女性であることで肩身の狭い思いをされているのに、侍女や執事が行うような仕事を騎士団長の私がしている現状を揶揄やゆする向きもあるらしい。閣下のお立場にも関わることでもあり、決して財政的に困窮している訳でもないのだから使用人を雇うべきであるとご意見申し上げてはいるものの、閣下は私以外の者に身の回りの世話を焼かれるのを嫌う。子供の頃からずっと。


 それは家臣として嬉しくない訳ではない。騎士として他の貴族から誘いを受けたことも幾度かあるが、それをすべて断ったのは閣下を放っておけなかったからだ。無論それだけではなく、カリアナ閣下は己の主人として誇りに思える人物であり、つかえ甲斐があるのも事実。ただ御年四十近くになったいまでも子供のような純真さを隠さない。そのまっすぐ過ぎる正義感は家臣として冷や汗をかくことも珍しくないのだ。できればもう少し大人になっていただきたいところ。


「失礼いたします」


 ドアを開ければカリアナ閣下は部屋の真ん中で椅子に座り、手紙を手にぼうっとした顔で虚空を見つめていた。


 手紙の主は隣国シャナン王国の公爵エブンド・ハースガルド。公爵とは名ばかりの、田舎暮らしの貧乏貴族である。しかしカリアナ閣下にとっては若き日の思い出の人、留学先で出会った人生最初で最後の恋の相手だ。


「伯爵閣下」


 すぐ隣に立った私の声に、閣下はようやく顔を上げる。


「ああ、ザインク。ごめんなさい、少しぼうっとしていたようです」


「いささか根を詰め過ぎではございませんか」


 閣下は手紙を折りたたみ、封筒に戻した。この姿をもう何度見ただろう。


「ねえザインク」


「はい閣下」


 そしてこれまた何度もたずねられた問いを繰り返すのだ。


「私の出した手紙はもう着いたでしょうか」


「通常であれば明日頃には届くのではないかと」


「そう」


 うつむいて小さなため息をつくのまで同じ。


 ただ今回は少し違った。閣下はこうおっしゃったのだ。


「ボイディア卿の影響が王国にも広がっているという話、どう思います」


 私を見つめるその目は、いつもの閣下だ。


「十分にあり得ることだと存じます」


 その回答に満足そうな笑みを浮かべると、閣下はこう続けられた。


「あなたは私に大人になってほしいのだろうけど、この件に関してはそうは参りません。どれほど子供じみていると言われたところで、後に引く気はないのです。曲がりなりにも落ちぶれ果てても、私は帝国貴族。皇帝陛下の剣にならねば」


 その瞳に燃える炎が私を照らす。やれやれ、やはりこの方にはかなわない。仕方ない、あなたが皇帝陛下の剣となられるのなら、私はあなたの盾となりましょう。たとえこの身に換えても。

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