第12話 帝国貴族

 また少し夕食に遅れてやってきた占い師が何かを言う前に、私はたずねるべきことを先にたずねた。


「貴族の息子を護衛に雇ったそうだな」


「ええ、バストーリア家をご存じですか」


 相変わらず悪びれもせず物怖じも見せずにタクミ・カワヤは言う。バストーリアの名は知っていた。


「古い子爵の家系だ。規模は小さい。ハースガルド家も余所のことは言えんが、まあいわゆる『名ばかり貴族』と言えるだろう。だがそれでも貴族は貴族、農閑期に村人を雇うような訳には行かんぞ」


「その辺のややこしいことは旦那様にお任せするとして」


「おい」


「帝国の貴族でカンドラス男爵家をご存じでしょうか」


 この問いがどれほど微妙な問題をはらんでいるのかわかっているのか、この占い師は。いや、わかっているのだろう。わかっていながらこうも平然とたずねているのだ。それが何とも腹立たしい。


「知らん。そもそも歴史的に王国の貴族は帝国貴族と交流を持つ者が少ないのだ」


「おや、旦那様も帝国貴族に知り合いがまったくおられないと」


 明らかにこちらの回答を予想した上でたずねている。この小僧だけは。


「……まったくいないとは言わん」


「ではその方にたずねていただけませんか」


「何故そんなことをせねばならん! だいたいいまがどれほど難しいときか理解しておらんのか。先般の使節団襲撃事件があってからこちら、王国と帝国の間に緊張感が高まっているのだぞ。そんな中、曲がりなりにも王国の公爵家が帝国貴族に頼みごとをするなど」


「国民感情が許さない?」


「そうだ」


 やはりわかった上でたずねているのだ。何とも悪質極まりない。しかし黒髪の占い師は遠慮などすることもなく、こう言ってのけた。


「これは王国だけではなく、帝国の治安にも関わる話なのですけどねえ。ひいては両国の国際関係にも資することなのですが、そうですか、おたずねいただけませんか、困ったなあ」


「お、おまえなぁっ!」



◇ ◇ ◇



「伯爵閣下」


 いつものように慇懃いんぎんに、ザインクが執務室にやってきた。その堅苦しい歩き方に私は苦笑するしかない。


「何度も言っているでしょう、ザインク。他の者がいないときにはカリアナと呼びなさいと」


「はっ、申し訳ございません、カリアナ閣下」


「それでは意味がありません」


 ここまで慇懃だと逆に無礼と言いたくなるが、ザインクにそんなつもりがないのはわかりきっている。赤ん坊の頃からの付き合い、ずっと一緒に育ってきた幼馴染。私が女だてらに伯爵家を継承して、いまだに帝国貴族たりえているのは騎士団長のザインクがいてくれてこそなのだ。


「それで、何かわかりましたか」


「はい、現在領内の監獄に囚われている者たちを問い質しましたところ、カンドラス男爵を知っていると回答した者は一人もおりませんでした」


「……そうですか。良い観点だと思ったのですが」


 帝国貴族の中でボイディア・カンドラス男爵は、この三か月ほどの間に急速に影響力を高めている。しかし一方で裏社会とのつながりを噂する声も絶えない。犯罪のことは犯罪者に問えばわかるのではと思ったのだが、やはり安直に過ぎたか。


 けれどザインクの話はそれで終わりではなかった。


「そこで僭越せんえつながら質問内容を変更してみました」


「変更? どのように」


「はっ、ボイディア卿の悪い噂を教えてくれた者は減刑すると」


「そんなことをしたら、ありもしない悪口雑言を捏造ねつぞうして話す者だらけになるではありませんか」


 そう、普通に考えてそうなる以外の結果は想定できない。だが続くザインクの言葉に私は声を失った。


「ところが、ボイディア卿の悪口を申告した者は一人もおりませんでした」


「……一人も?」


「はい、一人もです」


「それは、つまり」


「つまり監獄に囚われている者の、過少に見積もっても大半はボイディア卿のことを知っており、その影響力を恐れております」


「しかし、しかし監獄には何年も囚われている者が多数いるはずです。ボイディア卿が台頭したのはこのせいぜい三か月ですよ」


「カリアナ閣下」


 いつも生真面目な顔のザインクだったが、このときはいつも以上に深刻な表情が見て取れた。


「監獄の中にも決まり事はあり、それは外の世界の力関係を反映するものです。ボイディア卿が外の世界で裏社会の実力者を傘下に加えたか、もしくは叩き潰した場合、その事実は監獄の中にも影響を与えるでしょう」


 それはすなわち、ボイディア・カンドラス男爵がこの帝国の裏社会においてすでに確固たる地位を築いているということだ。そのボイディアがいま貴族の間でもてはやされている。保守穏健派から急進改革派まで、さまざまな勢力が彼を取り込もうと接触を図っているのだ。


「ザインク」


「はっ」


「もしここでボイディア卿を糾弾する者が現れたとして、我が帝国はどう動くと思いますか」


「恐れながら、男爵を排除する動きにはならないと存じます」


「なりませんか」


「嫉妬に狂った、あるいは王国に内通している裏切者などと指弾されることでしょう」


 妥当な指摘だと思う。壁にかかった肖像画は何も言わないが、これが亡くなった父が最後まで愛した我が帝国の現状なのだ。


「ごめんなさいザインク、しばらく一人で考えさせて」


「はっ」


 ザインクはいつものように慇懃に一礼すると、きびすを返して部屋を出て行った。


 ああ、零落れいらくする我が母国を前にして、この身にできることは何もないのだろうか。私には本当に何の力もないというのか。もしあの人がいまここにいたら何と言うだろう。それは考えても詮無いことなのだろうけれど。


 エブンド。エブンド・ハースガルド。

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