【第二十三話】魔法原理! 正しい魔力と魔法の力……?!


 ジェシアの血を使い、全ての魔女の魔力消失を目論む城。

 その野望を阻止することを決意した近藤たちと、それに協力することを誓ったラッド・ネアとユージ。

 五人は各々三手に別れて作戦に取りかかった。

 なんとかジェシアを奪還したは良いものの、女王・ジュベルに阻まれ、近藤は、致命傷を負ってしまう。

 近藤の命は残りわずか。

 ジュベルを倒す鍵となるのは、“魔法を際限なく使う方法”。そのカラクリについて考えていた近藤。

 しかし、中々答えには辿り着かない。

 そんな中、近藤の死期が近いことを悟ったアピトが、強引に契約をしようと迫ってくる。

 抵抗していた近藤だが、ついに喉が裂けてしまった。



「そうか。もう、抵抗する術はないのか」


 確かにそう聞こえた。

 一瞬、何を言っているのか本当に理解できなかった。


 嘘だろ?


 ようやく理解した時、頭の奥が強く痛んだ。

 こんなに説得して、血反吐まで吐いて伝えた気持ちはなんだったんだ?

 そう思ったところで、今の近藤には、ただアピトを睨むことしか出来ない。


「なぁ……そんな顔しないでくれよ」


 アピトは情けなく笑った。


「私だって、君と生きたいんだ」


 アピトは近藤の首に手を掛ける。

 細い指の感覚が、皮一枚を挟んでありありと伝わってきた。


「こんな、こんなになって……」


 近藤の頬に涙が落ちた。

 ツンとした塩の匂いが、頬にへばりついた血を洗い流していく。


 あぁ、やっぱり、俺はこいつの涙に弱い。


 何を思うよりも先にそう思った。

 涙は近藤の頬を伝い、シーツへと流れていく。


「……ごめん」


 その言葉は自然と口から溢れ落ちた。

 そう。

 ごく自然に。


「は?」


「え?」


 喉が、痛くない。

 頭の痛みも体のダルさも消えている。


「……これ」


「治癒魔法かっ!」


 近藤は思わず叫んでいた。


「コンドウ! もう喋るな!」


 アピトが慌てて口を塞ごうとする。が、近藤はその手を止めた。


「その必要はねぇ」


 アピトは見るからに嫌そうな顔をする。

 その表情から、近藤はアピトの言いたいことを察した。


「ちげぇよ。俺に自傷癖はねぇ」


 近藤はそう言うと頬の血を拭った。


「何しようがまたぶっ壊れる。息止めない限りな」


「息……?」


 アピトは大きな目をさらに大きくして聞き返した。


「ど、どういうことだ?」


 その問いに答えてやることは出来なかった。

 口の端から笑い声が漏れる。

 ダメだ。我慢できない。


「あーなるほどなぁ!」


 近藤はたかが外れたようにゲラゲラと笑った。

 そりゃもうアピトが引くくらいに笑った。笑わずにはいられなかった。


 分かった!


 分かったのだ!


 "魔法"のことが!


 "魔力"のことが!


 この"世界"のことが!


 何もかも"嘘"だらけということが、全て分かったのだ。

 これを笑わずにいろなんて無理な話だった。

 近藤は散々笑うとアピトの方を見た。


「アピト、皆と勉強するか? それとも、特別レッスンが良い?」


「べ、ん? え?」


 アピトは近藤の情緒についていけず混乱しているようだ。

 まぁ、どうであれ、アピトには全てを理解して貰わなきゃならない。


「と、特別……レッスン」


「オッケー。ちゃんとついてこいよ」


 近藤はそう言うと体を起こした。おぉ、体力も結構回復してるな。


「まず、この世界の魔法の原理、知ってるよな?」


 アピトは自信なさげに頷く。散々教えてやったろ。そこは自信を持て。


「魔女が魔法を使うには悪魔から魔力を貰わなければならんってやつか?」


「そうそう」


 分かってんじゃねぇか。

 魔女は魔力を持っておらず、悪魔から供給される魔力を変化させることで魔法を産み出す。

 つまり、魔力は魔女を通すことで魔法になるっつーことだ。


「でもな、それ"嘘"だったんだよ」


「へ? 嘘?」


 アピトはすっとんきょうな声で聞き返す。これだけ反応が良いと気分も上がるな。


「そう。悪魔に魔力はねぇし、魔法の原理もてんで違う」


 アピトが凄い顔をしているが、安心してくれ。順を追って話してやる。


「まず最大の謎から手をつけるか」


 最大の謎なんてもったいぶって言ったが、かなり身近な話題だ。


 近藤の体について。


 悪魔から魔力を吸収するってことは、この世界には魔力がないということだ。

 なら、なぜ近藤は魔力に侵され続けていたのか。

 結論は簡単。


「この世界は魔力で満ちてんだ」


「ちょ、ちょっと待ってくれ」


 と、アピト。

 もう既にリタイアしたそうな顔でこちらを見ている。もうちょい頑張ろうな。

 アピトの言いたいことはよく分かる。現に近藤もそれについてはめちゃくちゃ悩んでいた。


 魔力で満ちた世界で魔法が使えないのはなぜか。


 それについてもちゃんと説明するが、その前に、"正しい魔法の原理"について理解して貰う。


「正しい魔法の原理ぃ?」


「難しくねぇから」


 魔法の原理については、アピトの治癒魔法のお陰でよく分かった。


 あの治癒魔法は火事場の馬鹿力なんかではない。

 あの時以上に感情が高ぶっているときもあったわけだし、他にも治癒魔法が発動するタイミングは死ぬほどあった。


 なんなら、多田野……いや、ジェシアとの戦闘において、あんな瀕死の状態で防御反応が出ないことが可笑しい。


 では、どうしてあのタイミングで治癒魔法が発動したのか。

 あの時とそれ以外での明らかな違いは、"近藤の血"だ。


「君の、血?」


 近藤は頷く。

 別に近藤の血がどこぞの血液のように特別な力があると言ってるわけではない。

 まず、この世界の大気中には魔力が溢れており、近藤には魔力がないということは認めて貰おう。


 そうすると、こんな風に考えられる。


 魔力のない近藤の血が外に出ることによって、近藤の周りの魔力が下がり、アピトの治癒魔法の補助的な役割をした。


 この世界の魔法の原理を無視するなら、特に変な話じゃないだろう。

 じゃあ、なぜ近藤の周りの魔力が下がると、アピトの治癒魔法の補助的な役割を果たすのか。


 魔力が動いたからだ。


 大体の物質は密度の高いところから低いところへ移動する。満員電車の中だって同じだろ?


 魔力も同じ。


 高いところから低いところへと流れていく。

 そしてその"動き"によって"魔法"が生み出される。


「ついてきてるか?」


「なんとか……」


「要するに、魔力の動きによって魔法が生まれるっつーことだな」


「魔力の、動き」


 そう考えると色々と都合がいい。

 まず、近藤の喉。

 これは間違いなく魔力にやられた。

 最初は喋りすぎた、つまり、喉を使いすぎたせいかと思ったがそうではなかった。


 もし、喉を使いすぎたせいなら喉の筋肉がやられるはず。しかし、近藤は血を吐き出した。まぁ要するに喉の中、気管が切れたということだ。


 何が言いたいかって?


 気管が切れたということは、近藤が吸い込んでるこの空気の中に魔力が混ざっていると言える。


 じゃあ、魔力に満ちたこの世界で魔法が使えない理由はなにか?

 もう既に察した奴もいるかも知れないが、外にギチギチに魔力が詰まっていれば、魔力は体の外へ流れていかない。


 浸透圧、というのが近いかも知れない。


 浸透圧ってのは、雑に言えば水を引っ張る力のことだ。

 例えば、水の中に血を垂らすと、血は広がる。逆に、食塩水の中に血を垂らすと、血はぎゅっと小さくなる。

 これが浸透圧だ。疑り深い奴は実験してみろ。


 血液の周りにある液体の濃度が薄いと、血液の中に、外の水分が入り込んで、膨張する。

 一方で、血液の周りにある液体の濃度が濃いと、血液の中の水分が外へ漏れ出て、血液が縮小する。


 これと同じことが魔力でも起こっているのだ。


 要するに、外に魔力が詰まっていれば、魔力は中に入り込む。

 つまり、魔力は外に向かって流れない。

 そうなれば当然、魔法は使えない。


 悪魔から魔力を吸収していると思っていたアレは、魔力のないものを"摂取"して、魔力を動かすスペースを作っていた、ということだ。


 あぁ、そうそう。

 アピトが魔法を使えることについては、アピトの保持できる魔力の量が馬鹿ほどに高くって、中から外に魔力が流れ出ていると考えれば、説明がつくだろう。


「そうか……」


「ついでに魔力の話でもしておくか」


 恐らく、体の外にある魔力は体の中にある魔力と多少違うものだろう。


 外にある魔力は風や人の移動なんかで常に動いているのにも関わらず、魔法は使えないのだから、そう思って間違いはないはずだ。


 まぁ、フツーに考えて全く別の物質ってことはない。大方、外の魔力は扱いにくい魔力ってとこか。


 扱えないとはっきり言わないのは、ユギルやラッド・ネアが居るから。

 あいつらの使う魔法はアピトやその他の魔女とはかなり違う。

 反射魔法や世界のものを監視する魔法、"広範囲かつ威力的だが種類の少ない魔法"だ。


 しかも、あの魔法は自分の手元だけじゃなく、離れた場所からも産み出せる。

 つまり、自分の魔力を放出できる範囲を越えて魔法を産み出しているのだ。


 大体、あんな莫大な魔法を体内で作るのにも限度はあるし、あれらの魔法は体外にある魔力を使っているのは明白だ。

 そう考えれば、あいつらが"悪魔なし"でも魔法を使える理由にもなる。


「どこまで理解した?」


「どこまで理解してれば良い?」


「全部」


 絶望しているアピトのためにまとめてやるか。


 体の外にある魔力は魔力っちゃ魔力だが、扱いにくい魔力。

 しかし、それを魔女の体の中で操りやすい魔力に変え、"流れ"を作ることで、"魔法"を生み出せるということだ。


「なるほど……」


 で、ここからが本題だ。

 近藤の声にアピトの表情が固くなる。


 これから近藤たちはどう動くべきか。


 魔法の原理や城の嘘を暴いたところで、対抗する術がなければ意味がない。


「何か案があるのか?」


 その問いに近藤は笑みを返した。


「まずは皆を呼んでこい」



 アピトは思ったよりあっさりと近藤の言うことを聞いた。


 どっちにしろ契約は免れないかと思っていたのだが、血を吐き出したのが相当トラウマになったらしい。抵抗しようとするとすぐにファシスタたちを呼びに行った。


 ここからは作戦会議だ。


 アピト一人に話したって意味はない。と、全員を呼んだだけだったのだが……皆を連れてきたアピトは、なぜか泣いていた。


 魔力についての説明を終えた近藤は、横目でアピトの様子を伺う。

 アピトはまだ部屋の隅で静かに泣いている。

 泣かせてる原因は確実に近藤にあるのだろう。しかし、謝っても声をかけても反応はない。


 ファシスタからそっとしておくようにと言われ、作戦会議を始めた訳だが、泣き止む気配も一向にない。

 一体どうすれば良いのか、一種の気不味さを感じつつ、なにも出来ないでいる。


「あー、なんか質問あるか?」


 気になる気持ちを抑え、平然を装う。


「……そうですね」


 先頭を切って声をあげたのはファシスタであった。これで皆うーんだけだったら沈黙の時間どうしようかと思ってたよ。


「すみません……何だか、思ってもみなかったことで理解が追い付かなくって」


「そうだよなァ、ニワカには信じられないネ」


 ファシスタに続いてユージも声をあげる。

 二人ともすっかり話に集中しているようだ。意外と気にしていないのか? いや、気遣うことに慣れているだけなのかも知れない。


 さっきからベッドの血を見て叫ばしたり、アピトが泣いてると悩ましたり、苦悩続きのこの二人。

 作戦会議でもその苦悩は絶えなかった。


「魔力が、この世界に溢れてるなんて……」


「魔女サイドとしてはどうなノ?」


「……今はそれを信じるしかないようね」


 ユージに話を振られ、ラッド・ネアも口を開いた。

 その表情からは納得しているのかどうかは分からない。

 これは疑われてると思って行動した方が間違いないな。


 この際、ラッド・ネアたちに魔力の原理を納得して貰う必要はない。

 この話に関わるのは近藤たちだけ。

 ラッド・ネアたちがいくら疑っても作戦に支障はないのだ。


 とはいえ、ラッド・ネアに疑われていると思うと肩身が狭い。


「もう一回説明するか?」


「無駄ね」


 近藤の提案はばっさりと切られた。

 ラッド・ネアも理解する必要はないと察したらしい。


「そんなことより、問題はそれを元にどう動くか」


 その冷たい声に背筋が伸びる。


「考えがねぇ、訳ではねぇが」


 一編に視線が集まり、歯切れが悪くなる。

 注目されて緊張する質ではないが、今回は作戦が作戦だ。

 まぁ、言いたかないが、一回失敗してるわけだし。


「……ジュベルと同等に戦うってなったとき、ネックになるのが魔法の使用制限だ」


 ユギルの魔力砲を相殺する力。それに加えて魔法の使用も無制限。

 これは相当たちが悪い。


「ン? でもさ、近藤の話がホントなら、城の中で戦えば良いんじャナイ?」


 流石ユージ! 

 そう。こいつの言う通り、城の中は魔力が低い。

 というのも、ジュベルはアピトや他の魔女と同じ魔法を使う。

 体内の魔法を操るんだ。


 それなのに、悪魔はいらず、回数制限がない。

 となれば、怪しむべきは城の構造である。

 城の中に魔力がないと考えれば、近藤があんなに走り回れたことも説明がつく。


「つっても、問題がある」


 このまま城で戦えない理由があるのだ。

 だってそこは完全なる"敵地"。

 あの女王が、攻め込まれる可能性を考えてないとは思えない。


 現に、逃走中、ジェシアは結界が張れなくなった。


『魔法が……魔法が、“使えない”! 走るしか、ない!』


 あの時は無我夢中で何が起こったかなんて気にする余裕もなかったが、今まで使えていた魔法が、なんにもなしに使えなくなるなんて可笑しすぎる。


 恐らく、城の中の魔力はジュベルのコントロール下にある。

 ジュベルだって、自分のテリトリーで敵にホイホイと魔法を使わせてくれるほどお人好しではないだろう。


 魔女が乗り込んでくれば、城の中の魔力を上げる。

 なんなら、自分の周りだけ下げて、相手の周りだけ上げる、なんて戦法も考えられる。


「エ、ッてことは……」


「どうするんですか?!」


 仲良しだな。

 声を揃えたユージとファシスタの顔を交互に見る。


「城にある、とあるものを壊すんだ」


「とあるもの……?」


 二人揃って首をかしげるもんだから、少し笑ってしまった。


 よし。今から少し気まずい話をしよう。

 ジェシアを救いに行った時、フォーランと一緒に見つけたあのタンクについてだ。


 あのタンクには男の分身が詰まっていた。

 不思議に思わないか?

 だって、俺らの分身には魔力はない。

 なのに、なぜ集める必要があったのか。


 恐らく、あのタンクは、城の中の魔力を低くするための物だろう。

 ってことはだ。

 そのタンクを壊せば、城の魔法を制御することは出来なくなる。


「そこでなんだけど……」


 近藤は奥歯を噛み締めた。

 重たい眼球を動かす。

 視線の先は、ラッド・ネア。


「悪い。お前の力、貸してくれないか……?」


「何に?」


 目が合った。

 催促するその視線は、冷たく吐かれた言葉よりも鋭く網膜に刺さる。

 開いた口は、自然と緊張した。


「……この世界の魔力を低くする」


 ラッド・ネアのポーカーフェイスが一瞬崩れたように見えた。


「そう」


 ラッド・ネアは短く呟いた。


 もし、近藤の話を正しいとするなら、この提案はあまりにも残酷なものだった。

 ラッド・ネアもそのことは分かっているのだろう。


 この世界の魔力が低くなれば、ラッド・ネアの魔法は使えなくなる。


 反射魔法は体の外の魔力を操る魔法だ。

 つまり、この世界の魔力が低下すれば、自然と扱いにくい力になる。


 ラッド・ネアの目的はシエラルカ一人のみ。

 この世界を救う必要もなければ、その戦闘前にわざわざ自分の力を削る必要もないだろう。

 近藤はただ、ラッド・ネアの反応を待った。


「作戦はあるの?」


 しばらく待った後、返ってきた反応は思いもよらぬものだった。


「は?」


 柄が悪くなるのを咳で誤魔化し、もう一度聞き返す。


「えーと、どういうことだ?」


「タンクを壊す作戦はあるのかしら?」


「……作、戦」


 それはある。

 あるのだが、ラッド・ネアの意図がまるで見えてこない。


 作戦次第ということだろうか。

 返答に困っている近藤にしびれを切らしたのか、ラッド・ネアが再び口を開いた。


「貴方、この世界の魔力が低下したら私が魔法を使えなくなるとでも思ったのかしら?」


 ラッド・ネアは不敵に笑うと、近藤の布団を指差す。


「はい」


 ラッド・ネアの声と共に布団がふわりと宙へ浮く。


「あー、フツーの魔法も使えんのかよ……」


 近藤は得も知れぬ敗北感を抱きながら項垂れた。その上に布団がおりてくる。


「反射魔法が使えなくなっても魔法がある。魔法が消えても武闘がある。体が動かなくなれば頭脳がある。


私は一つのものに固着しないの」


 あまりにも冷静な解答に笑うしかなかった。


「ありがと。助かった」


 近藤のお礼に、ラッド・ネアは一瞥しただけだった。それだけだったが、充分だった。


「さて、こっからが本番だ」


 この世界の魔力を低くする。


 なんて言ったが、そんな簡単に出来るのか。

 まぁ、結論から言ってしまえば出来る。出来なきゃ提案しないからな。


 さっき、タンクを壊せば城の魔法は制御出来なくなると言った。

 では、その中身をぶちまければ?

 世界中の魔力が低下するのではないだろうか。


「ってことで、俺らは今からそのタンクを破壊しに行く」


「マジで?!」


 ユージは信じられないと首を振った。

 驚くのも当然だろう。こんな状態で城に乗り込みに行くのは確かに無謀だ。

 しかし、近藤にはそんな無茶苦茶な話に思えなかった。


「なぁ、アピト」


 近藤の声に、部屋が一気に静かになった。

 ファシスタやユージが、明らかに動揺していることが分かる。


「一緒に来い」


 アピトからの返事はなかった。ただ、目はしっかりとあった。

 元々、拒否させてやるつもりもない。

 きっちりとけじめを付けなければならない。

 近藤も、アピトも。


「ラッド・ネア。お前には二つ頼みたいことがある」


 近藤は、ラッド・ネアの方を向き直ると当然のように作戦会議を続けた。


「一つ、反射魔法でタンクの中身をばら蒔いて欲しい」


 静かになった部屋には近藤の声だけが響く。


「二つ、ファシスタを守ってくれ」


「ちょっと待ってください」


 近藤の言葉に半ば被さるように、ファシスタが声をあげた。


「今の状況でいけると思いますか」


 声は落ち着いていたが、その目からは敵意が簡単に読み取れる。


「アピトなら平気だ」


「コンドウに何が分かるの!」


 ファシスタは声を荒らげた。

 こんな声が出せるのかと驚くほど強い口調だった。


「行かせられない。絶対に嫌だ」


「……ファシスタ」


 あんまりにはっきり敵視されたもので、近藤は返答に迷った。

 何を言えば、ファシスタを納得させられるか、皆目見当も付かなかった。


「セーレを連れてっちゃったら、私絶対コンドウを許せない!」


「レーベル」


 ファシスタの非難を制したのは、他でもないアピトであった。

 ほんの少し前までは泣いていたというのに、その立ち姿はいつもとなんら変わりがない。


「行こうか。コンドウ」


「セーレッ」


 ファシスタはアピトを引き止めようと語気を強めたが、アピトは優しく笑うだけだった。


「レーベル、ありがとう。そして悪いね。どうしても蹴りを付けなくてはならないようだ」


「だってセーレ……!」


 そこまで言ってファシスタは口を閉じた。

 諦めたわけではない。

 ラッド・ネアが止めたのだ。

 ラッド・ネアはファシスタの前に人差し指を立て、しぃっと囁いた。


「どうしても行くのね?」


「あぁ、守らなくちゃならんからな」


「今のままでは勝機はない。覚えておいて」


 ラッド・ネアは冷たく言い放つと、早く出ていけと顎をしゃくった。


「レーベル、大丈夫だから。安心して待っているんだ」


「いや、待って! ねぇ、ラッド・ネアさんっ」


 ファシスタの抗議も虚しく、アピトの決意は揺るがない。

 アピトは近藤の手を引き、ベッドから立たせた。


「ファシスタ、悪ぃ。今だけで良い。信じてくれ」


「嫌! どうしてセーレだけこんな目に合わなきゃいけないの?! コンドウ! ねぇ! 教えてよ!」


 その声はほとんど悲鳴に近かった。

 ファシスタは、ラッド・ネアに押さえられながらもアピトの方へと手を伸ばす。


「ごめん」


「謝るくらいなら連れてかないでよ!」


 近藤は何も言えずにただ目を伏せた。

 それでも、ファシスタの嗚咽の声は聞こえてくる。


 アピトはファシスタの方を一度振り返るとすぐに部屋を後にした。

 きっとそれが正解だとは分かっているが、他の方法を考えてしまう。


「早く行って」


 ラッド・ネアに急かされ、ようやく体が動き出す。


「大嫌い!」


 部屋を出ていく直前、ファシスタの絶叫が聞こえた。


 その泣き声を背に、近藤は階段を下った。

 久しぶりに見た一階は見るも無惨に荒らされていた。


「コンドウ」


 アピトは玄関を少し抜けた先で待っていた。

 先程まで夕暮れだと思っていた外の世界は、いつの間にか夜に染まっていた。


 いつも以上に冷たい風が首筋を撫でる。


「二回、説明させてしまって悪かったね」


「どっちにしろお前にはしっかり説明しねぇとって思ってたからな」


 当たり障りのない会話でも、返す言葉を考える間が生まれる。


「……最後だな」


 そう言ったアピトの表情は分かりやすく余裕がなかった。

 まぁ、余裕がないのはお互い様か。

 近藤はふらつく足を叩いて、歩を進める。


「最後にしなきゃな」

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