【第十六話】一時帰宅! 新たな事件とトラブルの予感……?!


 各地で起こった魔女の魔力消失事件。

 その事件の解決に乗り出した近藤、アピト、ファシスタの三人。

 三人は、ユギルの協力を得て、黒幕・タダノの元へ辿り着く。

 彼らの目的は「魔女のいない世界」。

 タダノたちの返り討ちにあい、瀕死の状態に陥ったアピトを救うべく、近藤は単身タダノの居るクイエラへと乗り込んだ。

 だが、タダノの仲間・キャロンと工口や、魔女・フォーランとの戦闘に、近藤は倒れてしまう。

 死を覚悟した近藤の前に現れたのは、他でもないアピトであった。

 フォーランたちを倒し、タダノとの戦闘へもつれ込んだアピト。

 魔法道具・ラルダによって苦戦を強いられるも、なんとか勝利した。

 勝利の余韻に浸るなか、突如現れたカラリマにタダノは連れ拐われ、近藤たちは地下へと落とされた。



 現在、近藤とアピトはユギルが所有している地下鉄の中にいた。


 カラリマに作られた穴によって、地下へと落とされた二人。

 アピトの魔法により転落死は免れたが、タダノは連れ拐われてしまった。


 なんとか地上へ戻り、クイエラ駐屯所を抜けた近藤たちが目にしたのは、西の都クイエラの変わり果てた姿であった。


 街の至るところで城の騎士とクイエラの騎士とが交戦した痕が残り、右を見れば人が倒れ、左を見れば半壊した店や家が目にはいる。

 そんな状況だった。

 だが、心を痛めている暇もない。

 カラリマがタダノを連れ去ってしまったのだ。

 これが指名手配で捕まったのならば近藤たちも慌てはしないだろう。が、


『貴様のお陰でこいつの動きが追いやすくって助かったぞ』


『貴様との戦闘は面倒だからな』


 カラリマのお喋りをそのまま受け取るなら、城はずっとタダノを監視していたことになる。

 それにも関わらず、こんなにも事が大きくなるまで放置していた。

 そして、今になってタダノを捕獲したのだ。

 それがどういうことなのかはバカでも分かる。


『無駄に動いて血を流すな。もったいない』


 そうだ。

 城はタダノを拐う機会を伺っていたのだろう。あの血を手に入れるために。

 タダノの血は魔女の魔法を消失させる力を持つ。

 面と向かって戦うんじゃ正直そこら辺の魔女たちに勝機はない。

 ラルダを手に入れていたのなら尚更。

 だからこそ、アピトとタダノをぶつけ、弱ったところで回収した。

 要するに、城はアピトとタダノが潰し合うのを高みの見物していたってことだ。


 じゃあ、城がそこまでしてタダノを手に入れたのはなぜか?


 そんなの一つしかないだろう。

 全ての魔女の魔力消失。

 城は城の魔女以外が魔法を使うことを嫌う。

 タダノの血を使って全ての魔女の魔法を消失させる。なんて考えてても可笑しくない。

 だけど、城の狙いがそれならある意味ラッキーだ。

 もし全ての魔女の魔法を一気に消失させるなら、タダノだけでは足りない。

そう。


 "ラルダ"が必要になるはずだ。


 ラルダとは、魔法道具の一つで、一人の体の状態を何人もと共有できるなんとも面倒な魔法道具だ。

 例えば、ある魔女Aの体の状態と他の魔女数十人の体の状態を共有したとする。その時、ある魔女Aの腕を切ると状態を共有した複数の魔女数十人の腕も切れる。という仕組みだ。


 これにはアピトも苦しめられた。

 大昔に封印され、忘れ去られた魔法道具を城が知っているのかは分からない。

 だけど、クイエラに向けられた大勢の騎士。あれだって、城がラルダを狙っていたと考えれば説明がつく。


 まぁでも、そのラルダは近藤が壊した。

 詳しく話を聞いていない、というか、アピトに聞いても分からないから仕方ないのだが、どうも、ラルダというのは“原石”と呼ばれる石に“魔法”をかける必要があるらしい。


 つまり、壊れたからといってそう簡単に作り直せるものでもないだろう。

 とはいっても、城には魔力を無限に使えるジュベルという女王がいる。

 恐らく、原石さえ手に入ればラルダも作り直せるだろう。


 でも、時間は稼げる。

 その間にタダノを救出出来れば、魔法消失を防げる……ハズだ。

 何をするにもまずは、王都・ブローレに引き返すことが重要になる。



 そんな話をしたのが30分前。

 そのあとユギルの地下鉄へ向かったり、その途中でトロッコの代わりになるものを探したりなんてしてやっと地下鉄の中に入れた。

 ちなみに、この代理トロッコは街のワイン木箱に車輪をくっ付けたものだ。

 狭くて乗り心地は良いとは言えないが、あの自転車付きトロッコはタカハシたちが乗って帰ってしまったので仕方ない。


「まだ着かないのかぁ?」


「走り始めて何分経ったよ」


「1時間は走ってる」


 そんな経ってねぇよ。

 進めど進めど土の壁しか見えないこのトンネルにすっかり飽きてしまっているらしい。

 木箱からはみ出した足をバタバタと動かしている。


「あんま体重掛けるなよ」


「重いか?」


「重い」


 アピトはそれは悪かったねと笑ったが退く気はないらしい。

 もっとも、二人はこの木箱に座っているというよりは、ハマっているようなものだ。下手に動けないのは近藤も分かっている。

 足を揺らさないで居てくれれば良いんだ。まだ揺らしてるけど。


 この木箱は元々ワインのために作られたものだ。

 人が乗るために作られたものではない。そんなもんだから、近藤たちはは自然と密着する。


 だが、君たちが想像するような甘い空間ではない。

 アピトは近藤の足の間に体をねじ込み、近藤の腹にソファの背もたれよろしくと寄りかかっている。

 普段なら退けと怒るところだが、状況が状況なため諦めた。


 もちろん、どう頑張っても鼻の穴に入るあの三角帽は近藤がいただいた。

 まぁ、アピトもただ近藤ソファに身を預けている訳ではない。

 アピトはこの列車の運転手なのだ。

 魔法というものは便利なもので、荷車には馬も自転車もついていないのに、車輪は勝手に動く。

 もちろんだが、エンジンもついていない。

 行き、あんな汗だくになって自転車漕いだのが馬鹿みてぇだな。


「まだか?」


「さっきも聞いたぞ」


 そうあしらうと、アピトが足を木箱の中にしまった。


「あんま動くなって」


「冷えた」


 馬鹿かよ。

 アピトはのそのそと体勢を整えている。

 アピトの自由な行動に慣れてしまったことを憂いながら、アピトの定位置が決まるのを待つ。

 二、三回の試行錯誤の上、近藤の肩にアピトの頭が乗っかった。


「これが良いな」


「大人しくなって何より」


 近藤の皮肉に、アピトは楽しそうに笑う。

 どこにこんな元気が残っていたのかは分からないが、どうせ帰ったら城と殴り合いだ。

 今くらいは楽しくいたって良いだろう。


「まず帰ったら……」


「城の奴らを引きずり出して文句言ってやらんとな」


 アピトは近藤の言葉を乗っとるとうげぇと舌を出す。白目剥きながら運転すんなよ。


「はいはい。その前に手当てしねぇとな」


 目の前にはいない城相手へ文句を言うアピトをなだめながら、近藤はアピトの腹に目を落とした。

 そこには服の上からでも分かるほどの傷口がぱっくりと口を開いていた。

 少し滲む血があの情景をありありと思い出させる。

 近藤が刺してしまったその傷。


「痛むか?」


「いや。もう平気だよ」


 アピトはいつも通りケラケラと笑うが、傷は腹だけじゃない。腕も足も……全身ボロボロだ。


「それに、怪我は君だって同じじゃないか」


「俺は喧嘩しなれてるから良いんだよ」


「なら私も最強だから平気だ」


 素直にそうは見えないと言ってやろうか、騙されてやろうか考えているうちに相槌を打つタイミングを逃してしまった。

 トンネルの中には車輪が回る音と互いの呼吸だけが響いて、今更声を出す気にはなれなかった。


 ただ預けられたアピトの背中越しにアピトの熱を感じる。

 思ったより、細いもんだ。

 腹に当たる背骨の感覚にそんなことを考えた。

 ケツや胸がボリューミーな分、こいつが細いだのなんだの意識したことはなかった。

 ……そうか。こんな俺の半分もない体で、こいつは最強なのだ。

 いや、半分もないは嘘だな。


「なぁ、コンドウ」


 沈黙を破ったのは、やはりアピトだった。


「……私と契約しないか?」


 アピトが口を開いたのは突然だったが、その話題はどこかで予期していた。


「俺の体調不良のことか?」


 アピトは声も出さずに頷いた。

 声音や表情、態度もいつも通りにしているつもりだろうが、全てが微かに震えている。


「悪ぃ」


「悪い?」


 アピトの目は反射的に近藤の方へと向けられた。


「それは、断っているのか?」


 トロッコは歪んだ音を立ててスピードを緩めた。


「コンドウ?」


 そのアピトの様子は動揺を通り越して、焦りすら感じられた。


「……悪ぃ」


「謝ることじゃないさ。理由を、聞かせてくれないか?」


 冷静な声とは裏腹に、アピトの口は少し白くなっていた。


「理由……か」


 そこまで真っ直ぐ見つめられると何か悪いことをしているような気がして仕方ない。近藤は気まずそうに口を開いた。


「その問題も、もっと言えばこの世界の謎も俺の帰る方法だって、多田野の言ってた魔力の話だ。


魔法と城の関係が分かれば解決する」


「それは簡単に解決する話じゃないじゃないか」


「あぁ、分かってる」


 その間に死ぬかもしれない。アピトは口にはしなかったが、そんな目をしていた。

 近藤はアピトの目から逃れるように横を向く。アピトも咎めはしなかった。


 ただ変わり映えしない土の壁を眺める。

 このまま会話が終わるだなんて思ってもいなかったが、少しでも時間が過ぎれば良いと思った。


「私は、君の体を操ったりしない」


 時間にしてはそれほど経ってないだろう。

 近藤は横目でアピトの様子を伺う。彼女の目は近藤を見つめたままだった。

 しかし、さっきまでの責め立てるような目付きではない。どこか不安な、そんな目をしていた。


「……知ってる」


 近藤がそう言うとアピトはゆっくりと近藤から離れ、自分の膝に顔を埋めた。


「じゃあ何が嫌なんだ……」


 アピトの声は酷く弱々しく吐き出された。

 今回ばっかりは信用されてない方がまだ良かった。

 なぜ契約を拒むのか。

 アピトには、近藤の考えていることが全く分からなかった。


「……意地張ってる場合じゃないだろ」


 下を向いているせいか、アピトの声は少し遠い。


「意地なんか張ってねぇよ」


 近藤は少し言葉を選んだ。


「あのさ、なにもお前が嫌いとか死にてぇとかじゃねぇんだよ」


 こんな猫なで声初めて出したが、アピトからの返事はなかった。

 気まずさからか、少し早口になる。


「たださ、その、契約したら、お前余計に俺を守ろうとすんだろ? 確かに俺は弱いけど命まで背負ってもらうのは、違ぇなって」


 契約というのは、支配する側とされる側の関係を作る以外に、庇護する側とされる側の関係も作る。

 悪魔は魔女に体を受け渡し、魔女は悪魔の命を背負う。

 これが契約だ。


「君の命は君のものさ。私は奪うつもりはない。契約したって今まで通り対等なままさ」


 近藤はどこから訂正してやろうかと眉を潜めた。


「ホントに対等なままか?」


「あぁ、対等だ」


「今もか?」


「もちろん」


「じゃあ、なんで俺を助けに来た?」


 その問いにアピトは分かりやすく不機嫌になる。


「そういう話じゃないだろ。対等になるなら私たちは互いに助けて、助けられる関係だ。守られることは恥ではないよ」


「ちげぇよ」


 確かにアピトに守られるのは癪だ。だが、今はそんなことを言っているのではない。


「なぁ、ファシスタに何があった?」


 アピトの肩が跳ね上がった。

 髪の隙間から覗く首筋が青白くなっていくのが見えた。

 それからまた沈黙がぶり返した。

 この沈黙は言葉を探している間ではない。なにも言えない時の間だ。


「別に、ホントに何があったかは聞いてねぇよ。大体察する」


 近藤はアピトの肩を軽く叩いた。


「だから余計に分かるんだよ。お前、ホントはファシスタの側にいてやりたかったろ」


「それは違う! 私は君のことも心配で……」


「んな訳ねぇだろ」


 とっさに顔を上げ、反論しようとしたアピトを近藤が制した。


「感情なんてそんな簡単な話じゃねぇんだ。


目の前で長いこと連れ添った幼馴染みが苦しんでんのに、他人のこと考える余裕があんのかよ」


 アピトは唇を噛み締めた。目のふちには涙がたまっている。


「お前はそれを堪えて俺のところに来た。俺を助けるために。お前の行動の全部そうじゃねぇか。自分じゃなくって他人のため」


 それが美徳だとは思えない。

 アピトは自分がどうしたいかでは動かない。他人が、世界がどう受け止めるかで行動を決める。

 それはずっと気になっていた。

 自由に見えて、縛られている。


「お前さ、他人のためじゃなくって自分のために生きろよ。お前が居なくなって困る奴らの事なんて考えんな。お前が居なくなって、寂しがる奴らのことだけ考えとけ」


 こんなこと言っても一日、二日で長いこと直らなかった悪癖が直るとは思わない。

 いや、理解するのだって時間がかかるかも知れない。


「とにかくさ、お前このまま他人の命まで背負ってけば自爆すんぞ」


 こいつは、他人に望まれるなら自分の命までもを投げ出すようなやつだ。

 なにがそこまでの自己犠牲を生むのか。近藤には分からない領域であった。


「俺は、お前が救わなくったって勝手に救われる。お前が救いたいなら救えば良いし、義務じゃねぇ」


 まだ険しい顔をしているアピトの首根っこを掴むと、自分の胸の中へと引きずり込む。


「まぁでも、お前がその重荷を俺に渡す気になったら契約してやる」


「……分かった」


 納得がいってないのか、アピトの返事は小さいままだった。



 赤い屋根に崩れかかったレンガの二階建て。

 やっとアピトの家が見えてきた。


「腰が痛ぇ……」


「まずは飯だ! 飯を食べよう!」


 結局、木箱列車に二時間近く揺られた後、ユギルの屋敷近くの駅からアピトの家まで歩いてきたのだ。

 日はとっくに沈み、近藤もアピトも疲れきっていた。


「てめぇ押すなよっ」


「なぜ君が先に行く? 私の家だぞ?!」


 疲れているのに、いや、疲れているからこそか。

 一秒でもはやく家に入りたい二人は、我先へとドアを奪い合いながら家の扉をくぐる。

 と、


「セーレ! コンドウ!」


 カウンターの奥から顔を出したのは真っ白なワンピース、ではなく真っ白なエプロン。


「レーベル!」


 どうやらファシスタがアピトの家まで来ていたようだ。

 ファシスタは溢れんばかりの笑顔を浮かべると小走りに二人へ近づいた。


「セーレ、セーレ!」


 ファシスタは、白いエプロンが血で汚れるのも気にせずアピトをキツく抱き締めた。


「お帰り……!」


「ただいま」


「こんな、こんな、怪我して、ホント……無事で、良かったよぉ」


 気が抜けたのか、ファシスタはその場にズルズルと座り込む。

 アピトは、ポロポロと泣きじゃくるファシスタの頭を今まで以上に優しく撫でた。


「レーベル。辛い役を任せてしまったね」


 ファシスタは小さく首を振った。


「また、会えただけで、嬉しいから」


 ファシスタは真っ赤に腫れた目をこする。


「ほら、可愛い目をこするもんじゃない。さ、立てるか?」


「うん」


「ファシスタ、大丈夫か?」


「はい、ごめんなさい」


「謝んのは俺の方だろ。置いてって悪かったな」


「ううん。本当に、助けてくれて……」


「俺はなんもしてねぇよ。ヒーローはお前だ」


 そう言うと、ファシスタはくすぐったそうに笑った。

 そんな無邪気な笑顔を見ていると心臓が締め付けられる様な気がする。

 たった一日しか過ぎていないというのに、ファシスタは見るからにやつれていた。


 それもそうだろう。

 ここ数日でいろんなことが起こりすぎた。幼気な少女一人が背負える話ではない。

 アピトも近藤と同じことを考えているのだろう。目が合うと神妙な面持ちで頷かれた。


「ファシスタ、少し良いか?」


「どうしました?」


 近藤はカウンター席に腰を掛けると、軽く手招きをしてファシスタを呼んだ。ファシスタは素直に近藤の隣の席に座る。


「一応、多田野の事件は終わった」


 その一言に、なんとも言えない緊張感が部屋の中に漂う。

 ファシスタは静かに話の続きを待っている。


「だけど、新たな問題が起こった。城の奴らが、もしかしたら多田野と同じことをしでかそうと、してるかも知れねぇんだ」


 少し目線を下に移してしまえば、もうファシスタの顔は見えなくなった。

 困惑、不安、後悔、ファシスタが一体どんな顔をしているのか気が気ではないのに、眼球は少しも上へと動かない。

 せめて、泣いていないことを願った近藤だったが、ファシスタはその予想に反して落ち着いていた。


「タダノと同じことって……魔法消失ですか?」


「あ、まぁ、そうなるな」


「セーレとコンドウは、やっぱり止めるの?」


「レーベル。君はもう家に帰るんだ」


 歯切れの悪い近藤に代わり、アピトが口を開いた。


「私たちはこれから城を相手にする。レーベル、君をこれ以上は巻き込めない」


 アピトの表情は『分かった』以外を受け付けないそんな表情だった。


「私、魔法使えなくなっちゃいました」


「は?」


「な、レーベル!」


 ファシスタがなんの話を始めたのか、近藤には分からなかった。

 それはアピトも同じなようで、明らかに動揺している。


「ちょっと待て、どういうことだ?」


「その、あ……レーベル?」


「足手まといかも知れません。でも」


 ただただ慌てる二人よそに、ファシスタはカウンターの裏から救急箱を取り出した。


「魔法がなくても手当てはできます。ほら、コンドウ、傷見せてください」


「あ、あぁ」


 ファシスタの迫力に押されて腕を出す。

 ファシスタはうんと頷くと手当てを始めた。

 コットンに消毒液を染み込ませ、傷口を優しく拭く。消毒がすむと包帯をとりだし手慣れた手付きで巻いていく。

 腕が終われば足、その次は脇腹、そして頭。

 何がなんだか分からないうちに近藤の手当ては終わっていた。


「あ、ありがと」


「どういたしまして」


 ファシスタはそう微笑むとアピトの方へと顔を向けた。


「はい。次はセーレ」


「待て、レーベル」


 アピトの呼び掛けにファシスタは顔を歪めた。真っ赤に腫れた目がこれ以上泣くまいと見開かれる。


「手当ては良い。君も席へ座りなさい」


 こんな近い距離なのだ。本当は聞こえているのだろう。

 それでもファシスタは聞こえないふりをして消毒液の準備をする。


「お腹の傷、深いけど縫わなくてすみそう」


「レーベル」


 カラン、と乾いた音が部屋の中に響いた。

 アピトがファシスタの腕を掴んだのだ。

 ファシスタの手に握られていたピンセットは床に落ち、消毒液の染み込んだコットンは床のほこりを吸った。


「話を聞くんだ」


 アピトの声にファシスタは首を振った。


「……もう、嫌だよ。一人で、ずっと、二人が帰ってくるのを待つのは」


 アピトはファシスタの腕を掴んだままじっとファシスタのことを見つめた。


 セーレやコンドウが自分のために言ってくれてることは分かっている。


「でも、だったらどうして分かってくれないの! セーレたちが私が傷つくのが嫌なように私だって二人が傷つくのは嫌なんだよ!」


 二人が今どうなっているかなんて分からなくって。ラジオから流れる情報に怯えて、泣いて、それでも待つことしか出来ない。

 いつ二人に会えるのか、もう二度と会えないんじゃないか。

 二人が帰ってくるまで、涙が止まった時はなかった。


「足、引っ張んないから、本当に邪魔なら途中で置いてって良いから……」


 まるで神にでも縋っているかのような、悲痛な泣き声だった。

 自分の見えないところで自分の大切な人が傷ついている。ファシスタにとっては、それが一番辛いことだった。


「ファシスタ、アピトの手当てしてやれよ」


「待て、コンドウ!」


「あと、腹も減ったな。そういや、キッチンの方からなんか煮たってる音が聞こえてくるなぁ? よーし。話はその後だ」


 アピトはなにか言いたそうにしていたが、ファシスタは嬉しそうに笑った。

 この件に巻き込むにしても、巻き込まないにしても話し合いが必要だろう。


 アピトもファシスタも互いを思ってのことなのだから、わざわざ対立するなんてしなくていい。馬鹿正直な奴らだ。

 お互い気が済むまで話し合えば、自然とどっちかが折れる。

 今日はこのまま寝るだけだ。時間ならまだたっぷりとある。


「コンドウ、ありがとうございます」


 アピトの手当てが終わるとファシスタは改めてお礼を言った。


「話し合いをするってだけだ」


「分かってます。スープとパン持ってきますね!」


 本当に分かっているのかは置いといて、ファシスタは嬉しそうに蔦のカーテンを潜りキッチンへと消えていく。

 単純と言えば良いのか、年相応と言うべきか。

 アピトはカウンターテーブルに腰を掛けると、あからさまなため息を一つ吐いた。


「レーベルを連れていくことになったら君の責任だろうね」


「お前がしっかり断りゃ良いだろ」


「長引くぞ」


「分かってるよ」


「君も参加するんだからな」


「俺もかよ?」


「当たり前だろ」


「お待たせしました!」


 いい匂いのスープが姿を現し、言い争いは一時休戦となる。


「ありがとう。レーベル」


「サンキュ」


「いいえ」


 目の前に置かれたのはトマトソースの野菜スープとパン。このパンは三番通りの方のパン屋のだな。

 立ち上がる湯気とその匂いに食欲はピークに達していた。


「いただくよ」


「ちゃんと噛めよ」


 アピトはカウンターテーブルから飛び降りると、椅子に座り、大口でスープを掻き込んだ。

 相当腹が減っていたのだろう。スープはあっという間に減っていく。

 そんなアピトに呆れつつ、近藤もスープを一口すする。


「お、旨いな」


「ありがとうございます」


 ファシスタの頬は恥ずかしそうに真っ赤に染まった。


「んー! 美味しかったぞ、レーベル! 流石私のレーベルだ!」


「良かった! 頑張ったんだよ」


 近藤はたった一口しか飲んでいないというのに、アピトの皿はもう空になっていた。

 味わうということを知らない奴だ。

 つーか、スープってそんな勢いよく食べるもんでもねぇだろ。


「お前、パン食わねぇの」


「今から食べるんだ。やらんよ」


「パンってスープに浸して食うのが旨いんじゃん」


 そのままパンにかぶりつくアピトを横目に、近藤は、パンを小さく千切る。

 それをスプーンに乗せ、スープに浸した。

 その時だった。

 玄関の扉が勢いよく開かれた。


 そこにいたのは……騎士。


 何事だというまでもなく、騎士は高らかに宣言した。


「セーレ・アピト」


 国家反逆罪及び、クイエラにおけるデモの首謀者として貴様の身柄を拘束する。

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