【第十五話】ゾクゾク! 夕方からお化けはでるのか……?!
突如異世界へと飛ばされた不良少年・近藤武蔵。
その異世界はなんと、女しかいない世界だった……!
この世界の女は魔女と呼ばれ、魔法と呼ばれる不思議な力を操る。そして、その魔法の元になるものが、男の精。
魔女は男の精を吸うため、契約という魔法を使い、男を奴隷にする。
この世界に連れてこられた男は、街の魔女の奴隷となるか、城の騎士に捕まり、この世界の結界を維持するための魔力源になるしかないという。
そんなバイオレンスなエロゲーから脱出することを決めた近藤。
ユージの紹介や、カラリマとの戦闘を経て、アピトを仲間にした近藤は、この世界の結界を破壊するため、魔力について調べ始めた。
▽
君たち、ホラーは好きか?
まぁ、最近じゃそんな非科学的な話は流行らないか。
少し前まではオカルトブームだなんだといって、夏になる度にやれトンネルから女の声がしただの、沼から男が出てきただの騒いでいたのだが、気が付けばそんな話も聞かなくなった。
人の心の移り気か、はたまたネタがなくなったのか。
馬鹿馬鹿しいと言いつつ流れてくれば見ていた者としては、時代の変化を感じざるを得ない。
さて、この前置きで勘の悪い奴らも気付いたことだろう。
今回は番外編だ。
ん? 今は夏じゃないって? そんなことは知ってんだよ。
▽
話は今から数週間前に遡る。近藤がこの世界へ飛ばされてから数日、少しずつアピトとの暮らしに慣れ始めてきた頃だ。
カラリマに負わされた怪我も治り、後は体力の回復を待つだけ。
そんな時だった。
暇を持て余した近藤は、『体力が戻るまでは外に出ちゃいけません!』というファシスタの言い付けを破り、散々な事件に巻き込まれた。
その挙げ句、アピトがファシスタにチクったせいで、外出禁止令が一日伸ばされてしまった。
不良と呼ばれる立場上、怒鳴られることは多くあれど、あんなに優しく『どうして外に出ちゃったんですか?』と尋ねられた経験はほとんどない。
しかも、年下に。
あれほど恥ずかしい説教は未だかつて味わったことのないものだった。
だいたい、ファシスタもファシスタだ。
今日、外出禁止令を解くつもりだったのなら前持ってそう言っておけばよかったのだ。そうと知っていれば、近藤だって無理に外に出ることもなかったというのに。
なんて恨み言を言っても過去は変わらないし、この暇な状況が変わるわけでもない。
「ま、こんなもんか」
長らく曲げていた背筋を伸ばせば、ボキボキと鈍い音が体の中に響いた。
人間というのは単純なもんで、暇潰しといえば寝るか掃除の二択だ。
怪我が治るまでさんざん寝て過ごしたためか、寝るには体力が残りすぎていた近藤は、否応なしに後者を選ぶしかなかった。
とはいえ、蔦とヒビに覆われたこの家を掃除するなんて、いくら暇だといえど無謀過ぎる。
そこで目に入ったのがコーヒーミルだ。
初めて使ったときからハンドルの回りが悪かったし、丁度良いかもしれないと手に取ってみれば、これが思ったよりも熱中してしまった。
ネジを油で拭き、潰れたネジ穴をペンチで直し、ハンドルを回す度にガタガタいっていた粉受けも少しやすりで整えた。
意外と上手く出来たのではないだろうか?
手先が器用な方ではないのだが、こうした細かい作業は嫌いではなかった。
さて、使い心地でも確かめてみるかと、立ち上がったところで、アピトがキッチンから顔を出した。
正確にはその奥の娯楽室から来たのだろうが。
「よぉ、買い忘れか?」
「君は私をなんだと思ってるんだ」
見かけによらず怠け癖のあるアピトがわざわざハンモックから降りてくるなんて、よっぽどのことだと思ったのだが、どうやら違うらしい。
あからさまに渋い顔をされた。
「晩飯にはまだ早ぇんじゃねぇか」
「私がリビングに来るのはそんな理由しかないのか?!」
「おう」
アピトはなにか言いたそうに目を細めたが、結局口に出すことはなかった。
その代わり、口を尖らすと、すねた口調で呟いた。
「別に用事があった訳じゃない。ただ君の様子を見に来たんだ」
「へぇ」
なるほど。どうやら警戒されていたらしい。
流石に昨日の今日でやらかさねぇよと言いたいが、信用されてないのならなにを言っても無駄だろう。
せめてもの言い訳に、コーヒーミルを見せれば、アピトはケラケラと笑った。
「要らん心配だったな」
「全くだ」
「コーヒー淹れるのか?」
「あぁ。豆貰うぞ」
「それなら私の分も淹れてくれ」
「やめとけ。自分で淹れたやつが飲めなくなる」
「なぜだ?!」
昼もとっくに過ぎたというのに、まだ叫ぶ元気があるのか。
呆れ半分、感心半分。吠えるアピトを背に、蔦のカーテンをくぐる。
と、目に飛び込んできたのは、娯楽室のランプの明かり。
「……たく、電気くらい消せよ」
「悪い」
「うおおお?!」
変な声が出た。喉の奥から。自分がこんな声を出せるのも知らなかったし、知りたくもなかった。
てっきり、カウンターで待っていると思っていたので、油断した。
いや、油断もなにも
「てめぇなんで付いてきてんだよ?!」
「私のことは気にせんでくれ」
「いや気になるだろ!」
「私はならん」
そりゃお前だからだよ。
最後の文句を口に出す元気はなかった。
こりゃ諦めた方がいいと悟り、近藤は肩を落とす。
最後の抵抗に大きくため息をついたが、聞こえなかったみたいだ。都合の良い耳しやがって。
「どうせ来たなら手伝え」
「はーい」
アピトの生返事に『やんなきゃお前の分いれねぇぞ』とぼやきつつ、ウォールシェルフの一番上にある麻袋を掴む。生豆の袋だ。
生豆……なんて言われても、普段コーヒーを飲まない奴らからしたらなんだそれ? なわけで。現に近藤もここに来て初めて知った。
まぁ、字面からなんとなく察することは出来るだろう。焙煎する前のコーヒー豆のことだ。
枯れ草を固めたみたいなこれが、コーヒーの元と言われてもピンと来ないかも知れないが、焙煎し、グラインドすることによってあの香り高く芳醇なコーヒーが生まれるのだ。
焙煎豆もあるのだが、どうせ暇なのだ。今日は一から始めよう。
コーヒーカップとソーサーはアピトに用意させるか。あぁ、あと砂糖とミルクも。
ケトルには水をいれ、フライパンと一緒に火にかける。
フライパンが暖まる前に、フィルターも用意しておくか。フィルター、といってもそっちの世界のような紙のフィルターがあるわけではない。
いわゆる、ネルドリップ式。布のフィルターを使うのだ。
毛羽だった面を外側に向け、その中に流水を通して洗う。洗い終わったらしっかりと絞り、ポットに装着する。
使い捨てに慣れた人からすれば面倒だろうが、慣れてみれば案外気にならない。
「ん? 置かねぇの?」
装備のすんだポットを預けようと、アピトの方を振り向けば、コーヒーカップやソーサーやらが、高難易度のジャグリングよろしく浮いていた。
「ダメか?」
「ダメじゃねぇけど……邪魔だろ?」
「邪魔じゃない!」
そうはっきり言われるとそれ以上なにか言う気にはなれない。
絶対に邪魔だろという思いを胸に秘め、『追加だ』と、ポットを渡した。
さぁ、気を取り直して焙煎と行こうか、というところで、気が付いた。
「木ベラってどうしたっけ?」
寝ぼけたアピトが薪にくべたせいで、ここしばらく木ベラがなかった。
つい先日、買え買えと言い続けたのが実を結び、やっと手に入れたのだが、まだ開封していなかった。
「あぁ、向こうの棚にある」
「あー、悪ぃけど取ってくんね?」
なんてことない一言だった。言い方もいつも通りだ。もちろん、近藤がこうやってものを頼むのも珍しくない。
……のだが、アピトの体が、硬直した。
それだけじゃない。キッチンには妙な沈黙が流れる。
如何ともし難い空気に飲まれそうになって、近藤は口を開いた。
「アピト?」
アピトは近藤の声に反応して、のろのろと顔を上げた。
生気のない目に、どこか嫌な予感がした。
「どうかしたか?」
もう一度尋ねてみる。
出来る限り、優しく。
アピトは少し目を伏せてから、やけに真面目腐った顔をして、こう切り出した。
「……お化けっていると思うか?」
馬鹿馬鹿しい。
この馬鹿相手に心配した俺が馬鹿だった。
無視して木ベラを取りに行こうとした近藤を、アピトが止める。
「ちょっと待ってくれ! 話を! 聞くだけで! 良いんだ!」
「くだらねぇんだよ!」
▽
しばらく格闘した末、半ば強制的に話を聞かされた。
まぁ要約すると、いつも読んでるド三流恋愛小説の話の中にホラー回があったらしい。それがまぁそこそこ怖くって、一人になりたくないと。
「ガキかよ」
「仕方ないだろう?!」
なぜ開き直ったのかは分からないが、アピトはやけに偉そうだった。
「とにかく、そばを離れないでくれ」
「つーか、棚まで十歩もねぇだろ。何が怖ぇんだよ」
「だってあそこ影になってるじゃないか」
そんな理由で動けないなら、もう普通の生活は送れないだろう。
心の中で手を合わせつつ、そこまでホラー表現にこだわった恋愛小説に、ほんの少しだけ興味がわいた。
「んじゃ、とっとと取るぞ。俺は焙煎してぇんだよ」
「頼む! 先行ってくれ……!」
アピトが近藤の背中にしがみつく。相当怖いのだろう。スウェットが見たこともない伸び方をしている。
怖いなら明るいところで待っていれば良いのに、それすらも怖いらしい。
「取ったぞ」
「ありがとなぁ……コンドぉ……」
アピトはぐずぐずと情けない声をあげる。
時間にして約二秒。
歩数にして約十歩。
これで泣きそうになっているのか。
もし、こいつが一人のときにその本を読んでいたら……いや、やめよう。流石に解決策が思い付かない。
「じゃ、焙煎するから邪魔するなよ」
「うん」
とにかく、これでようやく焙煎に取りかかれる。
一仕事終えたような気になっていたが、まだなにも始めてはいないのだ。
さて焙煎だが、もちろん、コーヒーロースターなんて便利なものがあるわけもなく、手動でやるしかない。
フライパンはもう充分すぎるほど暖まった。そこに生豆を投入すれば、後は永遠と木ベラで混ぜ続けるだけ。
手順は簡単だろう。
十分くらいすると、水が抜け、もみ殻がはがれる。豆もうっすらと色づき始め、心なしか香ばしい匂いが香ってくる。パチパチとこもった破裂音が聞こえてきたら、それが合図だ。そこからさらに火を通していくと、甲高い音に変わる。
そうなったら火を止めて、ざるへ移して冷ませば、焙煎完了だ。
この過程を聞いただけでも分かると思うが、かなり時間がかかる。もちろん、炒めてる方がこんなに暇なのだから、ただ見てる方はさらに暇だろう。
仕方ない。話でも振ってやろうかと口を開いたその時。
チリンチリン
ベルが鳴った。
「ぎゃぁぁぁ!」
アピトは近藤の背に抱きつき絶叫した。
あの大声は空気中に放たれるから『うるせぇ!』ですむわけで、一人の体に打ち込まれた日にゃ、想像を越える衝撃が待っている。
背骨がビリビリと震え、腕まで痺れる。まさか、音波というものを身をもって感じる日がこようとは。
「あぶねぇ」
「……悪い」
背中からはアピトのくもぐった声が聞こえてくる。
今、目の前にあるものが煮立った鍋だったらぶちギレていたのだろうが、水抜き中のコーヒー豆だったのでキレずにすんだ。
「ほら、出てこい」
「え?! 私一人でか?!」
「あたりめぇだろ。俺は手ぇ離せねぇんだよ」
そう言って木ベラを見せつけてやれば、アピトは観念したように小さく唸った。
キッチンに一人で残るか、接客するか、どちらが利口か分かったらしい。
アピトは『私が叫んだらすぐに来てくれ』と言い残して去ってった。
やっとゆっくり焙煎出来る、と思ったのも束の間、アピトが血相を変えて帰ってきた。
「だ、だ、誰もいなかった!」
「は?」
確かにベルの音はした。
それは聞き間違えではないだろう。
で、誰もいなかったとなると……
「じゃあ帰ったんだろ」
「ちがう! お化けだ! なぁ! コンドウぅ……!」
リビングに付いてきてくれとせがむアピトをなんとかなだめようとするが、当然、なんとかなるハズもない。
「コンドウ! コンドウ! コンドウ!」
「わかった! わかった! 行くから離せって!」
このままじゃフライパンを落としかねないと判断し、結局木ベラを置いた。
どうせ水抜き中だ。少しくらいなら放っておいても大丈夫だろう、と言い聞かせ、キッチンを抜ける。
確かに、誰もいない。
「ほら、人も幽霊もいねぇ。大丈夫だな?」
「コ、コ、コンドウ……あ、あれ……」
「はぁ?」
アピトの指が示すのは、カウンター。ではなく、その上に乗った手紙か。
「なに? 置いたの?」
そう確認すればアピトは力なく首を横に振った。
「……じゃあ、誰が置いたんだ?」
これは失言だった。
スウェットが前衛的な伸び方を始める。
「あのな、わざわざ手紙を置いてくだけの幽霊がいるかよ」
「分からんだろう!」
「いねぇ。絶対に」
怖がるアピトを引きずり手紙に近付く。
呪われるだのなんだのと叫んでいたアピトも、近藤が手紙を掴むと、途端に静かになった。まぁ、声が出なくなったともいうが。
当たり前だが、見た目は普通の手紙だ。
でかでかと書かれた波打つような文字は、大方ここの住所とアピトの名前だろう。見覚えのある綴りだ。
力なく袖を引くアピトを無視し、手紙の封を切れば、A4サイズの便せんにびっしりと文字が書かれていた。
「なんて書いてんだ?」
「よ、読んだら呪われるとかじゃないよな……?」
「ねぇよ。読んでみろ」
「……えーと……あ、エスタ? えぇ?! 振られたって……」
「おー、聞き覚えのある名前だな」
「幽霊からの手紙じゃなかったのか……」
良かったぁと大人しくなったのも一瞬、アピトはハッと目を見開いた。
「ちがう! コンドウ! 呑気に手紙なんか読んでる場合じゃないだろう!」
鼓膜を突き破らんばかりの声量に、思わず眉をしかめる。
てめぇも読んでたじゃねぇかと思ったが、言うのはやめておいた。確かにアピトの言うことも一利あるのだ。
アピト一人で行ったときにはなかった手紙。
しかも、ベルが鳴ったのは一回だけ。
つまり犯人は、ベルが鳴ったあの時に家に侵入し、身を隠してアピトをやり過ごし、アピトがキッチンに戻ったタイミングで、この手紙をカウンターの上に置いた。と、考えるのが妥当だろう。
ベルが一回しか鳴ってないことを考えると、まだこの家のなかにいると考えてほぼ間違いないはずだ。
これがただのいたずらならまだ良いが、変な趣味を持った侵入者の可能性もある。
何が言いたいかというと
「探さねぇとな」
「ゆ、幽霊だぞ?!」
「嫌ならここで待ってろ」
「……行く」
とはいえ、この家も大きくない。リビングに居ないとなれば、残すところは二階のみ。
震えるアピトを引きずりながら、近藤は階段を上がった。
蔦のジャングルをくぐり抜け、階段を上り終えた先。その目の前に見えるのは、近藤の部屋だ。
「開けるぞ」
確認するような口振りだが、反応を期待している訳ではない。
アピトが頷く前に、少し錆びたドアノブを回し、扉を開ける。
微かに香るのは、消毒液の臭いだ。怪我の名残がまだこうして残っている。
「……いねぇ、か」
ベッドと机、そして少し大きめのチェスト。
机に広がる書きかけのメモも、椅子にかけたままの寝間着も、今朝と何ら変わらない近藤の部屋だ。
「し、心臓に悪いな……」
警戒していた分、誰も居ないとなるとほんのちょっとだけ拍子抜けする。
アピトは尚更そうだったのだろう。あからさまに安堵した表情を浮かべた。
「なんだコンドウ! いつ見ても質素な部屋だな!」
「物がありゃ良いってもんでもねぇだろ」
だいたい、これ以上なにを増やせば良いのか。
基本寝るか魔法についての調べものくらいしかやることがない近藤だ。
悲しいかな、ここにあるものだけで生活が事足りてしまう。
まぁ、強いて言えばでかい机が欲しいけど。
「んじゃ、次行くぞ。てめぇの部屋だ」
「え?! 私の部屋も行くのか?!」
そりゃそうだろう。
一室だけ見て侵入者が居なかったから、他も全部居ないなんて理論を使う奴は間違いなく本物だ。
ご察しの通り。このアピトこと本物はその理論が適用されると思っていた口だ。
今さらながら顔を青く染め、近藤の背中に戻ってきた。
「なぁ、なぁコンドウ。もし、もしだぞ? 私の部屋に幽霊がいたら、どうする?」
「はいはい。出てくように頼んどいてやるな」
「……絶対だからな!」
「おー、任せとけ」
「まだ! まだ開けるなコンドウ! あ、いや、もう一思いに……いや、待て! あー! 見たくない! た、頼む! 居たら肩叩いてくれ……!」
どうやって自分の後ろにいる奴の肩を叩けと言うのか。なーんて口でも滑らせたら、この押し問答が永遠に続くことはこの短い付き合いのなかで嫌というほど学んだ。
近藤は出かけた言葉を飲み、了承する。
「分かった。じゃ、開けるぞ」
「や、待ってくれ! コンドウ!」
なにか聞こえたような気もしたが、もうドアノブは回してしまった。
後は押すだけ、という状態で、律儀に待つ人間なんて存在しない。
近藤は聞こえなかったふりをして、ドアを開けた。
「ああああ! 悪霊退散! 悪霊退散!」
「……いや、よく見ろ。誰もいねぇ」
またしても外れだ。
アピトの部屋はかなり雑多だが、そこまで汚くないし、なにより広くない。
隠れるにしてもスペースがないのだ。
ベッドに丸められた毛布に、色とりどりの表紙が並ぶ本棚、観葉植物の置かれたキャビネット。壁にはスタンドミラーにドライフラワー。リビングに飾られている絵画と似たようなタッチの絵もある。
コートハンガーには替えのマントと帽子がかかっており、その隣のクローゼットには、いつ着るんだというお洒落な服や靴がつまっている。
「なぁ、コンドウ。ベッドの下確認してくれないか?」
「安心しろ。そこ入ってたらただの変態だ」
さて、残すは一番奥の部屋だけとなった。
となれば、当然侵入者の居場所も決まってくるわけで。
突き当たりの部屋は空き部屋になっていて、アピトもコンドウもめったに行くことはない。
上手いところに逃げ込んだな。アピトだけだったら見つからなかっただろう。
「よし、気ぃ抜くなよ」
「うぅ、空き部屋が気に入ったなら住まわせてやるから悪さしないように言ってくれ……」
悪さしなけりゃ共存可能なのか。
深く息を吐いたのは、ため息ではない。深呼吸だ。そういうことにしといてくれ。
このドアを開ければ、幽霊だろうが侵入者だろうが、とにかく、なにかしらいるのだ。
変に油断したくはなかった。
「……は?」
そう。
なにかしらいる、はずだった。
ドアは鈍い音を立てて開き、埃っぽい空気が流れ出る。
牽制のために開いた口は空振りに終わった。
部屋の中は空っぽ。
いや、正確には、ベッドと机とチェストはある。
まぁつまり、侵入者は居ないし、逃げ出した形跡もないということだ。
「誰も、居ねぇよな?」
「あぁ……」
「ただのいたずらだった、と」
釈然としないまま、近藤は呟いた。
配達員なら一声かけるだろとか、ベルの音は一回しか聞こえなかっただとか、色々と思うところはあるのだが、目の前にあるこれが現実だ。
「……たく、なんだったんだよ」
近藤は舌打ちと共にドアを閉めた。
「誰もいなかったんだ。良かったじゃないか」
なんて呑気なことを言うアピトを腹いせに小突き、『まぁ、戻るか』と言ったところで、思い出した。
「あ、コーヒー豆……!」
声音は絶望にも近い色をしていたが、頭を支配していたのは、どちらかと言えば焦燥だ。
コーヒー豆が焦げたくらいならまだいい。問題は、火事になるかも知れないということ。
近藤は弾かれたようにキッチンへと向かう。アピトもその後に続く。
何度か階段を踏み外しそうになって、ようやく、一階につく。
焦っているどころの話じゃなかった。
だからこそだろう。
キッチンについたときに、変な声が出たのは。
「は?」
「え?」
当然だろう。
そこには……
「レ、レーベル?」
アピトの言う通り。
そこにいたのは、木ベラを持ち、コーヒー豆を炒めるファシスタがいた。
「あ! セーレ! やっと来た。火つけっぱなしで目を離しちゃダメじゃない」
なんてことないように話しかけてくるファシスタに、近藤とアピトは膝から崩れ落ちた。
「レーベルだったのか……」
「ビビったぁ」
二人のそんな様子に、ファシスタは、一体なにがあったのかと首をかしげた。
「いや、悪ぃ。ありがとな」
「どうしたんです?」
すんだ瞳が近藤とアピトを映す。
そこでようやく、今日の疲労を実感した。
「……誰か来たと思ったんだが、誰もいなくてな。部屋中探し回ってたんだ」
お化けかと思った……と続けたアピトに、ファシスタがからかうような笑みを見せた。
「セーレ、まだ怖いの?」
「仕方ないだろう!」
アピトは抗議するように身を乗り出す。
だが、その声量はさっきまでと比べ物にならないくらい小さく、疲労がにじんでいる。
「いや、でもかなり心臓に悪かったぜ。手紙だけ置いてくんだもんな、ありゃ侵入者かなんかかと思ったわ」
「え?」
何の気なしに言ったその言葉に、空気が変わる。
「手紙?」
「ほら、レーベル、カウンターに置いただろう?」
アピトの問いに、ファシスタはただ不思議そうな顔をしてこう答えた。
「ううん。だって私、一度入ろうとしたとき、湯気が見えて、二人ともキッチンにいるなら、裏口から入っちゃおうって思って、回ってはいってきたの。
だから、リビングは通ってないよ」
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