【第十三話】真打登場! 最強魔女の魔法の力……?!
突如として女しかいない世界へと飛ばされた不良少年・近藤武蔵。
この世界の女は、魔女と呼ばれ、男の精を絞ることで、魔法と呼ばれる不思議な力を操る。
近藤が最強の魔女・セーレ・アピトの元で暮らすようになってから数週間。
とある事件が起きた。
魔女の魔力消失。
その事件の解決に乗り出した近藤たちは、ユギルの協力を得て、魔女の魔力消失の黒幕・タダノの元へ辿り着く。
彼らの目的は「魔女のいない世界」。
現在、タダノたちに返り討ちにされたアピトは死の瀬戸際を彷徨い、近藤はアピトを救うべく、単身タダノの居るクイエラへと乗り込んだ。
そこで、タダノの仲間・キャロンと工口と衝突した近藤。隙をついて優位に立ったのだが、フォーランの乱入により、形勢は逆転。
近藤は倒れてしまう。
しかし、死を覚悟した近藤の前に現れたのは、今一番会いたかった人物。
アピトであった。
◇
近藤が出ていってからしばらくして、ファシスタはある報道を聞いた。
クイエラの内戦だ。
魔力消失の拡大を危険視した城は王都の騎士をクイエラへと向かわせた。
王都の騎士とクイエラの騎士はクイエラ駐屯所で合流し、魔力消失の拡大を阻止する。
そういう手筈となっていた。
それなのに、クイエラの騎士たちが反旗を翻し、王都の騎士に剣を向けた。
それが内線のきっかけ。
クイエラといえば、近藤が向かった場所でもある。
近藤が出ていってからかなり時間が経っているとはいえ、内戦の規模はとても大きく、悪魔の犠牲も出たという。
自分の耳を疑った。
そんなことはないと分かっていても、頭は嫌な方向へと物事を考える。
もし、近藤が死んでしまったら。
なんて恐ろしいことを考えてしまったのか。怖くて震えても、今は助けてくれる人はいない。
「セーレ、起きてよ。お願い……ねぇ」
いつもみたいにパッと目を開けて、頭を撫でて欲しい。
よく頑張ったと、あの大きな声で笑って、後は私に任せろと。
そう願っても、アピトの目は固く閉ざされたまま。
あぁ、夢じゃないんだ。
何度も思い知らされる現実に涙が溢れて仕方ない。
ぐしゃぐしゃに握られたタオルは、もう涙の一滴も吸えないほど濡れていた。
このままじゃ、皆死んじゃう。
セーレもコンドウも。
皆死んじゃう。
皆死んじゃうんだ。
そうだ。
皆、死ぬ。
そう自覚した途端、ふと、なにかが吹っ切れた。
「やらなきゃ」
私がやらなきゃ。
セーレが目を覚ますのを待ってるんじゃダメなんだ。
コンドウが助けてくれるのを待つだけじゃダメなんだ。
私が、二人を救わなきゃ。
ファシスタはゆっくりと立ち上がると、アピトに近付いた。
「……私、セーレみたいに強くないし、コンドウみたいに動けない」
弱くて頼りない私だけど、そんな私にも、たった一つだけ、出来ることがある。
反転魔法。
反転魔法とは、別名"代償の魔法"とも言われている大魔法だ。
大量の魔力を消費し、"相手の体の状態"と"自分の体の状態"を入れ換える魔法。
健康な術者が使えば相手の病気は完治する。その代わりに、術者がその病を背負うことになる。
それが反転魔法。
消費する莫大な魔力とその大きすぎる代償ゆえ、禁呪とも言われている。魔法とは名ばかりの呪いの一種だ。
ファシスタが反転魔法を行うには魔力が足りない。しかし、今ファシスタの手元にはユギルの魔力玉がある。
ユギルが近藤に託し、近藤がファシスタに渡したもの。
『ファシスタ。お前は治癒が得意だろ? 俺かアピトが死にそうな大怪我をしたらこれ使って治してくんねぇか』
それが今なのだ。
ファシスタはアピトに向き直る。
ベッドで眠り続けているアピトは、ずっとファシスタのことを守ってくれていた、強くて優しいアピトのまま。
なんにも変わってはいない。
『また泣いてるのか? レーベル。ん? 転んだのか。痛そうだな。どれ、私が包帯を巻いてやろう』
『また苛められた? 全く。私の可愛いレーベルを苛めるとはけしからん奴め。私に任せておけ』
『大丈夫だ! レーベル。私が居る』
そう。
「大丈夫だよ、セーレ。私がいる」
魔力玉を握る手が震える。
反転魔法を使えば、ファシスタは魔法を使えなくなる。
医者になる夢も、もうこの手で誰かを救うことも出来なくなる。
「……しっかりしろ! 私は医者だ。あの最強の魔女の専属医だ。自信を持て。必ずセーレを救える」
ファシスタはアピトにそっと触れた。
いつもアピトが撫でてくれたように、優しく、力強く。
セーレはいつも私を救ってくれた。
今度は私が恩返しする番。
これが私の人生で最後の治癒魔法。
その患者がセーレで良かった。
「ねぇ、セーレ。私、もう治癒出来ないけど、それでもずっと側に居てね」
▽
あぁ、アピトだ。
アピトがいる。それがただただ嬉しかった。
「動けるか?」
「……おう」
近藤はアピトに引きずられるようにして壁に身を預けた。
「お前、体……は?」
「……レーベルだ」
アピトの声は穏やかだというのに、なぜか悲しそうに聞こえた。
近藤がなにか声をかける前にアピトは立ち上がり、フォーランの方を向いた。
「タダノの居場所を教えてくれるか? 私は止めなければならなくなった。君たちを」
「教えない。例え私たちが死んでも」
フォーランはアピトと距離をとりつつ、そう唸った。
そんなフォーランの様子とは対照的に、アピトはあっけらかんと首を振った。
「いや、私は君たちを殺さない。戦うつもりもない」
アピトはその両手を頭の上に回す。
予想外の台詞だったのだろう。フォーランは眉を潜め、怪訝そうな顔を作った。
「……どういうこと?」
「タダノの居場所を聞いたが、あらかた想像がついてる」
「貴方が?」
「私は馬鹿だが、私の周りには頭の良い奴がたくさん居る。入れ知恵して貰ったのさ」
アピトは単調に口を動かした。
「クイエラの秘宝"ラルダ"ってのをね」
アピトがそう言った途端、フォーランの顔付きが変わった。
秘宝ラルダ。
どうやら、なにかあるらしい。
「そっか……ファシスタちゃんか。あの子、医者の娘だもんね。"反転魔法"も使えたんだから知ってて当然か」
フォーランは独り言のように呟くと、グリモワールを開いた。
その中から千切られた一枚は暴風へと姿を変えアピトへと向かう。
が、その風もアピトが作った風により相殺される。
「チェミィちゃん! 透くん! 走れるなら今すぐタダノのところへ!」
「あぁ!」
「う、うん!」
フォーランの声にうなずく二人だったが、アピトの作った氷がその足を凍らし、行く手を阻む。
「邪魔しないで!」
フォーランは炎を産み出し、キャロンたちの氷を溶かす。
「邪魔するさ。友人の願いなんだ」
フォーランが産み出した炎は勢いを増しアピトを狙う。
しかし、アピトが指を鳴らせばその炎だって、蝋燭の火のように消えてしまう。
「フォーランしゃがんで!」
キャロンの叫び声と共に、巨大な槍がフォーランの頭上を走り抜け、アピトを目掛けて一直線に飛んでくる。
「大魔法を使われるとキツいな」
そうは言いつつ、アピトは軽々と槍に飛び乗り、向きを反転させた。
槍はアピトの指示により、簡単に進路を変え、キャロンの元へと戻っていく。
「あ……」
「キャロン!」
避けられはしないだろう。
工口がキャロンへ手を伸ばすが届かない。
槍は勢いを増してキャロンの頭を狙う。
死ぬ……!
はずだった。
だが、槍はその手前で動きを止めた。
キャロンも工口も、一体何が起こったのか、すぐには理解できなかった。
「……本当は、今すぐ殺してやりたいよ。だがね、それじゃレーベルに会えないんだ」
アピトは笑っていた。
いつもみたく明け透けに笑うわけでもなく、先程のように寂しそうに笑うわけでもなく、ただ口角をつり上げただけのような笑顔。
見たこともない笑顔だった。
「だから私は君たちを殺さない。君たちと戦わない。復讐はなにも残らないから」
アピトが指を鳴らすと、槍はただの砂へと変わった。
キャロンと工口は砂を浴びながらその場に腰を抜かした。
「あああああぁぁぁぁぁ!」
突然、辺りにはサイレンのような絶叫が響いた。
ガラスを針で引っ掻くような甲高い音、なのに、何処までも頭に残る太い声。
悲鳴の主は、フォーランだった。
フォーランは先程までの快活な姿からは考えられない形相で、グリモワールを乱雑に千切る。
「なんで? なんで? なんで?」
床に散らばった紙切れからは次から次へと魔法が生まれていく。
「ダメだ! ダメだ! ダメなんだ! ここで邪魔されちゃダメなの! いや、いや、いや! やめて! やめて! やめて!」
フォーランは引きちぎった紙を床に捨ててはひたすらに絶叫を繰り返す。
その様子は何かが欠けたオモチャのようだった。
目の焦点は合っておらず、言葉もこちらへは向いていない。
炎、水、氷、木、雷、風。
ありとあらゆる魔法が産み落とされる。
そう。産み落とされるだけだった。
冷静であった時ですら掠りもしなかった攻撃だ。無差別に向けられるようになった今では、腕の一振りでいなされてしまう。
「来ないで来ないで来ないで! あぁあ暑いよぉ。寒い、寒いママぁ! 返して返して返して」
もちろん。アピトは自分に向かってくる攻撃を防いでいるだけだ。フォーランの周りには、炎もなければ氷もない。
一体、彼女の世界はどうなってしまったのか。
アピトたちはただその変わり果てた姿に驚くことしか出来ない。
「おうちに帰りたいよぉ。私のおうち! それわたしのなの! わた、しの……っ」
絶えず続く叫声に耐えられなくなったのかフォーランの喉が悲鳴を上げた。
フォーランは数回唸るような咳をしてから、過呼吸気味に空気を取り込む。
息を吸うことすら満足にいかない口を、それでも何か喋ろうと必死に動かしている。
「フォーラン! それ以上は体力が持たないよ!」
「キャロン、近付くな!」
魔法を使いすぎたのだろう。
魔法は暴走をはじめた。
もはやフォーランの魔法は個別には存在していない。
轟々と渦巻く魔力の中心に居るその顔は青白く、唇は紫に変わっていた。
それでも、フォーランはグリモワールを千切ることをやめない。
どうやら、キャロンたちの制止も聞こえてはいないようだ。
「ぁあー! いけないんだぁ! ねぇ、ママ、ジェシアが悪戯してるー! ねぇ、ママ? ママ! 私がお姉ちゃんだから! お姉ちゃんが居るからね! 大丈夫大丈夫大丈夫!」
とうに体力の限界を迎えた体が小刻みに震えだした。その全身には、血管が青く浮き出ている。
「おい、フォーラン! それ以上は不味い!」
流石にアピトも危険を感じたのか、声を荒らげる。
だが、その声もやはり届かない。
近付いて止めてしまえれば簡単だが、アピトが動けば、流れ弾が近藤に当たるかもしれない。
「あぁ! 最悪だ!」
仕方ないとアピトが一歩踏み出した時、フォーランの魔法が止まった。
魔法だけじゃない。発狂も止まり、何もかもが静かになった。
「フォーラン」
その声はアピトの後ろから響いた。
「タダノ……!」
タダノはアピトを一瞥するとその横を通りすぎ、フォーランに近付く。
「大丈夫。なにも恐れなくて良い。この世界は私たちのものだ」
「あぁ……あ……」
タダノはフォーランの体を抱き締めると、額にキスを落とし、もう良いよと呟いた。
「キャロン、工口。フォーランを安全な場所に運んでくれ」
「あぁ、う、うん」
キャロンは少し戸惑いながらもぐったりと伏せたフォーランを抱き抱える。
「一つ良いか? ラルダはどうした?」
カツリと一歩踏み出したのは、工口であった。
その言葉に、タダノはかすかに笑みを見せた。
「手に入れたよ」
「流石だな! 心の底からありがとう!」
「後は任せてくれれば良い」
工口はキャロンからフォーランを受け取ると、そのままアピトに背を向けた。
キャロンはアピトのことを警戒していたが、アピトは咎めなかった。
「まさか治るなんて思わなかった。おめでとう」
一人になったというのにタダノは平然としていた。
それどころか、この状況を楽しんでいるようにさえ見える。
明らかに不利なのはタダノだ。
悪魔一人が残ったところで、魔女には叶わない。
それが、最強の魔女と謳われる魔女なら尚更。
それなのに……
「君たちはこの世界に疑問を抱いたことはあるか?」
タダノの声はよく響いた。
返事はない。
アピトもその余裕な顔の裏が気になっているのだろう。タダノの言葉には耳を貸さず、動きだけを注意深く観察する。
タダノは、そんなアピトの様子も気に止めることなく、落ちたグリモワールを手に取ると軽くめくった。
「この世界の外側からこの世界を覗いたことはあるか?」
まるで本の朗読かと思える程一方的な声であった。
廊下にはタダノの声だけが響く。それでもタダノは語り続ける。
「君たちはどう思う? 魔女にしか使えない魔法。それが、男にも使えたら」
タダノがグリモワールを千切ると、辺りに数百ものコウモリが現れた。
あまりのことに一瞬アピトの反応が遅れた。
これは紛れもない魔法だ。
それも、大魔法。
グリモワール一枚でこれほどまでに大きな魔法を使えるとは。
いや、感心している場合ではない。
アピトは我に返ると慌てて腕を振り下ろす。コウモリはアピトに触れる寸前に砂へと変わった。が、流れ落ちる砂を目隠しにタダノが近付いていた。
「っ!」
タダノの蹴りが入る前に防御魔法を展開し、なんとかその攻撃を防ぐ。
「危ないな」
蹴り出されたままになった右足を掴むと、タダノの体は軽々と宙に浮く。
持ち上げられたタダノはなすがままに振り回され、投げ飛ばされる。
が、タダノは壁に叩き付けられる直前に体勢を変え、着地する。
「流石に、最強と戦うのは大変だ」
タダノは無邪気に笑った。
この戦い、防戦一方に見えるが実際はアピトの方が優勢である。
何たって、向こうには魔力の限界がある。フォーランが錯乱したせいで、グリモワールの話数は残り少ない。
つまり、このまま戦えば、自然とグリモワールが尽きておしまい。
アピトもそれを分かっていて、致命的な攻撃を避け、グリモワールを消費させることに徹している。
タダノが攻撃すればアピトが防ぎ攻撃を返す。タダノはその攻撃を避けると、アピトへまた攻撃をする。
攻撃の応酬が続けば続くほど、力の差が浮き彫りになる。
それでも、タダノには負けが見えていないのだろうか。淡々と攻撃を繰り出している。
「一つ、答えてくれ」
「なに?」
「君は何のためにこんなことをしている?」
アピトの質問にタダノの手が止まった。
アピトも攻撃の手を休める。
「この世界から魔女を排除する」
「それは手段だ。魔女のいなくなった世界で、君は何をする?」
タダノは口を開いたが、なにも言わずに閉じた。
それからしばらく静寂が続く。
言葉も動きも何もかもが硬直している。そんな気さえした。
タダノの表情は張り付いた笑顔を映すばかりでなにも読み取れない。
アピトの言葉を深く考えているのか。攻撃の機会を伺っているのか。
それすらも分からない。
「秘密」
随分間をとってから、タダノはそう呟いた。それと同時にアピトに雷を落とす。
アピトはそれを払ったが、攻撃は返さない。
「私は君たちを止める。そして、レーベルにただいまと言う」
「へぇ」
「その為に私は自分を律する。私は君たちの"敵"にはならない」
アピトは凛として言い放った。
タダノはグリモワールを千切ろうとしていた手を止め、アピトの顔をじっと見つめた。
「そう……甘いな。はやく片付ければ友人との約束を守れたのに」
タダノは残念そうに言い残すと、シャツの第一ボタンを外した。
生気のない白い指が、首筋のチェーンを揺らす。
懐から取り出したのは……ペンダント?
タダノの手の中には大きめなオレンジの石をぶら下げたペンダントが収まっている。
「ラルダか」
アピトの声にタダノは微笑みを返す。肯定だろう。
「……なぁ、ラルダってなんなんだ?」
「私もよく分からん」
聞いた俺が馬鹿だったよ。
「ファシスタによると、"状態を共有する"魔法道具らしいが……」
近藤の呆れを感じ取ったのか、アピトはそう言い足した。
魔法道具といえばタダノが持っているグリモワールもその一つだ。
だが、ラルダはグリモワールとは違い魔法を使うための道具ではないらしい。
そういえば、フォーランが医者だからとか何とかとか言ってたな。医療系の魔法道具ってことか。
「もっと詳しく説明するなら、ある一人の体の状態を複数人と共有できる魔法道具。
太古の昔に封印された忘れ去られた魔法道具さ」
「忘れ去られた……」
なぜそんなものをタダノが知っていて、尚且つ持っているのかも分からないが、目の前に起こったことは否定しようがない。
「ラルダの力は強すぎる。
だってそうだろう? 君一人に毒を盛るだけで、ラルダの光が捉えた全ての魔女が、その毒を飲んだことになる。
いや、それだけなら平和的かもね。一人殺すだけで、何十もの人を殺せる」
そう言ってタダノは笑った。
こいつ、毒だなんてオブラートに言っているが、実際は、魔女の魔法を消す血。タダノの血と言うことだろう。
魔法を失った魔女がどれ程苦しむか、それを分かった上で笑っていると思うと、質が悪い。
怒りがろうそくのようにユラユラと揺れる。きっと、昨日までのアピトならその怒りを露にしていた。
しかし、今日のアピトは、なぜか怒らなかった。
「でも、止めたよ。最強は本当に最強だ。生け捕りにして血を飲ますなんて無謀だった」
タダノはラルダを自分の目にかざす。
「だから、セーレ・アピト。私と一緒になろう」
目に突き刺さるようなオレンジ色の光が辺りを包んだかと思うと、途端、アピトの体がふらつく。
「何だこれ……立ってられん……」
「"魔力枯渇"ははじめてかな? なら丁度良い」
タダノはグリモワールからナイフを産み出すと、自分の腕に当てた。
そして、ナイフを引く。
「ぐぁ」
悲鳴を上げたのは、タダノではなくアピトだった。
「アピト?」
アピトは咄嗟に腕を押さえる。その隙間から見えるのは……真っ赤な傷痕。
可笑しい。
多田野が切ったのは多田野自身の腕だ。
それなのに。
それなのに、なぜ、アピトの腕が切れてるんだ?
「言葉より、実践の方が分かりやすいだろう?」
「てめぇ……!」
ぶん殴ってやろうかと思った。だが、体は思うように動かない。
立ち上がろうとした体は平衡感覚を失い地面へ崩れ落ちる。
「クソ野郎……っ」
「滑稽だね。でも、君がすべきことは私に喧嘩を売ることかな?」
多田野にそう言われ、アピトの方へと視線が動く。
「……血が、止まらん」
「は?」
アピトの腕には蔦がキツく巻かれていた。恐らく、止血しようとしたのだろう。
しかし、血は止まることを知らず、蔦を伝い、ボタボタと床へ垂れる。
「元を止めないと意味ないよ」
タダノはそう笑うと自分の足を刺す。
「うっ、あぁ!」
タダノはただ淡々と自分の体を切っていく。その度にアピトの体に新たな傷が浮かび上がる。
あんなに迷いなく自分の体を切れるものなのか。
正気の沙汰とは思えない。
「耐えるね」
「っ、はぁ」
アピトはとうとうその場に膝をついた。
全身に傷が浮かび上がり、辺りは血が飛び散っている。
「おい! 大丈夫か!」
近藤の声に反応を示す余裕もないようだ。
近藤はなんとか体を起こし、そばに向かう。
くっそ、体が思うように動かねぇ。
こういう時になんで動かねぇんだよ!
こんな短い距離ですら足がもつれてもどかしい。
「しっかりしろ! アピト? おい!」
やっとのことでアピトのそばまで寄ると、近藤はアピトのことを抱き起こした。
この腕の中に居る奴はアピトで間違いない。
間違いないのに、どうしてこんなに冷たいのだろうか。
アピトは浅い呼吸を繰り返しながら『大丈夫』『大丈夫』と呟いている。
いくら最強とはいえ、それは魔法の話。体はあまり鍛えているわけでもない。
「おい、とにかく落ち着け。息をしろ! アピト!」
近藤の声かけも虚しく、アピトの体はどんどん冷たくなっていく。
「おい! アピト!」
聞こえているのかいないのか、アピトの口はもう動いていない。
「なぁ! しっかりしろよ!」
手に伝う血の感触が気持ち悪い。
「返事を、しろよ……」
虚ろな目が、瞬きをやめた。
「おい、アピト……?」
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