【第十話】黒幕対面! 謎の悪魔・タダノの大きな野望……?!


 突如として女しかいない世界へと飛ばされた不良少年・近藤武蔵。

 この世界の女は魔女と呼ばれ、男の精を絞ることで、魔法と呼ばれる不思議な力を操る。

 元の世界へ戻るためには向こうの世界とこちらの世界を分断する結界を破壊する必要がある。

 最強の魔女・セーレ・アピトの協力のもと、魔力について調べる日々。

 そんな中、とある事件が起きた。

 魔女の魔力消失。

 その事件の解決に乗り出した近藤たちだったが、知っている情報は少なく、事件解決の糸口は見つからない。

 そこで近藤たちは、世界の観察者・ユギルに情報を借り、国営公園・ジアルキアに辿り着く。

 敵地にいるという緊張感ゆえ、アピトと気まずくなってしまった近藤。

 時間は無情にも過ぎていく__……。



 近隣の家への声を掛けが終わったファシスタが帰ってきてから数十分。

 そろそろ日も暮れてきて、辺りは薄暗くなってきた。

 近藤たちは公園の出入り口の近くに固まり、その時を待っていた。


「なぁ、コンドウ。そろそろ結界張るか?」


「あぁ」


 その『あぁ』は張れという『あぁ』か、張るなという『あぁ』か。

 それとも、話しかけるなという『あぁ』か。

 アピトは近藤の様子を伺いながら恐る恐る結界を張る。

 この何ともいえない微妙な空気感はファシスタが帰ってくる前からずっと続いている。

 アピトは何とか近藤と話そうとし、近藤はそれを嫌がる。


 そんな二人に挟まれて、ファシスタはひたすら困っていた。

 いつも通り接してみても、会話は続かない。

 一体何が合ったのかと聞いても自分のせいだしか言わないアピトと、なんでもないを貫く近藤。


 解決出来そうにない。

 一体どうすれば良いのだろう。

 辺りはもうすっかり暗くなっていて、今さら『別日にしましょう』なんてことは言い出せない。

 街頭のない公園がこんな状況で大丈夫だろうかという不安な気持ちと重なって、さらに暗い気持ちになる。

 いや、こんな状況だからこそ私が頑張らないと。


「ねぇ、アピト。何かやっちゃったなら謝りなよ」


「あぁぁ、謝ったら認めたことになるだろぉ……」


 分かりやすく項垂れるアピト。


「自分が悪かったって分かってるんでしょ?」


「そうじゃなくてなぁ……」


「もう、何があったの」


「いや、何があったていうか……」


「おい」


 近藤の声に二人の背筋が伸びる。

 心臓が飛び上がるとはまさにこの事だろう。飛び上がった心臓は耳のすぐ横でドクドクと鳴っている。


「ちげぇよ」


 なにかを感じ取ったのか近藤が眉を潜める。


「作戦話しとくぞ」


「あ、あぁ」


「そっか。ありがとうございます」


 怒られるわけじゃないと分かった途端露骨に安心した空気が立ち込める。非常に分かりやすい。

 近藤はそんな二人を一瞥すると、作戦を話し始めた。


「俺らは相手が何人で来るかも知らねぇし、どんな力を使うかも知らねぇ。それだけで相当不利だと思っとけ」


「なるほど」


 いつもより真剣に話を聞くアピト。

 機嫌を取る方法がワンパターンしかない。


「で、毒を奪うには結界の外に出なきゃなんねぇ。でも、お前らが出れば魔法生物の餌食だ」


「君が出るのか?!」


 アピトの大声に近藤の目付きが厳しくなる。


「嫌だってか?」


「い、いや! 危険じゃないか?」


「だから、魔女たちの足止めはお前がやんだよ。結界の中から魔女たちに攻撃して、俺が毒を奪うサポートをしろ。


魔女たちは男と離しちまえばどうとでもなる。絶対に近付けるな」


「あぁ、わかった!」


「ファシスタ。お前は、治癒が得意だろ? もし万が一にも俺かアピトが死にそうになったらこれ使ってくれ」


 そう言ってファシスタに投げ付けたのは、ユギルからもらったスーパーボウル。


「分かりました。任せてください」


「サンキュ。あと問題は俺が結界に戻る時だ」


 結界は中から形作れば中から外への移動は出来るが外から中へのものの移動は出来ない。

 つまり、近藤が結界に戻るとき一度結界を解かなければいけないのだ。

 結界を解いた時に狙われるのが一番厄介だ。


「私が大きい魔法で一発……」


「そばに悪魔居ねぇだろ」


「あ」


 馬鹿なのかと言いたくなるが、通常運転だ。


「じゃ、じゃあ、その、コンドウ。君が私の……」


「待て、誰か居る」


 近藤はアピトの声を遮り、暗闇の方を指差した。

 近藤の指先には言った通り、人が居た。それも一人ではない。一、二……三人か。

 たまたま公園を通りかかった。とも考えてみたが、やけに大きな荷物や、こちらに迷いなく進んでくる様子を見ると、ただの通行人ということはないだろう。

 近藤たちはただ息を飲んで身構える。


「一番乗りおめでとう。さて、君たちはお城の子? それとも、野次馬の子?」


 暗闇から現れた男はそう笑うと、足を止めた。これ以上はアピトの結界があって近付けない。

 距離としては2、3メートルといったところか。こんな暗がりでも姿がはっきりと見える。

 薄い茶髪に癖のついた髪、垂れ気味の伏せた目。そして黒によく映える白い肌。女かとも思えたが、声の質からして違う。こいつは男だ。

 いや、そんなことよりも……


「お前、城の時小瓶持ってた……!」


 近藤が思い出したのはこの世界にはじめて来た日のことだ。トラックに乗せられ、城の前まで飛ばされたあの日。

 瓶を騎士に飲ませ、脱出の契機を与えた、あの男だ。


「城の時……? あぁ、ジュベルを焚き付けに行った時か」


 男はそう呟くと、合点がいったように近藤を指差した。


「ってことは君は脱走した子だね。1/2の確率に入り込めるなんて運が良い。おめでとう。


私のことは親しみを込めてタダノと呼んでくれ」


 この男、タダノ・セイジ。近藤と共に城から逃げた逃亡者……のはずだ。


「さて、お二人さんも挨拶をしなさい」


 タダノに背中を押されるようにして前へ突き出されたのは亜麻色の髪の女と、黒髪の男だ。

 あれ、なんかこの女……


「君、カラリマの悪魔じゃないか!」


 アピトの声に黒髪の男はのっそりと顔を上げる。

 その髪の下からは陰鬱そうな瞳が覗いている。

 あぁ、そういえば、どこかで見たことがあると思ったら。

 どいつもこいつも見たような顔ばっか揃えやがって。


「あぁ……街で大暴れしていた……近藤さんとアピトさんですか……」


 この男、小俣みる。城の騎士カラリマの悪魔であり、今は逃亡者である。


「騎士の仕事は向いてなかったので……貴方たちの混乱に乗じて逃げさせてもらいました……」


 あたかも暴れていたのが近藤たちだけのような口振りだが、こいつのご主人様も中々暴れてたぞ。


「え、小俣君も知り合いなの? じゃあ、ホントのホントの初めましては私だけだね。


私はフォーラン。よろしくね」


 この女、フォーラン・ドニアット。変身魔法を得意とする魔女である。


「それで、どうしよっか。早速戦っちゃう? それとも、君たちも挨拶する?」


 同じ三人といえど、相手は魔女一人、男二人。そのうちの一人、小俣は一度喧嘩したこともあるがさほど強くない。

 作戦通りに進めば、勝機はある。


「そうだな。私たちも名乗ろう」


 しかしなぜかここで自己紹介タイム。

 いや待てアピト。

 敵が挨拶をしたのは余裕アピールなんだよ。

 俺たちがしたってなんの意味ねぇんだよ。

 あ、でも、敵の警戒を緩めるには丁度良いのか? もう分からん。

 頭がこんがらがってくる近藤の気持ちなんかはお構いなしに、アピトはお喋りをはじめる。


「私はセーレ・アピトだ。

ブローレの隅で何でも屋を営んでる。

金がたまったらカフェを開くのが夢なんだ。


そこの白いワンピースの彼女がレーベル・ファシスタ。

胸はないが中々度肝は座った良い奴だ。


で、そこの彼がコンドウ……ム、なんだっけ?」


「人の名前忘れんな」


「違うんだ! 私はファミリーネーム覚えられないんだ!」


「コンドウがファミリーネームだよ! ボケ!」


「え?」


 衝撃の事実みたいな顔をするな。

 あぁ、そうか。

 こっちの世界はアメリカみたいに名前と名字引っくり返すのか。


「ってか、ファシスタのは覚えてるじゃねぇか」


「なぁ、今からファーストネーム呼びにしてもいいか?」


「この状況でか?」


 タダノたちはアピトと近藤のやり取りを邪魔することなく見ている。

 なんなら鞄を地面におき、くつろいでいるようにさえ見える。

 馬鹿相手だと高を括っているのか、親切なやつなのか。

 まぁ笑っているならそっちの方が都合が良い。


「貴方たち、リサ・ラファを知っていますか」


 近藤とアピトが言い争ってる内に、ファシスタが一歩前へ出た。


「リサ・ラファ……」


 タダノは少し困ったような笑顔を見せる。これもパフォーマンスだろうか。


「貴方たちが最初に毒を与えた少女です」


「最初に?」


「ジュースを渡したの、覚えてないんですか?」


「あぁ、ジュースの」


 タダノの軽い声にファシスタが苛立っているのが分かる。


「あの子は仕方ないよ。我が儘だったから」


「貴方にリサちゃんの何が分かるんですか!」


 感情的になりかけたファシスタをアピトが制する。


「君たち、自分が何をしでかしたかは分かっているな? 今すぐこんな馬鹿げたことは止め、魔力消失した魔女を元に戻すんだ」


 アピトの言葉にタダノの顔から笑顔が消えた。


「違うな」


 タダノの目は鋭く近藤たちを射貫く。


「これは遊びじゃない。誰にやめろと言われても、やめるつもりはない」


「んなことは分かってんだよ」


「あぁ、そうだ。目的が分からないからか」


 タダノは何を思ったのかそんなことを口にした。

 その表情はすっかり元に戻っていて、尚更不気味に感じる。


「私たちの目的は、"魔女の居ない世界"を作ること」


 "魔女の居ない世界"。

 それはあまりにも規模の大きい話であった。

 一瞬『あぁ、そうなんだ』と受け流してしまいそうな程、馬鹿げたことを言っていた。

 この世界に魔女は何人いると思っているのだろう。もしそれが本気なら、それは狂気の沙汰だ。


「あのさ、それならてめぇが元の世界に戻れば済む話だろーが。俺らまで巻き込んでんじゃねぇよ」


「元の世界、か」


 タダノは近藤の言葉を繰り返す。どこか呆れた様子にまた腹が立つ。


「こっちを元の世界と同じようにしたって意味ねぇだろ。こんなことやってる暇あんなら……」


「うん。やっぱり君たちはなんにも分かってない」


 わざとらしい溜め息で言葉を遮り、言い捨てるように呟いた。


「それは貴方も同じことです」


 タダノの言葉に反応したのは近藤ではなくファシスタだった。


「同じ、ね。分かろうとしない奴の台詞だ。聞き飽きたよ」


「奇遇ですね。私もその台詞、聞き飽きました」


「……血気盛んだね。お嬢さん」


 それもそのはずだ。

 ファシスタは誰よりも近くで被害者を見てきた。

 リサも、患者も。

 ファシスタだけはその目で見てきたのだ。

 感じる怒りは誰よりも大きい。

 だが、その怒りに身を委ねてはいけない。ゆっくりと息を吐き出しながら、言葉を繋ぐ。


「なぜ、リサちゃんを狙ったんですか」


「またその話かい? 我が儘だったからだよ」


「そんな理由で、貴方たちは一人の少女の人生を狂わせたんですよ」


 ファシスタを挑発しているのか、タダノはまたその顔に笑みを張り付けケラケラと笑った。


「そんな理由で……? 君たちだってそうだったじゃないか。魔女だ悪魔だと身勝手極まりないルールで人を裁く。


これは"革命"だよ。


虐げられてきた者が裁く側に回り、虐げてきた君たちは裁かれる。

間違いだらけのこの世界を変える時が来たんだ」


 タダノはゆっくりと腕を広げる。

 その姿はさながら、舞台の上の王子様といったところだろう。


「……革命と言う言葉は誰かの幸せを奪う言葉ではありません」


 叫びたくなる衝動を、寄せ集めた理性で食い止める。

 歯の隙間から漏れる呼吸が熱を持ち、怒りに震えている。

 ここで取り乱したら、こいつと同じだ。それだけを思い、呼吸を整えた。


「世界を変えるだなんて大袈裟に言って、こんなのただの仕返しじゃないですか」


「なにも知らない君から見たらそう見えるのかな?」


 タダノの言葉に、眉がピクリと動く。


「そう見える……? 人に刃物を向ける革命は復讐です。誰かを傷つけた上で作られる新しい世界や秩序なんて、ありません。


幸せになりたいなら、貴方が幸せにならなきゃ意味がないんです」


 ファシスタはスカートの裾を握りしめた。

 こうも簡単に人を傷つけられる理由が分からなくて、悔しくて。

 リサちゃんのことだって知らない癖に。

 私のことだって分からない癖に。

 ファシスタは口の端を強く噛んでタダノを睨み付けた。


「どうやら、君は幸せに生きてき過ぎたらしい。


奪わなければ幸せを手に入れられない弱者の気持ちがわからないみたいだ」


「他人のものを奪うという行為に仕方ないということはありません」


「教科書通りの良い子だね」


 ファシスタは目を見開いた。

 なんとか保っていた理性の壁が決壊していく。


「貴方に……っ!」


「ファシスタ」


 それを止めたのは、他でもないアピトだった。


「相手にするだけ野暮さ」


 そう言うと、アピトはファシスタの頭を撫でる。


「大丈夫か?」


 アピトはファシスタのことに関してはそこそこ鋭い。

 それこそ、赤ん坊の頃からの知り合いだったのだ。


「ごめん……大丈夫」


 少し頭に血が上りすぎていた。ファシスタがやるべきことは、タダノと喧嘩をすることではない。

 皆を救うことだ。

 ファシスタが冷静になったことを確認すると、今度は近藤が口を開いた。


「てめぇらの理想像なんか知ったこっちゃねぇが、てめぇらが我を通すなら、俺らも我を通すぜ」


 近藤がタダノたちの方へ一歩歩み寄る。これが作戦開始の合図となる。

 狙いはタダノの後ろにあるあのあからさまに狙ってくださいと言わんばかりの鞄たち。

 あいつらを引ったくって結界の中へ戻る。


 そういえば、引ったくりは人生初だな。

 今近藤が警戒すべきはタダノのみ。

 小俣はどうとでもなる。

 フォーランはアピトに任せる。

 あの毒さえ持って帰れれば後はファシスタの出番だ。


 なるようになるさ。


 近藤は結界を飛び出す。と同時に、アピトが雷をそこらかしこに落とす。


「きゃあ! な、なに? 雷?」


「あーぁ……また雷ですか……」


 タダノたちも予想してなかったのだろう。先制攻撃、しかも不意打ちで決められるなんてラッキーだ。

 出来ればもっとフォーランと男たちを離して欲しかったが、結果として荷物の前ががら空きになったので良しとしよう。

 鞄に手を掛けると急いで結界へ戻る。

こんなに短い距離が長く感じることがあっただろうか。

 あぁ、そうだ。子供の頃に一人で夜のトイレ行ったときも同じ気持ちになったな。

 と、足元に違和感。


「げっ、オマタ? だっけ」


「良いですよ……なんでも……」


「あーもー離せよっ」


 雷を避けていて転んだのか、いつの間にかうつ伏せになっていた小俣に足を掴まれる。

 公園でよく横になれるな。


「押さえてて」


 タダノの声が聞こえた。

 ピンチに見えるだろうがむしろ好都合だ。


「アピト! ファシスタ!」


「任せろ!」


「はい!」


 鞄を投げると、アピトが結界を解き、ファシスタがキャッチする。

 アピトがまた結界を展開すれば、元通りだ。

 ただし、毒は結界の中に入っている。


 近藤の狙い通りだ。


 一度結界の外から中へものを入れるためには結界を一度解く必要がある。その隙にアピトたちが魔法生物に襲われれば、それが一番ヤバい。

 だからこそ、敵の気を引く必要があったが、こんな絶好のシチュエーションが回ってくるとは。


「残念だったな」


「君がね」


 タダノはそう言うと、近藤の頭を掴んだ。腕力勝負なんて上等だとすぐに振り払ってやろうとしたが、体の力が抜けた。


 気持ち悪い。


 頭の中がキーンと冷えきって、上と下が分からなくなる。

 目の前が真っ白になって夜だというのに眩しい。

 周りの音が、声が、風が、心臓が、うるせぇ。


 なんだ、何が起こってんだ。


 タダノは近藤の頭から手を離す。

 近藤はそのまま地面へぶっ倒れ、呻き声をあげる。


「あの……多田野さん……俺の上に乗ってるんですけど……」


「抜けれる?」


「無理です……」


「ごめん」


 タダノは近藤の脇腹を蹴りあげて小俣の上から退かす。

 その様子を見て、アピトとファシスタは絶句した。

 頭の働きが酷く鈍間になるのを感じた。

 呼吸も、瞬きも、何もかもが思うようにいかない。

 あの一瞬、何があったのか。

 アピトたちから見ても、近藤は頭を掴まれただけのように見えた。


「コンドウが、死んでしまう……」


 そう実感した時、アピトはユギルとの話を思い出した。



 時間はユギルの屋敷まで遡る。

 近藤たちが部屋を抜けてすぐ、タカハシも近藤たちの後を追いかけた。

 どうしたものかと首をかしげるアピトにユギルが声をかけた。


「あの男、まだ契約終ってないね」


「ん? あぁ、そうだな」


「アピト。契約の意味、知ってる?」


「へ? 契約の? 魔女の奴隷にするんだろ?」


 ユギルはそれもそうと頷きながら、契約にはもう一つの意味があると言った。


「他の魔女から狙われないとか、精を供給してもらえるとかじゃなくてか?」


「うん。それ以外。男はみんな、外の世界から来てる。だから、この世界で生きていく体じゃない。


その男の体に魔女の魔法で魔力に耐性をつける。それが契約のもう一つの意味」


 コンドウも、早く契約をしなければ、この世界の魔力に耐えられず……死ぬ。



 あれは魔力を流されたんだ。

 男のタダノがどう魔力を操ったか、フォーランの魔法なのか、そんなことはどうでも良かった。

 早く助けにいかねば。


「セーレ!」


 ファシスタの制止も振り切り、アピトは近藤のそばまで走った。

 良かった。息はある。

 そうだ。

 ウジウジせずに契約をしてしまえば良かった。

 ただ、アピトから契約を提案することで近藤の精が目当てだと思われるのが嫌だった。

 最悪、離れてしまうんじゃないかと思った。

 思ったら、言い出しにくかった。

 これが終った後、どことなく匂わせてそれで……そんなことを考えていた。

 馬鹿じゃないのか。

 ホント、馬鹿だ。


「セーレ!」


 目の前で起こってることはきっと悪夢に違いない。


 空気も、目の前の光景も、全部本物なのに、ファシスタはその状況を信じられずに居た。

 コンドウが倒れ、助けにいったアピトも……フォーランに刺された。


 そう。注射を。


 フォーランは自分の手を注射器に変えると、タダノの血を吸いとった。

 そして、そのままアピトへと刺した。

 毒々しい赤色がアピトの体へ飲み込まれると、アピトは近藤に覆い被さるように倒れた。


 束の間の静寂。


 それが終ると、爆音と共に竜巻が起こる。


「量足りなかったかったね。も少し入れる?」


「今そんなことやったら細切れだよ」


 凄まじい竜巻が木を折り、地面を抉る。

 だと言うのに、結界の中は依然として静かなままだった。


「あぁ、せっかく書いた魔方陣が……まぁ、仕方ないか。どのみち、場所変えなきゃダメだな」


「こんなになるなんて、ジュベルにやったらヤバいんじゃない?」


 ファシスタはただ呆然とタダノたちの会話を聞いていた。

 ただ、その会話も脳が受け付けない。

 何を言っているのか、分からない。

 ファシスタはその場に力なく膝をついた。その様子にタダノが目を向ける。


「そのバックの中身。それは確かに毒だ。だけど、その毒は"私の血"。いくらでも作れる。


それと、一度魔法を失った子は元には戻らない。成果の割に大きい犠牲だね」


 暴風の中、タダノの声だけはハッキリと聞こえた。


「あぁ、今さら私と戦うのはお勧めしないな。


君じゃ勝てないし、負けたら彼らを運ぶ人が居なくなる」


 タダノはそれだけ言うと背を向けた。

 タダノにそう言われずとも、ファシスタは動けなかった。


「……綺麗事じゃ人は救えなかったね」


 立ち去る直前、そんな声が聞こえた。



 目を開けると、清潔なベッドの上に居た。

 まだ頭の奥がガンガンして吐き気がするが、辛うじて起き上がれる。

 辺りを見渡すと、どうやらここは病院のようだった。

 木製の棚にところ狭しと並んだ薬品や治療器具。

 同じ形のベッドに、少しくたびれたカーテンが半開きのまま部屋を仕切っている。

 しばらくぼうっとしていると、キィと甲高い音と共にファシスタが現れた。


「あ、目が覚めましたか! 具合はどうですか?」


「あの後どうなった?!」


 ファシスタの声が引き金となり、途端に意識が覚醒する。

 目が覚めたとなれば、気になることは一つしかない。

 近藤は掴みかからんばかりの勢いでファシスタに詰めよった。

 元々近藤たちは公園に居たんだ。

 そこで多田野からバッグを奪って、頭を掴まれて……それから、記憶がない。


「そうですね。ちゃんと話さなきゃ」


 ファシスタは部屋の隅から持ってきた椅子を近藤のベッドの横に置き、腰を掛ける。

 そして開口一番、謝った。


「ごめんなさい。私、なにも出来なかった……」


 近藤には何が起こったか分からなかった。しかし、妙な胸騒ぎがあった。

 ファシスタのボロボロな服に、泣き腫らした目、どこにも居ないアピト。


 アピトが毒を刺され、それから目を覚まさない。


 ファシスタから聞いた話は到底信じられるものではなかった。

 だが、そう否定も出来ないほどファシスタが泣きじゃくるもんで認めるしかなかった。


 幸か不幸か、アピトの魔法は完全に消えることはなかった。

 アピトの魔力に対して、毒の量が少なかったのだ。


 だが、それで良かったとは言いにくい。


 この毒は魔力を放出する器官に影響を及ぼす。普通の魔女であれば放出する器官に蓋をされれば、魔法は操れない。

 だが、アピトの魔法はその蓋をこじ開けて外に漏れ出ていると言う。それも、勢いよく。

 つまり、強制的に大魔法を使っている状態が永遠と続いているのだ。


 魔法を使うのはかなり体力を使う。大魔法となれば、尚更。

 アピトが目を覚まさないのは体力消費を極限まで減らすためだと言う。

 身体中の魔力を使いきるのが先か、アピトの体力がなくなるのが先か。


 そして、さらに状況は最悪になる。

 被害は拡大し、ついに城の騎士たちも動き出した。


「マジか……」


 俺のせいじゃねぇか。

 あのとき、多田野に掴まれなければ、小俣を引きずってでも結界に入っていれば……。

 完全に足手まといだったのは近藤だ。

 対等なつもりで、対等ではなかったのだ。アピトに怒る筋合いなんてなかった。

 怒る前に、対等で居れるようにするべきだったんだ。

 それなのに、そんな努力もなしに。


「あーぁ、馬鹿らし」


 近藤の声にファシスタは泣き腫らした目を擦った。


「なんだよ。対等で居れる努力って。今更筋トレか? それともなんだ? 魔法に勝てる秘密兵器でも作んのかよ」


「な、なんの話ですか……」


「俺が対等つったら対等なんだよ」


 今は後悔なんていらねぇ。

 後で死ぬほど後悔してやるから、どーでも良いことは追い出して考えろ。

 俺のすべきことはなんだ?

 俺に出来ることはなんだ?

 そんなこと、決まってるだろ。


 考えるんだ。


 あいつらの目的は"魔女の居ない世界"を作ること。

 なら、ファシスタはなんで逃した? 結界の中に居たからか?

 違う。

 ファシスタの正義感は嫌ってほど見せつけてやったはずだ。

 俺なりアピトなりを囮にとって引きずり出すことも出来ただろう。

 しなかったのは、"メリットがない"からだ。

 ファシスタの話によるとアピトの魔法によって暴風が巻き起こったらしい。

 その暴風のなかでわざわざファシスタの魔力を消失させることは、リスクのが大きかった。


 そうだ。


 一人ひとりの魔女の魔力を消して行くのは時間がかかる。

 つまり、この無差別魔力消失はもっと効率的に魔力消失を起こさせる"下準備"と考えるのが妥当だ。

 多田野が一番最初に言っていた言葉。


『一番乗りおめでとう。さて、君たちはお城の子?それとも、野次馬の子?』


 これが妙に引っ掛かった。

 まるで、誰かが来るのを待っていたかのような口ぶり。

 そして、魔法生物が大量発生した割りには綺麗すぎる公園。


『あぁ、ジュベルを焚き付けに行った時か』


 恐らく、あいつらは城の奴らを誘きだそうとしてる。

 そして、あいつらの狙い通り城の奴らは動きだした。


 城を狙う理由はなんだ?


 城の体制を崩壊させるんだ。


 城という中央組織がなくなれば、それを頂点とした階層構造が崩壊する。

 魔法の規制は緩和され、魔女たちは城の影に隠れることなく力を発揮するようになる。

 そうすれば、魔女を狩りやすくなる。

 台頭してきた魔女を狩っていけば、次第に強い魔女は減り、弱い魔女たちは狩られることを恐れ、魔法を使うことはなくなる。


 これぞ"魔女の居ない世界"。


 城の体制を崩壊させるなら、まずは大幅に戦力を減らしに来るだろう。

 そうすれば、城の体制にダメージを与えられる上に、自分たちが追われにくくなる。

 だとしたら、多田野たちはなんとしても大部隊を扇動するはずだ。

 つまり多田野たちは、大部隊が向かう先に居る。


「よし。行くしかねぇな」


「……コンドウ?」


 ヨロヨロとベッドから腰を上げた近藤を不安そうに支えるファシスタ。


「アピトは、ヤベェか?」


 そう聞くと、ファシスタの唇が震えた。

 また泣き出してしまいそうになるのを必死に堪えながら声を絞り出す。


「ちょっと、ヤバイ、かも……しれません」


「泣いとけ。アピトが起きたとき笑ってやんねぇとならねぇからな」


 ファシスタを抱き締めながら頭を撫でてやる。アピトみたく優しく撫でてやることは出来ないが、今は気休めになれば良い。


「ファシスタ。もう少し頑張れるな」


 近藤の胸の中でファシスタは小さく頷いた。


「アピトを頼む」



 バタンと扉が閉まる音がして、部屋がまた静かに戻る。

 さっき感じていた安心は近藤と一緒にどっかへ行ってしまった。

 自分の家がとてつもなく広く感じて、怖くなる。

 鼻の奥がツンと痛い。

 もう涙なんて出てこなくて良いのにと思えるほど泣いたのに、まだ頬を伝う水分が残っている。

 でも、近藤も戦いに行ったんだ。

 私も頑張らないと。

 と、涙を拭うとノロノロと点滴の準備をはじめた。

 点滴の準備を整え廊下の奥へ足を進める。


 一番奥の部屋、重篤患者用の部屋。


 部屋を開くと焦げ臭い臭いに顔をしかめた。

 安定剤を投与してるのにまだ魔力が暴走しているみたいだ。

 部屋を飛び回る火の玉を避けつつアピトへ近付く。

 アピトの額はほんのり汗ばみ髪が張り付いている。呼吸も浅く、はやい。

 先程よりも容態は悪くなっているようだ。


「アピト……コンドウは目を覚ましたよ。


アピトを助けるために、フラフラなのに飛び出してちゃって……。


ホント、私、なんも出来ないね……アピト……ねぇ、起きて……」


 縋りたいのはアピトの方だと分かっているのに、口から溢れ出すのは弱音ばかり。

 強くなりたい。

 誰かを……ううん。アピトを救えるくらい、強くなりたい。

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