【第六話】ドキドキ! 恋の誘拐大作戦……?!
突如異世界へと飛ばされた不良少年・近藤武蔵。
その異世界はなんと、女しかいない世界だった……!
この世界の女は魔女と呼ばれ、魔法と呼ばれる不思議な力を操る。そして、その魔法の元になるものが、男の精。
魔女は男の精を吸うため、契約という魔法を使い、男を奴隷にする。
この世界に連れてこられた男は、街の魔女の奴隷となるか、城の騎士に捕まり、この世界の結界を維持するための魔力源になるしかないという。
そんなバイオレンスなエロゲーから脱出することを決めた近藤。
ユージの紹介や、カラリマとの戦闘を経て、アピトを仲間にした近藤は、この世界の結界を破壊するため、魔力について調べ始めた。
▽
人間なんて失敗する生き物だ。
人間だけじゃない。
動物も機械も、なんだったらDNAですらしくじることがある。
そんなものをいちいち数えてくよくよしても意味がない。失敗は成功の母。それを糧にし、明日に繋げていくことに意味があるのだ。
……なんて御託を並べても、実際は失敗なんてしたくないし、したらしたで反省よりも後悔が先に立つのが感情というもの。
頭のなかでぐるぐると回っているのは、あの時ああしていれば、こうしていればという、ありもしない妄想だけ。
さて、回りくどい前置きはもう終わりにしようか。
今回は少し時間を遡って近藤の人生史上最悪の事件についてお話ししよう。
なんでそんな話をするかだって? この話が番外編だからだよ。
▽
事件が起こったのは、昼過ぎ。
アピトの家で暮らし始めてからしばらく経ち、熱も怪我もすっかり治って、あとは体力の回復を待つだけ。そんな時だった。
近藤はアピトに買い出しの手伝いを申し出た。
魔法の原理についての概略をまとめ終わり、次に調べるものについての手掛かりを探しに行く……というのは建前で、なにより暇だった。
というのも、アピトの友人兼、医者であるレーベル・ファシスタから外出をキツく止められていたのだ。
ファシスタはかなりの心配性らしく、『体力が戻っていない上に、契約もしていない悪魔が街に下りるなんて危険すぎます!』と、口酸っぱく言っていた。
それだけだったらまだ良い。黙って外出してしまえば良いのだ。
しかし最悪なことに、彼女の言うことを馬鹿正直に聞き届けるアピトのせいで、外出の計画はことごとく頓挫し、近藤はもう何日も部屋に閉じ込められたままであった。
行けて玄関の少し先まで。それ以外はアピトに読み上げて貰った本の内容をまとめたり、コーヒーを淹れたりと、良くいえばまったりとした時間、悪くいえば暇すぎる時間を過ごしていたのだ。
もちろん、アピトはファシスタからの許可が下りていないと断った。
だが、ここで食い下がる近藤ではなかった。
『体力ってのは動かなきゃ回復しねぇんだよ』
『ファシスタが言ってんのはてめぇの依頼についてくとか、そういう無茶な外出のことだ』
『日常生活を送るのは問題ねぇだろ?』
などと言葉巧みに馬鹿を誘導した。
極めつけには、『ヤバかったらすぐ帰る』と約束し、とうとう外出まで漕ぎ着けたのだ。
しかし、これが間違いだった。
この経験から学習することは二つ。
一つ、何事も慣れ始めて来た頃が一番危ない。
二つ、医者の言うことは絶対に聞いた方がいい。
「気分はどうだ?」
「最悪」
「私は具合を聞いてるんだよ」
結論から言おう。
近藤は買い物に行った青果店の店先で、吐いた。
それも、商品の上に。
そりゃ一種感動すら覚えるほど見事に全部ぶちまけたあと、己のしでかした事の重大さを理解した。
即座に謝ったが、時すでに遅し。当然店主はぶちギレた。
『で、これはアンタたちが買い取るとして、この後の仕事はどうすんだい?』
なんて包丁を片手に聞かれれば、『ぜひ今日一日ここで働かせてください』と土下座する他なかった。
『日雇いだからって手加減しないよ』
と言われた通り、接客に始まり、品だしや掃除、絶対に今日の仕事ではないであろう屋根の修理までやらされた。
包丁さえなければ手を出していたというものを。
だが、それももう終わり。
閉店時間は刻一刻と近付いてきている。
客足も少なくなってきたことを良いことに、近藤は店を閉める準備をしつつ、精算作業に移っていた。
多少早めに閉めても問題はない。なにせ店主はいないのだから。
どうやら考えることはアピトも同じらしい。近藤の様子を伺いながら、外に並んでいたウッドボックスを部屋の奥へと運んでいた。
店主は美容院に行った後、友人とお茶をし、夜はバーで一杯やるらしい。
急な休日を味わい尽くすタイトなスケジュールに、近藤もアピトも絶句した。
「あの、すみません」
後は看板をクローズにするだけ。というときに、客というのはやってくる。
あからさまに怪訝そうな顔をした近藤の代わりに、アピトが前へ出た。
「はいはい!」
「キャベツ頂けます?」
「あぁ、キャベツね! キャベツ、キャベツ、キャベツは……どこだ? コンドウ」
「ここ」
アピトは投げられたキャベツを軽やかに受け取り、袋に詰める。
にこにこと笑いながら他には? なんて尋ねる姿は、そんじょそこらの店員よりも店員らしかった。
「ありがとうございます」
「いやいや! 今日はスープかい?」
「あぁ、うん、まぁ」
「それは良い!」
アピトは袋を渡すと『ぜひとも贔屓に!』なんて言って手を振った。今日限りの店員の癖に愛想良いな。
「なんだかんだで店仕舞いの時間まできっちりこなしちまったな」
「これで命が繋がったんだ。良かっただろう」
最後の客の分を書き加え、売り上げ表を棚に仕舞う。
見よう見まねのへなちょこな文体だが、なにせアピトは計算できない。間違えているより読みにくい方がマシだろう。
バックヤードに消えたアピトの背中を眺めながら、俺も看板をひっくり返すかと表に向かった。
「よーし、終わりっと」
closeと書かれた看板を撫でる。
力仕事はアピトが魔法でやってくれたが、昼の賑わいを考えれば、充分な重労働だ。
じんじんと痛む腰を伸ばしながらアピトを待っていると、ふと、背後に妙な視線を感じた。
睨むように振り返れば、その違和感はすぐに判明した。さっきの女が、物陰からじっと近藤のことを見ているのだ。
「なにか?」
近藤の言葉が分かるかは賭けだったが、どうやら通じたらしい。
彼女は大袈裟に驚くと、少し目をそらしてはにかんだ。
「あ、あの、あと、ニンジンも欲しくって……」
「あぁ、はい」
近くにあったニンジンを取ると、彼女に渡す。
代金を受け取りながら売り上げ表を書き変えなきゃなとため息をついた。
「コンドーウ! 鍵どこやった?」
「おー、俺が閉めるからいいよ」
未だ立ち去らない女を背に、近藤はバックヤードへと足を進めた。
▽
慣れない仕事にすっかり疲れきった二人はゆっくり帰路に着いていた。
流石のアピトも口数は少なく、足取りも重い。
まぁ、騒がしくなくて良いけどさ。
それでも自分のせいでそうなっていると思うと、少しばっかりは申し訳なく思ったりもする。
何度か帰れと言ったのだが、君一人にやらせるわけにはいかないと、首を縦に振ることはなかった。
呆れるほどのお人好しに、助からなかったと言えば嘘になる。元々人と関わるのが苦手な上に、ここじゃ近藤の言葉を聞こえない者も多い。
この仕事を完遂出来たのは、アピトのおかげと言ってもまぁまぁ差し支えはなかった。
疲れきった横顔に、さてどんな声をかけようかと頭をかいた。そのとき、アピトが大きな声を上げた。
「しまった! パンを買ってない!」
「……今日はもう良いだろ」
「いや、三番通りのパン屋ならまだ開いてるはず……! すぐ買ってくる! 君はここで待っていてくれ」
こうして閉店間際に駆け込んでくる客が誕生するんだな。
あっという間に小さくなったアピトの背を見届けながら、近藤は近くの壁に寄り掛かった。
体が重い。
重力に逆らう気もおきず、その場にずるずるとしゃがみこむ。
横になりたい衝動に駆られたが、道端で横になるのは目立ちすぎると踏みとどまった。
ただでさえ体力が回復していない上に、労働、そしてアピトの早足ときた。疲れないわけがない。
アピトが帰ってくるまで10分もないだろうが、しばらく休憩させて貰おう。
そう思ったのも束の間、カツリと響いたハイヒールの音に、反射的に顔を上げた。
「あの、店員さん」
目の前にいたのは、女。
腰に巻いたカーキ色の布の結び目から健康的な太ももを晒し、くすんだ白いシャツの下からへそを見せる、この世界じゃよく見かける格好だ。
店員さん……ということはさっきの客なのだろう。
あいにく、人の顔を覚えるのは得意じゃない。
誰だっけと眉を潜めた近藤は、かごからはみ出したニンジンを見てあぁと呟いた。
「閉店間際に駆け込んできた奴か」
「あ、すみません……」
女は眉を下げ、申し訳なさそうな表情を作る。
さっきも似たようなことをしたなと思いながら、で、なにか? と睨み付けた。
「あの、私、エスタって言うんだ」
「で、用件は?」
「あ、いや、その……」
「何にもねぇならどっか行け」
「……具合悪いんです?」
「いや、別に」
「なにか……飲み物でも」
「いらねぇ」
どことなく気まずい沈黙が流れるが、求めてもない心配ほど扱いに困る物はない。真意が分からないものであれば尚更。
まだ話しかけようとしているのか、女……いや、エスタは近藤の周りをうろちょろしている。
いちいちまともに相手するのも面倒になり、近藤はその場から立ち去ろうと体を起こした。が、
「……うざってぇ! 何の用だって聞いてんだろ?!」
なぜかエスタもついてくる。
度重なる面倒なやり取りに、近藤の怒りはすでに頂点に達していた。
そうだな。ここで少し注意しておこう。
不良とは、元来短気な生き物である。
エスタが自分の大声にビビったのを良いことに、胸ぐらを掴み、持ち上げる。
殴るつもりはない。脅かしてやるだけだ。
「用件はなんだ? まさか、ただ心配してた。なんて言わねぇよな? 青果店のときからずっとつけてきやがって」
「いや、だ、だから……その……」
震えるエスタを壁へ追いやり、声を低くする。
すっかり平和ボケした日々を過ごしていたが、腐っても不良。人の脅し方は衰えていない。
……自慢できることではないのだが。
はやくと急かせば、エスタの体はさらに震え、目に張った涙の膜がぐにゃりと歪んだ。
これくらいで十分か。
「たく、もう帰れ」
そう解放してやると、エスタはその場に座り込んだ。
近藤を見上げるその顔には恐怖がありありと浮かんでいる。
「あのな……なにも腰を抜かすことはねぇだろ」
自分からまとわりついてきた癖に、なんて思わなくもないが、ずっと腰を抜かされてても困る。
近藤は呆れつつ、腕を掴んで引き上げた。
その時
「は?」
思わず変な声が出た。
なんだこいつというのが率直な感想。
次いで湧いた感情は
「なにしやがった?」
口に出したときにはもう遅かった。
ふわりと生暖かい風が頬を撫でたかと思うと、縄が近藤の体を締め上げていた。
魔法だ。
理解しようともう遅い。
自由を奪われた近藤の体はバランスを失い、そのまま地面に衝突した。
痛みに耐えつつ息を吸い込めば、口の中にじわりと血の味が広がった。
なんとなく、嫌な予感がした。
産み出される台車。
詰め込まれる近藤。
台車を押し、走り出す女。
これは、もしかしなくとも……
「誘拐じゃねぇか!」
「ごめん!」
謝りゃ良いってもんでもねぇんだよ。
恐らく、近藤の舌打ちも聞こえていないのだろう。
エスタはただひたすらに前を見つめ、台車を押し続ける。
車輪は何度もレンガの隙間に引っ掛かり、その度に馬鹿みたいにデカい音が辺りに響く。
突発的な犯行だな。
まぁ、あの様子を見て計画性を感じるのは、馬鹿か相当疑り深い奴だけだろう。
大方、買い物に行ったら契約していない悪魔がいたのでつい、といったところか。
そうなれば当然、なにか仕掛けてあったり、協力者がいるなんて心配もない。
忙しなく動く瞳や、たまにもつれる足元からも、それを裏付ける動揺が簡単に読み取れる。
これなら逃げきることは問題ではない。
それよりも、あの場所から勝手に離れた言い訳を考えた方が良い。流石に拐われたのはダサすぎる。
まずは縄から抜けるか。
二、三回ほど身をよじり、ロープに緩みを作る。良い感じに緩んだところで縄の隙間から手をだし、結び目を引っ掻く。
結び目はさほど固くもなかった。
簡単にほどけた縄を後ろ手に持ち、緩まないようにしっかりと持つ。
ここでほどけたのがバレれば台車を奪う作戦が失敗する。
かなりデカいが、上手く行けばキックスケーターみたいに乗れるかも知れない。なんて期待を胸に、近藤は車輪が止まるのを待っていた。
揺られること十数分。明らかに台車のスピードが落ちてきた。
見たところ、ここは住宅街のようだ。家にでも帰るつもりか?
誘拐犯が自宅ばらすんじゃねぇよ。なんて思いながら横目でエスタを見上げる。
相変わらず前しか見ていないエスタは、近藤の異変に気付かない。
拐った相手が悪かったな。
魔女の魔法に打ちのめされてばかりの貧弱野郎だったら違った結末もあっただろうに、運の悪い女だ。
内心得意になりつつ、声を出すのを押さえた。
エスタが足を止める。
その瞬間、近藤も縄から抜け出し、髪を掴むと地面へと投げつけた。
また触れて魔法でも使われたら面倒なので、ちゃんと距離を取る。ナイス戦法。ズルくはないぞ。
「いっ! ぅう……あ、ぁ」
とっさのことに受け身すらとれなかったらしい。エスタはレンガの道にごろごろと転がる。
擦ったせいか、膝にはうっすらと血が滲んでいた。
「な、なんで?!」
起き上がる前に頭を踏みつける。
直接触れられないとなるとこの押さえ方しかない。なんだか悪いことをしてるような気もしてくるが、元々仕掛けてきたのは向こうなので、反省することもないかと結論付けた。
「なんでぇ? じゃねぇよ。馬鹿かお前。あんな縛り方じゃ拘束にもなりゃしねぇ」
痕すら付かなかった手首を見せてやれば、エスタは悔しそうに顔を歪めた。
「……足、退けてよ」
この世界では、悪魔に法律は通用しない。いわばペットも同然だ。
そんなもんだからか、この期に及んでまだ優位にたっているつもりらしい。
近藤は深くため息をつくと、自分を縛っていた縄を取り出した。
「結び方、教えてやるよ」
エスタも散々抵抗したが、力も体格も違いすぎる。
肌に触れられない不便さはあったが、思ったより簡単に結べた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! なんでもします! お金なら……!」
ようやくヤバさを自覚したらしい。が、もう遅い。
近藤はエスタを見下しながら笑みを深めた。
「んじゃ、仕上げといくか?」
エスタの顔からサッと血の気が引く。真っ青な唇が、恐怖にひきつっていた。
「い、いや、やめ……」
近藤の腕は迷わずエスタへ伸びる。
「おね、が……い」
近藤の手がエスタの首を掴む。じわじわと食い込んでいく指……なーんてな。
茶番もそこそこにエスタを担ぎ上げる。
「ほら、てめぇん家はどこだ?」
「……え?」
今にも泣きそうなその声に思わず気分がよくなる。
大方、殺されるとでも思ったのだろう。
そんなことしたってなんの得にもなりゃしねぇのに。
「……ぁ、あの」
「お前を家にぶちこんで帰んだよ。追われても面倒だし、道端に転がしとく訳にもいかねぇだろ」
安堵したのだろう。
エスタのすすり泣く声が聞こえる。
もうどっちが加害者か分からなくなってきたところで、また近藤の体が不自然に軋む。
「は?」
今度は状況を理解する前に倒れた。
「い……っ、た! っく、なんだよ……!」
道の端へ飛んでいったエスタを横目に、足元へ目線を移す。
と、そこには、蔦。
「ってめぇ! 懲りねぇなぁ!」
つーか、服越しにも魔法が使えるならそう言えよ。なんか妙な動きしてた俺が馬鹿みてぇじゃねぇか。
エスタは道に放置していくことを決意し、蔦に手を掛ける。
と、ずずずと鼻をすする音が響いた。
「……だって」
近藤も、少しばっかりはぎょっとした。
さっきから泣かせていたはいたのだが、勝手に泣いたことはなかった。
予期していなかった涙に、少しだけ驚いたのだ。
「だって、どうしても、悪魔が必要なんだもん」
大きな雫は頬を伝い、レンガを濡らす。
手が縛られているせいで、涙を拭うことも、その顔を隠すことも出来ない。
なす術なく声を上げるその姿は、まるで子どものようであった。
「……あーもう、めんどくせぇな! 泣くんじゃねぇよ」
近藤の声に彼女は一瞬涙を止めるが、またすぐに顔が曇っていく。
近藤はため息もそこそこに、また口を開いた。
「手伝えるなら手伝ってやる」
流石に、無視は出来なかった。
突発的とはいえ、誘拐に手を染めてしまうほど追い詰められていたのだ。
このまま置いていくのも後味が悪い。
エスタは一拍おいて意味を理解したのか目を大きく見開いた。
「ほんと……?」
「手伝えるなら、な」
魔法関係なら何でも屋の依頼として受ければいい。
どうしても契約しなきゃならないケースなんて、案外少ない。
言ってみろと促せば、エスタは恐る恐る口を開いた。
「……あれは、思えば夏の日だった」
何を言ってんだこいつ。
そう思って息を飲んでしまったのがダメだった。
すかさず声を出していれば、制止することだって出来ただろうに。
「日陰へはいっても暑さが体にまとわりついて、少し歩くだけで大粒の汗が額ににじむ、そんな日が続いていた」
なにか、始まった。
「エリーは、教会でよく見かける女の子だった。年は私より一つか二つくらい上で、黒く長い髪をひとつに結わえて、どんなに暑い日でもシャツのボタンをひとつも緩めない、そんな女の子。お互い顔を会わせるだけで、話すことはなかったし、特に意識したこともなかった」
ちょっと待て。
なにが起こった?
誘拐されて、泣き出して……いやまさか、なぜ悪魔が欲しいのかの問いに、数日前の天気が関係することなんてあるのだろうか。
「でもね、その日は違った。ミサが終わったあと、なんの気紛れか、私は彼女の後を追ったの。ふらりと教会を後にした彼女が気になったのかもしれない。ううん。こんな理由、きっと後付けにすぎない。ただ、事実だけはそこに違えずに存在した」
エスタは唯一動く口を流暢に動かし続ける。
それを聞く近藤の気持ちなんかは、全く興味もないらしい。
「後を追えば、そこには川があった。この教会には長いこと通っていたのに、こんな場所見たこともない。私は好奇心に飲まれるまま、彼女へ近寄った。
彼女は知ったような足取りで川へ近付く。そしてね、呆気にとられている私をよそに、彼女は川へ飛び込んだの。飛び散る水しぶきが彼女を照らす。パタパタと川へ戻る雫が、美しかった。
私は見てはいけないものを見た気になって、気が付いたら逃げ出していた」
まともに聞いてはいない。
ただ、この蔦から自力で脱出する労力と、この無駄な時間を過ごす無益さを天秤にかけながら、話の終わりを待っていた。
「その夜、私は夢を見たの。あの川での出来事を。美しすぎる夢だった。そして何より、幸せな夢だった。その夢では、彼女の隣に……私がいた」
もういっそ、それを文字におこして売ってしまえ。
誘拐なんかよりもよっぽど少ない労力で、諸々の欲が満たされるだろう。
そう助言したところで、この話から解放されるとは思えないが。
「夢の中では、彼女の眩しい笑顔をあんなにも近くで見ることが出来るのに。艶めく髪に触れることも、涼やかな声に応えることも、夢の中なら……!
でも、現実は残酷で、私はいつもその背中を追うだけ」
感極まったのか、エスタの口調が速くなっていく。
これはいい予兆だ。
盛り上がったら後は落ちるだけ。この話が終わるのも近いということだ。
近藤は、あくびを噛み殺した口で笑った。
「変えたい。自分も、この関係も……私はそう思うほど彼女に恋していた。ただ同時に、現実を知る勇気はなかった」
エスタは震える口を叱責するようにキツく噛むと、大きく息を吸い込んだ。
「だから、惚れ魔法で、彼女と……」
近藤も鈍い訳じゃない。
そこまで言われれば、エスタの意図していることは大体察することが出来た。
「オッケー。惚れた女とくっつくために人格改造(ロボトミー)手術してぇってことか」
だが、近藤の期待していた返答は返ってこなかった。
エスタは本当に意味が分からないと言いたげに目を見開いたかと思うと、はっと目を見開き、
「……違う!」
勢いよく首を振った。
「は?」
分からないのは近藤である。
話は聞いてなかったが、間違えたとは思えない。
そんな近藤の気持ちを汲んだのか、エスタが口を開いた。
「惚れ魔法はそんな、人格改造とかじゃなくって……! もっと高尚で……!」
……いや、変わらんだろ。
声にだすほど子どもではなかったが、近藤はかなり呆れていた。
そりゃ、どうでもいい他人の色恋に巻き込まれた挙げ句、その話を延々と聞かされたのだ。
こんな反応でも優しい方だろう。
「まぁいいや、そんじゃこの蔦外せ」
「え……?」
えってなんだよ。
どっち道縛られたままじゃ話にならない。
ただでさえ長いこと道路に横になっていたのだ。
通行人が通らなかったのが奇跡に近い。
「む、無理なん、です……」
「はぁ? てめぇがかけた魔法だろ」
「魔法は解くのもかけるのも魔力が必要なんだよ……!」
あまりの面倒臭さにため息すらでなかった。
「……じゃあ這ってこっちこい」
エスタは嫌そうな顔をしたが、聞こえるように舌打ちしてやれば、芋虫のようにモゾモゾと這い出した。
時間かかりそうだなと思ったのも束の間、半分くらい来たところで、エスタの動きがピタリと止まった。
首をかしげていると、ふと、蔦が消えた。
「なんだてめぇ、消せるじゃねぇ……か」
そう言ったところで、背後から嫌な視線を感じた。
「な、なんで……? あ、悪魔もいないのに……魔法……」
あぁ、やっぱりな。
近藤は、自分の後ろにいる人物の姿を想像して、最悪だと呟いた。
「ずいぶん無様な格好じゃないか!」
悪気はないのだろう。
よく通る大きな声でケラケラと笑いながら、後ろにいた女、改め、セーレ・アピトは近藤に手を差しのべた。
「よく分かったな」
「飛んで探したからな」
どうりで足音がしなかった訳だ。一人で納得しつつアピトの手を掴む。
立ち上がってみれば、足元に伏せている女はひどく憐れに見えた。
見開いた目に真っ白な唇。
目の前に現れた魔女が誰なのか、理解したのだろう。
「それで君、なんでこんなことしたんだ?」
アピトとしてはただ純粋な興味だろうが、聞かれた方はたまったもんじゃない。
なにせ、最強の魔女の質問だ。
理由によっちゃ殺されるとでも思ったのだろう。エスタは消え入りそうな声で謝罪を繰り返す。
「泣かせんなよ」
「私のせいなのか?! 君が縛ったからだろう?」
「いや、てめぇだ」
「私は縛ってない!」
見当違いな文句をスルーし、エスタの縄をほどく。
この誤解を解き、アピトへ状況説明をして、場合によっちゃその色事を依頼として受理する。
頭に浮かべた筋書きはどう頑張っても己の負担がでかくって、思わずため息をついた。
▽
結局、誤解は解けた。
エスタが近藤を誘拐した理由も話し、アピトもその説明に納得した。
後は依頼でもなんでも取り付けて帰るだけ。だというのに、なぜかアピトはエスタの家へお邪魔した。
「まぁつまり、君はそのエリーに催眠魔法をかけたいと」
「そういう言い方は……いや、はい。そうです」
アピトはそうかと呟くと、コーヒーに口をつけた。
ちなみに、このコーヒーは二杯目だ。他人の家でよくここまでくつろげるな。
「や、やってくださるんですか?」
女は確認するようにアピトの顔を覗き込む。
アピトはアピトで顎をさすりながらう~んと間抜けた声を上げた。
「だ、ダメですか……?」
「いや、私は別にかまわんよ」
アピトの台詞に明らかに歓喜の色を滲ませるエスタ。
そんなエスタの様子を他所に、アピトはだが、と続けた。
「催眠魔法はもって一日しか効かないし、催眠中の記憶は残るぞ。普通に告白した方が良いんじゃないか?」
「え?」
「おい、エスタ」
エスタのあげたすっとんきょうな声に驚いたのは、近藤も同じだ。
「てめぇ魔女の癖になんも知らねぇで魔法かけようとしてたのかよ!」
「だって! 私、魔法使ったの教会のイベントの一回だけだし……」
「うるせぇ! てめぇ俺を拐ってもなんも意味ねぇじゃねぇか! 時間無駄にしやがって!」
思わず掴みかかったが、流石に理性が働いて殴るまでには至らなかった。
こんなことがあるのだろうか。
巻き込まれた上に全くの無駄足。
苛立ちのあまり、胸ぐらを掴む手が震える。
「ご、ごめん……なさい」
「あー! くっそ!」
近藤は勢いよく立ち上がると、エスタをソファへ投げ捨てた。
「帰るぞ!」
「まぁ待て、コンドウ。これは依頼だ」
「金貰ってねぇんだから依頼でもなんでもねぇよ」
分かりやすく眉まで潜めてやったのに、アピトは気にする素振りすらみせない。
なんなら優雅にコーヒーをすすっている。
「君、本当にエリーのことが好きなんだな?」
「はい!」
アピトの質問に食い気味に答えるエスタ。
何度尋ねてもその答えが覆ることはないだろう。
唐突に始まった恋物語。あの話を聞いた今、その熱量を疑えるほどの猜疑心は近藤には残っていなかった。
「なら、なぜ催眠魔法を使う必要がある?」
アピトはコーヒーカップをソーサーに戻すと、静かに問いかけた。
その問いは随分核心に迫ったものだったらしい。エスタがぐっと息を飲む音が聞こえた。
「本当に愛しているなら、魔法なんかかかっていない、本当の自分自身を愛して貰いたいはずだ」
それが無理だから魔法に縋ってんじゃねぇのか?
もちろん、近藤は馬鹿ではない。そんなこと言えば3秒後には自分がどうなっているかは簡単に想像がつく。
だが、思わずにはいられなかった。
くだらねぇ。
「そう、ですよね……」
エスタがなにか共鳴したらしい。
ソファから立ち上がると、エスタは力強く叫んだ。
「私、本当の私をエリーに愛してほしい!」
この女、どうやら近藤を拐った理由を忘れてしまったようだ。
「よく言った」
こちらも、なんのためにエスタの家に来たのか忘れているらしい。
「なら、ありのままの君で彼女と接するんだ」
「ありがとうございます! 私、やれる気がします!」
「あぁ! 武運を祈る」
「はい!」
次の日、外出禁止令が一日伸ばされた近藤たちのもとに無事玉砕を告げる手紙が届けられることとなるのだが、この話はまたの機会にとっておこう。
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