【第二話】最強登場! 街外れのボロ屋とコーヒーの味……?!


 突如異世界へと飛ばされた不良少年・近藤武蔵。

 その異世界はなんと、女しかいない世界だった……!

 この世界の女は魔女と呼ばれ、魔法と呼ばれる不思議な力を操る。そして、その魔法の元、魔力になるものが、男の精。

 魔女は男の精を吸うため、契約という魔法を使い、男を奴隷にする。

 この世界に連れてこられた男は、街の魔女の奴隷となるか、城の騎士に捕まり、この世界の結界を維持するための魔力源になるしかないという。

 そんなバイオレンスなエロゲーから脱出することを決めた近藤。

 街で出会った少年・ユージは、無謀だと言いつつ、元の世界に戻る手助けをしてくれる者を紹介した。

 名は、セーレ・アピト。

 この世界の“最強の魔女”だ。



 煤けた赤い屋根に、蔦に覆われたレンガ造りの二階建て。ユージから聞いた通りの外装だ。


 ここが“最強の魔女”、セーレ・アピトの家。


 額に嫌な汗がにじむ。


「緊張すんな……」


 セーレ・アピトの家は街の中心からかなり離れた丘に建っていた。周りには民家はおろか、道すらない。

 腰丈くらいの雑草をかき分け進む、まさに獣道。

 最後にもう一度地図を確認してから深呼吸する。


「……行くぞ」


 近藤は自分に言い聞かせるように呟くと、扉をノックした。


「開いてるよ」


 扉の奥からは落ち着いた声が返ってきた。

 ユージはフランクな人だと言っていたが、実際に会ったことはないらしい。

 主人であるラッド・ネアと交流があり、それで知ったとか。

 ドアノブに伸ばした手が少し震えた。


 よし。


 近藤はもう一度息を深く吐き出すと、ドアノブに手を掛ける。

 ドアは軋んだ音を立てながら、老人のようにノロノロ開いた。どうやら建て付けは悪いみたいだ。

 ドアが開ききると、部屋の中からは嗅いだことのある懐かしい香りがした。


「……コーヒー、か」


 家の中も外と同様に古さが目立っていた。所々ヒビが入っていて、そこから蔦が侵入している。せっかく飾ってある絵画やおしゃれなタンスも蔦に絡まってその姿を隠している。あーぁ、 二階へ続く階段なんかもうほとんど蔦じゃねぇか。


「いらっしゃい。おや、珍しいね。男の人だ」


 声の主は部屋のセンターを陣取るカウンターテーブルに座ってコーヒーを飲んでいた。椅子に座んねぇタイプの人間らしい。


「てめぇがセーレ・アピトか」


 そいつは頷く代わりに微笑みを返した。

 黒い三角帽子に黒いマント。胸元とヘソだけくりぬかれたボディスーツも真っ黒。まさに、このエロゲーの世界観に合った魔女らしい格好だ。

 目に焼き付く黄金の髪に、褐色の肌。目元に浮かぶ赤い模様。

 その堂々とした表情は“最強”という名にふさわしい。


「そうだよ」


 この女、セーレ・アピト。この何でも屋の主人兼、最強の魔女である。


「話は中で聞こう。好きな席へ座ると良い。コーヒーでも淹れてくるよ」


 近藤はアピトに手招きされるまま、部屋の奥へと足を踏み入れた。

 魔女が男に飢えているというのは、ここに来るまでの道で嫌というほど味わった。

 こうやって対等に話せることがどれほど珍しいことか。

 まぁ、見かけだけの可能性もあるが。

 わずかばかりの警戒心を働かせ、近藤はアピトから少し離れたカウンター席に座った。


「もっと近付けば良いのに。くつろいでいて構わないよ」


 そういったことには鈍感なのか、アピトは小さく笑うと奥の部屋へと潜っていった。

 蔦が絡まっているせいで気付かなかったが、よく目を凝らしてみるとカウンターテーブルの向こう側にも部屋がある。

 あの部屋はキッチンになっているのだろう。カタカタとコーヒーを淹れる音が聞こえる。

 近藤はその音に耳を傾けながら、机に突っ伏した。


 どっと疲れたのだ。

 これからどうなるかは分からないが、一先ず話は聞いてもらえる。

 一歩前進したと思うとどうにも気が抜けてしまう。


 しかし、最強の魔女と聞いていたからもう少し歳がいっていると思っていたが、そうではないらしい。

 恐らく、近藤と二、三歳くらいしか変わらないだろう。

 最強の魔女というのもアスリートと同じなのかもしれない。

 なんて考えているうちに、コーヒーの香りが強くなり、蔦のカーテンの後ろからアピトが現れた。


「お待たせ」


 アピトは近藤の前にコーヒーと砂糖、ミルクを置く。


「あぁ、ありがとう」


 近藤は体を起こすと、コーヒーに砂糖とミルクを少しだけ投入した。

 どちらかと言えばコーラ派の近藤だが、今だけはこの香りに安心した。


 気が付けば見慣れない街に飛ばされ、目が合い次第、男の精を絞るような野蛮な奴らに狙われて、魔女やら悪魔やら意味わかんねぇ言葉が並び、異世界へ飛ばされた割にチート能力なんかはもらってない。

 こんな状況で、自分でも知らず知らずのうちに不安に感じていたのかもしれない。

 近藤はコーヒーをゆっくり流し込み、味わう。


 うん。不味い。


 なんか、ドブの臭いがする。

 残っていた砂糖とミルクをありったけ突っ込んで腹の奥へ流し込む。不味い。こりゃドブだ。


「お口にあったかな?」


 カップを机に戻すと、その子供のような瞳と目があった。


「おぉ、な、なかなか……い、ける……かな」


「そうか!」


 アピトは机に肘をたてると、どこか自慢げに呟いた。


「実は私、将来カフェを開きたくてね」


「止めておけ」


「え?」


「俺、ラッド・ネアの悪魔にお前を紹介されたんだ。元の世界に戻りてぇ」


 コーヒーが不味いカフェなんてカフェである必要がない。と言いたいところだったが、優しい近藤はぐっとそれを我慢した。

 アピトは不思議そうに二、三度まばたきを繰り返してから口を開く。


「ふぅん。ラッド・ネアが私を頼るなんてね」


 どうやら最強の魔女は急な話題転換くらいじゃ動じないらしい。

 ……少しくらいは気にしようよ。


「この結界の外の世界、ね」


 アピトはカウンターの木目をなぞると、小さなため息をひとつ吐いた。


「難しそうか?」


「難しいどころじゃない」


 正直な奴だ。

 誤魔化されるよりは良いが、ここまで堂々と言われるとなんかな。


「ここの世界は結界に覆われている。それも、その結界は外と中からかけられてるんだ。


つまり、解く時も外と中から同時に解かなくちゃいけない」


「外からも……」


 なるほど。

 要するに、最低でも外と中に一人ずつ結界を解ける奴がいなくちゃならねぇということか。


「他に解く方法はねぇのか?」


「少なくとも、私は知らない」


 アピトの指先はくるくると木目をいじり続ける。

 なにか考え事に耽っているのか、それとももう会話は終わりなのか。

 どちらにしろ、これ以上のことは分からない。

 やっぱりそう簡単にはいかねぇよなぁ。

 結界? 解ける解ける! はい、どーぞ! なんてことはないと分かっていたが、思ったよりも道は険しいらしい。


「そっか。まぁ無理なら無理でかまわねぇよ」


「いや、無理では!」


 無言に耐えかねた近藤がそう言うと、アピトは首がもげんばかりの勢いで顔を上げた。


「無理ではない。無理ではないんだ。ただ、結界を解くのは少し、その……」


「いや、そんな気にすんなって」


 今にも掴みかかってきそうなアピトをなだめながら、愛想笑いを浮かべる。

 顔付きこそヤバかったが、勢いがあったのは最初だけで、最後の方はゴニョゴニョと尻すぼみになっていった。

 一端に責任感でも感じているのだろうか。

 近藤は椅子を引くと、ぬっと立ち上がった。


「最初っからそうトントン拍子に行くとは思っちゃいねぇよ。結界の原理が知れただけでも大儲けだ」


 そう言って大きく笑ってみせたが、アピトの難しい顔は変わらない。


「サンキュー。最強の魔女」


 ちょっと分かり安すぎる慰めだろうか。

 まぁ、近藤はそんなに器用なタイプではない。これくらいが最大限だ。


「そんじゃ、失礼するわ」


 言ったは良いが、なんだか妙に気恥ずかしくなってきたので、さっさと後にしようと思ったのだが……


「待ってくれ!」


 ストップがかかった。

 スウェットだから良いけど、そんな引っ張るもんでもねぇだろ。

 相当慌てて掴んだのか、カウンターに立てた足がコーヒーカップを蹴り倒していた。


「ど、どこに行くんだ?」


 驚いてうろたえる、の典型的な表情で尋ねるアピト。


「どこって、別に決まっちゃいねぇが。他の方法探しに行くんだよ」


「……へ? ほ、他の方法?」


 あんな勢いで止めた割には、随分すっとんきょうな声をあげるもんだ。


「諦めないのか?」


「諦めるには情報が少ねぇからな」


 結界の構造、それを支える魔力や魔法といったものの"原理"。

 調べればなにか掴めそうなものをなにも調べずに食い下がるのは近藤のプライドが許さない。


「まぁ、要は結界の一部でも壊せりゃ良いんだ。なんとかなるさ」


 探し物は多いが、それはむしろ好都合だった。探し物があるということは、探せばなにか得られるということだ。


「邪魔したな」


 と、出ていく前に、ポケットをまさぐる。流石に不味いコーヒーとはいえ、お礼はしなくちゃな。


「お、良いのあった」


 近藤は、アピトの手を払うついでにあめ玉を握らすと、その場を後にした。



 頼みの綱の最強の魔女の協力は得られなかった。

 しかし、落ち込んでいる暇はない。

 やることは沢山あるのだ。

 それに、結界についての情報は手に入った。

 これがはじめの一歩だ。


 特に行くあてもないが、とりあえず街の中を歩き進める。

 街の建物はどこも同じレンガ造りで、気を抜くと迷子になりそうだ。

 今のところはここからでも嫌にハッキリ見える城を目印に歩いているが、いつ迷子になっても可笑しくない。

 まぁ、帰る場所もない近藤が迷子になるという表現は可笑しいかもしれないが。


 あ、この果物屋さっきも見たな。


 とはいえ、都会だって同じ様なものだろう。住めば同じ様なビルも見分けがついてくる。この街もしばらくすれば見分けがつくようになるのかも知れない。

 いや、そこまで長くはいないか。

 出だしに戻った感は否めないが、まだまだ戻れないと決まったわけじゃない……よな?


 で、どうやって結界について調べようか?


 目的は決まっている。しかし手段がない。

 ここにはスマホもなければパソコンもない。

 図書館に行ったって文字が読めないんだから調べようがない。

 八方塞がりだ。


「あらやだ。それって本当?」


「安いわね。ひとつ頂こうかしら」


「あれ見た? ヤバくない?」


 集中しようとすればするほど周りの音が大きく聞こえるというのはよくあること。

 ただでさえ街はやけに賑やかで活気がある。


 あぁ、うるせぇ。


 そう思い、いつのまにかうつ向いていた顔を上げる。と、怒りが嘘のように収まってくる。

 そりゃそうだ。目の前には女、女、女。それも、皆ヒラヒラの布一枚。

 ……そういえば、あいつもおっぱい大きかったよな。


 ん? 待てよ。


 ここで天才近藤がなにかをひらめいた。

 ここは女しか居ない世界。その上そいつらは、男の精を搾るため皆エロい格好してやがる。

 ってことは、川原に捨てられてる例の本よりもさらに上の景色。

 それがここ。

 絶対に戻らなくては。この景色を目に焼き付けて。

 そう堅く決意する。

 近藤はこの瞬間生まれ変わったのだ。

 拳を握りしめ、天へ突きだす。


 ……ってか、なんか俺、浮いてね?


 別に疎外感を感じた訳じゃない。確かに街中でガッツポーズしている男は疎外感を感じるかも知れないがそうじゃない。

 地面の感覚がないのだ。

 恐る恐る足元を見てみると、やっぱりいつもより地面が遠い。それも1mくらい。

 やっぱ浮いてるわ。

 そう気がついたときにはポイっと地面へ叩き落とされていた。


「いってぇ! くそ、なんだよ!」


 近藤が尻をさすりながら振り返るとそこには騎士と男が立っていた。

 そうだった。

 近藤は城に狙われていたのだ。結界のことばっかですっかり忘れてた。


「こんなとこまで来ていたとはな。逃げ足が速い奴だ。元気なのは良いことだが仕事が増えて敵わん」


 そう言いながら、騎士は近藤のことを見下ろした。

 この騎士、他の騎士とは様子が違う。


 重量感のある銀色の鎧。

 他の騎士たちは精々胸部を守るブレストプレートに小さな装飾があったくらいだったが、こいつのはそんなものと比べ物にならないほど豪華であった。


 ブレストプレートの装飾は銀がふんだんに使われ、ヘルメットには腰まで伸びる白銀の羽根が飾られている。

 下腹部を防護する二対の金属板、タセットは翼のように広がり、鉄靴にも細かな模様が描かれている。

 そして、その背にはグレートソード。デカい剣を背負っている。

 鎧も、剣も、雰囲気も、何もかもが桁違いだ。


「……カラリマ指揮官……お手を煩わせてしまい……申し訳ございません……」


「そうだな。これを機に使えない騎士は粛清してしまおうか」


 この女、ロート・カラリマ。城の騎士たちを従える指揮官である。


「きな臭い騎士もいるしね」


 カラリマはやれやれと首を振ると、ヘルメットを脱ぎ去った。

 その下から現れたのは銀色のショートヘアー。


「ミル、さっさと補給させろ。貴様は本当に使えないな」


 銀髪の下に隠れた紫の瞳が苛立ちに揺れた。

 男の肩が少し跳ねたようにも見えたが、その表情は長い前髪に遮られて読み取れない。


「……はい……」


 この男、小俣みる。カラリマの悪魔である。


「……すみません」


 街は先程までの楽しそうな賑やかさから一転、静寂に包まれていた。

 聞こえてくるのはドアを閉める音か、本当に小さいヒソヒソ声くらい。

 だが、いくら静かになったとはいえ野次馬はつく。半開きになったカーテンから覗き込んでくる目がいくつもあった。

 やっぱりこういうのは人の興味をそそるらしい。自分が巻き込まれなければ尚更。


「どーせなら混ざってけよ」


 そう言って野次馬に目を向ければ、カーテンがピシャリと閉じられた。


「血気盛んだな」


「……ここに来たばっかりの男は誰だってそうですよ……魔法とかない世界から来てるわけですし……」


 随分な御挨拶だな。

 確かに、ただ逃げ出した男なら女しかいないこの世界で魔力? 魔法? ナニソレ? と一人困惑していたところだろう。

 しかし、近藤は違った。

 魔力についても魔法についても学習済みだ。


「今のうちに油断してろ」


 近藤は袖を肘上までたくしあげると、地面を蹴るようにして立ち上がった。

 一応近藤もヤンキーなのだ。些細な喧嘩はしょっちゅうしていた。

 力には自信がある。

 さて、問題は鎧だ。

 その強度は問題ではない。

 なんたってわざわざヘルメットを取ってくれたのだ。攻撃は顔にいれてやれば良い。

 じゃあ、なにが問題だって?


 露出度が低いのだ。


 圧倒的に鎧すぎる。男の精を搾るんだろ! 脱げよ!

 鎧だってエロくなれるだろ!

 なんて心の叫びが通じたのか、脱いだ。

 小俣の方が。


「うわぁぁぁぁぁ?! 何してんだよォ?!」


 近藤の叫び虚しく、カラリマは小俣のおまたに顔を近付ける。

 やめろ! こちとら全年齢向けなんだよ!

 近藤は一気に距離を詰め、カラリマの顎に一発食らわせた。


「カラリマ指揮官……!」


 鈍い音をたて、その場に倒れ込んだカラリマを横目に、小俣の胸ぐらを掴む。


「人の心配出来る立場か?」


「あ、いや、やめ……! うわぁぁぁ?!」


 可哀想になるくらい情けない悲鳴を上げ、小俣は果物屋のウッドボックスに頭から突っ込んでいった。

 ズボン、履いとけよ。


「さて、魔力源がなきゃ魔法は使えねぇ。だろ?」


 近藤はカラリマが立ち上がる前に胴体を踏みつけ、もう一度顔に蹴りをいれた。


「ぅ、う」


 カラリマの口からは、くもぐった呻き声に混じってドロリとした血が流れ落ちた。

 近藤は意識がないことを確かめると、そっと足を離した。

 正直、城の奴らに捕まっている場合ではない。

 さっさとその場を後にしようとした、その時。


「……いい立ち回りだ。私が普通の魔女ならやられていたな」


「は?」


 なにが起こったか考える前に、思考が停止した。脳みそをガシガシと振られたような衝撃。

 じわじわと広がる頬の痛みと、口の中に鉄の味。それでようやく、殴られたことを理解した。

 何とか立っている。しかし、次の攻撃に備えることは出来ない。

 殴られると分かっていながら身構えることすら出来ない。

 何発拳を受けたのだろうか。

 力なく膝をつく頃には、意識があるのかも怪しかった。

 なんだこれ。


「そう驚くもんでもないさ。鍛えている者と鍛えていない者。どちらが強いかは明白だろう?」


 胸ぐらを掴まれれば、近藤の体は馬鹿みたいに簡単に持ち上がる。

 カラリマは血の混じった唾を吐き捨てると、唇をなめた。


「貴様、私の言葉が分かるか?」


「ぁ、あぁ……」


 返事も言葉にならない。呻き声だけがその場に響いた。

 元々、近藤の返事など期待してもいないのだろう。カラリマは気にも止めていない。


「見たところ契約はしてないな。悪魔にでも助けて貰ったか? それでこの私に勝った気になったのか? つくづく救えない奴らだ」


 カラリマが手に力を込めれば、気管がひゅっと細くなる。

 その手から逃れようともがけばもがくほど、カラリマは高く笑う。

 ヤバい、苦しい。

 息ができねぇ。

 あぁ、うるせぇ。

 声がうるせぇ。

 苦しい。苦しい。


「……うるせぇ、声だな」


 掠れた声。口を動かすとまだ頬が痛む。

 だが、そんな声でも充分だった。カラリマの眉は少しだけ苛立ちを表す。

 その表情を見るだけで気分が良い。思わず乾いた笑いが漏れた。


「随分と、威勢が良いな」


 冷静に繕おうとも隠せない怒り。

 ギラギラとした目が近藤を突き刺す。


「次は腹に入れてやる。内蔵がイカれないと良いな?」


 そう宣言されると、腹に鋭い痛みが走った。

 目の前が点滅し、口の端からはよだれが落ちる。

 もしかしたら、血が混ざっていたかも知れないが、それを確認する気力は残っていなかった。

 手足には力が入らず、ただ痙攣するだけだ。

 腹が熱い。

 焼けるように熱い。

 その熱さは体全体に広がっていく。


「がぁ……! ぐ、ぅ、は、は……」


「まだ意識があるのか? 手加減しすぎたようだ」


 カラリマは二発目の拳を振り上げる。


 死ぬ。


 ただそれだけが頭の中に浮かんだ。

 コマ送りのスローモーションを見ているようだった。

 カラリマの拳が近付いてくる。

 こんなにゆっくりならなにか言ってやろうかとも思ったが、口は動かない。

 そして、その拳は近藤の腹をえぐる……前に雷が落ちた。


「は……?」


 近藤の体は地面へと投げ捨てられる。

 脈打つように全身へ広がる痛みに咳き込みつつ、なんとか上体を起こす。


 一体、何が起こったのか。


 殴られて腫れた目をこすりながら、雷が落ちてきた方を見上げると、そこには"あの魔女"が浮いていた。


「久しぶりじゃないか。ロート」


「セーレ・アピト」


「君も、さっきぶり」


 アピトはカラリマの声を受け流すと、余裕そうに近藤にも挨拶をした。

 空気が重たい。

 アピトの髪が風にさらわれる度、さらに、物々しい雰囲気になっていく。

 アピトは自分の周りに小さな雷を纏い、カラリマを見下ろしていた。


「見逃してくれないか?」


「それで見逃されたことがあったか?」


「私は争い事が嫌いなんだ」


 カラリマは背中の剣に手をかけた。

 辺りの空気は更に緊迫する。ただの呼吸ですら、人を殺せそうな、そんな雰囲気だ。

 野次馬たちでさえ、息を殺し身を潜めている。


「……ふざけんなよ」


 どちらが先に攻撃を仕掛けるか。

 そんな両者にらみ合いの緊張感をぶち壊したのは、他でもない。

 近藤であった。


「てめぇ! 他人の喧嘩に首つっこんでんじゃねぇよ」


 近藤はそう言い捨てるとヨロヨロと立ち上がる。


「え、いやでも……」


 アピトはかなり動揺した。周りにまとった雷が静電気のように小さく弾け飛ぶ。

 言葉では強がっているが、近藤の体はボロ雑巾も良いところだ。

 アピトも動揺くらいはするだろう。


「決着つくまでやろうぜカワイ子ちゃん」


 もちろん、驚いたのはアピトだけではない。

 カラリマも、鋭い目付きでその真意を問いた。


「私と貴様じゃ遊びにもならん。せっかく救われる好機を自ら捨てるか?」


「好機? 知らねぇなぁ」


 近藤はカラリマに向けて拳を振るが、当然当たらない。

 カラリマは近藤の拳を軽く流しながら、意識は完全にアピトの方へ向いている。


「よそ見してると痛い目見るぜ」


「貴様がな」


 カラリマの蹴りは近藤の腹を狙う。

 咄嗟に腕でガードするも、力が馬鹿すぎる。

 衝撃に耐えられず、近藤の体は民家の壁に激突した。

 腕からも体からも、ミシミシと変な音が鳴っている。

 カラリマは鎧を着ているのだ。ただの殴りもただの蹴りも金属バッドで殴られてるようなものだった。


「君……!」


「見てるんだったら黙って見てろ! 助けたくなるなら帰れ!」


 近付こうとしたアピトに怒声をぶつける。

 正直体は動かない。

 だが、誰かの手を借りて情けない思いをするくらいなら、なぶり殺されてしまった方が幸せだった。

 カラリマはアピトの動きに注意しつつ、ゆっくりと近藤との距離を詰める。

 啖呵切ったはいいが、このままじゃ本当にやられる。

 倒せなくても良い。

 なにかないか。

 一発いれてやんなきゃ気が済まねぇんだ。

 なにか使えそうなものは。

 目と頭がこれまでにない程動いた。

 街、レンガ、騎士、魔女、魔法、魔力、悪魔。


 あ、そうだ。


 近藤の目に留まったのはウッドボックスの中でまだ伸びている小俣。

 近藤を倒したあとカラリマはアピトを相手にしなくてはならない。そう簡単に自分の悪魔に手を掛けることはないだろう。

 近藤はふらつく足を押さえ、小俣のところまで走った。


「逃げたとて、意味はないぞ」


 さっさと仕留めたいのだろう。

 苛立った声がすぐ後ろから聞こえてくる。

 だが、反応してやる暇はない。近藤はなんとか小俣に近付くと、ウッドボックスから引きずり出し、自分の前に構えた。


 間に合った!


「なるほど。ミルを盾にするか」


 この後、アピトと戦うことを考えているカラリマにとって、小俣は雑に扱えない存在だ。

 小俣ごと殴られることは、まずあり得ないだろう。


「まぁ、よく考えた方じゃないか?」


 そう呟いたカラリマの声は冷静だった。


「魔力源をわざわざ持ってくれるなんて、ありがたい」


 カラリマの手は、小俣の体に触れた。


『魔法を使うには二つ方法がアル。悪魔の精を吸ウか、悪魔の体を通スか』


 確か、ユージはそんなことを言っていた。

 暴力を封じられれば、残る手段は魔法だ。

 カラリマは、悪魔の体を通す、大きな魔法を撃つつもりなのだ。


 この時を待っていた。


 不自然な風の流れを感じる。

 これが魔力なのか、なんてぼんやりと思った。

 時間にすれば1秒にも満たない時間だった。

 だが、近藤には数十分とも思えるほど穏やかな時間だった。


 風が止んだ。


 魔法が発動する。

 直感がそう告げた。

 全身の筋肉が強張る。

 カラリマが魔法を発動させるその一瞬を逃すまいと、全神経を反射に注ぎ込む。


 今だ!


「行け! 小俣!」


 近藤は小俣を蹴りだした。

 バランスを崩したカラリマに乗っかる小俣。

 そして空中に産み出された巨大な岩はカラリマと小俣を押し潰す。

 辺りには二人分の悲鳴が響き渡った。

 なんか、小俣は気絶してただけなのに、散々だな。


「お見事!」


 騎士を倒したと言う余韻に浸る間もなく、アピトは近藤の側へと寄ってきた。


「お疲れ様」


「どうも」


 そう言うと同時に、体の力が抜けた。

 疲れたなんてもんじゃない。死にそうだ。

 座り込んで動けない。

 それどころか、口を動かすのですら億劫だ。


 なんでこんなとこに来たのか。


 なぜ助けようとしたのか。


 色々と聞きてぇことはあるのに、口が動かない。


「疲れただろう。怪我もひどい。手当てしてあげよう」


「そ、こまで、世話にはならねぇ」


 立ち上がる気力はないが、しばらくすれば動けるようになるだろう。

 近藤は重たくなった瞼を閉じた。


「……ほっといて、いいぜ」


 中々その場を離れようとしないアピトに、近藤はぽつりと告げる。

 しかし、アピトの気配は依然としてそこにある。

 しびれを切らした近藤が薄目を開けて確認すれば、アピトはおもむろに口を開いた。


「手当てのついでに、君の話しも詳しく聞かせてくれないか?」


「……俺の話?」


 自分の耳を疑った。

 殴られすぎて馬鹿にでもなったのか。

 いや、聞き間違いでも幻聴でもない。

 確かにそう言った。


「君の元の世界というのに興味が湧いたんだ」


「手伝って、くれんの?」


 近藤の問いにアピトは大きく頷いた。


「あぁ、誓おう! この最強の魔女の名に誓い! 君の目的を、私が必ず完遂させる」


 その力強い声と共に手を差し出された。


「名前は?」


「近藤、武蔵」


「コンドウか。よろしく」


「おう」


 その手は少し汗ばんでいた。

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