きっかけ《ターニングポイント0》


 私がユッキーと初めて話したのは、中学三年の秋。受験勉強にも本格的に身を乗り出していたころ。

 あのときの私は、いろんなことがあって疲れ切っていた。

 

 『夏凛、あなたはもっと上を目指さなきゃダメなの。遊んでるヒマなんてないわよ』

 『若葉さん、勉強教えてくれな~い? わかんないとこ多くてさ』

 『さっすが若葉さん。頼りになる』

 『困ったときは若葉さんを頼ればいい。どうせ力になってくれるから』

 『なんでもできる人にはわたしたちの苦労なんて分かんないって』

 『せっかく告白したのにフラれたわ。勉強勉強ってうるさいんだけど』 

 『どうせお高くとまってるのよ。ほんっと美人は気楽でいいわね』


 敷かれたレールの上を走る生活、うわべだけでしか見てくれない人たち、心無い陰口、打算的な関係。

 それらがいつも肩にのしかかって、押しつぶされそうだった。

 でも、期待に応えなきゃ、みんなに嫌われちゃう。そんなことばかり考えて、心が壊れちゃいそうになってた。

 

 あるとき、私は息抜きがしたくなって、ひとりでゲームセンターに寄ってみた。

 いままで行ったことなんてなかったし、どういう場所かすら分かってなかった。みんなの会話に上るから、少し興味があっただけ。


 『ねぇ、キミ可愛いね?』

 『俺らとも遊んでよ』

 『いいとこ知ってるから、一緒に行こうよ』


 ただ息抜きをしにきただけなのに、息が詰まりそうな光景が目の前には広がってて。

 もう、なにもかも嫌になりかけてた。いっそこのまま、連れられたほうが気がラクになるんじゃないかって考えが、頭をよぎったりしてた。


 そんなときだ。私の前に光が差したのは。


 『よ、待たせたな』

 『あぁ? なんだお前』

 『なんだ……ってコイツの友達だよ。ほら、行こうぜ』

 

 彼はそう言って、私の手を握ってくれた。

 周りにいた人たちをものともせずに、私をその場から連れ出してくれた。助けてくれた。

 そのとき握った手の温もりを、いまでもよく覚えてる。


 『もう少しだけ、いいか?』

 『え?』

 『どっかで見られてるかもしれないから。ちょっとだけ遠出するけど』

 『……うん』


 しばらく手を繋ぎながら、二人で歩いた。

 やがて人通りの多いところに着いて、彼は手を離した。後ろに手を引っ込めながら、視線を彷徨わせてた。

 なにか裏があるんじゃないか、打算的な関係を築きたいんじゃないか、これまでの人たちはみんなそうだったから。

 私はそう思って、わざと冷たく当たってしまった。


 『なんで助けたりしたの』

 『その、お前が困ってるみたいだったから』

 『……っ!』

 『確か、同じクラスだったろ? なんかあったら言えよ、力になるから……で、できる範囲でだけどな』

 

 恥ずかしそうにしながら、それでも彼ははにかんでみせた。

 私の態度に気を悪くしたりせず、それどころか力になるとまで言ってくれた。

 

 『――――っ』


 私はその瞬間、胸がキュウッと締めつけられたんだ。

 いつも頼られてばかりで、心にゆとりを持てないのが辛くて、この世界に逃げ場なんかないと思ってたのに。

 彼はそんな私に、力になるって、頼れって言ってくれてる。

 初めての経験に、私の中にあった冷え切った心が、じんわりと熱を帯びていくのを感じてたんだ。


 『じゃーな、気をつけて帰れよ』

 『あ、あのっ』

 『ん、どした?』

 『……た、助けてくれてありがと』

 『気にすんな。そういうのはお互い様? ってやつだから』


 彼は笑って、去っていく。

 どんどんと身体中に広がっていく熱を抑えきれなくて、私は戸惑っていた。

 けれど、不思議と嫌な感じはしなくて。

 むしろ、心地よさすら感じられて。

 私は彼のことを、もっとよく知りたくなったんだ。



 彼が同じクラスであることには、最初から気づいてた。

 でも一度も話したことはなかったし、向こうもぜんぜん話しかけてこなかった。

 いままではそれでも問題なかったけど、あの出来事があってから、私の頭の中は彼のことでいっぱいになってて。

 あふれ出そうななにかを吐きだすみたいに、彼に話しかけたんだ。


 『あのっ、林藤くん』

 『ん、どうした?』

 『わ、私と、友達になってくれませんか……?』


 いままでにないぐらいの勇気を振り絞って告げた言葉は。

 

 『あぁ、いいけど』


 彼と繋がる、きっかけになったんだ。




 それからの私は、自分の意思で決めるようになった。

 誰に嫌われたっていい、みんなに憎まれたっていい。

 だって私には、彼がいるから。


 『林藤くんはさ、どこの高校受けるつもりなの……?』

 『まぁ、家の近くにあるとこかな。俺の学力だとギリギリかもしれんけど』

 『じゃあさ、私が教えてあげるから。一緒に進学しない?』

 『え、べつにいいけど。お前はそれでいいのか? 頭いいんだろ』

 『うんっ、私が一緒のとこに行きたいだけだから』

 『そ、そうか』


 照れたような顔をする彼を見て、私の中にある思いが膨らんでいく。


 私の中で、彼が一番になった瞬間で。

 好きって気持ちをはぐくむ、その始まりでもあった。



 ◇



 「ユッキーのおかげで、私っ、変われたんだよ」 


 自室のベッドに横になりながら、私はぼやく。

 あれから、いろいろとあった。進学のことでお母さんとの折り合いは悪くなったし、中学の時の友達は自然と離れていったし。

 それでも、後悔はしてない。後悔なんてしたくない。

 だって変わるきっかけをくれた人は、いまも一番近くにいるんだから。


 「今度は私が、変えてみせるから」


 ユッキーとの仲をはぐくみたい。あなたに振り向いてもらいたい。

 それだけを想い続けて、走ってきた。

 これからも走って走って、必ず隣にたどり着くから。

 だから、それまではあなたの一番でいさせてね……?

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