付箋
六月も下旬になり、近づいてくるものがあった。期末テストである。
中間のときは夏凛の助けもあってなんとか赤点を免れることができた。だが、期末ともなると一気に教科が増える。今回はマジでヤバいかもしれない。
「てなわけで、夏凛先生っ、今回も」
「ふふっ、一緒に勉強しよっか?」
隣で救いの女神が微笑み、俺の頭が真っ白になりかけた。あぶねぇ、詰め込んできた分の知識がそのまま抜け落ちるとこだったわ。
とりあえずどこで勉強しようかという話になり、前と同じ図書室に行ってみることにしたんだが、
「うわ……」
「席空いてないみたいだね」
前回とは比較にならない人口密度で、げんなりしそうになる。ここじゃムリそうだな。
教室は騒がしいし、ってなるとやっぱ家か。チラと隣を見れば同じことを考えてたらしく、頷かれた。
というわけで連れ立って家に帰ってきた俺たちは、丸テーブルを挟んで勉強することになった。
「分かんないとこあったら聞いてね。手取り足取り教えるから」
「頼もしいな。どうせなら代わりにテスト受けてほしいぐらいだ」
「じゃあ、テスト中にこっそり答案交換しよっか? ユッキーのぶんも解いてあげるー」
いやあの、ボケただけなんで甘やかさないでほしい。どちらかというと夏凛には頼りにされたいんだから。
頬をパチンと叩いて自分を戒めつつ、教科書とノートを開く。あ、呪文のような文字列に早くも心が折れそう……。
チラと視線をやると、夏凛がカバンの中からなにかを取り出している。どうやら、付箋のようだった。細いやつと大きいやつがある。
「それ、使うのか?」
「うんっ、付箋ってけっこう便利なんだよ。ユッキーにもあげるね」
「いや、そんなの貰ってもな」
俺のイメージでは口元に貼ってちょびヒゲ! ぐらいにしか使わないものだし。
困り顔をしていれば、夏凛がすすすと身を寄せてくる。甘くいい匂いがふわっと香ってきて、ドキッとした。
「な、なんだよ急に」
「使い方教えてあげるねー」
ニコニコ微笑みながら、夏凛は教科書のとこにペタペタと貼りだした。色は赤、青、黄色の三種類で統一してるようだ。
「信号機でも作るつもりか?」
「違いますーっ、色分けしたのはね、重要度を表わしてるの」
「重要度とな?」
「そうそう。ここは絶対出る、出るかもしれない、出ないだろうな、って感じで付箋で分けてあげてます」
「え、なんでお前出るとこ分かるの」
「んー、直感かな? ま、とりあえずユッキーは赤い付箋を貼ったとこだけ覚えてくれればいいから」
どうやら赤が絶対出る、で青は出ないだろうなってことらしい。夏凛は黄色も覚えてるとのことだが、俺の記憶力ではそこまで詰め込めないだろう。
ふむふむ、これは助かるな。
「次にこの大きな付箋は、書き込む用のやつね。ここはあれと関連してるなとか、気づいたこととかをメモして貼っとくの。そうすれば探す手間も省けるから」
「ふーん、なるほど」
「ま、こっちはムリに使わなくていいから」
チラと夏凛の教科書を見れば、大きな付箋に事細かに用語が書かれている。俺にはこんなのできないけど、貰うだけもらっとくか。
「それじゃ、勉強頑張ろうねっ」
夏凛に頷きを返し、俺は教科書と向き合う。
なんども根を上げそうになるが、すぐ横で真剣な顔をしている夏凛で息抜きをしつつ、必死で頭を働かせる。
しばらく経ったころ、夏凛が顔を上げた。
「少し休憩しよっか?」
「いや、俺はまだやれる、やれるぞ……!」
「ふーん? なら、私はこの大きい付箋を使って、ユッキーと遊んじゃおっかな~」
「は?」
なんだよ遊ぶって。
キョトンとする俺をよそに、夏凛は付箋になにかを書き込んでいる。頭、とか頬っぺた、とか肩、とか身体の部位をメモってるらしい。
と、その中にあったおでこと書いてある付箋を、俺のおでこに近づけてきて。
「えいっ」
「ちょ、お前なに貼って……」
「あははははっ! キョンシーみたい~」
なんかひとりで爆笑してるんだが。
呆気に取られていると、今度はあごと書いてある付箋を、俺のあごに近づけてくる。
「えいっ、ユッキーのあごヒゲ~」
「ひとの顔で遊ぶなよ……」
「あ、ごめんね? 勉強の邪魔だった?」
「ひとりで楽しみやがって、俺にもやらせろっ」
正直、ちょっと面白そうだなと思ってる俺がいたのだ。
食ってかかるように言ってやると、夏凛が嬉しそうに頷いてみせた。それから、手に持っていた付箋をチラつかせながら、
「せっかくなので、ユッキーの学力テストもかねてのゲームをしたいと思います」
「ほう、ゲームとな。なら負けられないな」
「ふふっ、上手くできるかな~?」
舐められたもんだ、IQ五十三万の俺に不可能はない。
気持ちドヤ顔を作ってみせる俺をよそに、夏凛が付箋に文字を書いていく。さっきと同じく身体の部位のようだ。
で、なぜかそれを自分の両手の指先に、文字が見えないように貼りつけ始めた。ちょっと長いツメのつもりだろうか。
「はいっ、ゲームの説明をするね。ここにあるものをユッキーがひとつずつ引いて、書かれた場所を私の身体から探して、はっつけてください」
「ん、お前に貼ればいいのか?」
「そういうこと。簡単でしょ? 時間は全部で三分間ねっ」
上手くできるかなと言っておいて簡単でしょとは矛盾してる気が……。
とはいえ野暮なツッコミとかはせずに、ゲームを楽しむことにしよう。
十枚ある付箋に書いてある身体の部位。それを三分以内に夏凛の身体に貼りつければ勝ち、とのことらしい。
「で、間に合わなかったらユッキーの負けね。しっかりぺったんしないと落ちちゃうかもね~?」
「あぁ、分かった」
「じゃあ、始めよっか」
すっくとその場に立ちあがった夏凛が、スタートの合図を切った。
俺はまず左の小指にあった付箋を取る。おでこと書いてあった。
「ほいっ、と。よし、くっついた」
「あ、すごいすごいー」
「楽勝だろこんなん」
ほくそ笑みながら次々と付箋を取っては、貼っていく。頬っぺた、腕、までは順調だったんだが……、
「耳、か。え、これ髪をどかさなきゃいけないのか」
「もちろんだよ~。ちゃんと書いてあるとこに貼らなきゃ負けだからね」
「……っ、わ、分かったよ。少しだけ、触るぞ?」
小さく頷いた夏凛の髪に、手を触れさせる。サラサラで気持ちがいいそれをちょっとずつ動かしていき、耳の後ろにかけた。
すかさず耳たぶの辺りに、のりづけされてる部分を押し当てる。あ、耳たぶ柔らかっ。
「よ、よし……上手く貼れたぞ」
「ユッキーのんびりしてていいの? あと二分しかないよ」
「えっ、もうそんなに経ってるのか!?」
いちいちためらってる場合じゃなさそうだ。
俺は左手最後の指に貼ってあった部位――手のひらをパパッと済ませ、右手に入る。
肘にペタッと。で次は、
「太もも、ってマジかよ――!」
「早く早く~」
夏凛に急かされながら、俺はその場に屈み、視線を上げる。膝上五センチぐらいのスカートが目に入り、ごくりと生唾をのみ込んだ。
「あの、夏凛さん……? これってスカートの上から貼っても」
「ダメです~っ、それだとスカートになっちゃうからね」
「で、でも、太もも見えてないんですが……」
「中に手を入れて貼っていいよ?」
いや、マジで言ってるのかコイツ……っ!
ありえないぐらい心臓をバクつかせながら、それでも震える手を伸ばしていく。少しずつ、だが確実に近づけていった手が、スカートの中へと吸い込まれていった。
接着面を肌の辺りに寄せ、ピタッと触れたと思ったら手を離す。が、付箋が落ちてきてしまった。
「そんなに軽い感じじゃくっつかないよー?」
「ぐっ……で、でもここからじゃよく見えないんだよ」
「あ、見えづらかったら、裾を持ち上げてくれてもいいし」
「は!?」
いやいやっ、冗談じゃすまないだろそれ……っ!
そう分かってはいるのに、俺の手は動いてしまっていた。これはゲームなんだ、つまり遊びなんだ。同意の上でやってることなんだ。
自分に言い聞かせながら、スカートの裾を掴み、ゆっくりと持ち上げていく。だんだんと白い肌が露わになってくる。
背徳感のようなものに背中を押されながら、ある程度の高さまでスカートをめくり上げた。
軽く覗き込めば、パンツだって拝めてしまうだろう……って、なに考えてんだ俺はっ!
かぶりを振って邪な思考を追い出し、俺は付箋を太ももにしっかりと貼りつけた。
「んっ……」
「へ、ヘンな声出すなよ……っ、で、次だな」
「あと三枚あるからね。時間は残り一分っ」
「急がないとな。よっと……は?」
驚きの声を上げてしまうのも無理はない。だってそこに書いてあったのは、胸だったんだから。
付箋に目を落としたままの俺に、夏凛がささやくように言ってくる。
「それは……特別に服の上からでもいいよ」
「っ、え、まぁ……それなら、」
ワンチャンあるかもしれない。
俺は立ち上がり、夏凛と向かい合う。視線を下げると、そこには豊かな膨らみがあって。
このサイズなら、上から落としていれば、いつかはくっつくのではと俺は考えたのだ。
ものは試しとばかりに、付箋を落としてみる。あ、くっついた。
「って、おい! なんで胸――じゃなくて身体! 揺らすんだよっ、落ちたじゃねーか!」
「え、私言ったよね? しっかりぺったんしないと落ちちゃうかもって。誰もじっとしてるなんて言ってないから~」
「……っ」
そんな、ウソだろ。こんなのクソゲーじゃないか。はなから勝たせるつもりないんじゃないかよ。
落ち込みそうになる俺をニヤニヤといじらしげな笑みで見つめてくる夏凛。もう勝ったも同然と言わんばかりのその表情を目にしたら、なんかだんだん腹が立ってきた。
目にもの見せてやりたい。絶対ぎゃふんと言わせたる。
覚悟を決めた俺は付箋を持った手を高々と掲げ、夏凛の胸元へと振り下ろしていく。
瞬間、ぽよんとした弾力と、柔らかさが伝わってきた。
「ユッキーのえっち~!」
「ぐっ……す、スケベ上等だ! この戦いっ、絶対負けねえからな!」
「ふふ……じゃ、最後は二枚ともどうぞ」
俺は夏凛が差し出してきた付箋をひったくる。そこにはあごと唇が書いてあって。
瞬間、ドキッと心臓が跳ねた。いけない想像が、頭の中を駆け巡っている。
だって、これって……。
「……」
チラと視線を夏凛に向けたら、なぜか目をつぶっていて。
俺の想像をますます、掻き立ててきた。コイツにとっては意味のない行動なのかもしれないけど、想ってる側からしたら、誘ってるとも取られる行動なんだぞ……っ。
「……っ」
俺はあごと書いてある付箋を持って、夏凛に近づいていく。
間近でその美しい顔立ちを眺めながら、夏凛のあごに付箋を貼りつけた。でも、離さない。少しだけ、上に向けて。
ピンク色でツヤのある唇が、目に飛び込んでくる。手に持っていた付箋を落っことしてしまうぐらいに、そこは魅力的で。
心臓がうるさい。呼吸も荒い。我慢なんて、できそうにない。
もう、いいよな? 友情の先に進んだって。夏凛ならきっと分かってくれるだろうから……。
「……っ」
俺は夏凛の唇にゆっくりと、自分の口元を近づけていって……。
「――タイムアーップ!」
「うひょおぉぉぉっ――!?」
突然の叫び声に、俺は壁際まで後ずさりをした。後頭部を思いっきり強打し、その場にうずくまる。
「ぐおおおっ……いってぇ」
「あ、ごめんね? 驚かせるつもりじゃなかったんだけど」
顔を上げると心配そうに夏凛が見下ろしてきていた。手を差し出されたので、その手を掴みながら立ち上がる。
痛む頭をさすりながら、俺は訊ねた。
「で、あの、タイムアップって」
「三分経ったって意味だよ。惜しかったねユッキー、あと一個だったのに」
「そうだな……」
「あれ、顔が赤いけど大丈夫?」
「……いや、白熱し過ぎたからそのせいだろ」
「そっか。息抜きにはなったみたいだね?」
むしろどっと疲れがたまったが、余計な詮索をされたくないので、俺は黙っていることにした。
それから、テスト勉強へと戻る夏凛に、視線を向ける。
あのとき、時間がこなかったら、俺は間違いなくキスをしていただろう。
友情を壊すような真似をしたとき、夏凛はいったいどんな反応をするんだろうか?
快く受け入れてくれるのか、それとも……。
あれこれと考えてたせいか、その後の勉強には、まったく身が入らなかった。
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