空気椅子


 「あれっ、ユッキーなにやってるの?」


 教室に入ってきた夏凛が、開口一番にそんなことを言ってきた。まぁ、気にはなるよな。

 俺は足を震わせながら、言ってやる。


 「空気椅子だよ。俺は気づいたんだ」

 「え、なにに?」

 「自分が軟弱だってことに」


 体育祭のときに自覚したのだ、女の子ひとり抱えて走った程度で膝がガクガクいってしまってたことに。ほんとに情けない。男としてあるまじき失態だ。

 額に汗をかきながら荒く息をついていると、ジト目が飛んでくる。


 「ほんとのとこは?」

 「…………」

 「ユッキー」

 「い、椅子を貸してます……」

 

 ふいと目を逸らすと、夏凛が大きなため息を吐いてるのが分かった。呆れてるのだろう。

 

 「あのさ、どういう経緯でそうなったの?」

 「……ほかの人に椅子を使われてて、座れなくて困ってるやつがいたから、貸したんだよ。で、俺は空気椅子でしのいでる」

 「私の使えばいいんじゃない?」

 「それだとお前が座れなくなるだろ」

 

 ぐぐぐとやりながら吐き捨てるように言うと、夏凛が息を呑んだ。それからブンブンと首を振って、心配そうな眼差しを向けてくる。


 「でもそのままじゃ、辛くない?」

 「なんのこれしき。忍耐力には自信がある」


 気持ちドヤ顔で、親指を立ててみせた。正直もうきついんだが、好きな子の前で見栄を張りたくなるのが、男というものだろう。

 そんな心情など知るはずもない夏凛は、俺の身体を上から下までじろじろ見てくる。と、なにごとかを考えるみたいに、明後日の方角へと視線を投げた。

 

 「ん、どうかしたか?」

 「私もやってみよっかなーって」

 「いや、やめとけよ。疲れるだけだし、転んだりしたら危ないぞ」


 主にスカート丈が。ちょっと尻もちついただけでもパンツ見えそうなぐらい、きわどいくせに。

 それに、熱い眼差しが向けられてるってことに、コイツは気づいてないんだろうか? いや、気にしないってスタンスなのかもしれないが。

 けれど俺は見られたくないので、どうにかして諦めてもらおうと考える。

 が、それより先に夏凛が、提案をしてきたのだ。


 「じゃあ、ユッキーが支えてくれる?」

 「へ?」

 「転びそうになったら、手を貸してほしいの。お願いっ」

 「ったく、しょうがないやつだな」


 コイツにお願いをされたら断れないのが俺というもの。 

 痺れかけていた足を引き戻し、俺は立ち上がった。そのまま夏凛の背後に移動し、万が一に備えて気を引き締める。周りにけん制の意味も込めて、視線を向けとくのも忘れない。

 

 「よしっ、やるからね!」

 「あぁ、いつでもいいぞ」

 「はっ……んーーーーっ」

 

 椅子の形になった夏凛が、ぷるぷると足を震わせている。と、限界が来たらしく、後ろに倒れ込んできた。

 すかさず俺が両腕を掴んで引き上げる。あれ? そういえば二の腕の柔らかさって胸と同じって聞いたことが……。

 

 「あははっ、ごめんね、すぐ倒れちゃった~」

 「っ、ま、まぁ、最初はそんなもんだ」

 「よし、もう一回!」

 「もうやめといたほうが……」


 って、聞いてないし。

 その後も何度か椅子の形になり、十秒と持たずに倒れ込んでくる。そのたびに俺は疑似胸を掴まされるので、悶々としっぱなしだった。

 もう何度目か分からない引き揚げ作業を行った俺の前で、夏凛がぼやいた。


 「なんでできないんだろ……。私の体重重いのかな」

 「そんなことはないだろ」

 「じゃあ、軽い?」

 「軽い軽い。すっごく軽い」

 「え、どのくらい?」

 「あー、空気より軽いんじゃないか?」


 女性の体重はデリケートな問題なので、それとなく返しておく。ふーん、と夏凛が納得したような声を上げ、また身を屈めだした。



 それからも夏凛は挑戦を続け、なんとなく形になってきた。この体力オバケには疲れというものがないのだろうか。

 俺はもう疑似胸を触りすぎたせいで、息を荒げてしまってるってのに。

 

 「はぁはぁ……なぁ、もうそろそろ」

 「ねぇ、ユッキーもう一回空気椅子やって」

 「え、なんでだよ」

 「私っ、座ってみたいなーって」

 「は? いやいやっ、ムリに決まってるだろ!」


 そんなの支えられるわけないし、下手すりゃ反応してしまうことだって……。

 慌てた様子で首を振ると、夏凛がジト目を向けてくる。


 「空気より軽いって言ってたじゃん」

 「うっ……そ、それは」

 「だから、私が座っても支えられるよね?」

 「そ、そういう問題じゃ」

 「ねー?」

 「っ……分かったよ、やればいいんだろ!」


 もうどうなっても知らないぞ。

 その場に椅子の形になった俺を、じろじろ見つめてくる夏凛。おいっ、太ももすりすりするのやめろ。こそばゆいんだよ。

 安全性を確かめでもしたように夏凛は頷き、こっちにお尻を向けてくる。瞬間、頭の中に流れるいかがわしい思考の数々。

 それらをどうにか振り払った俺のもとに、夏凛が腰かけてきた。


 「お邪魔しまーす」

 「あっ、ぐっ、ヤバ――うおっ!」

 「――きゃあっ!」

 

 まぁ、こんなの耐えられるはずもなく、バランスを崩した俺たちは、そろって尻もちをついた。床の硬さに悲鳴を上げかける俺をよそに、夏凛はというと、楽しげに笑っている。


 「あはははっ、やっぱりムリだったね~!」

 「考えなくても分かってただろ、つーか降りろよ重いっ!」

 「んー?」

 「あっ、いやウソ、軽いです――!」

 

 周りの視線が痛いので早いとこ退いていただけると……。


 その後、夏凛が腰を上げたあとも、俺に重くのしかかっていたものがあった。

 それはまぁ、お尻の柔らかさとぬくもりという煩悩だったんだが。

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