散歩


 「ん…………?」


 目を開けたはずなのに、目の前が真っ暗だった。いや、これなにかが俺の顔を覆っているな。

 手を伸ばしてみると、布地のもののようだ。タオル、っぽい?


 「あ、待って! ユッキー、それ取っちゃダメだよ!」

 「……なんでだ?」

 「私いま着替えてるから」

 「……っ!」


 あ、あっぶねぇ! 邪魔くさくて投げ飛ばそうとか思ってたわ。早まらなくてよかった。

 宙に浮いた手を下ろし、ひとつ息をつく。

 すぐ近くから、夏凛の声が聞こえてきた。


 「でも、見たかったら見てもいいよ? 私とユッキーの仲だから」

 「……見るわけないだろ。それ、どんな仲だ」

 「んー、一緒に添い寝した仲、とか」

 

 いや言うなよ。思い出さないようにしてたってのに。

 悶々とした昨夜の出来事がフラッシュバックしてくる。タオルで顔を覆ってもらってて助かった。赤いだろうし。

 絶対、いらん追及を受けることになっただろうから。

 

 「はいっ、着替え終わったから取ってもいいよ」

 「ほんとか?」

 「真偽のほどは自分の目で確かめなきゃ。百聞は一見に如かず、だよ?」

 「イヤな予感しかしないんだが……」

 「じゃ私は、ユッキーのえっち、って叫ぶ準備してるね」

 「やっぱり着替えてねーんじゃねーか!」

 「ごめん、ウソ。ほんとに着替えてるから」

 

 このままでいるのも埒が明かないし、いい加減うっとおしいので、俺は覚悟を決めた。

 タオルを取っ払い、夏凛のいるであろう方角を睨みつけてやる。

 

 「おはよ、ユッキー」

 「……あぁ、おはよう」


 花が咲いたようなその笑顔に、毒気を抜かれてしまった。小言のひとつでも言ってやろうと思ったのに。それもこれも、コイツが可愛いのが悪い。朝日よりも眩しいのが悪い。

 つーか、ちゃんと服着てたな。ひとまず安心だ。

 

 「ってか、まだ六時かよ。早く起きすぎたな」

 「私はいつもこのぐらいだけど、ユッキーは寝てるんだ」 

 「俺は時間ギリギリまで寝てて、母さんにたたき起こされるタイプ」

 「あははっ、じゃあ二度寝しなきゃね?」

 「いや、もう起きる。眠気飛んだから」

 「そっか。じゃあ、せっかくだし……散歩でもしない?」


 夏凛からの提案に、俺は頷いてみせた。

 普段、家に引きこもりがちだから、こういう時ぐらい外の空気を吸ってみるのもいいかもしれない。

 ささっと着替え、俺たちは連れ立って外へと出た。

 太陽光が空気を温めてくれているせいか、あんまり肌寒く感じない。


 「ん~っ、いい天気。それに、空気が澄んでて気持ちいい~」

 「そうだな」


 夏凛の真似をするように、大きく伸びをしてみる。不思議とリラックスできた。

 

 「えいっ」

 「うひょおっ! ――って! なにすんだ!」

 「あははははっ! だって、スキだらけだったから」

 「だからって脇腹つつくなよ。こそばゆいし、筋肉が固まっちゃうだろうが」

 「ごめんね? なら今度はストレッチに手を貸すから」

 「いやいいです」


 俺は自分の身体を掻き抱いて、距離を取る。

 絶対くすぐる気まんまんだろうし。あの楽しげな顔がすべてを物語ってるもの。

 猫のようにシャーと唸り声を上げ、威嚇してると、ようやく諦めてくれた。


 「じゃ、いこっか。疲れたら言ってね」

 「なんだ、飲み物でもおごってくれるのか?」

 「んーん、おんぶしてあげる」

 「なら、絶対疲れたって言わないわ」


 意地とかプライド以前の問題である。

 女におんぶされるところを通行人に見られでもしたら、この道通れなくなるだろうし。


 夏凛と連れ立って、しばらく歩く。

 木々を愛でたり、夏凛が同じように散歩してる人と談笑したり、俺は塀と一体化してたり。

 散歩も、たまには悪くないな。

 それは隣で、楽しげにしている女友達の姿があるからなんだが。


 「はぁ……」

 「どした? もう疲れたか?」

 「んーん、そうじゃなくて、帰りたくないな、って思っちゃって」

 

 夏凛の横顔が、少し寂しげだ。

 ただ、俺にもその気持ちが痛いほどよく分かった。

 昨日今日と寝食を共にしてきて、ほんとに楽しかったから。ずっと笑いっぱなしだったし、コイツにドキドキさせられっぱなしだった。

 もうすぐ、帰ってしまうのだと思うと、胸にぽっかりと穴が開いたような気分になる。

 仲を深めるという行為の代償がこんなにも大きいなんて知らなかった。

 どうせすぐまた会えるってのに。そう、頭では理解しているのに。


 「……なら、もう一泊しないか……?」

 

 気が付けば俺は、そんなことを口にしていた。

 夏凛がパチパチと目を瞬かせていて、ふいに笑った。

 

 「ふふっ、そんなに私と一緒にいたいんだ~?」

 「まぁ、な。お前と一緒にいると退屈しないし」

 「素直じゃないなぁ、もう~っ」

 「バッ――腕に抱きつくな! 離れろコラ!」

 「お泊りは、難しいけど……明日も、明後日も、その次の日も、ずっとずーっと、ユッキーに会いに来るから!」

 「…………っ!」

 「だから、これからもたくさんっ、思い出作ろうね!」


 夏凛の笑顔に骨抜きにされた俺は、その場に崩れ落ちた。立ち上がれそうにない。

 ほんとにコイツは、どこまで俺の心を揺さぶれば気が済むんだろうか……。

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