ふぅふぅ


 「お邪魔しますっ」


 次の日。夏凛が家にやってきた。

 母さんの後に続いて、出迎える。いつも通りの様子だ。

 くそっ、こっちは昨日、悶々とさせられたってのに。


 「いらっしゃ~い、夏凛ちゃん。話は聞いてるわ」

 「あ、はいっ。二日間、よろしくお願いします」

 「こちらこそ~。ふつつかな息子だけどよろしくしてあげてね」


 夏凛と母さんが当たり障りのない会話をしている。仲は良好だ。

 まぁ、夏凛が家に来るたびに何度か会ったりしてるし、人となりを知ってるから母さんも気兼ねなくできてるのだろう。

 と、そんなことを考えてたら、肘でつつかれた。


 「なんだよ、母さん」

 「こんないい子ほかにいないんだから、愛想つかされないようにね」

 

 念押しされるまでもない。そんなの、俺が一番よく分かってるんだよ。

 母さんは空気を読むように、リビングへと去って行った。去り際にやけるの、やめろ。


 「とりあえず、部屋行くか?」

 「うんっ」


 俺の言葉に頷いて、夏凛があとをついてくる。 

 チラと振り返ると、昨日、指定した白いブラウスと黒、のスカート。黒……くそっ、変なことを思い出してしまう。

 脳裏に浮かんだ妄想を振り払っていると、後ろから声が。


 「ユッキーさ、なんかちょっと顔色悪くない……?」

 「……誰かさんのせいで寝られなかったんだよ」

 「ふーん……私の下着のこと、考えてたんだ?」

 「ぶふっ――!」


 おい、改まって言うな。寝てないのに記憶に定着しちゃうだろ。

 恥ずかしさで顔を上げられないでいる俺に、夏凛がつぶやいた。


 「ごめんね? ユッキーがその、気にしぃだって知らなかったから」

 「気にしてはいない。……気にはなってるが」

 「そっかそっか。そうなんだ」


 頭が回らん。眠気のせいだろう。

 ぼんやりしてしまっている俺の顔を、なにかが持ち上げた。

 よくよく見ればそれは、夏凛の手のひらで。じんわりと、熱が伝わってくる。


 「ど、どうかしたか?」

 「お詫びに、持ってきてあげる。カバンに入ってるから。ユッキーの欲しがってるもの」

 「は!? いや、その、それはさすがに」

 「コーヒー」

 「…………」


 にやにやすんな、落ち込むぞ。

 不貞腐れたようにベッドに横になる俺をよそに、夏凛は持ってきていたカバンからスティックタイプのコーヒーを取り出している。

 

 「ブラックでいいよね? 眠気覚ましには」

 「……そうだな。マグカップの場所は母さんにでも聞いてくれ」

 「りょーかいっ、じゃ、ちょっと待っててね」


 足取り軽く去っていく夏凛。十分ほどしてから、戻ってきた。

 手には二つ、マグカップが握られている。


 「おまたせー。苦かったら、言ってね」

 「あぁ」


 起き上がり、テーブルに置かれたそれをまじまじと見る。俺のはブラックコーヒーで、夏凛のはたくさんミルクでも入ってるのかカフェオレっぽかった。

 とりあえず、いただくとしよう。

 マグカップを取ろうとすると、横から制止された。


 「ん、なんだよ」

 「淹れたてで熱いからさ……ふぅふぅしてあげるねー?」

 「は?」


 なに言ってんだコイツ。

 驚きのあまり固まってしまう俺だったが、どうやらそれを肯定だと受け取ったらしく。

 夏凛は俺の方のマグカップを持ち上げ、息を吹きかけた。


 「ふ~ふ~っ……ふ~……ふふふっ」


 吐息によって揺れる水面。水滴が落ちた後のように、扇状に広がっていく波紋。

 吹きかけるたびに、夏凛の唇が突き出されるさまは、どこか色っぽくて。

 湯気が光を屈折でもしているのか、それとも潤いをもたらしているのか。

 唇がより艶やかに、見るものを惹きつけてやまない情景が、そこにはあった。


 「はいっ、どーぞ」

 

 いや、差し出されたところで、飲めるわけねーだろ。

 つーか、コイツ最後、笑ってなかったか?


 「どうしたの? あ、そっか、ユッキー猫舌だもんね。もう少し冷ました方がいいかな」

 「――ばっ、もういいから!」


 俺は持っていかれかけたマグカップを慌てて取り上げた。

 まだ熱く感じるのはコーヒーのせいか、それとも俺の身体が火照っているせいか。おそらくその両方だろう。

 隣で夏凛がじっと見つめてくる。早く飲めと急かしているのだろう。


 「…………っ」


 覚悟を決め、俺は口をつけた。

 苦いはずなのに、甘く感じる。ブラックコーヒーだって言ってたのに……砂糖でも、入れたのか。

 

 「どう?」

 「……あっつい」

 「そっか」


 全身がどうしようもなく熱い。きっと、耳まで真っ赤だろう。

 眠気はもうすっかり吹き飛んでいた。夏凛のふぅふぅ、恐るべし。


 「ふぅ~~っ」

 「おひょあぁぁぁっ!?」

 

 こ、この女! いま俺の耳元に息吹きかけてきやがったぞ!

 動揺を隠せない俺に、いじらしげな顔で、夏凛が言った。

 

 「耳まで熱が伝わってるみたいだったから、冷ましてあげようと思ったんだけど」

 「だ、誰のせいだと思ってんだよ」

 「んー、コーヒーかな?」

 

 人差し指をあごにあて、小首をかしげる夏凛。

 これ絶対分かっててやってるだろ。めんどくさいことになりそうだから、深掘りはしないけど。

 

 「あ、おいしい。おばさまの言ってた割合でミルクいれたんだけど、ありかも」

 「……戻ってくるの遅いと思ってたら、母さんと話してたのかよ」

 「もしかして、寂しかった?」

 「寝不足なのに、眠れないぐらいには」

 「そっか。じゃあ子守歌うたってあげなきゃね」

 「もういいんだよ、眠気は飛んだから」

 「へー、やっぱりコーヒーってすごいね」

 「……そうだな」


 誰かさんに比べたら、コーヒーなんて水みたいなもんだけど。

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