指先フィルター
「ねぇねぇ、ここの席借りてもいーい?」
「は、はい……ど、どうぞ」
「ありがと、代わりに私の席使っていいからね~」
「…………」
頬杖をつきながら、窓の外を眺めていると、前の席で動きがあった。
視線だけをやれば、本来そこにいたはずの男子(確か、横井って名前だった気がする)が離席するようだった。
なんだトイレか、と思ったのだが、どうやら違ったらしい。
入れ替わるようにして、夏凛のやつがやってきたのだ。
「よっ、こいしょっと」
年寄りみたいなかけ声を上げ、またぐようにしながら椅子に座っていた。
おい、花も恥じらう女子高生。少しはスカート丈を気にしろよ。
という、俺の想いは伝わるわけもなく、彼女は背もたれに腕を預けるようにしながら、こちらに身を乗り出してきた。
「あ、それでねー」
「でねー、じゃねえよ。なんでお前そこ座ってるんだよ」
何事もなかったかのように話を進めないで欲しい。
そういえば、横井のやつはどこ行ったのだろうかと視線を彷徨わせていたら、見つけた。
彼は、本来の夏凛の席である、俺の後ろの席に移動していた。身を縮めながら居心地悪そうにしている。
なんか、ごめん。ツレが迷惑かけて……。
呆れながら視線を戻すと、夏凛は目を細めていた。
いわゆるジト目というやつだ。
「なんだその目は」
「私はあなたの良心に問いかけています」
「……まるで俺に落ち度があるみたいな言い方だな」
「心当たりは?」
「ない」
いや、ほんとにない。思い当たる節なんかいっこも。
小首をかしげる俺をみて、夏凛は完全に目を閉じてしまった。
回想を思い起こすかのように、ぽつぽつと話し始める。
「……ユッキーってばさ、話しかけてもぜんっぜん反応してくれないんだもん。ぼーっと窓の外見ちゃってさー」
「ん? もしかして話しかけてくれてたのか? それは、悪かった」
なんせ、外に咲いた桜を眺めてたからなぁ……。コイツの話し声が左から右に抜けていた可能性はある。
なんだか申し訳なくなって、俺は頭を下げた。
「あ、そんなのいいよ。ぜんぜん気にしてないから~」
「……ほんとのところは?」
「私の心には暗雲が立ち込めてる。もくもくっ、ごろごろごろ――!」
「購買にある自販機で、ジュース一本で、なにとぞ手を」
「うむ、わかればよろしい」
明るく返してくれる夏凛に、内心でホッと息をつく。
他のやつらとは違って、切り替えが早いのがコイツのいいところだ。付き合いやすさを覚えるのはきっと、そのせいなんだろう。
「それより、なにか用でもあったのか?」
「んーん、別にないけど」
「おい」
あまりの平然とした物言いに、ガックリと力が抜けてしまう。なんだったんだいまのやり取りは。
呆れ顔を浮かべる俺に対し、こちらの目を見据えて、彼女は言った。
「ただ、顔が見たかっただけ」
「……っ、そ、そうか」
はにかみながらそんなことを言うな。心臓に悪すぎるんだよ。
てかそういうの、他のやつにやると勘違いされると思う。相手が俺だからまぁ、軽く火照るぐらいで済んでるけど。
動揺を表に出さないよう、コホンと咳払いをする。
逸らしていた顔を夏凛に向け、首を傾げた。
「……お前、なにやってんだ?」
なにやら謎のポーズを取っている。
両手の人差し指と中指を交差させ、ハッシュタグっぽい形を作り、真ん中に空いた穴から覗き見てきてるのだ。
それ、中高生の間で流行ってるのか? 流行に疎い俺には、よく分からんけど。
怪訝な顔をする俺に、空いた穴越しに映る瞳が、パチパチと瞬いた。
「指先フィルター。こうすれば、ユッキーの姿だけがよく見えるの」
「いや、逆に見づらいだろ」
「試してみれば?」
言われた通りにやってみるが、なるほど。やっぱ見づらい。
けれど、その窓に映る夏凛の姿は、いつもより眩く輝いているように感じられた。
「ね、ねっ、どう?」
「……眩しくて見えねーよ」
「あ、そっか。ユッキーの方、逆光だもんね」
納得したように手を叩く夏凛から、俺は視線を逸らす。フィルターの向かう先は窓の外だ。
視界に広がるのは桜の木だった。なぜか校庭に一本だけ生えてる(植えてる?)満開の桜へとフォーカスをしていく。
光を浴びてより鮮やかな色を放つそれは、とても綺麗で。
息を呑む美しさだと、思った。
「ねぇユッキー、なに見てるの?」
「桜。そこに一本だけあるだろ。お前も見てみろよ」
「え? ――うわー、ほんとにきれいな桜。何気にじっくり見るの初かも」
「初って……お前普段どこ見てんだよ」
「んー? ナイショ」
口元に指をあてて、いたずらっぽい顔を作る夏凛。
まぁ、根っからの真面目ちゃんだということを俺は知ってるので、真面目に授業を受けてるのだろう。
と、勝手に納得していると、夏凛が言った。
「あのさあのさ、せっかくだし花見行こーよ。近場の方にあるやつ」
「急に予定ぶっこんで来たな、おい……」
「だって枯れちゃったらもったいないでしょー? ね?」
おねだりをするかのように上目遣いを向けてくる。
こうなるともうこちらが折れるまで、頼み込むのが目にみえていた。
とはいえ、折れる以外の選択肢を持ち合わせてはいないんだが。
「まぁ、べつにいいけど……。今度の休みか?」
「今日の帰り、近場のコンビニでいろいろ買って、そのままれっつごー!」
「テンション高いな……」
思いがけず放課後の予定ができてしまった。
まぁ、いいか。どうせ帰ってもゲームすることしかないし。
自嘲気味に笑っていると、トントンと肩を叩かれた。
「ん、今度はなんだよ……?」
「お願い、聞いてくれてありがとね」
「…………っ」
だから、そういうの、やめろって。
笑顔を浮かべる夏凛から、目を逸らす。直視、できそうにない。
だって、フィルター越しの景色がそこにもあったんだからな。
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