第3話 狂った歯車、新たな愛

 連休終了の二日前、俺は再びアパートへ戻っていた。少し彼女と離れる事で、終わった事を気にしていても仕方ないと、気分を切り替える事が出来たのだ。


 高校の友人に相談すると、今浮気してるわけじゃないし、その親友って子がよっぽど酷かったんだろう。


 そう言われ、100%納得した訳ではないが、ある程度呑み込めるようになった。



 そうすると不思議なもので、彼女に後ろめたい気持ちが芽生え、本当は最終日に戻る予定であったが一日早く戻ってきたのだ。


 彼女も今日戻ってくる予定と聞いていたので部屋を訪ねる。



 部屋の前まで来た俺は悪戯を思いついてしまった。



(こっそり入って驚かせてみよう。)



 呼び鈴を鳴らさず玄関の戸を開ける。


 足音を立てないようゆっくりと静かに廊下を歩いていると、聞き覚えのある嬌声が聞こえてきた。


 俺は耳を疑った。



 恵奈けいながどれだけ俺に心を寄せているかは自身が良く知っている。決して自惚れではないと胸を張って言える程度には………。



(彼女がまさか浮気なんて……。)



 する訳がないと思いたくても、漏れ聞こえてくるその声は、テレビのスピーカーを通して聞こえてくるような類の声ではなく、肉声のようだ。


 その声は俺が良く聞き慣れた彼女の声だった。



(いやいや、彼女も一人の人間だ。自分で慰めることくらい……)



 俺はそう思い込もうとして、ドアノブの取っ手に手をかける。


 声が聞こえてきた時点で既に嫌な予感がしていた俺は……



 意を決してゆっくり戸と開く。








 裸で抱き合っている男女がいた。


 その二人は恋人同士だからこそ許される行為をしていた。



 俺にとっては見慣れない男と良く見慣れた彼女の美しい肢体が、同時に目に飛び込んでくる。


 

(最悪だ……。)



 現実逃避しようとしても、目の前の光景がそれを許さない。

 


 「お¨い……。」


 

 自分でも今までに聞いた事のないような低い声が出る。


 二人は驚いてこちらを振り向くと、俺をようやく認識して慌てて弁解を始めるのだが……


 こちらはぐつぐつと滾る様な怒りのせいで言っている事が全く頭に入ってこない。


 俺は一言。



 「帰れ。」



 と男に言い放った。



 これ以上この男を視界に入れていると、殺してしまいそうだ。


 男は慌てながら服を着て、さっさと逃げていく。



 残された彼女は……



「違う…違うの……。本当に違う……。」



 そう言って目に涙を浮かべていたが、それを見ても俺は全く心に響かなかった。


 だが、それでも彼女は美しい。


 その美しい彼女をただただ壊してやりたいと思った。



「どう見ても浮気なんだが、どう違うって言うんだ?」



 真顔で彼女に迫る。



「さっきの人は……例のあの子の幼馴染なの。たまたま学部が同じで、あの子がまた前みたいに友達に戻りたい。親友に戻ろうって今までの事を謝ってきたから、それに腹が立って……。もう一度、壊してやろうって……。」


「そんな理由でこっちは浮気されたのかよ。」


「本当にごめんなさい……。でも私はいっくんが一番好きよ! 小さい頃から忘れたことなんかない!」



(何言ってんだ? こいつ……本当に頭がどうかしてるんじゃないか?)



 彼女に対する気持ちは冷水をぶっ掛けられたように完全に冷え切っていた。



 それでも彼女は美しい。恋だの愛だのを今更語る気にもならないが、性欲をぶつける相手としては申し分ない。彼女を好きにしても良いのだと免罪符を与えられたような気持ちになった。


 今後どう粗雑に扱っても心が痛まない相手が出来たのだ。



「分かった。条件付きで許す。」


「本当に……?」


 礼でも言いたげな涙声で確認してくる彼女は、既に許された気になっているようだ。


 甘いな。



「条件は、俺が他の女性と何をしても一切文句を言うな。それだけだ。」


「え? それは……ダメ、だよ。」


 恵奈けいなは困惑した顔でこちらを見やる。



 付き合っていくうちに気付いた事だが、彼女の俺に対する執着心と嫉妬心は並じゃない。


 彼女の嫉妬心を徹底的に煽り、一切の反論を許さない。恵奈けいなの心にダメージを与えるには最良の方法だと俺は理解していた。


 そして執着心故に決して俺から離れないだろう事も……。



「何言ってるんだ。簡単だろ? 恵奈けいなが俺にさっき見せつけてた事を、ただ俺がやり返して、それを気にしなければそれで良いってだけだ。別にその場面を見る必要だってない。」



 首を振り、いやいやと涙ながらに彼女は訴えるが何も感じない。いや、俺は確かに今の彼女を見て暗い喜びを感じている。



「ダメか? まぁ……普通はダメだよな。」



 溜め息をついて続ける。



「じゃあ別れよう。」






「いやぁぁぁぁぁ!!!」






 彼女は悲痛な声で泣き叫ぶ。


「それは絶対ダメ! それだけはダメ! やっと…やっと会えたのに……やっと夢が叶ったのに……。」


「それをダメにしたのは自分だろ?」


「お願いします! ちゃんと言う通りにします! だから別れるのはやめて下さい!」



 お願いしますと何度も繰り返し、泣きながら縋り付いてくる彼女を見ていると、これからも仲良くやっていけるだろうと思った。



 彼女と過ごした幼い日々の綺麗な初恋の思い出は、すっかり色褪せてしまっていた。


 再会したあの日の感動は、何にも代えがたい宝物だと思っていたのに……。


 子供の恋愛なんかじゃなく、彼女をずっと大切にすると…そう思っていたのに……。


 今はそれらの思い出が、気持ちが、何の意味もない無価値のごみクズ程度にしか思えない。




 どうしてこうなってしまったんだろうな……。




 でも、俺もきっとどこかおかしいんだろう。


 すっかり焦燥し、俺を繋ぎ止めようとする彼女を見ていると、さっきはあれ程怒りに支配されていたというのに、こんなにも愛おしいと思ってしまっている自分がいるのだから。



 俺はあの日の感動、今日と言う日の絶望、そしてこれから始まる楽しい日々の記憶を永遠に忘れることはないだろう。




(ねぇいっくん。わたし引っ越しても忘れないからね。わたしの事も忘れたらダメだよ。


 絶対いつかまた会うんだから。ずっと好きでいてね。


 僕だって忘れないよ。ずっと好きだからね。


 すぐに大きくなって、けーちゃんに会いに行くよ。


 絶対だよ?


 うん。絶対の約束。)




 絶対に忘れないよ、けーちゃん。





 これも一つの新たな愛のカタチなのかもしれない。

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