第6章

翼持つ人々

 永らく不在だった翼公の再臨、そしてその新翼公によるアルヴァ王国の調停は国内外に大きな衝撃をもたらした。

 やはり国内の人間の多くは翼公の何たるかを知らず、神殿島による不法占拠だ、王位簒奪だと声高に叫んで挙兵したらしいが、国王の名の下に鎮圧された。貴族たちの取り調べや処罰は変わらず玉座にある王が行なっているという態で、実働は翼公と追放されて帰還を果たした王女によるものだということを、人々は受け入れざるを得なかったという。不用意な行動は慎まなければたとえ無実であろうとも被害が及ぶ、というアルヴァ王国民の根強い恐怖心が幸か不幸かここで上手く作用し、挙兵と鎮圧という一際大きな動きがあってからはおおよそ様子見の姿勢を取ったらしい。

 このようにして懸念していた流血を伴った争いは起こらず、混乱と恐怖を抱えながら表層は平穏で、それらの不安も遠からず平和に好転する形で調停されると期待されていた。

 だが国が大きく動く間のほとんどをコーディリアは眠って過ごしていた。

 疲労の蓄積した身体を回復させるため、そして領分を超える形で広範囲の魔力の流れを喚起させた負担が一気に押し寄せたらしく、眠っては少し起きて、を繰り返して以前のような生活に戻る頃には一ヶ月も経ってしまっていた。


 混迷の春は過ぎ去り、アルヴァ王国には夏が訪れている。窓も扉もすべて開け放され、爽やかな風が城を満たしていた。王族は行動範囲を制限されて住まいとなる宮殿からほとんど出てこられず、恐怖を振りまく存在は隔離されたも同然で、城内の客棟に滞在するコーディリアも穏やかな日々を療養生活を送っていた。

 活動時間が長くなり、医師代わりでもあるアルグフェオスやレアスの許可が下りてはじめて、コーディリアは両親との再会を果たした。

「コーディリア、コーディリア」

「よく、生きていてくれた」

 名前を繰り返し呼ばれるそれは父母の愛や悲しみ、安堵、言葉では言い尽くせない様々な思いの表れだった。嗚咽を堪えて父は母とコーディリアをまとめて抱き締める。膨らむばかりだった無念と後悔を手放せるときが来たことを噛み締めるかのように。

 エルジュヴィタ伯爵家の人々は誰一人欠けることなく無事だった。城に残っているのは伯爵夫妻とコーディリアの世話をする数名で、残りは街中の屋敷の手入れを始めている。様子を見に行ったイオンが言うに、ずいぶん荒れていてひどい状態だったようだが、絶対以前のようなお屋敷に戻してみせるとみんな意気込んでいるという。

「お父様もお母様もご無事でよかった。行方も手がかりもまったく途絶えていたので心配していたんです。でもいったいどちらにいらしたんです?」

 途端に二人は複雑な、面映くも困惑した顔で笑いながら「お前には聞く権利がある」と言って、語り始めた。

 ――それは、一度目の羽ばたき。

「お前の魔法で領地に送られた私たちは近しい者たちに状況を説明した後、早々に逃げるよう伝えて国境を目指した。隣国に逃げ込めばある程度危険は退けられると考えたからだ」

 父伯爵の苦い顔は当時の逼迫した状況を表すように歪んでいる。

「だが、王宮側は私たちに逃げ果せられては困る。実際かなり危険なところまで追い詰められた。イオンが『鳥がついてくる』と教えてくれなければ全員捕まって処刑されるか、お前を誘き出すために餌にされていただろう」

 極限の状況でイオンの発言は最初、幻覚か気のせいだと思われたようだ。だが父も母も妙に気になって、イオンの指し示す鳥を観察した。

 すると鳥はまるでそれを待っていたかのように舞い降りてきて、伯爵家一行を案内し始めたのだという。

「本当に危ないところだったの。悪路に怯んで迂回していたらきっと捕まっていたわ」

 ため息まじりに言って、どれほどぼろぼろだったか想像がつく? と母は笑い、父も頷いた。

「鳥の行く先には見知らぬ若者が待ち構えていた。その若者に『翼公アントラエル様に身柄の保護を求める宣言をするように』と求められ、言う通りにした途端、見たこともない城に移動させられたんだ。どうやら翼公の御力だったらしい。アントラエル公の居城に、私たちは匿われていたんだよ」

「アントラエル様が?」

 知った名を聞いてコーディリアは目を見張った。

 アントラエルの翼公としての圏域はこの地に隣接している。そのため制限付きではあるが代理人として干渉できるのだと父母に説明したという。

「でも保護の理由は? 翼公が動くためには理由がないといけないはずよね?」

「そう、一族の決まりらしいね。違反すると他の翼公に裁かれると聞いた。だがアントラエル様はこう仰った」

『保護要請の理由が妥当なものか現在調査中ゆえ留め置かれている、と説明しろ』

 コーディリアはぽかんとし、頭を抱えた。これを屁理屈と言わず何と言おう。父母も笑っている。

「そんな方だから、もちろんお前のことも助けてほしいとお願い申し上げた。アルヴァ王国内に残る娘は強い魔力の持ち主であることも説明して。だがお断りされてしまった。あくまでアントラエル様は代理人であり、遠からず新しい翼公がおいでになるため、これ以上の干渉はできないとの仰せだった」

 だがそのとき一羽の鳥の羽ばたきのような変化は、別の場所で小さな風に変わりつつあった。

「しかし手立てはあった。コーディリア、お前が魔力持ちであることが状況を変えるきっかけになると公は仰った」

「『稀有な魔力を有する者の保護』ですね」

 父は頷いた。

「アントラエル公が仰るに、お前の実際の魔力量が稀有なものかは判断ができない、ということが懸念材料だったらしい。だが新翼公の元に名前が挙がってはいたようだ。何故かは、わかるだろう?」

 どこかからかうような口調で言われて、コーディリアは頷きながらも視線を彷徨わせた。

 神鳥の一族は一定以上の魔力を持つ者との間にしか子孫を残せない。伴侶となれる可能性がある人間の一人として、この地の魔力持ちの娘の一人としてコーディリアの名があったと、アルグフェオスが言っていた。

 父も微笑する母も、娘の心にもたらされたものに気付いており、喜んでいるようなのが気まずくも面映い。

「それで、お父様たちはいままでずっとアントラエル様の元で隠れていたのね……」

「ああ。事態が動いたのはおおよそ一年経ってからだった」

 できる限りの手段で娘の行方を探させていた両親のもとに、ある日アントラエルがやってきた。コーディリアとはどのような娘なのか、再確認する形で詳細に聞き取られ、何事かと思っていると、コーディリアが生きていることを知らされたらしい。

「知人に連れられていた、元気そうだったとアントラエル公から聞いて、どれほど安堵したか」

 そして先日、両親はアントラエルによって新翼公であるアルグフェオスに引き合わされ、改めてコーディリアの救出を嘆願した。そうしてあの詮議の場での出来事に繋がったというわけだった。

 コーディリアも両親と別れた後の話をした。

 王都を飛び出して北を目指し、途中で翼の民に遭遇して匿ってもらってロジエにたどり着いたこと。翼の民の長の助言で魔女と呼ばれるグウェンとウルスラを訪ね、二人の厚意に助けられて名を変えて潜伏していたこと。その間の暮らしの穏やかさや、薬師として覚えた知識、ロジエの住民との出会い。そしてアルグフェオスと従者である羽子たちのこと。大変なことばかりではなかったし、運に恵まれ、人の助けを得て、幾許かの平穏を得たことを一生懸命に語った。

「だからそんなに泣くことはないの。本当よ」

 最後には泣き始めた父母を笑いながら宥め、コーディリアも涙の浮かぶ瞳をそっと伏せた。

 安らぎの終わる日を思いながら青い山並みを眺め、自由に焦がれて自らの翼を縮めていた日々は、もう来ない。コーディリアはいつだって好きなときに北の山を、遠国の海や南の森を訪れ、季節を感じ、その喜びを大勢の人と語り合うことができるのだ。

 ウルスラとグウェンもまた、コーディリアの見舞いに来てくれた。

「城の医者はやぶじゃあなかったようだね」

「元気そうでよかったわ。翼公ったらアデルに無理をさせるからとなかなか面会許可を出してくれなかったのよ」

 二人とも色彩は以前のまま、けれど簡素ながら貴族の奥方が身に纏うようなドレスに身を包み、ウルスラは嫌そうな顔を隠さずグウェンは変わらず誰にでもにこにことしていた。その言い方も久しぶりだ。まるでロジエの小さな家に戻ったかのよう。

「ご多忙でしょうに、わざわざお見舞いに来てくださってありがとうございます」

「差し入れもできなくてごめんなさいね。正体を明かしてこんな格好をしているとなかなか厨房にも立てないの」

 追放された第一王女。現国王の姉。翼公の代理人。グウェンの現在の身分だ。

 イオンや両親が教えてくれたところによると、城には少なからずグウェンのことを覚えていた者がいたという。

 いまは取り潰されて消滅した子爵家出身の母を持つ、魔力を持った可愛らしくも聡明な王女だったそうだ。だが当時の王妃が魔力持ちの王子を産んだことで、城を追われ行方知れずとなっていた。暗殺されたに違いないと誰もが思っていたらしい。

「自分の食べるものを自分で作るだけなのに、城の連中と来たら。腹の中ではあたしがロジエ伯爵家の生き残りかどうか疑っているくせに」

 吐き捨てるウルスラとくすくす笑うグウェンを見比べながら、コーディリアは会えたら尋ねようと思っていたことを口にした。

「お二人は、どういう経緯でロジエに……?」

 お互いの正体を探らない、不必要に聞かないというのが共同生活の不文律だった。それを破るのだから恐らく二度とあそこには戻れない。覚悟の上で見つめるコーディリアにグウェンは淡く目を細め、ウルスラはふんと鼻を鳴らした。

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