凪の日

「元々ロジエに住んでいたあたしと母親のところに、グウェンとその母親が転がり込んできたのさ。それ以来の付き合いだよ」

 ロジエ近辺を治める領主家は先代の翼公とともに救国の革命を起こそうとしたものの叶わず、翼公は取り除かれ、伯爵家もまた取り潰しという形で失われた。そうして領主家の治めていた一帯は神殿島の預かりとなり、新しい翼公が置かれれば領地はアルヴァ王国に返還され、新しい領主がやってくる、そういう取り決めが存在していたという。

 ロジエに暮らすウルスラとその母はそれを黙って受け入れるつもりだったと話した。

「あたしが母親から聞いていたのは、お家が取り潰されたときに幼かった子どもたちだけは処刑を免れて別の国に追放されたってことだった。王宮側が見逃すとは思えないから神殿島か近くの翼公かの手が入ったんだろうね。神鳥の一族も聖職者も自分らの汚点はなんとかしたかったんだろうさ」

 口汚く言うが、真相は当たらずも遠からずなのだろう。堕ちた翼公とともに失われた命に彼らは少しでも救いを与えたかったはずだ。行方を把握していた理由もそれに違いない。

「ロジエの誰も母やあたしが伯爵家の血を継ぐなんてわかるわけなかったが、自分たちの先祖がどうなったかは知っていたからね、王宮側の刺客か何かに殺される可能性も零じゃなかった。それでも母はあたしの手を引いてロジエにやってきて、このくだらなくも窮屈な国の田舎の古い家を手に入れて暮らし始めた。何故かと聞いたら『風が吹いたから』だと言うから、いよいよ馬鹿になったんだと思ったさ」

「おばさまはウルスラとは正反対のおっとりした方で、私も後々、この方が自分たちにとって呪われたロジエに戻ろうと考えて行動に移したことを不思議に思ったものだったわ。でも、心が、誰よりも強い方だったのよ」

「『おっとり』? そんないいものじゃないよ。金に困っている知人に考えもなしに金を貸したり、薬代をつけにしたり、とんでもないお人好しのお馬鹿だった。あんたの母さんの方がお嬢様なのにしっかりしていたよ」

「それだけ苦労したからでしょうねえ。でも弱い人ではあったのよ。夜更けによく泣いていたもの」

 ふうとため息をつき「話が逸れたわね」とグウェンは笑い、「これだから歳を取るのは嫌なんだ」とウルスラはうんざりしていた。

「まあそんなわけで、あたしと母親はロジエの薬師として生活を始めたのさ。そうして余所者がそれなりに馴染んだ頃、グウェンとその母親が転がり込んできた」

 それで終わりとばかりに話し手の権利がウルスラからグウェンに移る。

「私の話はよくあるものよ。国王の娘として生まれて、魔力を持っていたから王位継承者と目されていたけれど、歳の離れた弟がより強い魔力を持っていると見なされたので城を追われたの……というより暗殺の気配を察知した母が私を連れて逃げ出した、が正しいかしらね。私の母が賢明だったのは、頼るべき相手を冷静に見定めたこと。王国にもこの国の人間とも関わりのない人たちに助けを求めたおかげで命を拾った。アデル、あなたも知っている人たちよ」

「私も、ですか?」

「ええ。その人たちが教えてくれたの。『翼の再臨を待つ地』というロジエに行け、とね」

 あっ、とコーディリアは手を打った。

「流浪の……」

 ウルスラはいい子と褒めるように目を細める。

 流浪の民。神鳥を信仰し、旅を続ける人々にかつてコーディリアも助けられ、ロジエの魔女を訪ねるよう言われたのだ。

「おかげで私たちはウルスラたちのもとにたどり着き、薬師として新しい生活を始めたの。お互いの母親を見送って、二人きりになって、静かに歳を重ねていくんだろうと思っていたのだけれど……」

 ――それは、恐らく二度目の羽ばたき。

「いま思えば彼らはこうなることを予期していたように思うわ。母と王女であった私をロジエ伯爵家の末裔のウルスラとお母様のところへ導き、私たちの元にあなたを連れてきた。翼公との縁を得ることになるあなたを。時が来たのだと思ったわ。この国と自分たちにまつわるすべてのものを清算し、新しい風を吹かせるときが来たのだって……」

 瞑目する彼女が、最初その変化をあまり歓迎していなかったのだと気付かないコーディリアではなかった。流れ着いた地での秘密を抱えた女性たちの暮らしを、母親と娘たちの賑やかな日々を、お互いの母親が亡くなった後の二人の静かで騒々しい毎日を、きっとグウェンもウルスラも愛しんでいた。

 けれど羽ばたきが風を吹かせた。飛び立つときを知らせる力強さを感じずにはいられないほどに。そして自由を失っていた自分たちはその風に乗ってどこまで行けるか確かめたいと思わずにはいられなかったのだろう。

「今回のことが終わったら、お二人はどうされるおつもりですか?」

 コーディリアが尋ねるとグウェンは「ロジエに帰るわ」と何の躊躇いもなく答えた。

「二度と政には関わらないわ。ロジエの魔女として静かに暮らしていくつもりよ。お抱え薬師になるのもいいかもしれないわね。女領主様専属の薬師」

「年寄りが年寄りを見るなんてごめんだね。それにあたしが領主になりたいなんていつ言ったんだい。手続きを踏んで権利を譲ったお貴族様に治めてもらうよ」

 そうして二人の暮らしに戻るのだ。いつになるかはわからない、もしかしたら叶わないかもしれないけれど、それが二人の夢なのだった。

「心配しなくても、いつでも遊びにいらっしゃいな。ご近所さんになるんだから」

「旦那と喧嘩したらまあ話を聞いてやらないこともないね」

「まっ、まだ旦那様じゃありません! というか、そういう概念があるかどうかもわかりません!」

 コーディリアの慌てように、魔女たちは声を上げて笑った。

 城内の様子や、会議の際の当て擦り、何かとねちっこく絡んでくる貴族のことなどひとしきり話したところで女官と侍従がやってきた。そろそろ時間だと二人を呼びにきたらしい。

「あら、もう? あっという間ねえ」

「あたしたちがいなくとも会議なんて回るだろうに」

 姿があるのとないのではやはり違っていて色々と首尾よく運ぶのだが、ほとんどが足元を掬おうと目を光らせている敵で残りは何もしたくないという人間が集う会議の場はとにかく疲れるらしい。川の水の流れを手で変えようとしているみたいとグウェンは言い、溝鼠に帝王学を解くぐらい無駄とウルスラはばっさり切り捨てた。時間が空いたらお茶会をしようと見送ったが、グウェンが何か思い出したように戻ってきた。

「アデル、少し考えておいてほしいことがあるの。後日翼公からもお話があると思うけれど……」

 何だろうと耳を傾けてしばらく。

 そういうことか、とコーディリアは息を落とした。

「気が重いでしょうけれど、あなたには権利があるから」

「必要なことですから、ちゃんと考えておきます」

 そう答えたものの、グウェンがいなくなるとコーディリアはだらしなく長椅子に寝そべった。人と会うのは楽しいし話をするのも聞くのも好きだけれど、まだすぐに疲れてしまう。最後のグウェンの頼みのこともある。

 イオンが止めたこともあり後の時間は身体を休めることにした。目を閉じてアルグフェオスの『目が覚めたとき、きっとまた世界は善くなっている』という言葉を思い出し、同じことを祈るのがすっかり習慣になっていた。

 そのアルグフェオスはあまり姿を見せない。見せられないくらい多忙なようだった。それでも少しでも時間があれば部屋に来て、わずかばかりの言葉を交わして仕事に戻っていく。そんな不規則かつ短い時間なので、コーディリアの元に来客がいることもあるし、眠っていて起きてからイオンに来訪を知らされることもあった。

 けれどその時間は、過去を思い出して沈む心を掬い上げ、悪い夢を見た朝にコーディリアを慰めてくれる大切なものだった。

(ちゃんと休めているのかしら。翼公と言えど敵や信用ならない人々に囲まれて疲弊しないわけないもの)

 そんなことを考えていたせいだろうか。緩やかに眠りに落ちたコーディリアが気が付いたとき、すっかり空は夜に染まっていた。足元には篝火を灯した城。風は感じない。何故なら意識だけが漂っているから。

 あのときと同じように無意識的に見たいものを見ようとしてしまったようだ。理解が及んだ瞬間、水中をもがくように姿勢を崩して両手足をばたつかせてしまったが、自分自身に落ち着くよう言い聞かせてなんとか立て直す。意識のみの状態だからだろう、焦りや戸惑いが身体に反映されるし、冷静でいれば万能なほど自由になれるのだった。

(アルグフェオスのところへ)

 心を鎮めて青い姿を思い浮かべた次の瞬間、知らない部屋の上にいた。見下ろす位置にいるのが落ち着かないので室内に、と願うと床に降りることができた。

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