すれ違いの果てに

 錫杖から、龍のうろこからとどめなく、光が洪水のように溢れた。赤、青、黄、茶、白。

 龍のうろこが割れて、錫杖も砕ける。 それでもなお、五色の光たちは、すべてあたしに襲い掛かってくる。光の奥には、ひとつひとつテレビのように、映像があった。

 あたしは映像の一つに触れる。指先で触れた光はあたしを包み、シャボン玉のように弾けた。


『どうして……』

 誰かが泣いている。いや、これは誰かじゃない。いつかのあたしの泣き声だ。 

 そう勘づくと、記憶の奔流が頭に流れ込んでいる。


「うっ……」


 脳天をハンマーで叩かれているような頭痛。あたしは頭を両手で抑えて、うずくまった。


『どうしてあたしには、お父さんとお母さんがいないの! 美花も秀人もみんないるのに! どうして、あたしにはおばあちゃんとおじいちゃんしかお迎えに来ないの!』


 幼稚園生のあたしが、おばあちゃんにすがりついて泣いている。おばあちゃんもなんだか泣きそうになって、あたしをなだめている。

 羨ましかった。おじいちゃんとおばあちゃんから、十分に愛されていたことは分かっていた。それでも、みんなが当たり前に持っている存在が羨ましくて、妬ましくて、こうして八つ当たりをしてしまった。

 その映像は終わり、あたしはまた光に触れた。映像が再生されるたびに、あたしのものとして記憶が戻ってくる。

 あるときは絵本を読んで、夜空に浮かぶまんまるのお月様に憧れ、星々に込められた物語を知った。この目で夜空を眺めたいと思った。水鏡島は夜になれば、家々の灯りは消えて、月と星の光が唯一の光源となるという。

 小学校。校外学習での天体観測を楽しみにしていたのに、起きたのは朝だった。楽しそうに、語らうクラスメートが羨ましかった。どうして、あたしだけ見ることができなかったのだろうと、秀人に話していたら、泣きじゃくって困らせてしまった。


「うううう……」


 うめきながら夜空を見上げる。なんて、美しいのだろう。星柄の絨毯が空を覆っているみたいだ。静かに、あるいは派手にちかちかと瞬いている。

 絵本や本を集めて知った情報よりも、何百倍も実物は美しいな。

 ああ、苦しいんだけど、なんだか、いま生きていてよかったと思えた。

 触れるごとに、光の洪水は弱まっていき、最後には真っ白な光が残った。

 あたしは真っ白な光へと歩みより、白に包まれた。きっと、これが一番大事な記憶だ。


「ここは……病院?」


 真っ白な光は、あたしを記憶の中の病院に運んできたようだ。病室のベッドにいる少女が点滴に繋がれて、ずっと窓辺を見ている。

 どうやら過去のあたしだ。

 窓の外には背の高いビル群が並び、それらを包み込むように淡い雪が降っていた。

 病室の中は狭く、暇をつぶせるようなマンガやテレビはない。

 決められた時間に、看護師に今日の体調を聞かれ、薬を飲んだり、注射をされたりを繰り返す生活。家族の面会も許されていない。

 ……思い出してきた。「眠りの病気」を研究したいと言われ、半強制的に東京の病院に連れ去られたのだ。


『やだ…やだ……やだ』

『眠ってもらわなければ、データが取れません』


 白衣の天使は無情に微笑み、あたしの首筋に注射器を刺した。過去のあたしは糸が切れたように、眠りに落ちる。

 入院して二か月ほどで、悪夢を見るようになった。眠ることが怖いのに、必ず眠ってしまう体質。

 早送りで記憶が再生されていく。


『嫌だ!!』


 過去のあたしはなにかに追われて、叫んで目が覚めた。頬には涙が伝っている。

 もう見ていられない。駆け寄って、その頬に触れようとしたが、すり抜けてしまった。記憶にすぎない映像に、干渉をすることはできないようだ。


「哀れじゃろう」

「えっ、どうして……」


 るりが音もなくあたしの隣に出現し、過去のあたしの様子を眺めていた。


「わらわとお前は魂で繋がっていて、負の感情も流れ込んできてる。いい迷惑だった。わらわとしても、こんな狭いところに閉じ込められるは不本意だ。だから」


 るりは邪悪に笑った。


「昼と夜の縛りを一時的に緩ませる術をかけ、力ずくで脱出した」


 過去のあたしががくんと項垂れたあと、ゆっくり瞳を開ける。瑠璃色の瞳。つまり、あたしの肉体を操っているのはるりだ!

 るりは、指揮者のように手を振り上げた。すると、一瞬にして病室は凍り付く。けたたましく鳴る、アラーム音。るりは、続けて窓のガラスを氷の塊で割った。

 看護師さんたちがばたばたと駆けつけてくる前に、過去のあたし(るり)は、窓ガラスからダイブした。下にはビルの群れ。


「ええええ?」


 気付けばあたしも落ちていた。過去のるりを追って、日の出を迎えた空を落ちていく。過去のるりは氷を使って龍を出し、その背にまたがっていた。


「しかとつかまれよ!」


 るりは水と氷の二頭の龍を出現させ、あたしは水の龍に乗った。ぎざぎざしてて少しつかまりにくい。足を絡めて、角をぎゅっと掴むと、龍は呼応するように雄たけびを上げた。


「このまま水鏡島まで一直線じゃ」

「う、うん」


 龍はビル群を抜けて、その先の畑や田んぼを抜けて、海岸線を飛んでいた。あたしは必死に龍の背に乗っているうちに、ぽつぽつとるりとのことを思い出してきた。さっき光に触れたときの痛みとは違う。静かに噛みしめて、るりという龍を、姉を思い出していく。

 幼いときは、自分以外の声が頭からすることに、あまり疑問がなかった。口が悪く、高飛車で、えらそうな―――優しいお姉ちゃんだった。幼稚園に行く前に、忘れ物がないか口を酸っぱくいう姉だった。

 あたしたちはそれなりに上手くいっていたのに、大人に『お姉ちゃんが頭の中でいろいろ教えてくれる』と、言ってしまい、それが七宝神社の耳に入ってしまった。七宝神社側は、るりを完璧に封印したつもりだったから、さぞ動揺したろう。

 あたしは「治療」の名目で術をかけられ、るりに関する記憶を消去された。るりを縛るリュークは何重にもかけられた。そして、あたしとるりは昼の時間と夜の時間に縛られた。


『ねっ、約束だよ』

『……ああ』


 ああ、全部思い出したよ、るり。

 あたしは前方を飛翔する過去のるりに向かって、呼びかけた。彼女を乗せた龍ははやく、一分一秒を争うように、水鏡島を目指して飛んでいく。


「お姉ちゃん!」


 届かなくても、叫びたかった。


「守ってくれてありがとう!」


 パリンと空間に小さなヒビが無数に走る。海岸線も、空も、風の音も、なかったように消えていく。過去の上映の終わり。あたしはこの記憶たちを抱えて、現在に帰る。

 最後にあたしの隣にいる、るりに聞きたかった。


「あなたは、過去のるり? それとも現在のるりなの?」


 るりは最後まで彼女らしく微笑んだ。


「心残りのようなものだな、まあ今となればその心配はない」


 るりは風景と同じように消えていった。そしてこの空間にはあたし一人だけ。塵が舞い、終わりを待っている空間。また、何度でも思い出すだろう。


「さ、て」


 現実に戻ろう。あたしを待っている人たちがいる。

 あたしは、思い出たちを胸に抱えて、目を閉じた。


「ぶっ飛べ《さよなら》」

 全身から生まれた風が、塵も空間もすべてを吹き飛ばした。

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