運命の夜(2)
「へそで茶を沸かす、か」
またもや、柱が湖面から発生する。今度は水の柱で統一されている。その柱は湖面から何本もたち昇った。やがてその柱たちは、湖の湖面で一つの大きな塊に変わった。
そしてその塊は、ボコボコという音を立てる。聞き覚えがある。お湯が沸いている音だ。水の塊は熱せられたあと、大きな龍の姿をとった。
「グワアアアアア!」
大地をつんざく咆哮。眠りに落ちていた木々も目覚めそう。
秀人が錫杖を何度も打ち鳴らして、叫ぶ。
「まずい。これ以上はごまかしがきかない!」
「あの大きな龍をリュークで作り出せるなんて! ああ、なんて素敵な龍だ。ますます欲しいっス!」
「バカ、見惚れている場合か!? 来るぞ!」
水龍はその
茶羅が両手を地面へつけ、分厚い土の盾を作る。ドオン!と水球と土壁がぶつかる。だが、水球の勢いの方が勝り、土の壁は破られそうになる。
このままじゃ、みんなやられちゃう!
あたしはいつものように、深く息を吸い込んだ。イメージするのは、サッカー。水球はサッカーボールだ。敵チームのいない遠くへ、ボールを蹴り飛ばす!!
守られているばかりじゃない! これはあたしが当事者の問題なんだから!
右足を中心に力が沸いてくる。水球が土壁を突破した瞬間、轟!と渦を巻く風を右足の爪先にまとわせて、あたしは腹の底から叫んだ。
「ぶっっ飛べ!!!!」
水球の手触りは大きくて固い。だから、蹴り飛ばしがいがある。あたしの爪先と巨大なサッカーボールがぶつかった。歯を食いしばって、力を込める。込め続ける。
「おい、なんだ。それは……」
るりが初めて狼狽えた。
「どうしてお前が、リュークを使える? 人間の分際で……しかも、このわらわに匹敵するだけの力を持っている?」
「そんなの、知るか!」
水球の表面にひびが入り、水が漏れ出す。あたしは爪先に力を込めることを維持しつつ、腹筋に力を込める。メキメキとひびが入る水球。
「いっけえええええ!」
そして水球は空高くまで弾け飛んだ。雨のように降り注ぐ、水の粒。あたしたちはびしょぬれになった。
あたしは口に入った水を吐き捨てて、湖面のるりをにらみつけた。
るりに絶えず浮かんでいた余裕がなくなった。
「姉妹そろって、とんでもないリュークの持ち主っスね。ますます二人とも欲しいっス」
「茶羅は黙っていような?」
どうしてあたしにリュークが使えるのかは分からない。本来禁忌であった人と龍の交わりが、どんな例外を招いたのかは分からない。
文也さんたちとトランプしているとき、リュークについて詳しく聞いた。
リュークというのは、龍が持つ力のことだ。基本的には五属性ある。火、水、土、雷、そして風。光や闇などその他の属性もある。茶羅は土の力を使っている。
一頭の龍につき、属性は一つ。だがごくまれに、優れた才を持つ龍は複数の属性を持つ。るりはその典型的な才能ある龍で、水属性と氷属性を行使できるという。
ここでじゃあ秀人が使う力はなんなの?という疑問が出る。
瀬名の一族は、代々龍に仕えることで力の一部を受け取ってきたそうだ。だから、リュークとは呼ばず、「術」とへりくだる。
力の受け渡しは、龍の鱗が埋め込まれた道具を使うか、もしくは身体に直接力を流し込むらしい。適合条件もあるし、龍のリュークの半分も使えない。
じゃあ瀬名の一族は弱いじゃんと思いがちだけど、彼らはしたたかだった。瀬名の一族は、リュークを属性ではなく力の塊として受け取る。そして、その力を、変換するのだ。
瀬名の一族は数百年もの歴史を、全て記録している。龍を傷つける力を使うことはできない。
だから攻撃以外―――封印や拘束、防御する術を数百年間、磨いてきた。
秀人は、龍のうろこが埋め込まれた錫杖を振るうことで、譲渡されたリュークの七割を使うことができる。これは驚異的な数字だそうで、秀人は「神童」と呼ばれているらしい。
そして秀人が神童たるゆえんは、力を存分に発揮することだけでなく、新しい術を開発した功績が大きい。
その秀人が言うには、あたしは風のリュークを持っている。それも磨けば、十割のリュークを引き出せるそうだ。
(秀人は『今までずっと言いたかったんだけど、お前がふとしたときに蹴り出す技は、風のリュークによるものだったんだ。普通、蹴りで扉は開かねえから』と言った。瞳さんが合点がいったように、うなずいていたのはなぜだったんだろう)
「なぜだ……風のリュークは父上が使っていたものだ。どうして人間如きが受け継いだ!」
るりの怒りが肌にヒシヒシと刺さる。でも、もう負けない。
あたしは目に力を込めて、るりをにらみ返す。
「あなたがひどい目に合ったのは分かった! でも、あたしだって、大変なんだからね!」
「なんだと?
今度はサッカーボール大の水球が複数飛んでくる。あたしはお腹に力を込めて風を起こし、水球を蹴り飛ばす。秀人と茶羅も応戦する。あたしたちは自然と背中を併せ、三角形を作った。
「お前如きの大変とはなんだ? 親しいニンゲンに囲まれて、へらへらと生きてきたくせに、わらわは全部見ていたぞ。わらわとお前の魂は忌々しいことに繋がっている。だから知っているぞ。都合の悪いことを忘れて、周りに守られながら、自分だけは何も知らないままぬくぬくと生きてきたな……」
氷柱の雨が降った。あたしは全身に風をまとわせて、これを吹き飛ばした。
るりは舌打ちをする。
「わらわは生まれてこのかた、暗闇の中を生きてきた。朝焼けの気配とともに眠りに落ちた。世界が一番眩しく照らされる、満月の夜が待ち遠しかった。龍たちは、父上の追放と同時に、わらわの存在を無視するようになった。わらわには―――なにもなかった」
「るり―――」
「気安く呼ぶな」
あたしの首筋を、氷でできた薄い刃が掠めた。紙一重だった。
こんなこともできるのか。
「お前さえいなければ、わらわはこんな目に遭わなかった。人間の肉体に閉じ込めおって、挙句に闇の世界に閉じ込めおって。あな口惜しや。さて、我らが無念にどう落とし前をつけてくれるのだ? 『妹』よ?」
「あなたが昼の世界を望んでているのは分かった。あたしのことを恨んでいることも、分かった。あなたが……これまで一人ぼっちで生きてきたことも。でも、あたしが都合の悪いことを全部忘れたと言ったけど、それはあたしの望みじゃない。秀人の術によるものだった。それは分かっているでしょう?」
「それがどうした? 結果が同じなら、何をほざこうが変わらない!」
「秀人」
名前を呼ぶと、秀人は錫杖を構えた。
戦うべきは目の前の姉ではない。姉妹でいがみ合うのは、なにも生まない。
必要なことは最初から、分かり切っていた。
「……ほんとうに、いいんだな」
「うん。打ち合わせ通りにお願い」
「お前は」
秀人が眩しそうに目を細める。錫杖の先端の龍のうろこが、この日一番の輝きを放った。
これから炸裂するのは、秀人が開発した渾身の術。あたしから記憶を消去したことが正しいのか、ずっと悔やみ続けた成果。
本邦、いやさ本島初公開。
「惚れそうなくらい格好いいな」
「惚れていいよ」
あたしは微笑み、これからの衝撃に備えて胸の前で腕を組んだ。
「理解ができぬ。シュートが消した記憶の中には、お前にとって耐えがたいものもあるはずだ。わざわざ、その苦痛を受けようというのか! 酔狂な—――」
「神龍よ、懺悔します。おれがよかれとした行いが、大切な人を傷つけてしまっていた。苦痛を、悲しみをなくしてあげようとした結果、大切な記憶を奪っていた。おれは何この行いが正しいのか、ずっと問い続けてきました。その疑問の果てがこの術です。彼女はきっと辛いことも苦しいことも悲しいことも寂しいこともたくさん思い出すでしょう。それでも、希望は必ず前を向くのだと、おれは信じている。瀬名の次期当主として、瀬名秀人の名において、この術を発動します」
秀人はきざに笑って、その術を口にした。
「
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