運命の夜(1)
現在は、夜の一〇時。あたしは眠い。うとうとしそうな目を必死にこすりながら、なんとか起きている。上空を通り過ぎると、前髪がすごい勢いで風に煽られるから、寝てしまう暇がない。
そう、上空。
「しっかり我の背につかまっておるのだぞ!」
あたしと秀人は、龍となった茶羅の背中に乗って、空を飛んでいた。
メンバーはあたし、秀人、茶羅。文也さんたちも色々と考えてくれたが、島外から来たお客様を危険な目に遭わせられないということで、やしゅろに残ってもらった。いざというときのために、携帯番号は交換している。
目指すのは水鏡湖。七宝神社をすっ飛ばして、水鏡湖に行くために、茶羅に乗っていた。この案は雄津さん発。
茶羅の背中はつるつるしていながら、ざらつきがあって、しっかりつかまっていないと、落ちてしまいそう。ああ、夢みたいだ。龍の背中に乗るなんて!
龍が棲む水鏡湖の上空を、他の地域の龍が飛ぶことで、もめごとがが発生する心配があった。そのかく乱には、秀人が名乗りを挙げた。
「ちょっとは、目くらましできる! 時間稼ぎなら任せろ」
なんと心強い。
水鏡湖が近づく。秀人が茶羅の背の上で立ち上がり、虚空からあの錫杖を取り出す。
「出でよ、我が同輩を覆う霧よ。血を分けし我が友の本懐の一助となり、我らの姿を暫時隠せ! 神龍の名において誓おう。必ずしや、幸せを約束すると」
秀人が錫杖を鳴らした。上空から水鏡湖に向けて、透明ないオーラが放射される。キインと耳に痛い。
「これで大丈夫だ!」
水鏡湖の周囲の草むらがぐんぐんと近づいてくる。これ以上は、ぶつかるというところで、秀人が飛び降りた。あたしも真似して飛び降りる。体育の授業の柔道みたいに、なんとか受け身を取ることができた。
どしん、という衝撃。おかげで、余韻に浸る暇がない。
「ほんとっスか!?」
茶羅が龍から人の姿になる。
「ちんけなシュートの力なんかで、本当に隠せるんスかね?」
「うるせーな。見つかっちまった場合は、あんたにも協力してもらうからな」
あたしたちは水鏡湖の湖面に向かって走る。湖は膝丈ほどの草に囲まれている。秀人と茶羅は悪態を吐きあいながら走る。現役陸上部の秀人の方が、茶羅よりも遅い。というか、茶羅が遅い?
「ちょ、二人とも早い……人間の身体は不便っスよ」
茶羅が息を弾ませて、湖面まで移動する。あたしたちは揃って、湖面を覗き込んだ。凪いだ湖面に、あたしたちの顔が映っている。
あとは手筈通りにやるだけだ。あとは野となれ山となれ!
あたしたちは目を交わしあって、一つ頷いた。秀人と茶羅はあたしを挟んで向かい合う。秀人は錫杖を、茶羅はてのひらを掲げる。そして、声を合わせて唱えた。
『光の世界に生きる者よ、魂の片割れに、闇の世界に生きる龍に会わんと欲する者よ、我らがその願いを叶えん。目覚めよ、龍の王の血を引く者よ。唯一の妹の望みを聞き届けよ!』
秀人がその名を、呼んだ。
「―――るり」
あたしの全身に光の束が襲い掛かる。心臓のあたりに襲いかかる熱に。感じたことのない吐き気。
「うっ!」
「千夏、湖面を見ろ!」
秀人が背中をさすりながら、あたしの顔を上げさせた。
あたしはふらふらになりながら、湖面を見る。星々をも映す湖面のなかに、あたしの青ざめた顔が映って―――いない。背筋がぞくりと総毛だつ美少女がいた。
腰まである銀髪に、人形のように整った顔かたち。そしてあたしよりも数段と青い瞳。月光を浴びながら、その美貌は冷たく輝いていた。
「いまさら、なんの用だ。愚妹よ」
「あなたが、」
あたしのお姉ちゃん。双子のお姉ちゃん、そして龍。
秀人と茶羅も湖面をのぞき込む。茶羅がひゅうっと口笛を吹いた。
「マジ美龍じゃないっスか! プロポーズしちゃお!」
「誰だ。この軽薄なよそ者の龍は。わらわの視界から失せろ」
湖面から鋭い柱が繰り出された。大きな水の柱と、氷の柱だ。二対の柱が互いに絡み合いながら、牙を向いてこちらに襲い掛かってくる。
「きゃあっ!」
あたしは目をつむった。秀人が前に出て、柱に向けて錫杖を鳴らすと、二対の柱はばらばらの雨粒とひょうになり、辺りに降り注ぐ。茶羅がその飛沫を土の壁でガードした。
打ち合わせもしていないのに。ひょっとして相性のよいコンビじゃない?
るりは湖面から鼻を鳴らした。傲慢なその仕草は、とても絵になる。
「なんだ、シュートが噛んでおったか。意志なき人形が、随分と大それたことをしたなあ」
「相変わらず口が減らねえな。こちとら、黙っていて従っていると言ったって、心まで従ってるわけじゃねえぞ」
「ふん、人間界の言葉で、負け犬はよく吠えるというが、それは誠のようだな。 わらわが貴様に無礼な口を許可しているのは、わらわが気に入っている人間だということをゆめゆめ忘れるなよ?」
うわあ。めっちゃ喋るじゃん。黙っていれば、病弱そうな深窓の美少女なのに。絶対零度の笑みで、うすら笑んでいるのが恐ろしい。
と、るりとあたしの目がはっきりと合った。
「出来損ないの妹が、わらわに何の用だ? その様子だと、すべての記憶を取り戻したわけではないのだろう? 光の世界を知らないわらわを嘲笑しに来たのか? 随分と時間を持て余しているようだが」
うっ。強烈なボディーブローを食らったが、ここで負けだ。
あたしはお腹に力を込めて、意識して笑顔を作った。
「は、初めまして。あなたが、あたしのお姉ちゃんだよね?」
「は?」
鼻で笑われたうえに、再び氷柱と水柱が襲い掛かってきた。同じように、秀人と茶羅が協力してガードする。
「よくもぬけぬけと。太陽の下で大手を振って歩けるから、そんな能天気な台詞をほざけるのか? お前は本当にわらわと血を分けた妹か? こんなときに人間の言葉ではなんというんだったか。ああ―――」
るりが嗜虐的な笑みを浮かべた。茶羅はその表情に、うっとりと見とれている。嘘だろ?
「へそで茶を沸かす、か」
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