雄津さんの過去
お腹がいっぱいって幸せだなあ。好きなものをたらふく食べられるって幸せだなあ。
いまなら世界中の人たちに優しくできそう。
あたしがルンルン気分で歩く後ろで、雄津さんたちはひそひそ話をしている。
「驚いた」
「驚いたわね」
「頼んだどんぶりを全部平らげてもなお、追加注文をしようとするなんて」
「海原さんに阻止されて、ようやく止まったのよね。海原さんがいなかったら、いったいどこまでお腹にいれていたのやら」
「食欲魔人と二つ名をつけよう」
「……くっ、血がうずくわ。千夏ちゃんをフードファイターに育て上げ、あの店やこの店の大食いメニューを征服し、大食い番組に出演しているところを見て、『この子はワシが育てたのじゃ』と自慢したい。そう、私のパトロンとしてのプライドが……!」
「出会って数時間の女の子の未来を決定づけて、育ての親の顔をするのはやめようね」
「才能をみすみす見過ごせというの??」
何を仲良く話しているんだろう。これから行く目的地の話をしたいな。
あたしは、二人の会話に割り込んだ。
「あの、雄津さん」
「ひいっ! 食欲魔人」
「はい?」
「言い間違えた。急な話でごめんね、君のお友達に案内をお願いしちゃって」
なんだ、そのことか。改まった口調で言われるから、なにかと思った。
さっき電話をしたら、雄津さんたちを案内することを二つ返事で了承してくれた。
案内するのなら、詳しい人がいいだろうし。
それになにより、雄津さんが龍の伝説に、とても興味を示しているのだから。
まりん食堂を後にして、雄津さんたっての希望で、水鏡島の博物館にも足を運んだ。歴史、食文化、著名人、本土との交流の記録。そして龍についての資料を展示している。
なかでも注目の展示は
あたしはこの仔龍がちょっと苦手。心の奥底を逆撫でされるような、落ち着かない気持ちになる。だから、歴史の授業で博物館に来たときは、この展示の前は息を殺して通る。
雄津さんは仔龍を目の前にして、有名人に会ったように興奮していた。スマホのシャッターをさまざまな角度から切り、熱心に手帳にメモしていた。
檜山さんじいっと仔龍を観察していた。雄津さんのように生物を観察するというよりは、マジックのタネを見破ろうとするかのような、冷徹な眼差しで。あたしと目が合うと、微笑みかけてくれたけれど、背筋がぞくりと凍りつきそうだった。
あたしたちは一時間ほどで博物館の中を見学すると、併設されている喫茶スペースで一休みした。お抹茶に、龍をモチーフにした「りゅう饅頭」。鎌首をもたげた龍が、饅頭の表面に象られている。中身は白あんで、なかなかおいしい。
檜山さんはスマホでお抹茶とどらごん饅頭を撮った。
お抹茶をずずずと啜って、一息つく。雄津さんは、はあああっと脱力した。
「この島に住みたい。僕も下校途中に博物館に行って、龍の剥製を眺めたい人生だった」
「そんな大げさな」
「雄津は大真面目に言っているのよ。驚くべきことにね」
「雄津さんはどうしてそこまで龍が好きなんですか?」
龍への憧れとは別のものを感じる。
「証明したいんだ」
証明?
雄津さんはひと際強く目を輝かせると、記憶を手繰るように宙を見つめながら、ゆっくりと話し出した。
「僕は片田舎の出身でね。近所はすべて農業で生計を立てていて、僕の家もそうだった。この場所にあるものは、田んぼや畑、そしてそびえる山々と川。とても牧歌的なところで、育ったんだ」
「今じゃあ渋谷を我が物顔で闊歩しているのだから、人生は何が起こるのか分からない」
檜山さんが茶々を入れた。雄津さんはげんなりする。
「ちょっと。瞳が言うと嫌味のレベルが高いだから、やめろって―――僕は親の跡を継いで、野菜農家になると思っていたんだ。ある日の夕方に、龍に会うまでは」
「龍に?」
あたしはびくりと片眉を上げた。水鏡島は龍の島でもあるのだが、現実では龍を見たという目撃情報は実はほとんどない。皆無と言っていい。
あたしも、そうだ。
「よく晴れた日のことだった。僕は虫取り網を持って、一人で歩いていた。何気なく空を見上げたらさ、見慣れた山の向こうをゆうっくりと、大きな龍が飛んでいたんだ! ぴかぴかの十円玉みたいな色で、とっても綺麗だった」
ぴかぴかの十円玉って、雄津さんの龍のペンダントの色とおんなじだ。
「僕は必死に声を張り上げて、龍を追いかけた。こんなに格好良くて綺麗なものを見るのは初めてだった。そのうち僕はあぜ道のぬかるみに足を取られて転んでしまって、龍が遠くへ飛んでいくのを追いかけるすべがないまま泣いていた。そしたら、まぶしい太陽が大きな影に遮られて―――」
『人間、我らが見えるのか』
幼い雄津さんの前に、一頭の龍が舞い降りたという。さきほどの龍の生き写しのようにそっくりな、小さな龍が現れた。
それが、雄津さんと龍とのファーストコンタクト。
まるでおとぎ話の一節だ。
「そこから先は記憶があやふやで、よくは覚えていない。僕はこれが現実とは信じられなかったし、あまりの衝撃に何を口走ったのか。とても興奮もしていたし。その龍は好奇心おうせいで、人間の世界のことを色々聞いてきた。龍と僕が語り合ったのは一時間だった。それでも、僕らは通じるところがあって、友達になった。それは確かだ」
「言葉は通じたんですか?」
「不思議なことに、龍の言葉は僕にも分かったよ。僕たちは自由に話せたんだ」
雄津さんは熱をこめたまま、語り続ける。どこまで信じられるかは、あたしには分からない。それでも……雄津さんの話が真実であってほしいと思う。
だが、幸せそうに語る雄津さんの表情が曇った。
「僕と龍は明日も会う約束をした。だけれど、龍は現れなかった。次の日も、その次の日も、そのまた次の日もずうっと」
「……」
「たまらなくなって、お母さんやお父さん、村のみんなに龍のことを話した。だけれど、誰も信じてくれなかったし、ほら吹き呼ばわりされた。学校のみんなにも、からかわれて仲間外れにされるようにもなった。ついには、頭の病院に行けとまでも言われたよ」
それは……想像を絶する。きついな。
「その、子どものときの体験が、龍の研究に繋がるんですね」
雄津さんは大学で民俗学を勉強しているらしい。民俗学というのは、昔話や妖怪について研究する学問のことらしい。ゲゲゲの鬼太郎に出てくる妖怪とか、妖怪ウォッチの世界なのかな。なかでも、雄津さんは龍を専門にしているらしい。
「そうだよ。進路を選ぶときに、民俗学を、龍について研究できる大学があると知って」
「ええっと、でも、雄津さんは家業を継ぐはずだったんですよね?」
「千夏ちゃん、そこなのよ」
檜山さんが仰々しくうなずく。
「この馬鹿はご両親に泣きついて、勘当も同然に家を飛び出して、大学に行ったのよ。だからほぼ一文なし。ご両親の協力が仰げれば、結構な資金源になったのにね。残念」
勘当って、父親が『もう二度と家の敷居をまたぐんじゃない!』と怒鳴ったり、息子が『こんな家出てやってる!』とか捨て台詞を吐いて出て行っててしまうやつ?
ドラマみたいな修羅場だな……。
「どうしても龍の研究をしたかったからね。家業を継ぐことは嫌じゃなかったけど」
雄津さんは遠くを見つめて、独り言のように呟いた。
「あの日見た光景を、証明したかったんだ」
博物館から七宝神社までは徒歩で十五分ほど。鳥居の前で秀人と待ち合わせしている。部活終わりだからジャージ姿かな。上下ともに真っ青の。
あたしたちは、喫茶スペースで雄津さんの話を聞いたあと、三人連れ立って道を歩いていた。森林に囲まれた、静かな道だ。
「雄津は念願叶って、龍の研究に没頭しているわ。うちの大学は民俗学のメッカと呼ばれていて、民俗学の資料が豊富なの」
「講義で日本各地に行って、地元の人に昔話を聞きに行く授業もあるんだ。さまざまな土地の文化に触れられて、とても勉強になる。いろいろな人と仲良くなれるし、いいことばっかりだよ」
「ほえー」
なんだか。大学に行くのは、ショーライのためにガクレキをつけるためにだと思ってた。
だけど、こうやって好きなものを研究して、楽しんでいる人もいるのか。
世界って広いんだな。
そう思うと、自然とお礼を言っていた。
「ありがとうございます」
「ん? お礼を言うのはこちらだよ。貴重なお話を聞かせてもらえて。それも七宝神社の次期神主さんなんだろ。初出典の逸話も採集できるかもしれないし! どれだけ謝礼を払っても気持ちが収まらないよ。」
「あはは、大げさな……」
秀人のお父さんに話を聞ければベストなんだけど、あたしはなぜか避けられているからな……。
「いや本当にありがたいよ。龍の伝説は七宝神社のホームページに載っていなかったんだ。やっぱ、現地に行かないと、分からないことがあるのが、フィールドワークの醍醐味だよなあ」
七宝神社のホームページにも載っていない? あたしは頭の中で何かがひっかかった。
島の大人たちは、どうしたら水鏡島に観光客を呼び込めるか、よくひざを突き合わせて相談している。やしゅろだってそうだ。海を一望できる客室と、心のこもったおもてなし、島の新鮮な食材をふんだんに使ったレシピを売りにして、観光客をゲットしている。その数は少なくはないが、今後のことを考えると、もっと水鏡島のことが有名になれば、観光客はもっと訪れるだろう。
龍の伝説は、観光客の心を掴むのにはうってつけのイベントのはず。七宝神社は龍神祭について秘密にしておきたいのだろうか?
だとしたら、いったいなんのために?
あたしの心の水面に小石が投げ入れられ、波紋が静かに広がっていく。 雄津さんの胸元で、龍のペンダントが鈍く光った。
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