第5話 研修
「おや、思ったよりも普通だね」
支度が整ったリィナがユリウスに言われた言葉がそれだった。シャルマによってリィナの顔は普段よりも顔色が良くなった程度になった。
ユリウスは意外そうな顔でまじまじとリィナを見つめる。
「もっと化粧映えのする顔だと思っていたんだけどなぁ……?」
「殿下、もっと言ってくださいませ! シャルマのくせにこれ以上はダメだと抵抗したのですよ!」
「おや、珍しいね。シャルマがアイリーンに口答えするなんて」
実はこの顔が出来上がったあと「もう少し紅を差すべきだ」と主張するアイリーンに対し、シャルマは「もうこれ以上は手出しさせない」と譲らなかった。やはりリィナの印象通り、彼は普段から主張が激しくない方のようだ。
シャルマは小さく首を横に振る。
「彼女は毒見兼侍女ですよ? 必要以上に着飾る必要はありません」
「それに対しては私も同意見ですね」
黙って隣にいたガジェットが眼鏡を押し上げて言った。
「ただでさえ、殿下にそぐわない評価が広まっているというのに、むやみやたらと着飾った侍女を侍らせるなんていけません」
じろりと鋭い目がリィナに向けられる。
「まあ、彼女が殿下に取り入ろうと不届きな考えがあるなら、話は別ですが……」
「滅相もございません!」
リィナが全力で首を横に振るのをユリウスは愉快そうに見つめ、手を叩いた。
「さて、無駄話はそこまでだ。ガジェット。本日の予定を」
「はっ!」
彼が手帳を取り出し、眼鏡を押し上げた。
「本日、サシェ卿と剣戟稽古ののち、ヴァイオリン、ピアノの練習。午後は夏のお茶会で着る衣装の打ち合わせです。それから……」
(ひぇ……過密スケジュール……王族も楽じゃないなぁ……)
ぎちぎちに詰められた予定に、リィナはただただ驚いていると、ガジェットは手帳から顔を上げ、リィナ達に見つめる。
「……シャルマとアイリーンは、しばらくリィナの教育をお願いします。せめて、人前に連れていけるよう礼儀作法と所作を重点的に」
「御意……」
そう返事をした二人に連れられて、リィナは使っていない空き部屋へ移動する。しばらくはここがリィナの勉強部屋となる。
「人前に立てるように、ビシバシしごいて……いえ、指導していきます。御覚悟を!」
「アイリーン嬢は公爵令嬢にも引けを取らない綺麗な所作を身に付けていらっしゃるのでご心配なく」
まるで歴戦の戦士のような言い方をするアイリーンに不安を覚えると、それを見たシャルマが紳士の如くフォローする。
そしてアイリーンから基礎という基礎を叩き込まれた。お辞儀の仕方から言葉遣い、果てには歩き方や姿勢まで細かくチェックされる。
「よろしくて、リィナ。どんな極悪人だろうと、身なり、歩き方、姿勢、笑顔さえ良ければ、大概の人間は騙されます」
「つまり、それだけ印象が変わるということです。頑張りましょうね」
「また猫背になっていましてよ! ちゃんと人間におなりになって!」
「そうそう、姿勢が綺麗ですよ、リィナさん」
「なんですか、その頭の下げ方は! 頭突きで相手を殺すおつもりなの⁉ 殺すにしても角度が足りてなくてよ!」
「もう少しゆっくりの方が優雅さと丁寧さがあっていいですよ。そう、それです」
一体誰だろうか、この二人をリィナの教育係に推薦したのは。アイリーンの斜め上に厳しい指導と、ほどほどに優しいシャルマの応援がいい塩梅だった。ただ、アイリーンに頭突きの指導までされたのは予想外ではあった。
あっという間に午前中が過ぎ、アイリーンがリィナの頭に乗っていた本を下ろす。
「では、今日の作法のお勉強はここまでにいたしましょうか」
そういって少しほっと息をついたあと、アイリーンに背中を叩かれた。
「ほら、終わったからって姿勢を崩していいわけではございませんよ!」
「ひぃ! ごめんなさい!」
「侍女、いえ淑女は様々な角度から常に品定めされているのです。その気を緩めていいのは自室で一人になった時、もしくは旦那様と二人っきりになった時だけでしてよ!」
「え、はい⁉」
「いい返事です。それではわたくしは別の仕事をしてきますので、二人は昼食をとってくださいませ! では!」
彼女はそれだけいうと風のように部屋から出て行く。シャルマは彼女を見送るとリィナに向き直った。
「では、オレ達は昼食を摂りに行きましょうか」
「は、はい!」
シャルマの後に続いて部屋を出て行く。さきほど受けたアイリーンの指導通りに姿勢を意識して歩いていると、半歩前を歩くシャルマが小さく笑う。
「な、何か……?」
「いえ、ちゃんと教えられた通りにしていらして、偉いなと思いまして」
「そんな子どもみたいな……」
「子どもっぽいというわけではなく……ただ、初日から根詰めてしまうと辛くなるので、ちょっと心配です」
少し困った顔をする彼は「午後はオレと歴史のお勉強をしますので、少し気を緩めても大丈夫です」と言ってくれる。
(本当に優しい人だな……)
アイリーンも口調は厳しいが、この裏に優しさがあるのは分かっている。さっきの叱責も王族付きの侍女だからこそ厳しく指導しているのだ。はた目から見れば、いびっているようにも見え、シャルマはそれを通訳するような形だった。彼の印象が物静かな人というものから周囲の人間関係を取り持つ潤滑油のような人に変わりつつある。
「心配してくれてありがとうございます。でも、任せられたからには相応の頑張りを見せないと!」
「……自分が望まなかったことでもですか?」
「え…………」
思いもよらなかった言葉に目を丸くする。彼は少ししてからハッとした顔をした。
「いえ、なんでもありません! ご飯! そう、ご飯を食べましょうね! ご飯を食べると元気が出ますから!」
そう早口で言い、歩調も速くなった。
(ああ、そっか。最後は自分の意思で決めたけど、あの時は無理やり毒見役になったようなものだったもんね)
契約書を渡された時点で、もう働けと言われたようなものだ。相手は王族なので逆らうこともできない。
(まさか一緒にいるのも逃げないように監視役を頼まれたとか? 私、忠誠心低いし。でもシャルマさんは裏表関係なく、普通に優しそうなんだよな)
今は深く考えないでおこう。何より食事。一体どんなものが出るのだろう。
専属の従者や侍女は、他の者達と違って専用の休憩室で食事を摂る。昨日は専用の休憩室にリィナの食事も届けられたが、結局自室に持って行った。
(美味しかったなぁ……黒パンなのにほかほかで、スープも情報量が少なくて……)
下手にいいものを食べてしまうと脳内の卓上ベルが連打されてしまう。味や食事に慣れてしまえば問題ないのだが、貧乏舌の自分が憎い。
専用の休憩室の前に着くと、色札がついたバスケットが二つ並べられている。シャルマは白い花が書いた札を手に取ると、それをリィナに渡した。
「はい。これがリィナさんの分です」
「ありがとうございます。中身はなんだろうなぁ……」
ユリウスの毒見は専用の人間を数人雇っている。毒を専門とする鑑定の祝福を持つ人らしいが、彼らは鑑定後、自分で実際に食べて毒見をしているらしい。毒の鑑定は経験と知識の偏りによって、前の食中毒のようにすり抜けてしまうからだ。
摂食分析と毒や病気の無力化の祝福を持つリィナがいれば毒見は事足りるのだが、彼らを急遽解雇するわけにはいかない。そのためリィナの毒見はしばらくお預けし知識と経験と詰むことになった。
徐々にユリウス達が食べるものに慣れ、よく使われる毒や仕込まれる手口などを勉強する。今日は毒見の練習がないそうなので、安心して食事に集中できる。
シャルマは休憩室の入るかと思いきや、そのまま扉にも手をかけずに歩いていく。
「あれ? 休憩室は使わないんですか?」
「いつもは使うんですが……アイリーン嬢がダッシュで休憩に入った時は入らないようにしているんです」
「あー、別の仕事があるって言ってましたね」
もしかして仕事を抱えながら食事をしているのかもしれない。
彼は少し困った顔をしながら「ええ」と頷いた。
「代わりにいい場所を教えます。こちらです」
シャルマに案内されてきたのは、離宮の屋上だ。見晴らしがよく、風も気持ちいい。彼は大きめの布を敷くと、靴を脱いで腰を下ろした。
「風がない日は、ここで食事をしているんです」
「すごい、いい場所ですね!」
「息抜きにもピッタリです。さあ、ご飯を食べましょう」
こっちにおいでと手招きされて、リィナもお邪魔する。
バスケットにかかった布を取って、中身を見たリィナは目を輝かせた。
「うわっ! 美味しそう!」
レタスにトマト、チーズが贅沢に挟まったバゲットだ。孤児院で暮らしていた時は、寒さの厳しい冬は歯が折れそうなくらい固い黒パンと具無しのスープだった時もあった。そんなリィナにとって、これが昼食だなんて考えられない。
「す、すごい! 豪華……本当に皆さんこれを食べているんですか⁉」
目を輝かせるリィナにシャルマは困ったように言った。
「いえ、専属の者はもう少し手の込んだものを用意してくれます。これらはオレが作りました」
「え、シャルマさんが⁉」
「はい。一流のシェフじゃなくて申し訳ありません。こう見えて一時期は殿下の食事を担当していたので味は保障いたします」
「ま、まさか昨日の食事も……?」
「あ、オレが作っていました。美味しくありませんでしたか?」
「と、とんでもない! とても美味しかったです!」
まさかシャルマが作っていたとは思わなかった。調味料を最小限にして素材の味をいかしたスープは孤児院で食べたものよりもはるかに美味しかった。
「それはよかった。これもお口に合うといいのですが……」
シャルマからバゲットを手渡され、リィナは「いただきます」とかぶりつく。
ちーんっ!
分析結果『おいしい』
「美味しいっ!」
レタスもトマトも新鮮でチーズのしょっぱさが絶妙なアクセントになっている。脳内で鳴り響く卓上ベルの音が最小限で済まされているのは、それだけ素材の良さを引き立てた食べ物だからだろう。
(幸せ過ぎる……っ! こんな幸せでいいの⁉)
午前中にあったアイリーンの指導のことなど頭から吹っ飛んでしまう。今度は小さな小瓶を手に取ると、ひんやりとした冷たさを感じる。
「え、冷たい!」
「厨房には冷蔵庫がありまして」
「この世界に冷蔵庫があるんですか⁉」
思わず声を上げると、彼はきょとんとした顔をする。
「世界?」
「あ、いえ、聞いたことあるだけ、実在しているとは思ってなくて! 冷蔵庫を開けるとひんやりして冷たい箱のことですよね!」
前世よりもずっと文明が発展してないため、そんなものがあるとは思ってなかったのだ。せいぜい降った雪や氷を一室に溜め込んで冷やしておく氷室がある程度だと思っていた。
リィナが咄嗟に誤魔化すと、彼は納得したように頷いた。
「ええ、そうです。氷を作る祝福持ちが大量に氷を作って、保冷効果のある箱に入れて保存しています。小さな氷室みたいなものですね」
本当に昔の冷蔵庫だ。感動しながらリィナは瓶の蓋を開けると、爽やかな香りが鼻を掠めた。
(お、まさか……)
ちーんっ!
分析結果『水の中に果汁が含まれています』
ちーんっ!
分析結果『推定 レモン果汁』
やはりこれはレモンだ。レモンの風味が鼻を抜け、感動のままシャルマに顔を向けると彼は嬉しそうな顔した。
「レモンです。厨房の方にあまりを分けていただいて、輪切りを水と一緒に冷やしておきました」
「美味しいです! おしゃれです! 感激しました!」
冷えた水だけでも感激なのに、果汁入りだなんて素晴らしい。
「シャルマさん、美味しいです。幸せです! というか、シャルマさん。私なんかの食事を作って負担じゃないですか⁉」
「いえ、趣味の延長線のようなものですし、気にしないでください」
「でも、シャルマさんの本分って殿下の侍従ですよね? 元々料理人だったんですか?」
「殿下は一度食事に毒を仕込まれたことがありまして、その時に『お前、なんでもできるんだから料理ぐらいなんとかなるだろ』って半ば無理やり」
「わー……」
その時の光景が目に浮かぶ。あの笑顔で「やれ」と言われて彼は素直に従ったのだろう。
「去年、オレが料理しているのがバレて、陛下からも『せめて形だけでもシェフを雇いなさい』と諭され、最近はめっきり料理をさせてもらえなくて」
作るのは結構好きだったのですが、と言いながら見せる彼の笑みが当時の大変さを物語っていた。
「大変だったんですね……」
「そんなことないですよ。あ、オレの食事が飽きたらいつでも言ってくださいね。いつでも解任されますので!」
「むしろ、いつも食べたいです。シャルマさんこそ、いつでも作るのが嫌になったら言ってくださいね!」
リィナがそういうと、彼はどこか照れくさそうに小さく笑う。リィナの胸のあたりが叩かれたような感覚がし、ふと内心で首を傾げた。
(なんだ今の? でも、今は食事よ、食事)
リィナはそのままバゲットを口に運ぶのだった。
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