第4話 アースゲイザー
僕には兄がいた。そして、昨日まで僕は彼の存在を完全に忘れていた。いったいどうなっているんだ?
「やっぱり、ここに来たわね」
突然、後ろから女性の声が聞こえた。振り返ると、そこには20代前半と思われる青い目をした女性が立っていた。
「はじめまして、戸矢重紀君。私は黄田セシル(こうだ せしる)。脳外科医だったあなたの兄、戸矢隆生の仲間よ」
その女性は自己紹介をしながら、ゆっくりと僕の方へ歩いてきた。そして、僕の手元にある写真を見て、再び口を開いた。
「はあー、隆生さんにもかわいい時代があったのね」
「兄とはどのようなご関係ですか?」
「私と隆生さんは、アースゲイザーなの」
「アースゲイザー?」
「そう。エデンを作ったプログラマーたちは本当にエデンによって人類が幸せになったかどうか確認するため、120年後、記憶の活性と不活性化が行われない777人の人間をランダムに選ぶようプログラムしていたの。その777人がアースゲイザー」
「はあ」
彼女の話ぶりから、嘘をついている様子は全く感じなかった。だが、今の話が真実だと裏付ける証拠も何もなかった。
「まあ、そういう反応になるわよね。それでね、私たち777人はリモートで連絡を取り合って、このままエデンによる社会運営を続けるか、それともエデンを止めて人類を解放した方がいいか多数決をとったの。結果、人類をエデンから解放することが決まったの」
「えっ、エデンを停止するんですか?」
「そう。あなたも今回、経験したでしょう。エデンによって記憶が勝手になくなるのを」
「はい」
「消したくない思い出とかも、私たちはエデンによって勝手に消されていたのよ。それでエデンを止めることを決めたの」
「そうだったんですか。それでエデンをなくして、その後はどうするんですか?」
「インフラに使用している部分は他のAIに任せて、あとは自分たちの力で人生を切り開いていくの」
「えっ、それだけですか?」
「ええ。それだけ」
黄田はきっぱりと答えた。
エデンを止める?
生まれた時からエデンが当たり前のように存在していた僕にとって、その世界は全く想像できなかった。
「黄田さん。あなた達がやりたいことは分かりました。そのことと兄が殺されたことに何か関係があるのですか?」
「ええ。多数決でエデンを止めることが決まったんだけど、それをよしとしない過激派の人たちが現れたの。彼らはエデンを止めるためのメインサーバーの鍵をどこかに隠し、止められないようにしたのよ。そこで隆生さんが仲間を集め、エデンによる記憶の活性化と不活性化だけができなくなるプログラムを作り始めたの。ところがそれを過激派に突き止められて」
「それで命を狙われたんですか?」
「そう。隆生さんの持ち物、家に何もなかったでしょう?」
「はい」
「自分たちの居場所が突き止められないように、そして身内に害が及ばないよう、色々と手を打ったからよ。そのうち、あなたの記憶も戻り始めたら、家に警察が来て隆生さんの持ち物を全て持って行った記憶が蘇ってくるはずよ」
「えっ? ということは、僕の記憶が消えなかったのは、昨日、兄に渡されたリンクデバイスのせいですか?」
「そう。あのリンクデバイスをかけたことで、あなたの脳の中にあるエデンデバイスのプログラムが書き換えられたの。そして、今日ここに来たという事は、書き換えは成功したってこと」
「なぜ、兄は最初に僕で試したのですか? 見つかる可能性が上がりますよね?」
「他人に試して失敗する訳にはいかなかったから、自らにプレッシャーを掛ける意味も含めて、最初に大事な弟で試すと決めていたそうよ。そして、万が一失敗したら私に面倒を見てくれと託してね。他にも何か知りたい事ある?」
「はい。兄が殺された時、パトロールドローンもパトロールヒューマノイドも兄を殺した人型ロボットを拘束しませんでした。警察は特別事項があり犯人を逮捕できないと言っていたのですが、それもアースゲイザーと関係しているのですか?」
「ええ。アースゲイザーには不逮捕特権が与えられていて、エデンも私たちには危害を加えることができない仕組みになっているの。だから、隆生さんを殺した犯人は、間違いなくアースゲイザーの誰かよ」
目の前で人を殺した人物を、警察が拘束しないなんてまず考えられない。話せば話すほど、彼女の言葉の真実味が増してきた。
「これで納得してくれた?」
黄田が明るい表情を作り聞いてきた。
「まあ、大体は」
「それで、あなた、これからどうする?」
「これから、ですか?」
「そう。私はあなたに私たちの力になってもらいたいの。あなたがいてくれたら、維持派の人たちを説得するのに役立つから。どう?」
「いいですよ。ですが、一つ条件をつけてもいいですか?」
「何?」
「僕の行動指針に優先順位を付けさせてください。第一の目的は兄の仇を取ること。そして二番目にエデンからの解放でいいのなら、喜んで力になります」
兄の仇を取りたい、兄の思いを成就させたいという思いに加え、彼らアースゲイザーに対する好奇心が、僕の決断を後押しした。
「分かったわ。じゃあ、そのことリーダーに伝えておく」
「よろしくお願いします。あと、黄田さん」
「何?」
「なぜ、僕がここに来る時間まで分かったのですか?」
「簡単よ。あなたが昨日、隆生さんのリンクデバイスをつけた時から、私の端末にあなたの居場所とバイタルが自動的に送られるようになったの。そうじゃなかったら、万が一に備えられないでしょう? 隆生さんの弟愛よ」
黄田は笑顔で答えた。
そうか。僕は残りの人生、ずっとこの人の監視下のもと、生きていくことになるかもしれないのか。
エデンから解放されたいという黄田たちの気持ちが、今初めて実感できた。
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