第2話 あなたは誰?
「いやいや。僕は一人っ子ですよ? 誰かと間違っていませんか?」
僕はすぐさま否定した。
「ああ、そうか。記憶が完全に不活性化されているんだったな。じゃあ、今度、きさらぎ公園の南にある大木の下を掘ってみてくれ。そこに俺たちが以前埋めた宝物があるから」
彼の言動を見る限り、本気で言っているようだった。
「はあ」
「うーん。やっぱり、俺のこと思い出せないか」
男は悔しそうに言った。
「すいません。お名前を聞かせていただけますか?」
「ああ。俺の名前は戸矢隆生(とや りゅうせい)。お前の5つ上の兄だ。18まで一緒に暮らしていて、子供の頃はよくお前と野球をして遊んでいた。得意な球はカーブで、お前はチェンジアップ。覚えてないか?」
「ええ」
記憶は全くないが、野球が好きなのと、チェンジアップが決め球なのは彼の言う通りだった。
「だろう? それと……」
僕と戸矢隆生が話をしている間、彼の後ろからテレイグジスタンスで動かす人型ロボットがこちらに向かって走って来るのが見えた。
テレイグジスタンスとは遠隔操作によってロボットを動かす技術のことで、現代では専用のヘルメットを被るだけで地球の裏側にいても簡単に操作することができた。
よく見ると、そのロボットは右手に何か短い棒のようなものを手にしていた。何だろう? 僕が疑問に思っていると、そのロボットは少し勢いをつけて後ろから戸矢隆生にぶつかった。
僕は咄嗟に押された隆生の体を受け止めた。そしてそこで初めて僕はロボットが手にしていたものは、少し長めのナイフであることが分かった。
「隆生さん」
ナイフは彼の左腰のあたりに、しっかり刺さっていた。
「戸矢隆生。エデンはお前たちに止めさせない」
ロボットから女性の声が聞こえてきた。
そして、そのロボットは隆生の腰からナイフを抜き去ると、今来た道を歩いて戻って行った。
僕はすぐに隆生を寝かせ、刺された部分を強く抑えた。
とりあえず出血を抑えて、すぐに病院へ運ばなくては。
彼女が来た方向からパトロールドローンとパトロールヒューマノイドがやって来た。
よし。これで救急車も呼んでもらえるし、彼女も拘束してくれる。
ところがパトロールドローンもパトロールヒューマノイドも、彼女が血液のついたナイフを手にしているにもかかわらず、そのまま横を通り過ぎた。
どういうことだ? なぜ逮捕しない?
「久々の弟との再会で、追われていたことを忘れていたよ」
そう言って、隆生はポケットの中に手を入れた。
「これを付けてくれ」
彼が取り出したものは、リンクデバイスだった。
彼はもう助からないかもしれない。これが最後の願いなら聞いてあげよう。
僕は患部から手を離し、そのリンクデバイスを空いている右耳にかけた。
「これでいいかい、兄さん?」
「ありがとう」
彼はそこで意識を失った。
「負傷者一名。応急処置をするので、下がってください。すぐに救急車も到着します」
パトロールヒューマノイドが僕のそばに来て、離れるよう指示してきた。
指示に従い僕が隆生から離れると、パトロールヒューマノイドは彼の側で腰を下ろし、シャツをめくって止血テープを貼った。
とりあえず、今はこれでいい。
それから一分もしないうちに、救急車がやって来た。僕はそのまま隆生と一緒に救急車に乗り、病院へ向かった。
戸田隆生は救急車の中で応急処置を受けたが、残念ながら帰らぬ人となった。僕は警察の事情聴取を受けることになり、両親も病院に駆けつけた。
「では、彼はあなたのことを弟だと言っていたのですね?」
担当の若い刑事が僕に質問してきた。
「はい」
「でも、重紀さんは一人っ子なんですよね?」
「はい、間違いないです」
僕の代わりに父親がはっきりと答えた。
「こちらもすぐに公式の記録を調べたのですが、確かに戸田隆生さんの記録は何もありませんでした」
刑事は難しい表情をしながら言った。
「あのー」
僕は恐る恐る右手を上げて発言を求めた。
「どうしました?」
「戸矢隆生は僕にこれを付けて欲しいと言って渡して来たのですが?」
僕は先ほど渡されたリンクデバイスを刑事に手渡した。
「これは、リンクデバイスですか?」
「はい。言われた通り付けてみたのですが、何も問題はありませんでした」
「分かりました。では証拠品として、こちらでお預かりいたします」
「あと、一つどうしても聞きたいことがありまして」
「何です?」
「パトロールドローンとパトロールヒューマノイドが、戸矢隆生を刺した犯人を無視して通り過ぎたのですが、どうしてですか?」
「そのことなんですが……。特別事項に抵触するみたいでして」
「特別事項?」
「はい。外交官と同じように彼女を逮捕してはいけないとエデンが答えているんですよ」
「そんなことってあるんですか? 人が殺されたんですよ?」
自然と僕の口から少し大きな声が出た。
「もしかすると、戸矢隆生は何か大きなテロ行為などを企てていたのかもしれませんね。それなら緊急処置もあり得ます。彼から何かそれらしいことを聞きませんでしたか?」
「あっ」
「心当たりがあるんですね」
「実は彼を刺したロボットが、お前たちにエデンは止めさせないって言っていました」
「なるほど。やはり戸矢隆生はテロ行為を行なおうとしていたんですね」
エデンは、現在、多くの社会インフラも担っている。今止められたら、どれだけ社会がダメージを受けるか想像がつかない。
「お話はわかりました。本日はご協力いただきありがとうございました。今日は飛んだ災難でしたね。事件のことは、周りに公表しないようお願いします。模倣犯が現れる可能性があるので」
「分かりました。では、失礼いたします」
父親が代表して答えた。
刑事と別れ、僕たち三人は駐車場に停めてあった車に乗り家路についた。
「重紀。今日は大変だったな」
車中、父親が僕に話しかけてきた。
「そうでもないよ。あと二ヶ月したら普通にやることだからね。それよりも、父さん。俺、本当に一人っ子だよね?」
「えっ。当たり前じゃないか。もしお前に兄がいたら、父さんは母さんに殺されているよ」
「ええ、そうね」
母親がすぐに答えた。
「だよね」
僕に兄はいない。今日会った人は、ちょっと精神が錯乱していただけだ。
車窓から流れる景色を見ながら、僕は今日の出来事を友人になんて話そうか考え始めた。
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