最終話 輝きとなって

 ミモルのパートナーであるエルネアとフェロルは、そのまま側近になりましたが、特にフェロルには戸惑いがありました。


「僕に務まるでしょうか」

 

 今まで通り近くにいられること自体には安堵あんどしたけれど、神の守護者という重い使命を果たせるのか自信がなかったのです。


「何、言ってるの」


 ミモルの自室となった広い部屋の片隅で、花瓶に赤い花を飾りながらエルネアが呆れたように言い、溜め息が清浄な空気を揺らします。


 部屋の主人は現在の先生であるアルトに連れられ、つい先ほど出かけていったばかりでした。残された二人は元の家から持ち込んだ荷物を片付け、部屋を整えている最中です。経験豊富な先輩が嘆きました。


「私達がそんな気持ちじゃ、ミモルちゃんが可哀想だわ」


 一時は意気消沈していた彼女も今は気持ちを切り替え、日々の仕事に励んでいます。


「エルネアさんほどの実力があれば、不安なんてないのかもしれませんが……」

「不安じゃないひとなんて、いると思ってるの?」


 刺すような視線とぶつかり、フェロルは続く言葉をぐっと呑みこみました。すみませんと素直に頭を下げ、己の気持ちをぶつけてしまったことを恥じます。


「反省しているなら許してあげる。それに、たまには弱音を吐けって言ったのは私だものね」


 エルネアが引き締めていた表情を和らげて、フェロルの腕を優しく撫でました。

 行動を共にするようになって結構経つのに、彼は頭一つ分低い彼女の顔をこんなに近くで見る機会は数えるほどしかなかったことに気付きます。


 知的でりんとした、昔から憧れだった女性が自分を真っ直ぐに見上げていました。


「不安になったら何度だって叱ってあげるから。め込んじゃ駄目よ」

「はい。そうします」


 フェロルも優しく笑んで答えます。彼女はもう遠くから眺めるだけの存在ではなく、頼りがいのある姉なのでした。


 ◇◇◇


「調査が終了致しました」


 とある朝。日課とばかりにやってきたアルトがうやうやしい挨拶を述べた後、さらりと流れる黒髪を乱さず頭を上げて告げました。


「本当!?」


 ミモルは天蓋てんがい付きのベッドの中ですでに目を覚ましかけていましたが、その一言で一気に現実へと引っ張られました。

 白い寝間着のまま、傍に立つ神の使いに駆け寄ります。主人のディアルに良く似た涼し気な瞳は、肯定を示していました。


「はい。発見致しました」


 ミモルは神として重い役目を担っただけではありません。対価として与えられる権利もまたけた外れのものでした。


 天使や使いは全て自分のしもべであり、どんな命令でも下すことができます。極端な例をあげるなら、気に入らなければ消してしまうという暴挙に出ることも可能なのです。


『貴女がお望みになれば、世界を消してしまうことも容易です』


 言うまでもなく、ミモルにそんなつもりはありません。

 アルトから説明を受けた時は大いに憤慨ふんがいしたものでしたが、一方でひとつだけ、人間でいるうちには叶わなかったある願いが胸に過ぎりました。


 ――自分の血の繋がった家族を、生みの親を探し出すことです。


 おずおずと切り出すと、感情の乏しい神の使いは「お時間を頂ければ」とだけ言い、こうして報告にあがったのでした。

 誰も、何も今のミモルには強制してきません。良いとも悪いとも言われないこの世界で、彼女は静かに決意しました。


「私は、会いに行きたい」



 両親が健在だったことは喜ばしいことです。しかし、驚かされたのはその居場所でした。


「こんなに近くだったなんて」


 森の中に建つ自宅と王都を結ぶ街道沿いにある村。沢山の家と店が並び、人々が行き交うそこは決して遠いところではありません。


 家族の住む家は、喧騒けんそうからやや遠ざかった家々のひとつでした。赤い屋根にクリーム色の壁をした平屋です。

 手前のささやかな庭には故郷にも咲いていた花が植えられていて、それがこの町とは少し違う雰囲気を匂わせていました。


「ここだ」


 心が告げ、間違いないと確信します。

 昼間でもひっそりとしていて、人通りはありません。ミモルは町までエルネア達をともない、通りの手前で待っていて欲しいとお願いしました。


 アルトが綿密めんみつに調べ上げてくれた資料にはあえて目を通していません。知りたくなかったわけではなく、戻ったらきちんと対峙たいじするつもりです。

 でも、その前に自分の眼で確かめたかったのです。


「……行こう」


 言い聞かせるように呟いて片足を前に出しました。

 会って、何を言えば良いのかはまだ決まっていません。「あなたの娘です。会いに来ました」か、「私の顔に見覚えはありませんか」か……。


 一番知りたかったのはどうして自分を養母に預け、迎えに来てくれなかったのか、その理由です。

 気が付くと玄関の目の前まで来ていて、ドアに付いた丸いノッカーを握りしめていました。白くて冷たいそれに、自分の体温が伝わります。


 今度こそ、最後の最後の勇気を振り絞ります。たった一、二度腕を動かすだけで、さいは投げられるでしょう。


「おねえちゃん、うちに用事?」


 はっとして振り返ると、そこには男の子が立っていました。

 年はミモルより3つ4つ、いえ、もう少し下でしょうか。黒髪に青い瞳の少年が、きょとんとした顔でこちらを見上げています。


「え……、あの……」


 頭が真っ白になりました。今の今まで考えに集中しすぎて気が付かなかった存在の出現に、何を言って良いのか分かりません。それ以上にミモルを硬直させたのは、少年の外見とかけられた発言の中身でした。


「『うち』って、この家の子?」

「そうだよ」


 幼い声は躊躇ためらいなく答え、先ほどと同じ問いを繰り返します。


「ねぇ、うちに用事なんでしょ? おかあさんかおとうさん、呼んでくるね?」


 ここが間違いなく両親宅で少年がこの家の子どもなら、考えの行きつく先は一つしかありません。――血の繋がった弟です。

 事態がすぐに整理できないほどに複雑さを増してしまい、眩暈めまいおそわれます。地面が柔らかくなってしまったようで、ぐらぐらと視界が揺らぎました。


「う、ううん! いいの」


 考える前に口走っていました。


「通りを間違えちゃったみたい。ごめんなさい」

「そっか、似たようなところが多いもんね。案内してあげようか?」

「大丈夫だから。ありがとう」


 幸い、少年は納得してくれました。玄関から数歩遠ざかり、そのまま背を向けて去ろうとしたら、ふいに寂しさがこみ上げてきます。

 扉の向こうにある真実に辿り着けなかったこと以上に、初めて出会えた弟とたった数秒で別れなければならない現実が辛かったのです。

 だから、せめて。


「じゃあ、もし迷ったら聞きに来るね。名前、教えてくれる?」

「ネオルクだよ」


 男の子は笑って答えました。声変わり前の高いそれは澄んでいて、世界には楽しいことが沢山あることを知っているように聞こえます。

 じゃあね。今度こそ別れて歩き出しました。少年は家族に帰宅を告げながら、ミモルには開けられなかった扉をくぐって家に入っていきます。


「……」


 視界から小さな背中が消えた途端とたん、エルネア達の元へと一目散に駆け出しました。

 声は震えていなかったでしょうか。笑顔のつもりで、胸の痛みが顔に出ていなかったか心配です。


 ……いえ、そんなことはもうどうでもいいのかもしれません。

 嬉しいのか悲しいのか腹立たしいのか、区別が付きませんでした。どう受け止めて良いのか考えるのも苦痛で、振り払うように走ります。


 だから、少女は知りませんでした。

 男の子が偶然出会った黒髪の女の子の話をしたら、家から両親が勢い良く飛び出し、すでに去ってしまった後だと知って泣き崩れたという事実を――。


 《完》



◇長かったこの物語も、ここで一区切りとなります。

 お付き合い頂き、ありがとうございました。

 この後は閑話や詳しい設定などに触れて、完結とする予定です。

 よろしくお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る