第30話 柔和なひとみ②

「あの……かみさま、ですか?」


 青年が現れる直前までエルネア達がしてくれていた説明では、知ることができていなかった名前です。


 でも、天使が畏敬の念を持って接し、事情にも通じているとなればあながち間違ってもいないはずでした。エレメート自身も、「まぁ、一応ね」とあっさり認めます。


「固くならないで。確かに他の3人はちょっとカタブツだけど、僕は君と仲良くしたいと思っているんだからさ」

「仲良く?」

「あぁ、自己紹介がまだだったよね。僕はエレメート。よろしく」

「あ、えと、ミモル……です」


 あまりにも自然に手を差し出されてたため、ミモルはおずおずと握り返してしまいました。柔らかくて暖かい感触は、人間と変わりがありません。


 ふんわりとした彼のたたずまいに、うっかりするとここへやってきた目的までも忘れてしまいそうになります。それが恐ろしくて、ミモルは勇気を振り絞りました。


「あ、あの! 私、ネディエは悪くないと思うんです。それは、いつかは……って不安はあるかもしれないけど、いけないことだなんて思えなくて」

「うん」


 返事は軽い頷きで、それは続きを促す動作でした。

 彼が驚くほど優しいから、ミモルもこのひとなら聞いてくれるのではないかと期待しながら、胸のうちにあるものを一気に吐き出します。


「それにジェイレイのことだって。……確かに私を殺そうとしました。でも今の小さなジェイレイは正しいこととそうじゃないことを教えれば、今度こそ生きていけるんじゃないかと思うんです。だから……」


 そう、そのためにここまでやってきたのです。


「だから、二人を返して下さい」


 言いきった瞬間、ミモルは深く頭を下げました。目も強くつむってしまったから、誰がどんな表情をしているのか分かりません。

 しぃんと沈黙が降ります。その静けさは途方もなく長いようにも、あっと言う間のようにも思えました。


「……頑張ったね」


 意外な返答に顔を上げると、笑顔のままの、けれど別の何かをも含んだ顔でエレメートが立っていました。


「君は僕達と戦う覚悟でやってきた」

「……はい」

「どう足掻あがいたところで負けると分かっていて」

「……はい」

「負ければ死ぬと知っていて」

「はい」

「親でも兄弟でもない者達のために」

「はい」


 ミモルは何度もしっかりと頷きます。その迷いのない瞳をエレメートは見つめて、「じゃあ、おいで」と再び手を差し出しました。


「……怒っていないのですか?」


 神にとって、人間は蝋燭ろうそくの火に過ぎません。不要になればふっと息を吹きかければおしまいの、些末さまつな存在のはずです。

 そのちっぽけな人間が、創造主に意見をした。たとえるなら、大声でわめきながら大海原に身一つで飛び込むような行為でしょう。


 ミモルはそんな想像をして、ぐっと息を呑みこみました。しかし、エレメートは心の底から不思議そうに首を傾げます。


「どうして?」


 ミモルは二の句が継げませんでした。想いは伝わったはずです彼は少女のありったけの勇気に理解を示し、優しい言葉をかけてくれました。

 その上で怒りをあらわにするどころか、不思議で仕方ないといわんばかりの顔をしているのです。


 もしかして、神にとって人間があまりにちっぽけな存在であり過ぎて、怒る対象ですらないのでしょうか。ミモルは落ち込みかけ、それはどうやら違うようだと穏やかな青年の次の言葉で理解しました。

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