第26話 少女のせんたく②

 小さい子ども特有の温かさと、震えが伝わってきます。


「ジェイレイに何をする気?」

「元々、事態を収拾してアレイズの魂を回収した後、悪魔の娘を連行するのが今回の任務だったの」


 その先までは知らされていないとムイは言い、右上でまとめた豊かな髪をかきあげます。髪留めの大きくて赤い玉がきらりと光りました。


「待ってよ。この子はもうただの子どもだよ。お願いだから連れていかないで」

「本気でそう思ってる?」

「え……」

「あんたは悪魔がどんな存在で、人間にどんな害悪を及ぼすのか知ってるはずよ。母親を殺されて、姉の心まで壊された痛みは、そんなに簡単にえるほど浅い傷だったの?」

「っ!」


 全身に衝撃が走りました。心のどこかで忘れようとしていた記憶が、痛みを伴って脳裏を駆け巡ります。真っ黒いもやの中に浮かんだ白い手、悪魔の嘲笑ちょうしょう、義理の姉ダリアのぐったりした姿――。


「やめて」


 エルネアが間に入ろうとするも、ムイは構わず言葉を続けました。


「アレイズの魂のように、この子どもだっていつまた悪魔として目覚めるか知れない。庇うってことは、遠くない未来に爆発するかもしれない爆弾を、『今は大丈夫そうだから置いておこう』って提案してるのと同じこと」

「ママ?」


 ミモルは幼子を見下ろしましたが、すぐに返事をすることも、それ以上強く抱きしめることも出来ません。


 別人だ。この子はあの悪魔じゃない。


 頭でそう理解していても、心は頷いてはくれませんでした。

 旅を共にするうちに、無邪気さに愛らしささえ感じ始めていたその女の子は、たとえ幾年月かを楽しく過ごせたとしても、いつか誰かを――エルネアやフェロルや友人達を襲うかもしれない恐れをも秘めています。


 湧き上がった感情に従うなら、怯える子どもを脅威きょういから救いたいのです。けれども、予見した通りの未来が現実となった時、自分はこの選択を後悔しないだろうかと、何度も何度も同じ問いがぐるぐると渦を巻きました。


「……ごめん」


 ぽつりと、けれどはっきりとした呟きです。ミモルには、己の問いに笑顔で頷けるほどの自信がありませんでした。そうっと体を離すと、己を引き渡すつもりなのだと知ったジェイレイの顔がみるみる歪んでいきます。


「ママ? ジェイレイ、わるい子だった? いけないことした? だからすてちゃうの?」


 大粒の赤い宝石のような瞳から、涙があとからあとから零れ落ちます。ムイが細い腕を掴むと、あれだけ何者をも通さなかった結界の中へと、するりと引きこみました。


「いやっ、はなして! 助けてママ!!」

「ほら暴れない。別に取って喰おうってんじゃないんだから」


 じたばたする幼子をムイがきつく抱きかかえます。そうされてしまっては、ただの子ども程度の力しか持たない今のジェイレイでは抗いようがありません。


「ミモルちゃん、良いの?」

「……うん」

「あなたがそうおっしゃるなら、僕達も従いますが……」


 いずれにしても、天使は神の使いに従順であるべき存在です。彼女達に手を出した瞬間、神々への反逆者という烙印らくいんを押されてしまうでしょう。


 それでも主人が望むのならば、多少の抗議なりともまだ出来ることがないでもないのですが、ミモルが肯定する以上は黙してたたずむ他ありませんでした。


「ごめん、ジェイレイ。私はやっぱりママにはなれないよ。天はきっと良いところだから」


 気休めがすらすらと口をつきます。弱々しく笑おうとする顔の筋肉は、感情を処理しきれなくて引きつります。自分でも白々しいと思いながら、渦巻く罪悪感から逃げたい気持ちが止められませんでした。


 私を生んだお母さんも、こんな気持ちだったのかな。


 顔も覚えていない本当の母親を思います。物心つかない赤子を森の聖女と呼ばれるルアナに預け、いずこかへと去った女性の心を覗いたような気がしました。

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