第21話 追い詰めるものたち②

 彼の言葉が真実なら、薄氷の上を歩くような取り引きの現場に、文字通り命がけでおもむかなければなりません。一つだけ確かなのは、ムイとは敵対関係になっていただろうということです。


『エルやみんなを辛い運命から解放してあげたいとは思う。でも』


 1年前の旅は、あまりにも突発的な旅立ちでした。自分にとっては無用のいざこざに巻き込むムイを、最初は快く思っていなかったのは事実です。

 ただ、行く先々で彼女の明るさや誠実さ、そして責任感の強さを知りました。


 うとましさはやがてミモルの心から消えていき、最後には互いに別れを惜しむ関係にまでなれたのです。

 しかし、青年と共闘する道を選んだ瞬間、それは失われてしまいます。


『友達と争うなんて嫌だよ』


 どれだけ言葉を尽くしても、ムイが心変わりすることなどありえないのをミモルは良く承知しています。神々の命ならば、こちらに刃を向けることでしょう。

 そんな場面は想像するだけで胸が痛みます。


「まさか、このに及んで逃げるなんて格好悪い真似、しないわよねぇ?」


 青年が肩をすくめると、今度はアルトが「もう逃げ場所はありません」と告げました。


「空間を切り取らせて頂きました。この村は今、外界と完全に断絶した状態です」


 アルトがそう話すそれは何かの比喩ひゆでなく、厳然たる事実です。神の使いにはそれぞれ特別な能力が備わっているらしく、彼女は空間を操る力を持っているのです。

 以前、ミモル達もその力によって助けられたことがありました。


「……ここまでか。もう少し粘れると思ったのに」


 青年は案外、あっさりと諦めを口にしました。逃げようとしたり、口先で時間稼ぎをして何かを仕掛けてくるかと思っていたこちらとしては、拍子抜けなくらいです。

 ムイも同じ感想を抱いたのでしょう。


「へぇ? あんなに苦労させてくれたにしては、往生際がいいじゃない」

「引き際くらい心得てるさ。もともと、うまくいけば上の連中の首をひっつかんでやれるかも、程度にしか考えていなかったからね」


 どこか違和感のある言い方に聞こえました。まさか、「最初から達成できるわけがない」という諦めではないでしょう。青年の口が、笑みの形に歪みます。


「落としどころは、ここでいいのさ」


 次の瞬間、鋭いひらめきとほとばしる赤が静止した世界をいろどりました。



 男のらすにごった吐息に、別の誰かの嗚咽おえつが混じります。それは彼の背後から届いたものでした。


「も、もうし、わけ、ありま……せん」


 ぽたぽたと地面をらすのは大粒の涙です。声を長く聞いていないような気がしたのは、二度と耳に出来ないのではという恐れを抱いていたからかもしれなません。


「これで良いんだ。……ヴィーラ」


 時折咳き込みながらも、それまでの不敵な印象からは想像もつかないほど声音は優しく柔らかいものです。

 しかし、口からは幾筋もの赤い液体が止めなく流れ、あごを伝って地面に落ちていきました。追って体も前のめりに崩れます。


 どさり、と麻袋を叩き付けるような音を立てて倒れました。

 つんとした匂いが鼻先を掠める。背にはナイフが深々と刺さり、服が元はどんな色だったのか思い出せないくらいに、周囲を朱に染め上げました。


「いやあぁあぁあっ!」


 ミモルが叫び声を上げ、慌ててエルネアが抱きしめて視界を遮りましたが、手遅れでした。恐ろしい光景は、すでに目に焼き付いてしまっています。


『なんで? どうしてヴィーラがあの人を……!?』


 エルネアの腕の中にいても、空気の流れで周囲の人間の動きをぼんやりとは感じられます。けれど、誰も駆け寄って救おうとする気配はありません。

 まだ息があったとしても、処置しなければ確実に死に至る傷なのは明白です。それとも、もう手遅れなのでしょうか……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る