第20話 おそろしい誘い②

 幾重になった人垣のどこかで、誰かが「もう、こんなことは終わりにするんだ」と呟きました。


「離れるのは嫌」

「忘れるなんて出来ない」


 呟きは引き金となってあっという間に広がり、ざわざわという音の波に変わります。


「目を覚ましなさい!」


 エルネアが彼らの前に進み出て一喝いっかつします。


「私達の使命を忘れたの? 地上を守り、安寧あんねいを保つべき我々が、天にあだなし自ら争いを起こそうだなんて」


 そうです、と続けたのはフェロルです。真面目な彼も、同胞をこのまま放っておくことは出来なかったのでしょう。


「僕達を生み出し、地上を創造したのが誰だったのか思い出して下さい。神々に抗おうなどと……敵うはずがありません」

「説得しようたって無駄むだ。そんな言葉で揺らぐ決意なら、そもそもここにいないさ」


 青年の言葉は正しく、どれだけ二人が心を砕いて説得しようとも、彼らは耳を貸そうとはしませんでした。

 これほど悩んでしかるべき呼びかけに、逡巡しゅんじゅんすら見せないのです。そんな段階はとっくに超えてしまったのでしょう。


「それに俺達は、別にカミサマを倒そうなんて突拍子もないことを考えてるわけじゃない」

「なんですって?」


 頭が混乱します。彼らは神々に戦いを挑もうと考えているのではないのでしょうか?


「ただ要求を呑ませるだけさ。こんな馬鹿げた仕組みは今すぐ変えろってね」

「じゅーぶん突拍子のないセリフに聞こえるぜ?」


 まぁ俺が言うのもなんだけど、とスフレイが茶化しました。


「そうかな? 交換条件に出す人質なら両手にあまるほどいるんだ」


 青年が両手を広げて微笑むと、ミモル達の背筋に悪寒が走ります。

 人質。それが目の間の人間と天使を指していることは疑いようもありません。


「極めてシンプルだろう? 要求を呑まなきゃ」

「やめて!」


 その先を聞きたくなくて、ミモルは声を上げました。


「ない知恵絞って考えたんだ。いくら頑固なカミサマだって、大事なコドモのためなら取引に応じてくれるんじゃないかとね」


 捻じれている。そう感じずにはいられません。


「狂ってるわ。大事なものを守るために、その大事なものを交換条件に出すなんて、矛盾してる」


 同じ感想を抱いたエルネアが痛烈に批判しても、青年は涼しい目でちらりと一瞥いちべつしただけで、少女にそっと片手を差し出しました。


「一緒に救おう。彼らを」

「一緒に?」


 恐怖に凍りつくかと思ったら、違いました。不思議なことにその手は厚く、大事なものを掴めそうな暖かさにあふれて見えたのです。


「敵だと思って牽制けんせいしようとしたのは事実だ。でも、実際に会ってみて同じ考えの持ち主だと分かった」

「同じ……」


 ジェイレイをけしかけたのも、部下を差し向けたのも、あくまで目的を遂行するのに邪魔な者を排除するため。殺すつもりはなかったのだと彼は言いました。


「じゃあ、どうしてジェイレイにあんな真似させたの?」

「おチビちゃんには、時間稼ぎをして貰おうとしただけさ。眠っていたのを起こしてやった代わりに。悪魔を消した者なら、方法を知っているだろうと告げたらすっ飛んでいったよ」


 無論、ミモル達がそんなことを知るはずもありません。出まかせを言っただけです。ただ、人との関わりを持ってこなかったジェイレイには、どうすればそれを知ることが出来るか、想像もつかなかったに違いないのです。

 結果、凶行に走った――彼の話が嘘でないことを前提にすれば。


「なら、シュウォールドで私達を襲ったのは?」


 あの時、間違いなく命の危険を感じました。自分達を殺すつもりだったのだと断言できます。


「下っ端だったから、命令をはき違えたんだろう。それにあの程度の奴らに、エルネアの相手が務まるはずもない」


 つまり、最初から負けると解っていて差し向けたことになります。

 敵か味方か。戦うべきか信じるべきか。様々な想いが一度に沸き起こり、渦巻いて眩暈めまいを覚えました。

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