第19話 心のうつろ②

『そんなことをするわけないだろう? この世で誰よりヴィーラのことを考えている俺が』

「どういう意味だ」

『……久しぶりに出てきてみて驚いたって意味さ。あれだけの時間が流れたのに、昔と何も変わっちゃいない』

「どういう意味だと聞いている!」

『何百年も経ったのに、天使は相変わらず神の奴隷どれいで、人間は恩恵に預かることしか知らないってこと』


 沈黙が降りました。

 神の奴隷。静けさはその響きに咄嗟に反論出来る者がないことを証明しています。


「……当たり前じゃない。私達はそれが使命なのだから」

「そうです。主神の命に従い、人間を守ることこそ――」

『そうやってまた心を、魂をすり減らすのか。下らない神々の勝手に付き合って』


 エルネアとフェロルの主張を、怒りの声音が容赦ようしゃなく遮ります。


『何年も何百年も何千年も。自分の意思に関係なく送り込まれて、傷だらけになりながら守っても最後には記憶を消されて、また新たな主人に仕えて……その度に心がぼろぼろになっていくと分かっていて、どうして続けるんだ』


 まるで長い間くすぶり続けた炎のようでした。静かに、けれど決して消えない青い火です。誰も気づかないうちに周囲をじわじわと焼きつくし、やがては守るべきものまで焦がしていくかのように広がっていく……。


『神は君たちに何をしてくれた? 冷酷な命令を繰り返すばかりで、記憶を消すのが慈悲だって? ……ふざけるんじゃない』


 その場の全員が、口をはさまずに耳をそばだてます。彼の主張が間違っていると指摘できずに立ち尽くしていました。


 この人、私と同じだ。


 かたん、と音がして、どこからかその影は現れました。燃えるようなオレンジの髪の青年。その姿は既視感デジャヴを感じさせます。


「神々は天使をただの道具としか思わず、人間は救いを当然の権利と誤解している。こんな世の中は間違ってる」


 だから正す。彼は決意のこもった言葉をつむぎました。



 室内は光の精霊の加護によって昼間のような明るさです。

 潜むものを引きずり出すほどの強い光源は、普段は隠しておきたい人間の弱さをもさらそうとその手を伸ばしていました。


「正すって、何をするつもりなの」


 エルネアがミモルを背に庇いながら睨み付けます。一方で得体のしれない恐ろしさを抱いているようでもありました。しかし、未だ名乗ってすらいない青年は答えず、涼しげな目を細めただけです。


「顔を見ても思い出さないんだ? それだけ呪縛じゅばくが強いってことか」

「! 私を知ってるの? ……あなたやっぱり」


 青年は今度も応えず、代わりに「そりゃあそうか」と呟きます。


「ニズムの時だって思い出さなかったんだ。それとも、思い出したくないだけかな」


 彼がゆらりと彷徨さまよわせていた視線をミモルに定めると、彼女の鼓動がどきりと強く打ちました。寸分すんぶんたがえずに刺し通す針のような、鋭い瞳でした。


「君も同じ考えなんだろ? こんなふざけた仕組み、間違ってるって顔に書いてある」

「!」


 そんなはずはない、とは、声になりませんでした。

 こんな仕組み。……何を指すか、今さら言うまでもないことです。

 世界中に広まった女神の血が、地上とそこに生きる者達を侵さないようにと、神々が遣わし始めた天使達。


 それがほころびを修復するどころか、別の新たな穴を穿うがつ結果となってしまったのをミモルは知っています。

 人は生まれ続け、使徒は繰り返し派遣されてきました。互いにいくら心を交わそうとも、終わりに待っているのは記憶の封印という真っ黒い「無」です。


 きっと、彼らの心にもうつろが成長し、少し疑問を抱くだけでやすやすと口を開くところまできているのでしょう。そうやって生まれるのが悪魔なのですから。

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