第18話 失われたきおく①

「占いの町ハエルアで、私や、領主である私の叔母おばを助けてくれていた」


 私が? とヴィーラが驚いたような声を出します。この村で生活した幾日いくにちが全てである今の彼女には、およそ信じられないのでしょう。

 ただ、そんな表情ひとつ取っても、仲間の胸には痛みを走らせます。


「心のり所にしていた母親が亡くなり、不器用だった私と叔母は長い間、互いの距離を測れずに苦しんだ。相手との間に、黒々とした穴がぽっかりと空いているみたいだった」


 覗き込めば足が竦む、底なしの穴。二人とも飛び越える勇気がなく、そんな臆病な自分に押し潰されるのが怖くて、遠くから言いたいことを叫び、物を投げつけました。


 血がつながった間柄のはずなのに、お互いに心を閉ざして傷つけあってボロボロになっていたのです。


「そんな私達を変えてくれたのがヴィーラだ」

「……」


 ヴィーラは真剣な顔でネディエの唇の動きを見詰めています。一言も聞きらすまいとしているようでした。


「じっとそばで見守ってくれて、いざという時には私と叔母をつなぐ架け橋になってくれた」


 助け合って生きている今となっては過去のことと言えますが、叔母であるルシアと和解するまでには辛いことが山ほどありました。

 あの時は「家族」をなくした気がしたものです。


「貴女がいなければ、今もあの闇の中でもがいていたと思う」


 決して遠い昔の話ではありません。心の傷口はやっとかさぶたが出来たところで、まだ言葉にするだけで再びぴりぴりとがれて血を出しそうになります。


「あの寒々しい日々は、思い出したくもない記憶だけど」

「けど……?」


 ネディエは痛みに耐えるように自らの腕をもう片方の手で握りしめました。

 こんな思いをしてでも喋るのをやめないのは、帰ってきて欲しいから、また一緒に暮らしたいからです。一度伏せかけた瞳をもう一度ヴィーラにえて、はっきりと言いました。


「忘れていいなんて思わない」


 はっと、ヴィーラの目が見開かれます。その直後、彼女は頭をおさえて「うう」とうめきをらしました。


 もしかして、何かを思い出しかけているのかもしれません。少女が立ち上がって駆け寄ろうとすると、間に立ちふさがるようにしてさえぎるものがありました。アレイズです。


「今日はここまでにして」


 それは有無を言わせぬ口調でした。



 切り取られた窓から、瞬く星が見えます。都市部と違って村の夜は早く、あっという間に明かりは消え去り、夜空から降る光が地上に満ちました。


「彼女の言い分も正しいわ」


 ミモルは窓から離れ、ベッドに腰を下ろすエルネアの隣に座ります。月明かりに照らされる彼女の髪は金糸のように輝き、神々しいまで美を放っています。


 アレイズの好意で泊めて貰うことになったミモル達は、男女に別れて客室に落ち着くことにしました。村に宿はなく、人が訪れた時にはこうして村長の家に泊めるのが通例なのだそうです。


「あの様子じゃあ、急激に記憶を取り戻すのは、ヴィーラに負担をかけてしまいそうだもの」

「……そうだな」


 となりのベッドでネディエも渋々頷きました。その横では昼間も大人しくしていたジェイレイがすやすやと寝息を立てています。かなり歩いて疲れも出たのでしょう。


「しばらくここに泊めて貰うの?」

「そうなるでしょうね」


 早く元のヴィーラに戻って欲しいのは山々ですが、彼女の苦しみを思うと急がせるわけにもいきません。逗留とうりゅうする他ないだろうとエルネアは言いました。


「そういえば、まだアレイズさんにお礼、言えてなかったね」

「あ、あぁ。そうだったな。ヴィーラを保護してくれたのに……」


 たとえヴィーラの記憶が戻るまで真実が闇の中だとしても、アレイズや村の人達が彼女を助けてくれたのは事実なのです。


 天使の記憶喪失という思わぬ出来事に遭遇そうぐうしたために、あまりに取り乱してしまい、アレイズにはとても失礼な振る舞いをしていたと気付きました。


「明日はきちんと頭を下げて、これからどうすべきかを話し合いましょう」


 少しだけすっきりした気分で、眠りにつくことが出来ました。

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